第十四ファイル

 色々な場所を回った。喜多川探偵事務所の入るビルの跡地であったり、KABUKIヒルズ周辺であったり、昼時子供たちや大人の憩いの場となる公園であったり。表情ががらりと変わった歌舞伎町の町をひたすらに駆けた。

「一二三ちゃん……どこに行った……!?」

 走りながら、次にどこに向かうかを思考し、要所を走り抜けていく。

 すると、人気が全くない公園に遠目に見える、白いゴシック調のドレスを着た小さな姿ともう一人の姿。真吾はその場に駆けると、そこにいたのは口に猿轡を噛まされ手首を縛られた一二三と、佐麓であった。

「佐麓……先輩……? 一二三ちゃんを……助けてくれたんですか……?」

 心のどこかで、容疑者となっていた佐麓を疑い切れていなかった真吾は、佐麓に対して話しかける。佐麓は、真吾に気付いた様子で、いつもの調子のように優しく話しかけてきた。

「喜多川君かい? 指名手配されている中、よくこの場が分かったね。町には対代協定の探偵がうじゃうじゃいたはずだけど」

「一応、走り続けることで顔を見られないようにしていました。体力には自信があるので」

 一二三はその間、なぜか何か言いたげにじたばたと暴れていた。それがなぜなのかは全く知らずに。

「これから喜多川君の元に、一二三ちゃんを送り届けようかと思っていたんだ。喜多川君は安心してもらっていい」

「それなら、良かった……」

 真吾は、一二三と佐麓が掛けているベンチに腰掛ける。流石に体力に自信があるとはいえ、真吾にも限界は存在する。少し息を整えないと話が始まらなかった。

 その間、佐麓はすっくと立ち上がり、真吾と一二三の後方に立つ。そばには灰皿もあるために、煙草を吸うものかと思っていた。

 しかし、今までに佐麓がタバコを吸う場を目撃したことがないために、少し意外にも感じながら。

「佐麓先輩、煙草でも吸うんですか?」

「まあ、そんなものだね」

 そう言うと、佐麓は真吾の後方で煙草に火をつけ、真吾の側に近寄る。

「あ、そうだ……佐麓先輩の好きな銘柄って何ですか?」

 真吾はあまり気にするわけでもなく、煙草の話題を振るために、ふと佐麓の方を振り向くと、真吾の額に、冷ややかなサプレッサーの付いた銃口が当たる。

「良かったよ、君たち二人をあの世に送ってあげられるから」

 真吾は途端に悪寒を感じて、一二三を抱きながら銃弾を避ける。しかし完全には避けられないもので、頬に一筋の血が走る。

「ああ、先ほどの煙草の銘柄の話、答えを言い忘れていたね? 昔から変わらずのセブンスター。昔からこの味以外は体に馴染まないのさ。それこそ、仕事終わりの一服とかは最高さ」

「何を……するんですか……?!」

 その真吾の問いに対して、佐麓は今までに向けたことの無いほどの、冷ややかな目を真吾に向ける。

「何って……殺しに決まっているじゃないか? 喜多川君、君はそんな簡単な事実が分からないほど馬鹿になってしまったのかい?」

 酷く冷たい、絶対零度の殺気。佐麓から発せられているのは、正にそれであった。今まで感じていた、陽だまりのような温かさは消え失せていた。獲物を狙う欲など感じさせない、究極の捕食者(ハンター)。

