第十ファイル
「お前らは街の見回り。だけど決して怪しい挙動はするな。いつもの歌舞伎町の見回りだと思っていい。ただいつもより気を張れってだけの話だ」
若い衆を外の見回りに回し、おかしい挙動をしている人間はひっ捕らえて、法に触れる行動をさせない。それがまず一二三の第一の策。
少々力に訴えることにはなるが、と言っていたが、力に訴えた方が、堅一郎たちはとてもやりやすい。ただやりすぎるとこっちが器物損壊や暴行でしょっ引かれるために、加減が難しいものである。
「後は役職持ちの奴、なるべく日頃の行動で油断をしないことや。組長が狙われた状況下で、自分たちが狙われない確証はない。あまり出歩かない……とまではいわないが、若い衆異常に油断は無いように。いいな?」
二つ目の策は、ある程度の役職を持った幹部相当の人間は、外を出歩く時こそ用心するべき。だからこそ、ある程度の外出自粛――もとい、事務所近辺の場所に入るようにして、被害が出た瞬間に若い衆などが向かう、包囲網を作り上げることにある。
例えその場から逃げたとして、逃げる場所をあらかじめ限定化しておくことによって、追い詰めやすい……ということらしい。一二三は「奇門遁甲の陣」と言っていたか、昔の軍師だか何だかが考案した陣形らしい。
そして堅一郎は、というと。
スマホの着信画面を見ると、協力者の名前がそこに記されていた。
「……もしもし、明智のおっちゃんか?」
「……なるべくコードネームを心掛けるように、とリムジンの中でも伝えましたよね……?」
電話越しのその声は、少し困惑しているようだった。
「あー、確かコンロ、やったか? あだ名? とかそういうのようわからんくて」
「あだ名じゃないですコードネームですよ!! あとコードネーム間違っていますよ!!」
あの老紳士らしい男である郎介がらしくもなく声を荒げる。
「そこまで怒るもんかなぁ……?」
「いいですか? コードネームというものは、各々の仮面そのもの……その仮初の姿で相手の裏を掻きながらかいくぐる捜査網……実に美しいではありませんか!」
「はいはい理解しましたわ『ゴロウ』」
そう遮るように堅一郎が言うと、少し不服そうではあったものの、声音を一気に変える。
「では……怪盗『ゴロウ』、これより舞います」
その声と共に、電話は切れてしまった。
「……あのおっちゃん、自分に酔っとるな」
そうぼやきながらも、自分は自分の準備をする。
全ては文司の仇を討ち、真吾を冤罪から救うために。
夜が更けて、およそ深夜一時のこと。
人知れず空を舞う、一つの「黒」。それこそ郎介であった。
宵闇に溶け込めるように黒の少し薄手のコートを着て、正体を明かさないように、顔に密着する、別人になれる覆面を着用。もし正体を明かさない怪盗ならば、これはうってつけの物である。勿論唇までしっかりと密着するもので、そうそう覆面とは分からないほど、精巧にできた逸品である。
今の郎介は、十代の若い青年の如く。高性能なボイスチェンジャーも喉奥に仕込んであるために、郎介本来の声が漏れ出ることは無い。
変装道具は自分で毎回のごとく作っているために、いつだってジャストフィット。これが外注だったらこう上手くはいかない。
十階相当の、郎介以外の誰もいないビルの屋上でスマートフォンの画面を確認する。
「さて、お嬢様の注文(オーダー)としては……なるほど、簡単なことですね」
今回の注文。一つは、各所に高性能な盗聴器を設置すること。しかし、やたらめったに設置するのではなく、ある程度限られたエリア……それこそ、ある程度容疑者候補が絞られているために、その犯人がよく向かう場所を事前調査でマッピングしている。
「私たちの顔はある程度犯人に割れてしまっているだろう。だからこそ、二十以上の顔を持つ明智、貴様に頼みたいのだ。調査能力、諜報能力、隠密能力……すべてが優れているためだ。やってくれるな、明智?」
「御意、お嬢様の御心のままに」
ふと、そんなやり取りを思い出した。くすりと微笑むと、袋に入った沢山の盗聴器を仕掛けに動き始める。
素早い行動で、ビルの屋上を伝っていき、目的の場所に到達しては、盗聴器を仕掛ける。少しでも可能性のある場所である、託児所周辺、喜多川探偵事務所周辺、KABUKIヒルズ周辺などがリストアップした設置場所である。
一通り仕掛け終わると、今度は次の注文を果たすために動く。
次の注文は、伊達の監視であった。
「伊達誠……確かに信頼できる要素はあるのだが、あの者も警視庁の人間の一人だ。今までそういう素振りはなかったが、こういった手合いが裏切る事象も見てこなかったわけではない。頼めるか、明智」
