第十五話 歌舞伎町戦争、開幕(その二)

 何個かあるエレベーターは直通、というわけではなく、途中で止まった。ロックをかけたらしく、十五階で止まってしまった。別のエレベーターを目指すには、階段によって一階上に登らなければならなかった。

 下から何度も爆撃のような音が聞こえてくる中で、仕方なく真吾たちはその階に降りると、見るからに今まで相手取ってきた下級、そして中級構成員とは格段に違う、純粋な殺気。涎を垂れ流し、人の言葉など喋りはしない。恐らく、見た目からして佐麓を囲んでいた上級構成員の一人であった。

 およそ身長は一メートル八十から九十センチ、かなりの筋肉質で、筋肉質である真吾や堅一郎とは比べ物にならない。筋肉の重さがそのまま体重に直結しているようだ。

 意気は荒く、黒目は存在しない。白目をむききっており、正しく人ではない人、もしくは仮称として「獣」そのものと言うほかなかった。

「……いかにも、ここで誰かが戦わないとこいつを止められない……ようだね」

「なあるほど、面倒なやっちゃな」

 すると、ある人物が一歩前に踏み出して、その獣と目を合わせる。その人物こそ、郎介であった。

「真吾様、誠様、堅一郎様。ここは私に任せていただければ、よいかと」

 真吾は一瞬止めようとしたものの、この場で止めたら覚悟を否定することと同義と感じたために、真吾はただ一つ、言葉を残して先へと進んだ。

「郎介さん……必ず勝ってくださいね」

 真吾たちは「獣」の横を通って奥の階段へと走って行った。


 郎介と「獣」だけとなった、煌々と高級かつ華美なシャンデリアが照らす十五階。「獣」のうなり声が、闘争本能の高まりを感じさせていた。

「……これは、以前戦った時のようにうまくは、いかないですよね」

 あのホームレスの老人よりも、圧倒的に感じる、使命をプログラミングされたかのような「獣」。あれは忠誠を誓う程度の者であったものの、この「獣」は常軌を逸した忠誠心で成り立っているのだろう。もはや心酔と言えるほど。

 郎介は、静かに空手の構えをとる。左手は少し低め、右手は顎の位置に置いた、やや守りの構え。

 この前のホームレスの老人との戦いにおいて、失敗した部分は、理性がない相手に対して、アトランダムに繰り出される攻撃を捌けこそしたもの、いざというときの攻めがしきれなかったこと。一撃で終わらせることができれば、苦しむことは無かったうえに、あの爆撃を食らいもしていなかった。

 そして、何より反省すべきは、油断とほんの少しの恐怖であった。一瞬だけ、銃の扱いを心得た老人だと錯覚したことにある。そこからは狂人を相手取っている認識で戦っていたものの、その遅れによって時限爆弾が起爆して爆風と毒を喰らってしまった。

 だからこそ、郎介は、先手を譲る代わりに後手を取った。

 真っ直ぐ向かってくる人の姿をした「獣」の乱雑かつ凶悪な攻撃を、回し受けによって捌き、即、中段の正拳突きを放つ。

 これにはどうしようもなかったのか、「獣」は派手に吹き飛んだ。

 しかし、すぐに空中で受け身を取り、「獣」は反撃として力任せな右フックを放つ。

 これを何とか左腕を使ってガードするも、郎介は吹き飛ばされて、横にあったガラスだらけのバーカウンターに突っ込んでしまう。

「……速さも、どんどん上がっていくよう、ですね」

 郎介は、何となく「獣」の習性を見抜いていた。しかし、それは郎介にとって絶望的な事実でもあった。

「傷つけられれば傷つけられるほど……貴方達は力を増すのですか」

 骨にひびの入った左腕を庇いながら、郎介はその場に立つ。割れたガラスなどが、余計に郎介の傷を増やしていた。

 郎介はすぐにボクシングのステップに切り替えて、相手の懐に入り込む。

 しかし、「獣」はその習性を元々学習していたのか、後退して距離を離す。

「あらゆる戦闘手段を意識があるときに覚えさせて……それを暴力的に振るう、凶悪ですね」

 距離を取って、相手を観察する郎介。相手はまだ好機ではないと思考しているのか、郎介を見るのみで、特別動きはしない。観察をしているのか、はたまたエネルギーを回復しているのか、見た目では判断がつかない。

