三章 「どん底、そして」

第九ファイル

 パトカーを飛ばして、誠が現場に駆け付けたときには、既に消火活動が始まっていたころだった。

 燃え盛る喜多川探偵事務所。それを見るためにごった返す見物客。

 見物客をどかしながら、規制テープをくぐる。そこでは、消防隊が消火活動を必死に行っている。規制テープの中にいる人間は、誠を除いて警察関係者はほとんどいなかった。

 ふと、後ろの方で騒ぎが起こっているのを聞き、そちらに向かうと、捜査用の手袋をはめながら規制テープをくぐる、従者らしき女性を連れた佐麓がいた。

「おう、到着が早いじゃねえか」

「丁度連絡を受けた場所がここから近い喫茶店だった、というのもありますが……私も、探偵なので」

 その佐麓の目は、怒りの炎が揺らめいているように感じていた。勿論、誠もそうだった。真吾の探偵事務所を狙った爆破テロだと、上から既に聞いているからだった。

「あくまで予想ですけど、これは偽の犯人を捕まえさせた……それこそ、『真犯人』の警告なのではないかと考えます、伊達刑事」

「ほう、その根拠は」

「最近喜多川君は、一二三ちゃんを相棒としていました。何せ、あの『神童』です。自身の正体に気づかれると思った真犯人が気づかれる前に二人を消した……と推測します」

「つまるところ、真吾たちが追っていた事件はまだ解決していない、ということか」

 佐麓は黙って肯定の意を示す。

「なんてこった……真吾たち……今どこにいんだよ」

 誠がそうして焦り始めたとき、佐麓は誠の傍に立つ。

「あまり焦るのはよくありません。彼らは……というより、喜多川君は一二三ちゃんを連れて、私たちの知らないどこかへ逃げた、というのが正しいでしょう。彼のフィジカルの強さは、刑事も知っていることでしょう」

 その台詞は、どことなく安心感を覚えるものだった。その言葉に背を押された誠は、佐麓と共に消火の時を待つ。



 時を少し遡って、数分前。

 真吾の探偵事務所が爆破され、一二三を抱えて事務所から脱出した後。

 今まであまり感じたことの無い、柔らかな座席。そこに毛布が掛けられて、全てが静かに動いている。時おり止まって、しかしまた、緩慢に進む。

 薄目を開けると、そこは今までに乗ったことの無い車の中だった。

 真吾は後部座席にいて、一二三と思われる少女は助手席で静かに眠っている。

 運転席には、真吾が今まで見たことない姿があった。

「お目覚めですか、喜多川真吾様」

 いかにもといったような老紳士は渋い声で、真吾の名前を呼ぶ。真吾は静かに肯定すると、喜んだ様子だった。

「私の怪我処置の腕も、捨てたものではないですね」

 毛布をどかして、ゆっくりと起き上がると、真吾は上裸であることに気が付いた。背を隠すべく毛布を再び纏う。

「やはり、貴方は背のそれを、トラウマに思っているようですね」

「トラウマって程でも、ないです。今の私には似合わないので……見られたくないだけです」

「似合わない、ですか」

 それだけいうと、老紳士は真吾を気にして何も言わずに車の速度をゆっくりと上げた。

「……貴方は、一体?」

 目の前で運転する老紳士に、問いかける真吾。彼の問いに少しばかりの逡巡を見せたものの、その老紳士は静かに答える。

「私は……大宅家の執事長、明智……明智郎介(あけちろうすけ)と申します」


 郎介の案内で、一二三をおぶりながら大宅財閥の豪邸内に入る真吾。

 巨大な正門をくぐると、広大な敷地の中に、五十メートルプール、広々としたテニスコート、植物園など、様々なものが出迎える。

 邸宅の中に入っても、著名な芸術家が創り上げた彫像など、あまり学がない真吾でも分かってしまうような芸術作品のオンパレード。何時間滞在したって飽きることがない空間が、まさにそこにあった。

「こちらです、喜多川真吾様」

 大宅家の使用人たちに案内され、邸宅の中を進む。おぶっている一二三は、未だ苦しい表情のまま、目覚めることは無い。

 やがて、一二三の部屋に辿り着き、おぶっていた一二三をゆっくりとベッドの上に乗せる。改めて、少しの傷のない一二三を見て安心した。

 一二三の部屋は、女の子の部屋というよりは――女の子が好きそうな高い物が置かれてはいるものの、華美なテーブルの上、そしてその前の壁には数多の事件の資料が山積みとなっている。勿論、それは床にも溢れかえっている。

「喜多川真吾様、本当に、ありがとうございます。一二三お嬢様をお守りいただいて……頭が上がりません」

「いえ、私は私のできることをしたまでですよ……それと、フルネームは固いので、真吾だけで大丈夫です」

 「そうですか」というと、郎介は、真吾に心配するような目を向けていた。

「……真吾様。何か我々にできることなど、ありますでしょうか」

 どこか、真吾の心の影を認識しているようだった。

「……少し、この場を離れてもいいですか、明智さん」

 郎介は静かに「ええ」と頷くと、真吾を別室へと案内した。一二三の部屋からは少しばかり遠い、いくつかあるうちの応接間だった。

 郎介は真吾に気を使い、すぐに応接間から去っていった。

 そこで真吾は置いてある椅子にどっかりと座り、スマートフォンの画面をじっと見た。

 未だ、真吾の中では現実感がない。寧ろ、嘘だと考えている。真吾たちを陥れるための方便だと考えたかった。しかし画面には、速報として「歌舞伎町にて郷馬組組長、何者かに殺害される」との記事が出ていた。真吾は、その画面を直視できなかった。