「貴方は……一体……?」

「一体、って……私こそが現代のジャック・ザ・リッパーさ。分からなかったかい? まあでも、一二三に関しては私の正体に近づけたからね、褒めてあげよう」

 一気に、真吾の中の憎悪が噴火する火山のように湧き出す。目の前にいるのは、真吾が二年間追い続けてきた、そして真吾と一二三の父親を殺した、張本人であった。

「私こそが、『現代のジャック・ザ・リッパー』、佐麓家杜さ。あまりにも答えに辿り着くのが遅かったから、今ネタ晴らしをしておこう」

「お前が……!!」

 真吾の中にある、佐麓に対しての敬意は失せて、残るのは憎しみや怒りばかり。一二三は、佐麓に対して痛いほど睨みつけていた。

「そう睨まないでくれよ、二人して。それと」

 真吾は、沸き立つマグマのような感情を佐麓にぶつけようとするも、佐麓が先手を打っていた。

 真吾の顔面に、情け容赦の欠片もない、虫を踏みつけるかのようなフロントキック。

 真吾は寸前でガードするも、容赦のない力に圧し負けて、簡易的な公園のフェンスに激突してしまう。真吾がぶつかった跡には、ひしゃげた金網ばかりが残る。

「この子は私によって美しくされる運命にある。子供は趣味じゃあないがね」

 未だ、佐麓は真吾に対して銃口を向けたまま。

 しかし真吾は諦めることなく、佐麓に向かう。

「……君の戦闘スタイルは知っているよ。なんせ入会テストの時に手合わせしたから、嫌というほど手口は知っているさ」

 佐麓の銃から銃弾が放たれるも、それを間一髪で避ける真吾。

 しかしそれは佐麓の予測通りで、即座に避けた方に向けて引き金を引く。

 真吾は危険を感じ、空中で身を捻って避ける。

 しかし僅かに避けきることはできずに、右肩に被弾する。真吾はその場に倒れてしまった。

「あまり手間を掛けさせないでもらえるかな。男にはあまり興味がないんだ。分かるかい、喜多川君?」

 被弾した真吾の傷口を、ぐりぐりと銃口で抉るようにして追い打ちをかける。痛みが体中を駆け巡り、真吾の身体は痛みによってもがき苦しむ。

「あと少しでこの歌舞伎町は私のものとなる。君たちは歌舞伎町を一新する計画の中で、悲しい事故死を遂げてもらう予定だったけれど……少し死ぬ時期が早くなるくらい、どうってことないだろう? 生きるか死ぬか、が極道者の常って奴さ」

 真吾はただひたすらに、佐麓を睨みつける。それくらいしかできることがなかったのもあった。

「君は最初、私の手駒になって踊ってくれる予定だったんだけどね。しかし予想を少し超えてしまうほどの一二三ちゃんの影響かな。正直邪魔になってきたよ」

 佐麓は、少し離れた位置にいた一二三を片腕に抱き、その場を去った。真吾は気にすることなどできなかった。その場で右肩の痛みに苦しんだままだった。

「最期に言っておく。今はなった銃弾の中にはお手製の毒が仕込んである。すでに銃弾が喜多川君の中で炸裂しているだろうし、強烈かつ最高にトんじまう毒を味わいながら、逝くと良い。もし何かの幸運に恵まれて生きていたら、今夜夜十一時から私主催のセレモニーがある。KABUKIヒルズに来ると良い」

 真吾はその場に倒れたまま、佐麓を見送る以外に何もできなかった。毒の一種である、麻痺毒も仕込まれていたためであった。

「……クソッ……逃がしたァ……ッ!!」

 視界がぼやける中で、体の中で何かが壊れていく感覚があった。精神も、肉体も。何もかもが崩れていく。

 二年越しの犯人は逃がしてしまい、一二三は連れ去られてしまった。プライドや願いも何もかも崩れ去って、公園の真ん中で孤独に死んでいく。

「……一二三ちゃん……堅一郎さん……明智……さん……伊達……さん…………」

 視界がかすんでいく中で、真吾は弱弱しくも助けを呼んだ。

 しかし、その声で誰も来ることは無い。

 真吾の意識は、深く落ちていった。



 目が覚めると、そこは天国ではなく、見慣れ始めた大宅家の天井だった。

「お目覚めですか、真吾様」

 目を覚まして、ぼやけた視界の中に入ってきたのは、郎介だった。

 ベッドから起き上がると、真吾の右肩口に包帯が巻かれていた。ベッド傍の小さなテーブルの上には、真吾の体内から発見された破裂した銃弾の破片などが、小さなバットの中に置かれていた。

「……毒は、以前私がくらったものと同じ類のものでした。解毒は容易でしたが、未だ体内には毒素は残っていることでしょう。安静が何より、ですよ」

「……あいつは、最後に『気持ちよくなれる毒』って言ってました。恐らく、毒はあいつで言う麻薬でしょう。出血量が増える、のはおそらく……合わせ毒、ということでしょう」

 真吾は、怒りなどの先ほどまで抱いていた感情は鳴りを潜め、失意の底に落ちていた。

「……真吾様、心中、完全に察することこそできはしませんが、それでもある程度理解はできます。……佐麓家杜が犯人なのですね」

 郎介の声音と共に、呼び方が変わった。

「ええ……できればそうでなかったら、良かったんですけどね」

 部屋の空気が一気に重くなる。

 真吾は、あれだけ意気込んでいたのに、一二三を誘拐され犯人を逃してしまった。さらに自分の恩人こそが、長年憎んでいた敵である現代のジャックだった、佐麓だったのだ。

「……でも、どこかすっきりしたんです。向かうべき相手がはっきりしたので」

 しかし、真吾はどこか前向きであった。

 真吾自身、以前の自分であったらどうなっていたことか。一二三と出会う前の真吾であったら、闇雲に大けがを負ったとしても向かって行って、今この時点で真吾の命はなかった。