 すると、その「獣」は、またもや距離を詰め、乱雑な拳のラッシュを叩き込んでくる。

 素早くはあったものの、それを落ち着いてすべて捌く。しかし、そのラッシュが密度を増していき、捌くだけにしか専念できない状況にあった。

 そして、乱雑なラッシュは郎介の捌きをすり抜けて左わき腹にヒットしてしまう。

 郎介の身体が、骨が、肉が、悲鳴を上げていた。

 郎介は抵抗できずに、床に勢いよく転がった。

「まずい、ですね……力だけで言えば差が歴然……そしてフィジカルも圧倒的に相手有利……これは困りましたね」

 搦手を使うにも、生半可な力で効くかどうかが分からない。あくまで愚直に、戦うべきか、それとも変化球も織り交ぜながら攻めるべきか。

 一瞬考え、郎介はあくまで正攻法で攻めることを選んだ。

 郎介がさらに前進するステップを踏むと、そこに合わせていたかのような、遠慮のない拳が郎介の顔面に突き刺さる。

 もろに食らったせいか、郎介の意識は一瞬だけ飛び、ガラスの破片が大量にある壁に激突してしまう。

 出血はかなりの量で、辺りが血だまりだらけとなる。

 そんな怪我などお構いなしに、獣は追い打ちをかける。

 無慈悲な拳が、郎介の顔面やら身体やらを捉えていく。容赦なく、何度も、何度も。

 さながらラッシュのように、郎介の命を削っていく。

 そして、とどめの一撃として、壁を破砕する一撃が放たれた。


 どこかで、郎介を呼ぶ声がした。

「……ち……けち……明智……」

 自分の名を、誰かが呼んでいる。それだけで、起きる理由には事足りた。

 先の見えない暗闇の中を、ただひたすらに駆けていく。

 その都度、郎介の名を呼ぶ、聞き覚えのあるような声がしていた。

 反響して、じわりと伝わって。

 雫が落ちて、波紋となって。

 その声に呼ばれるたび、郎介は速度を上げていった。何か、大切なものを守るために。

 徐々に記憶も戻っていく。

 一二三を救い出す。そして一二三の実の兄である真吾を、文司の遺志を継いで願いを叶えさせる。

 その想いが、その願いが、その依頼が、その命令が。

 走りは止まることを知らない。光に向かって走れば走るほど、自身の傷が増えていく。

(いつ以来でしょうか、主以外の誰かのために命を懸けていいと思えたのは)

 最初は盟友、文司。次は文司の愛娘であった一二三と大宅家の当主、和夫。

 そうして、文司の愛息子であり、一二三の唯一の血縁者、真吾。


「勝て。そして生き残れ。もう一度、貴様の作った芳醇なココアが飲みたいんだ。失望させて、くれるなよ?」

「明智さん……必ず勝ってくださいね」


「……御意!!」


 力いっぱい込められた拳を受け止め、それを郎介でも出せるほどの軽い力で弾く。

 そしてその場から高く飛びあがり、天井に付けられたシャンデリアに上って、それを即座に切り落とす。

 明かりが無くなった中で、「獣」は身動きを取ることができなかった。

 うなり声をあげながら郎介を探す「獣」。しかし、その「獣」の視界は余程狭いのか、血を流していたとしても、天井にいる郎介に気付いてはいなかった。

 そして郎介は、肩車をされるような感覚で「獣」の首元に落ちて、「獣」がこちらを向く勢いも利用して、一気に首の骨をへし折る。

「確かに貴方達のような方は、致命傷ではそう簡単に死なないのでしょう。しかし、『確実に死ぬ攻撃』を喰らったら流石に回復のしようがないでしょう。だからこその、一撃です」

 郎介は静かに「獣」の肩から降りて、「獣」の最後を見届ける。そして、今まで相手をしていた「獣」はうつぶせに倒れ、徐々に元の姿に戻り始めた。

「ありがとうございました。貴方のおかげで、以前の戦いの過ちを思い出せた。そして何より、人ではなく理性のない獣を、一二三様と真吾様のために殺すと思えたからこそ、非情になれた」

