第十二ファイル

 目が覚めたのは、朝の四時半。いつもよりも遅い時間に起きることに少し驚きつつも、何となく真吾自身の中で自己完結してしまう。

 少し離れた小さなテーブルの上に、置手紙が残されていた。そこには、「ダイニングルームで待っている」との旨が描かれていた。知ってはいたものの物凄く字が汚い。

 真吾は一二三の書置き通りに、ダイニングルームに向かう。そこには、一二三と堅一郎が食事をとっていた。一二三はテーブルマナーに従って上品に、しかし堅一郎はどこか荒っぽかった。何となく対照的な二人に笑いつつも、指定された場所として一二三のすぐ傍に座る。

 席に着いた途端に素早く、しかし的確に提供された食事は、カリカリに焼かれたタルティーヌに、付け合わせのジャム各種。五枚のパンに五色のジャム、といった感じだ。それに、良質な豆を使用しているのだと一瞬で理解できる、香ばしい香りを漂わせたブラックコーヒー。まさにフレンチの朝食、といったものだった。

 最近、和食か自己流アレンジ料理くらいしか食べていなかったために、新鮮だった。

 一枚目のタルティーヌに、ブラックベリージャムを少量乗せ、それにかじりつく。口の中で、久方ぶりに食べた果実の味が、柔らかく広がっていく。決して甘すぎず、ブラックベリーの味を引き出しきった、最高品質のジャム。二枚目のオレンジ・マーマレードもまた、酸味の中に確かに存在するオレンジ本来の甘味が、タルティーヌと共存している。

 一枚一枚に驚愕、そして感動しながら食していると、傍にいた大宅家の使用人らしき女性がとても喜んでいた。

「東郷は、真吾の表情の移り変わりが大層気に入ったのだそうだ。なんせここに仕えてから日が浅いからな」

「それは良かったです。とても美味しいです、東郷さん」

 そう言うと、東郷さんは顔を真っ赤にして、何度も頭を下げていた。

 東郷さんが淹れてくれたコーヒーを口に運ぶ。

 苦味、酸味、甘味、コク。全てのバランスが見事に調和しており、最初はすっきりとした苦味、そして柔らかな酸味が口いっぱいに広がる。その後深く濃厚な甘味が現れ、それは余韻を残すものとなる。品種は誰もが知る王道、ブルーマウンテン。

 頭がすっきりとする、最高級のコーヒー。事件解決に必要な糖分接種のための、五種のジャムと五枚のタルティーヌ。

 全て食べ終えた後には、少しばかりの心の余裕さえできたような、充足感で満たされていった。

「美味しかったです、東郷さん」

 真吾がそう言うと、顔が真っ赤なまま静かに頷き、ふらふらとどこかへと行ってしまった。何か失礼でもしたのだろうか、と思考したすぐ後に、東郷さんが倒れた、との話が遠くの方で聞こえた気がした。

 真吾もそばに行こうと思ったものの、周りにいた一二三と他の使用人さんたちに止められた。

「……真吾よ、行かないでいい。あれは……貴様がいると直らん類のものだ。……多分」

「ちょっと、最後の『多分』で信憑性皆無なんだけど!?」

 理由がよく分からないもやもやを残しながら、事件に向き合う新しい今日が始まった。



 真吾たちは一二三の自室に集まり、事件の整理を始めた。いわゆる、捜査会議のようなものだった。字の面で、ホワイトボードに書きとめる書記役は真吾となった。

「では、昨夜……と言っていいか今朝と言っていいかよく分からんが、ある程度歌舞伎町の現状を掴んでもらった物部と明智よ、調査内容を話してくれ」

 調査により怪我を負った郎介は、堅一郎に支えられながら調査内容を話した。

 その中で、爆破テロに巻き込まれた郎介、それによって犯人が毒に長けていることを知った郎介。町中を郷馬組総動員で周らせて町中を警戒したものの、怪しい人物はいなかったこと。様々な収穫があった。

 その中でも、文司が殺された理由が他の被害者と異なること。それがキーとなった。

 ふと、この部屋の入口の方から声が聞こえた。聞いたことのある、関係者の声。

「ああ、もうここに着いたか。意外に早かったな、明智よ」

「そうですね、どうやら本人が余程会いたかったのでしょう」

 その言葉の後、すぐに部屋の中に入るその人物は、新たな仲間であることをすぐに示した。

「真吾! 悪ぃ、遅くなった」

 そこにいたのは、紛れもない、真だった。

「伊達さん!」

「この調査によって、容疑者候補から外れた者、伊達を招集しておいた。前々から明智に調査させていたのだが、ここ数か月で電話した相手は全て近親者のみ。そのほとんどが、大概牛乳買って来いだの、コンソメ買って来いだの買い出しが全てだったよ。盗聴術を磨いておいてよかったよ」