 今現在、こうして命を取り留めて落ち着いていられるのは、一二三が真吾の弱さを認め、脆さを受け入れ、重圧を共有したためであった。

「……強くなりましたな、真吾様」

「強くなれたのは、一二三ちゃんと父さんと……悪い意味でも……佐麓……です。私は、あまり元から強くはない人間ですが、弱いなりに強くなればいいんです。ジャックへの、佐麓への憎しみを悪い方へ活かすのではなく、一二三ちゃんへの思いもひっくるめて……覚醒、するんですよ」

「覚醒、ですか」

 郎介は静かに目を伏せて、真吾へ向き直った。その瞳には、今まで大宅家の娘であった一二三を誘拐され、些か平常心を失っていたものの、どこか安定を取り戻したような。

「……今回は、私が教えられましたな」

「いえ、私は今までの経験を生かしているだけですよ」

 真吾と郎介は、静かにこれからの事について話し始めた。勿論それは、佐麓への効果的な「やり返し」の方法であった。



 文司の遺志を継ぐ。それは並大抵のことではない。しかし、今の真吾だったら。

「……お久しぶりです、泡沫(うたかた)さん」

 真吾が訪れた場所は、歌舞伎町の片隅にひっそりと佇む一軒家。三百年の歴史を持つ彫師の元だった。昔……それこそ、真吾が高校生の頃、文司に隠れて背負った「物」。それの最後の仕上げをするために、この場へと訪れたのだった。

 右肩の傷は治り切ってはいないものの、それでもここに来たいと郎介に伝え、ここに来たのだった。

「……兄(あん)ちゃん、大分久しぶりだねぇ」

「すみません、色々と……不幸が重なりまして」

 四代目泡沫は文司とも関係が深く、私達にもよくしてもらった思い出があった。

「それは……これの事もあるのかい……?」

 真吾の目の前に出されたのは、二枚の新聞の切り抜き。真吾の手配書と、文司の死亡が取り上げられたもの。もう、今は驚いたり悲しんだり……なんて感情はない。あるのは、組長であり、そして不器用ながらも真吾を支えた、文司の仇取りの感情と犯人に対しての憎しみだけであった。

「……これは、お前さんがやったわけでは、無いんだろう……? お前さんには……文司に借りがあるそうじゃないか……」

「勿論、私が犯人ではないです。これは、真犯人による罠をかけられました。だから、今日の晩、私は真犯人に対して仕事をしに行きます」

 真吾の瞳は、とても真っ直ぐなものだった。

「……高校生だったころと比べて、成長したねぇ――真吾君」

「そう言ってもらえて、光栄です。なんせ私は、あの誇り高き極道、郷馬文司の……実の息子ですから」

 そう真吾が言うと、泡沫は少し目を見開いた様子だった。

「そうか……ついに……真吾君」

 そう言うと、四代目泡沫は、真吾を寝台の上に案内した。勿論、最後の模様を入れるためであった。


 施術には、そう時間がかからなかった。四代目泡沫の手にかかれば、普通の彫師が数時間かけて行う作業を、たった数十分でこなしてしまうほどの腕の持ち主であるためであった。

 最後の模様に色が入って疼痛が背に走る中、収まるときをじっと待つ真吾。

 その間も、多くの事を思考していた。誘拐された、実の妹である一二三を救い出す上で、もし失敗したら。自身はその瞬間どうなるのか。それは、予測の範囲を超えていた。

 生きるか、死ぬか。

 佐麓と対峙する上で、それは頭から離れない。幾度の実戦経験が物を言うか、もしくは高度な頭脳が物を言うか。そんなものは戦ってみなければ分からない。

 自身は、馬鹿だ。一二三の言うとおり、大馬鹿者だ。お人よしで、あまり多くの事を考えることのできない、そして、その生き方を文司(ちちおや)に教わった、「誇れる大馬鹿者」である。

「……待っていて、一二三ちゃん。私が、必ず連れ帰る」

 並々ならぬ決意が、大切な家族を守る決意が、そして今までの恩人の皮を被った、最大の仇を討つ決意が、真吾の中で漲った瞬間だった。


 彫師の元に行く用事を済ませた後。漆黒のスーツ姿となった真吾は、久方ぶりに入った組長室で文司のコートを眺めていた。あの映像が撮られた場所であり、昔の思い出の場所でありなど、様々な思いがここに残された文司(おやじ)の部屋。