「御意」
あらかじめ、伊達が訪れる場所は調査済み。今日は少し奥まった場所にあるバーで同僚と飲む予定があるらしい。そこに予備の盗聴器をつけておき、店内で客のふりをして話を盗み聞きする、というもの。顔が割れていないために、そこのバーのマスターに話をつけて、新入りを装うこともできはしたが、迷惑をかける対象は少ない方がよかった。
そう間を置かずに、伊達は同僚と共に店内へとやってきた。
郎介から、メッセージアプリによって徐々に情報が流れてくる。しかしその内容におかしい部分は何一つ見られることは無かった。
郎介が客として紛れ込んでいるバーの近くが丁度郷馬組だったために、堅一郎はそのまま待機行動をしているわけなのだが……実際、今のところ若い衆からも、役職持ちからも何の連絡も来ない。
『……つまり、伊達のおっちゃんはシロ、っちゅう訳か』
『そう言うことになりますね、先ほどまで同僚と思われる方と事件の情報交換だったり、いたって真面目で実直な、警官としての姿を見せていました』
『そんで、その後は?』
『いえ、特には。沈着冷静である伊達様らしくもなく、アルコール度数の高いウイスキーを煽っています。真吾様の事について思い悩んでいるようですね』
『ただ、これで候補は絞れた、っちゅう訳やな』
残る内通者候補は、佐麓家杜のみであった。めぼしい人間に限った話にはなるが。
佐麓家杜。確かに、彼は心強い力を持っている。しかし、どこか怪しい部分があったことは否定できない。長い付き合いではないから何とは言えないものの、時折薄気味悪さを感じる瞬間がある。
ただ未だ確定的な証拠がない中で、犯人だと断定するのは間違いであるために、頭の片隅に置いておくことが賢明だった。
すると、向こう側で少し動きがあったようで、メッセージアプリが動き始めた。
『堅一郎様、伊達様の元に佐麓様が現れました』
「失礼します、伊達刑事」
誠の後ろに立っていた男は、先ほどまで共に捜査していた佐麓だった。
「家杜か、まあ座ってくれ」
誠は佐麓を横に座らせて、マスターにグラスを一つ要求する。
「家杜は、何がいい?」
「そうですね……じゃあ、XYZで」
「何だそれ、シティーハンターか?」
佐麓は「違いますよ」と笑って見せると、マスターはすぐにカクテルを作り始めた。シェーカーの音が狭い店内で小気味よく鳴り始める。
「……どうですか伊達刑事、喜多川君は……見つかりましたか?」
「いや……見つからねえ。ガラスが爆発によって割れてない場所を見つけはしたんだけどな……」
「そこから脱出したと考えるのが、一番正しいとは思うんですけどね」
佐麓のグラスに、シェイクしたXYZが注がれていく。少し白濁しつつ、透明感が感じられる。青を基調とした店内と対比して、とても煌びやかに目立つ。
佐麓は、グラスに入れられたXYZにほんの少しだけ口をつける。
「……今回の爆発事故、そして郷馬組組長の殺害。本当に、郷馬組組長の殺害に、喜多川君が関わっているのでしょうか……?」
その目は、どこか迷っているようだった。誠の上の人間は、すぐに真吾を犯人だと決めつけたものの、誠は簡単にそう思うことはできなかった。
とんとん拍子で進む事態に誠の心の中では疑問符が浮かび、警視庁の方針からずれた行動をし始めている。勿論、バレない範囲で。
「……俺はそうは思わねえ。真吾は組長に対して、大恩がある。それを忘れるようなクソみたいな男ではねえよ、真吾って奴は」
誠が佐麓に対してではなく、世の中に対して、そして上層部に対して怒気を込めて言うと、最初は驚いたものの、佐麓はどこか納得したような顔をしていた。
「……確かに、そうでした。申し訳ありません、愚問でしたね」
誠は佐麓に対して笑いかける。佐麓もまた、誠に対して笑むと、グラスに残ったXYZを全て飲み干した。
「じゃ、ありがとうマスター。俺たち二人分の代金だ。釣りはいらねえよ」
代金をテーブルの上に置いておいて、二人は店を出る。
「どうだ、次どこか違うところで飲みにでも行くか」
「あまり連れまわさないでくださいね、酔っ払ったら明日の喜多川君の捜査に、支障が出てしまうかもしれませんから」
店を出た誠たちは、明日への覚悟を胸に、夜の街へと消えていった。
郎介も後をつけるために、代金を手渡して店を後にした。
郎介は急いで店外へ出ると、スナック街は人の行き来が少なくなり始めていた。仕事帰りのサラリーマンも、もう家へと帰り始める時間だからか。夜の店も、開いている店舗が少なくなってきた。すれ違う人も、大分出来上がった飲んだくればかりとなっていた。