 誠は、トレンチコートを使用人に渡して、空席だった四つ目の席にどっかりと座る。

「にしても、真吾、お前歌舞伎町内でちょっとした有名人になってるぞ。勿論、悪い意味だがな」

「それは前からですから、別に気にしてはないですよ。白い目とまではいかないですけど、大分冷ややかな目は当てられてきましたから」

 ちょっとした談笑をした後、誠の表情は徐々に険しくなった。

「……しかし、今歌舞伎町に行かない方がいいってのはマジだぞ。その辺で警察と佐麓以外の対代協定がうじゃうじゃ居やがる。全員、懸賞金目当ての人間がお前を血眼になって探しているぞ」

「……でしょうね、一千万の首ってことですから」

 徐々に現実感を帯びていく、自分の首に賞金がかかっている実感。最初は、あまりにも突飛に思えた事柄であったが、そこら中を走っているパトカーが、全てを物語っている。真吾がこうしている間も、あれだけ住んでいた歌舞伎町全体は、敵となってしまった。真の敵が何者か、分かっていない状況で。

「そうだな、上の人間は正直対代協定の探偵連中よりも必死だ。ありゃあ上に誰か一枚噛んでる証拠だ。余程、自分たちじゃ敵わない相手か、命の危機を抱いているかのどっちかだ」

 現代のジャック・ザ・リッパーが、内部で一枚噛んでいる。それならすべての事実とも合致する。

 そして、同時に発覚したのは、佐麓がジャックの関係者である可能性が、限りなく高い状態となった今。真吾はどこか暗い表情となった。

「つまるところ、これで、内通者は何となく浮き彫りになった……ってことでいいのかな、一二三ちゃん」

 そういう真吾の表情を汲んでか、一二三はどこか申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

「そういう……ことになるな。以前から怪しい行動は何となくはあったのだが、ようやく確信に繋がったことに起因する。私としても、少々心苦しい決断とはなったが、捜査に私情は禁物、だからな」

 一二三は、自分にも言い聞かせるようにして言った。

「まず、だ。第二の死体の紙切れ……もとい、予告状を残したのは何となく分かる。ここに来て欲しい、と言う嘆願書でもあるその場所にいたのは、佐麓だった。それだけで決めるのは時期尚早かと一瞬思っていたのだがな。しかし謎が提示されずに場所が提示された瞬間に怪しいと思い始めた」

 確かに、あの場所に行っていたのは佐麓であり、そして謎が提示されず、残っていたのは売り場に置かれている、初期設定されているスマートフォンテスターだけであった。あれの内部をいじることは、そう簡単なことではない。ある程度の知識があったとしても、下手にいじった瞬間に防犯ブザーが鳴る仕組みになっている。

「それに、第三の死体がシャインで見つかった時もそうだ。実際に予告状を私たちが見つけた訳ではない。佐麓自身が見つけ、私たちの元に見せてきたのだ。店内にいる人間に、穏便に見せる方法はああしかなかったのだろうが、流石にあの瞬間から関係者として疑い始めていたのだよ」

 一二三は嘆息しつつ、惜しそうに言った。

「だからこそ、あの男が……佐麓が怪しいと思ったのだ」

 伊達は言葉を失うばかりで、真吾は何も語ることは無かった。その瞳に、欠片の絶望を写しながら。


 誠と話しているときに真吾が気になったのは、堅一郎が持っていたノートパソコンだった。堅一郎は、パソコンの類はあまり使えないはずだったことを思考しながら真や一二三と会話していたのだが。

 それに気付いた一二三は、そのパソコンに注視する。

「物部よ、そのノートパソコンは一体?」

「はっは、よくぞゆうてくれた嬢ちゃん! これがワシらの最高の戦果や!」

 ノートパソコンと共に堅一郎が指し示したのは、白いUSBだった。特にデザインはされていない。

「このUSB、引き出しに鍵もかけていたために、恐らくは事件の重要な証拠かと。他のどんな高性能なパソコンを使用しても、開くことは無かったために、恐らくこのノートパソコンでしか開かないよう、特殊なロックがかかっているのでしょう」

「歌舞伎町で起こっている麻薬犯罪か。あまりにも犯人が足をつけないことから、犯人逮捕は中々難しいっつってたな」

 ノートパソコンを開いて、電源をつける。

 一番最初のパスワード入力画面で、堅一郎の動きが完全に止まった。嫌な予感がする。

「……まさか、パスワードが分からないんじゃ……?」

「い、いやぁ? そんなことあらへんよ真吾ちゃん??」

 そう言うと、堅一郎は適当な数字を押して、エンターキーを押す。勿論、開くはずがない。堅一郎は黙ったまま、後ろに下がる。

 しかし、一二三はパスワードが何か分かったようで、堅一郎を軽くどかして、パソコンに素早く打ち込む。その撃ち込まれた内容は、真吾の誕生日である1225、十二月二十五日だった。