 郎介は、フェドラハットを静かに胸に当てて、目を閉じて元の姿に戻っていく相手を見送っていった。

 人間の肉が限界を迎えて、骨だけになった後、郎介はフェドラハットを被りなおし、近くにあった無傷の椅子に座り込む。

「……あまりにも、血を流し過ぎ、ました」

 椅子に寄り掛かりながら、郎介は静かに自分の治療をし始めた。

「……これは、包帯やらでどうにか、なるものなのですかねぇ」

 持ってきた救急キットの中の、包帯と消毒液、軟膏などを見つめながら、苦笑した。


 エレベーターを乗る前に、下の階層から爆発に近い音がしたために、不安に思いながらも乗り込む。しかし、十五階同様、三十階で止まった。

 仕方なくそこで降りると、シャンデリアの明かりがついていないフロアが広がっていた。そこにいたのは、十五階の獣とは異なる、本当に生きているのか分からなくなるほどの、静かに佇む、しかしこちらへの殺気は確かに感じる、妙な人間であった。

 体は十五階で見た者とは大きく違って細い体躯で、筋肉はほんのりと感じられる。長身痩躯、という言葉の体現者であった。

 それにこちらをじっと見ているだけで、特に問答無用に攻めてくる……なんてことはとても考えられないほど、落ち着いていたのだった。

「アイツぁ……生きてんのか?」

 誠が当然の疑問を投げかけるも、呼吸音は聞こえていた。真吾たちはその人間の横を静かに通り過ぎようとすると。

 目の前を素早い一撃が襲う。それは足によるもので、信じられないほどの速さであったのだ。誠は思わず拳銃を撃つも、その弾は窓ガラスを貫くだけであった。

「こいつ……銃弾を避けやがった」

 真吾と堅一郎は参戦しようとするも、誠が制止する。

「……こいつは俺がやる。だからさっさと上行け。少しくらい最初のエントランス分の仕事を果たさせてくれよ」

「伊達のおっちゃん……」

「若いもんばっかに任せたら、俺らは衰える速度が速くなっちまう。働かねえと早々にじじいになっちまうからな。ちょっとした頭と体の体操って奴だ」

 誠の意志をくみ取った真吾は敬礼をして、堅一郎を連れて上階へ上った。


「……さってと、どうするか」

 眼前の敵と対峙する誠。しかし、その「獣」は動かない。

 誠は何度か拳銃で狙って撃つも、それら全てを避け、何事もなかったかのように佇む。

 しかし、一瞬だけ目を離した隙に、誠の顔に敵の足が伸びていた。

 否、ほぼノーモーションで敵の蹴りが誠を襲っていたのだった。

 瞬時にその蹴りを防ぐも、次の蹴りが別の個所を襲う。

 それぞれをどうにか腕や足で防いでも、次の攻撃が瞬時にやってくる。

 その連撃を捌ききる技能は誠にないために、鳩尾に敵の蹴りが深く刺さる。

 誠は吹き飛ばされて、床に転がった。吐血するほどではないものの、苦しくは感じていた。

「……こりゃあ、じわじわと削られる……ジリ貧だな」

 最近衰えによって体の動きが悪くなってきた中で、人知を軽く超える速度を出してくる敵は、辛いものがあった。

 ライト級の天才ボクサー対、衰えてはいるものの現役の警官。

 どちらに分があるかなど、一般人でも予想がつく。間違いなく近距離ではボクサーが勝ち、遠距離でも銃弾を避けられる時点で苦しいものがある。

 その時だった。一瞬だけ、その敵は部屋中央に止まった瞬間があった。

 誠は思ったことがあり、黒のスーツを脱ぎ捨て、遠くに投げ捨てた。かろうじて付けていた捜査一課のバッジと共に。

 するとその敵はそのバッジを派手に切り裂いた。しかしスーツは比較的無事だった。

「……何となく、分かりかけてきたぞ」

 誠は割れた窓ガラスの元に走る。

 しかし敵がそれを追わない理由はなく、すぐさま伊達の元に辿り着いて、誠の背を思い切り蹴り飛ばす。

 割れた窓ガラスのところから落とされそうになるものの、受け身を取って割れた窓ガラスを遠く、部屋の隅の方に投げる。