 そこに掛けられた、組長が勝負時に着る黒のロングコート。少し年季が入った、しかし高級感と気品漂う、真吾が子供のころからそこにあったコート。真吾が知る限り、このコートがここから持ち出されたことは無い。

「真吾ちゃん……準備はええか?」

 後ろから、堅一郎が語りかける。どこか、心配している様子だった。

「……私は、大丈夫。もう、覚悟も決まってる。なんせ、仇討ちにはこれを着ていくって、決めていたからさ」

「組長の……勝負服、って奴やな」

 そのコートを、服掛けから降ろす。少し重たいものの、どこかその重さは別の意味を感じさせる。文司の、この歌舞伎町への思いや、真吾達や郷馬組員など遺した者への思い。

 一二三を救い出すためには、そして仇討ちをするには、文司の覚悟も背負っていくしかない。それが、郷馬組の「若」として、悪を追う一人の「探偵」として、そしてただひたすらに、息子と娘を愛し続けた、一人の不器用な父親の無念を「息子」として晴らす勤めであった。

 真吾はそのコートを、スーツの上から羽織る。心強さを感じていた。

「……暖かい」

 堅一郎は何も言わず、真吾に対して組の人間に向き直るように伝える。

 真吾が後ろを向くと、郷馬組構成員が勢揃いしていた。それらの表情は、真剣そのもの。各々の覚悟。歌舞伎町の再編を阻止するために、文司の思いを背負った、組員たち。真吾にはそれがひしひしと伝わっていた。

「若、そしてカシラ。俺等は何だってやります。組長の思いを無駄にしたくないんです」

「皆……」

 真吾は一つ咳ばらいをすると、組員たちに最初の指示をする。

「まず、私の父だった文司の遺志を受け継いで、町の人の平和は、私たちが守る。そこは変わりない。ただ、それには今までにないほどの戦いが予想される。それこそ、私だって経験したことの無いほどの抗争だ。対代協定の人間対私達大郷喜連合……人数的には問題ないけれど、恐らく向こうは、麻薬等で戦力を強化して私達を迎え撃ってくる」

 場は、真吾の言葉以外響かない。呼吸音すら、そう聞こえはしないほど。それほどまでに、この指示には力があったのだ。

「だからこそ、皆には町の人を守るための、最後の砦になって欲しい。KABUKIヒルズ周辺には、野次馬が多く集まる。そしてそんな場所で抗争するんだ、被害はあるかもしれない。だからこそ、町の人たちを守って戦ってほしい。決して戦うなとは言わない、佐麓(アイツ)に対して、恨みのある人間がほとんどだと思うから」

 組員たちは、何も言わず真吾の話を静聴し続ける。

「だから、対代協定の人間を無力化しながら、町の人を守る行動をとって欲しい。だけど、やりすぎないようにしてほしい。彼らに罪があるわけじゃない、佐麓が、佐麓家杜こそが大罪人だから」

 真吾の指示は終わった。そう確認すると、組員たちは、総じて準備を始めた。武器の準備はそうすることは無く、大宅財閥から届けられた防弾チョッキなど、守りを重視した装備を心掛けていたのだった。

 そう時間はかかることなく、真吾の前に組員が準備を終えて整列する。

「若、俺たちの準備は整いました」「行きましょう、若」「俺たちが、この町を守りましょう!」

 それぞれの温かい思いが、じわり、じわりと伝わってくる。真吾の目頭が、熱くなった。

 涙を腕で拭って、真吾は剣幕を張って組員全員に号令を出す。

「目的はKABUKIヒルズに囚われた大宅一二三の救出、及び佐麓家杜の目論見打破! 郷馬組総員、命を張るときだ!! ここにいる全員、歌舞伎町のために命を懸けてくれるか!?」

 そこにいる郷馬組の構成員の全てが、それに対して大声で応えてくれた。その戦いの雄叫び(ウォークライ)は、歌舞伎町を揺らすほどの気迫を感じていた。


 大宅財閥の豪邸。そこでは、郎介を主導とした、使用人たちの集まりがあった。郎介たちは、各々の装備を潤沢にしていく。それぞれ、防弾チョッキは固定で着ており、他の銃刀法に違反しないラインの武器を携帯していた。

 そこに、一二三の養父であり、大宅財閥現当主の大宅和夫(おおやかずお)がやってきた。一二三を救い出す使用人たちを見て、自分も何かしようとしていたのだった。

「……ご主人様」

「明智、私も連れて行ってくれ。一二三を……文司の無念を晴らしてやりたい。郎介も、文司の恨みを持ち合わせているだろう」

 文司と郎介、そして文司と和夫は、昔から交友があったために、文司が何者かに殺されたと知った時、思うところがあった。佐麓(あの男)に対して、殺意が芽生えていないわけではない。