 一二三は静かに下がると、ノートパソコンの無機質な画面が広がる。デスクトップ上にあるファイルは何もなく、文字通りのまっさらな初期設定されている画面しかなかった。

 堅一郎はUSBを差し込み口に差し込む。そう間を置かずに、エクスプローラーからUSB内の、たった一つのファイルを開く。そのファイルの中には、数多の写真があった。歌舞伎町内の建物を撮影した物だったり、犯罪取引が行われていたと思われる場所だったり、あまりそういったこととは無縁そうな、開けた場所を撮影した場所だったり。

 誠はその写真の数々を見て、静かに驚いていた。

「こりゃあ……大層なほど幅広く調査していたようだな。街を守るためとはいえ、中々のもんだな。実際の場所まで踏み込める限度ってのはあるからな」

「恐らくだが……これは最近撮影されたものに注視した方がよさそうだな。その場所に行けば、ある程度は麻薬犯罪に決着(ケリ)が付きそうだからな」

 新しい日付順にソートを変えると、ファイルたちのトップ付近に、ラブホテルなどが近くにある廃墟が映っていた。しかしそれよりも目を引く存在であった、文司が映る動画が一本、ファイル内のトップに存在していた。

 背景は、正しく文司の自室に手撮影されたものだと理解できる、三つの大きな本棚。サムネイルに表示されていた文司の表情は、今までに見たことの無いほどの真剣な表情だった。

 真吾たちは、おそるおそるその動画を再生した。



『……あー、映っているかな……よし。俺は東桜会直系郷馬組組長、郷馬文司。今このパソコンを開いて、見ている奴が、なるべく俺の知っている奴であることを願っている』


『USBには……少し慣れはしなかったものの、指定のパソコンでしか開かないようロックをかけさせてもらった。ただ、このパソコンのパスワードを開けた時点で、ある程度俺の知る人間なんだろう。そこは、とても安心している』


『このUSBに入った情報は、麻薬犯罪の黒幕を出し抜くこと……はできなかったが、それでも重要な証拠は詰まっている……と思いたい。なんせ、二か月かけて、あらゆる情報と見比べて、自分の手でリストアップしたんだ、間違いはないと思う』


『それに、この動画が再生されている頃には、恐らく情報を流された犯人が、俺を殺しにかかるだろう。少しは抵抗してみるが、恐らく、相手はかなりの手練れだ。そして俺も年だから、多分敵わねえ』


『だから、そう考えると、これは俺の遺言の一つになる。今、この動画を見ているお前さんたちが、仇を討って欲しい。これは……俺の命を懸けた願いだ、できればでいい、果たしてくれ』


『……そして、これは特定人物にしか当てはまらないことだが……喜多川真吾、そして大宅一二三。この二人には申し訳なく思う。〈出来の悪い父親〉で……本当に申し訳ない。そして、あと少しで……寿司屋に行って二人の笑顔を見ることができることに、とてもうれしく思う。二人は俺にとって、最高の兄妹で、最高にかわいい子供たちだ』


『俺は……真吾、一二三。お前さんたち二人を、愛している。早くに亡くなった母さんの代わりに、父親として、振る舞えたかどうかは……正直分からない。……ただ、それでも俺は――――二人を愛してる。口で言うだけなら簡単なんだ。ただ面と向かってはよ……言えねぇんだ。俺も、お前さんたちの母さんに似て……少し恥ずかしがり屋だからよ』


『だから、真吾、一二三。お前さんたちにとって、嫌な置き土産ってことは分かっている。できるなら、二人とも巻き込みたくはなかったからな。真吾は、真っ当な道を歩ませたかったし、一二三に関しては俺のような極道者が関わっちゃいけねえ、ってことは分かっている』


『真吾と一二三は、極道の世界から、一生関わらないほどの遠い世界に置いておきたかった。それが……母さんの望みでもあったからだ。赤ん坊のころ、一二三は俺の知り合い……そして親友がいる、大宅家に引き取ってもらうことは早々に決まった。母さんもまた、亡くなる前にそこがいいと承諾してくれた』


『しかし、当時十歳の真吾は、これを拒んだ。なんせ、同い年の堅一郎と仲良くなっちまったからな。だから、それを引っぺがすことは野暮だと思って……真吾は郷馬組(ウチ)にいることとなった。そんときには、詳しいことを話すことなく、孤児院から引き取った、って偽の事実を作り上げた』


『……ごめんな、言い訳がましいような男でよ。もし、二人がこの動画を見ているのなら――――どうしても、謝っておきたかったってのもあるし、何より嘘ついたまんまじゃ……俺は耐えられなかった』


『これからの、二人の探偵の活躍を願っているよ、真吾、一二三。そして、最悪の置き土産を遺したことを、どうか、どうか許してくれ。でも、俺はまだ負けていない。あのジャックを出し抜いた。その鍵を同じUSBの中に入れておいた』


『この町を、歌舞伎町を、どうか、頼む』


 動画は、そこで終了した。

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