少し狭い道だったために、ある程度開けた場所に出ることにした時、ふと、すれ違ったホームレスと思われる老人が、ぼそりと呟いた。
「兄(あん)ちゃん……あまりここの辺りをうろつくんじゃあないよ……最近この町は厄介事ばかりだからねエ……」
郎介を青年だと思い込んでいるために、気にかけた言葉だった。青年だと思われているなら、些か好都合であった。
「大丈夫ですよ、近くのバーでバイトしていただけです。私はこれで……」
その瞬間、郎介は見知らぬ人物に対して、ほんの少しでも身構えておいて正解だった。
老人は、瞬の間に懐からサプレッサー付きの拳銃を取り出し、郎介に向けて発砲した。
一瞬反応が遅かったら、頭が吹き飛んでいたことだった。
「……何の、つもりですか?」
「なニがもくてきだって……?? キサマラかぶきチょうのしゅようをワタシタチガテキシュツシテやろうッてことだよォ……??」
あからさまに様子がおかしかった。さながら、常人が一瞬で様変わりする、一昔前のゾンビ映画のような変貌ぶり。
「……貴方も、まさか麻薬常習者(ドラッグ・ジャンキー)……ということですか」
以前から、麻薬によって歌舞伎町全体が危ぶまれていたことはあったものの、最近は沈静化していた。しかし、この現状を見る限り、それは表でそういうこと(沈静化したこと)になっている、ということなのだろう。調査不足を心底恨んだ。
郎介は静かに、無の構えをとる。相手に次の動きを読ませないためであった。
相手は、縮地を使いこなし、一瞬で郎介の懐に入り込む。
しかし、郎介はそれからバックステップで距離を取り、不意を突いての中段の蹴り。
相手はダメージを負っているように見えるのだが、ほんの少しばかりの怯みだけで、動きが止まることは、ない。
拳が駄目なら、と、相手はポケットからバタフライナイフを取り出し、型にのっとった振り方をしていた。ただの老人と侮っていた一瞬を悔やみたいと思える瞬間だった。
「しかし、もう油断は――――しない!」
郎介は脳震盪を起こすレベルの上段回し蹴りを顎に繰り出し、勝負は決した――――かに思えた。
確かに、常人であれば戦闘不能になっても致し方ないほどの一撃を確かに放ったはずなのに、その老人と思われる何かはその場に立ち上がっていたのだった。相手が人であるという、「手加減」を無意識に行っていたのだ。
どれだけ怪我を負おうと、立ち上がるその姿は、まさに痛みを知らない屍(ゾンビ)そのもの。
「有り得ない……流石におかしい……! ただ麻薬をやっている、だけじゃ全ての説明がつかない……!!」
いつもの郎介のような喋り方など、忘れてしまうほど焦りが表面化していた。
もはや、これは生物兵器の域へと行き始めている、人の向かってはいけない領域へと、この老人は向かい始めている。
どれだけ傷つけようとも、無限に立ち上がり続ける。対象者が絶命しても、立ち上がり続けるのでは、と考えてしまうほど。
しかし、終わりの時はすぐに訪れた。
「……つク……イ、カ…………ウの……タ……に…………」
老人はけたけたと笑いながら、口や鼻から血を多量に吹き出し、その場で息絶えた。
思わず、その場にへたり込んでしまった。人間を相手取るのとは異なる、とても異質で、とても気味の悪い相手を殴ること。今までに経験のないことは、進んで挑戦しようとも考えはしたものの、その中でも、こんなに人間味のない相手と戦う、なんてことは考えもしなかった。
精神的疲労がピークに達していた時に、あまり聞きたくのない音が聞こえてきた。まさにその音は、時限爆弾のような。
どこにあるのかと探りを入れるものの、ごみ箱の中にも、どこかの陰にも、あるわけではない。徐々に音が大きくなっていく中で、この老人の体内から、カウント音が明確に聞こえた。
「まずい……!!」
郎介は、その場から全速力で逃げた。
しかし、距離はそう稼ぐことができず、老人の死体内部に仕掛けられた爆弾は、凄まじいほどの爆発を巻き起こす。スナック街の集まりであったその場所は、爆発による連鎖的な火災が起こりパニックに陥っていた。
その爆風により、郎介は背に強い衝撃を受けて、壁に叩きつけられてしまった。
「……この町は、思ったよりも闇が深いのかもしれない……」
怪我を負った状態で、郎介は少しでも遠くへと逃げることしか考えることができなかった。
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