 すると、敵はその窓ガラスを追って壊そうとする。

 しかし、誠はその一瞬のチャンスを掴むべく、拳銃を三発一気に撃ち放した。

 全弾命中し、敵は完全に怯んだ。

 誠は一気に戦いを終わらせようと、件の拳銃を即座にリロードし、接近する。

 ただ、それを許すわけもなく、怒りの色に支配された敵は、今までの攻撃よりも力が込められた一撃が、誠の左わき腹を襲った。

 誠は抵抗できないまま、壁際に吹き飛ばされる。

 敵にマウントポジションを取られた誠は、必死にガードするもタコ殴りを受ける。

 拳の連打、というよりは、予測不可能な乱打であったために、反撃することも、攻勢をかけるのもできやしない。

 一発一発の力は、間違いなく十五階のパワータイプの獣とは大違いで、普通よりも確かに力が強いが、特別一発当たりにかかる力は腕が折れてしまうほどの桁違いの力ではない。

 しかし、それはあくまで一発当たりの力の話で、それが数百発、しかも息つく暇もない無呼吸の乱打としたらどうだろうか。

 さながら、ゲリラ豪雨のような局所的なもの。しかもすべてが殺意を孕んだ攻撃であるために、情け容赦の欠片もない。

 誠の腕の骨やら肋骨やらに、徐々にひびが入っていく。

 攻撃は止むことがなく、誠は遂に防御する腕を解いた。

 その後もしばらく乱打は止むことなく、攻撃が止んだのはおよそ数分後の事であった。

 誠は、そこら中の骨が折れていてまともに動けない状態にあった。

 その敵は、満足したのか、ゆらりと立ち上がって、誠に背を向けていた。部屋中央へと戻りながら。


 しかし、誠は諦めていなかった。確かに、その集中的な乱打が長時間続くとは思っていなかったものの、紆余曲折あろうともこの場所で倒れられたのは、間違いなく好機であったのだ。

 誠は音を立てないように静かに立ち上がり、側にあったシャンデリアの電気のスイッチを入れる。

 すると、その敵は慌てふためいたように銃弾を避けた時のような高速移動を始めた。

「お前が反応するのは、『動き』じゃなくて『光』にあった。現に、俺が明かり付けるために、静かに動いた時には、何の反応も示さなかった。しかし、鉄だったりガラスだったり、金属光沢のある物や光を反射できるものに関しては、必ず反応していた。だからこそ、お前はスーツじゃなくてバッジを狙っていた」

 逆に、今度は敵だけが常に動き回って、攻撃することは無くなった。骨に関して大分怪我を負ったものの、拳銃を放つくらいのことはできる。衝撃は庇いきれないだろうが。

「そしてお前の特徴はもう一つある。それはお前自身の『固定位置』があることだ。この階層だとしたら、この部屋の丁度中心、シャンデリアがある位置だ。高速移動を続けていく中で、必ず戻る瞬間に……」

 その瞬間を見極めて、件から預かった特注の拳銃を撃ち放つ。最後の一発を当てるために、五発を陽動に使う。最後の一発こそが、敵を死に誘う最後の弾丸となる。

「お前の脳天にぶち当てれば、お前は死ぬ」

 光や光を鈍く反射する銃弾を避ける中で、必ず経由する部屋中央に止まった瞬間、敵の脳天に一発命中し、頭が爆散する。

 血を吹き出しながら、仰向けに倒れていった。血だまりが広がっていき、それと同時に、徐々に人間らしい姿が露わとなっていく。

 誠は脱ぎ捨てたスーツの懐から、マルボロとライターを取り出して、割れた巨大な窓ガラスの近くで煙草を吸い始める。

「……こんな事件、今まで初めて経験したぞ、おい」

 腕がきしむ。先ほどの自分の物より圧倒的に威力重視のカスタムが施されてあったために、誠の腕は煙草を持つだけで悲鳴を上げていた。

「……件さん、現役でこれぶっ放してたとか、バケモンかよ……」

 血の味が混じった煙草の味は、あまり好みではなかった。

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