「しかし、ご主人様……お嬢様が帰るべき場所を、守らずしてどうなさるおつもりですか」

 和夫は、郎介のその言葉にひるんでしまう。郎介は、和夫を諭し始めた。

「……確かに、ご主人様の気持ちはよく分かります。愛すべきお嬢様ということ、そして文司様から託された希望だということも、全て承知しております。しかし、最後の砦であるご主人様が、貴方が、ここで大宅家を守らずして何となるのです?」

 和夫は、郎介の言葉を黙って受け止めていた。

「今は、この場は、私たちにお任せください。必ずや、お嬢様を連れ帰ってきます。お嬢様の兄様、文司様の遺志を受け継いだ、真吾様が率いる軍勢と共に」

「……そうか、真吾君もか……」

 和夫は、郎介に背を向けて、屋敷内へと入る。それが、無言の肯定であることは、容易に理解できた。

「……文司の遺した二人を、頼んだよ。明智達」

「「「御意」」」

 郎介をはじめとする、大宅家の使用人たちは、屋敷に背を向けて歌舞伎町へと向かうリムジンへと歩き始めた。


 警視庁。そこでは、誠が退職届を手に、拳銃などの準備をしていた。それもこれも、これからの歌舞伎町を守る戦いのためだった。

 しかしその場に、誠の直属の上司である、件(くだん)が現れた。誠の周りと異なる行動に、そして誠が準備するその手を見て、何となくの察しがついていた。

「……伊達、警視庁(ここ)を、辞めるのか」

「……ええ、件さん。今までの命令を無視した行動から、俺がクビになることは確実でしょう。それでも、俺は手錠(ワッパ)掛けられようとも、自分の正義を貫くつもりです」

 その言葉を聞いた件は、どこか思い詰めているような表情だった。誠自身の真の正義を見つけたような、輝かしいものを感じてしまったからだった。

 警視庁内部が腐り果てていることは、件も知っていることだった。何度か、自身が「間違っている」と思うことを何度もやってきた。

 実際、喜多川真吾を指名手配する時は、正規手段ではなく非合法な手段を取って逮捕状まで請求した。自身の正義が、疑わしいと思い始めていたのだった。

「……俺は、正直今の警視庁の態勢に疑問を抱いています。真吾のやりかたの方が、少なくとも今の警視庁より頷けるものだってことです。多少力に訴えることになったとしても、現状(いま)を変えられるなら、やるしかないんですよ、件さん」

 誠の強い意志は、どうあったって変わることは無い。だからこそ、問題のある人間が抱く鉄の心でさえ、氷の心でさえ、溶かしてしまうのだ。

「……伊達、これを持っていけ」

 件は、真に向かってある物を投げ渡す。それは、件が愛用していた拳銃と銃弾だった。

「件さん……これって……」

 そう誠が言うと、件は誠の方を振り向くことなく、どこかへ去っていった。

「私の昔から愛していた拳銃は、既に私の不手際によって錆びてしまった。だからこそ、お前の手で、蘇らせてやってくれ。糞みたいな世の中で汚れちまった私には、手入れする資格はない」

「件さん……」

 件は、捜査一課室を出る間際、あまり周りに聞こえないような声で、最後の命令を出した。

「……伊達。好きなようにやれ。私が許可する。何があっても責任を取ってやる。だから……この勝負、勝て」

 その言葉には、重みがあった。打てば響くような、しかしどこか暖かいような、言い表せないような喜びと決意が、誠の中に漲った瞬間だった。

 誠はすぐに捜査一課室を飛び出して、私用の車で警視庁を後にした。勿論目的地は、歌舞伎町。警視庁と対代協定トップ、佐麓の全てを暴くべく、『現代のジャック・ザ・リッパー事件』の、全ての決着をつけるためであった。

 件の思いを背負った誠は、車の速度を上げていく。

「待ってろ……この一件、全部カタぁつけてやる」


 大郷喜連合の全員の気持ちが、正に一つになる瞬間。

 真吾たちは、郷馬組構成員全員を引き連れてKABUKIヒルズへと向かい。

 郎介たちは、リムジンにて使用人総出で歌舞伎町入り口に向かい。

 誠は、私用の車を全速力で走らせて歌舞伎町入り口に向かう。


 決戦の時は、近い。

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