 真吾の感情も、真吾の心も。全てが壊れていく。

 今まで心の拠り所にしていた、大恩のある、真吾の心の父。

 真吾は静かに顔を覆って、喪失感に支配される。

 大粒の涙が、ボロボロと零れ落ちていく。声も上げず、ただひたすらに流れる涙。

「組長……組長が……」

 感情が遅れてやってくる。波のように、押し寄せてくる。

 真吾の心は、お世辞にも強いとは言えない。しかしそんな真吾でも、組長は優しくしてくれた。いつだって、真吾に目をかけてくれた。組の人間と同じように、接してくれた。

 虚無の心を映すような涙だった。

 すると、部屋の入り口から聞きなれた声がした。この場にいないはずの、幼馴染。

「真吾ちゃん!!」

「……堅一郎……さん」

 真吾の堅一郎に対して応答する声は、酷く弱弱しいものとなっていた。

「真吾ちゃんがここにいるから、って明智っちゅうおっちゃんから話をもろうてな」

「堅一郎さん……ごめん……なさい……」

 真吾のその謝罪に対して、堅一郎は黙って聞いていた。

「私……組長を守れなかった……昔、私たちが核となって、組長を守っていくって……言ったのに……」

 すると堅一郎は、真吾の頬を思い切り殴る。

 その堅一郎の行動に驚く暇もなく、堅一郎はもう一発真吾を殴る。その表情は真吾と同じく、涙を流していた。

「真吾だけが落ち込んでどうするんじゃボケ!!」

 今まで堅一郎に殴られたことはおろか、喧嘩の一つもなかったために油断していたのもあるが、真吾は何も返すことができなかった。

「確かに、今は組長(オヤジ)が死んでしもうて、組はてんやわんやや。それでも、ワシらがどうにかせんでどうするんじゃ、真吾ちゃん」

 その言葉は、今の真吾に深く刺さるものだった。堅一郎と昔した約束の中に、そのようなことがあった。文司に「もしも」の事があったら、自分たちが何とかすると。

 その真吾たち二人の空気を、割り裂く声が一つ。少し焦っていた郎介だった。

「……真吾様、貴方は少し窮地に置かれているかもしれません」

 郎介が急いで見せてきたスマートフォンの画面の中。そこには、隠し撮りのような真吾の写真と共に懸賞金が写されていた。

「懸賞金一千万、それが真吾様の首に掛けられた懸賞金です」


 真吾たちは一二三の自室に戻り、一二三の回復を待った。しかし一二三の部屋に戻る頃には、一二三は起きていた。少し睡眠をとってある程度元気を取り戻したのだろう。しかしその顔は、険しかった。

 真吾はその場にいる、郎介と堅一郎に事の顛末を全て話した。事件の始まりから、真吾の探偵事務所の爆破、そして郎介によって、大宅家の豪邸に運ばれるまで。

「冤罪で一千万か、いよいよ相手も本気を出してきたな」

「相手……つまるところ、現代のジャック・ザ・リッパーってこと……?」

 一二三は力無い真吾の問いに対して軽く頷くと、自室にあるホワイトボードを引いて、真吾たちの前に出した。

「今回の手早い行動によって、一つ確信を得たことがある」

「確信って、一体何やお嬢ちゃん」

 堅一郎はテーブルに置かれた熱い緑茶をすすりながら、質問する。

「『現代のジャック・ザ・リッパーと警視庁は、完全に癒着している』ということだ。あまりにも、文司の一件から始まった連鎖が、とんとん拍子で進みすぎている」

「そんで、真吾ちゃんとお嬢ちゃんが爆速で首に金かかった、ちゅう訳か。確かに、真吾ちゃんの話と合わせると――」

「あまりにも、全ての行動が早すぎる」

「分かりやすい要約をありがとう真吾、正直褒められるタイミングではないのだがな」

「確かに、ね」

「そしてもう一つ。私たちが知る人間の中に、一人私たちの行動を内通できた人間がいる。そしてその人間が、現代のジャック・ザ・リッパーに最も近い人間となる。そうでなければ、こんなにもすぐに大事になるか? 死体発見、現場検証、捜査、逮捕状の請求、そして逮捕となるはずが、間の過程を全て法外に飛ばしたかのように素早かった」

 真吾の知る人間の中に、内通者がいる。その言葉は、一気に場の空気を重くし、ひりついたものへと変える。

 しかし、その場の空気は一瞬で壊れることとなる。

「大丈夫だ、そう心配せずともここにいる人間はアリバイ確認済みだ。ここにいるのは、第一、第二第三の事件の際全てアリバイの裏が取れた人間だけだ。真吾と明智はアリバイ確認済みである上に、堅一郎は様々な事件の裏で確固たるアリバイがある。最初に見つかった死体の時も、関係者に聞いたところ教育に精を出していたようだ。よってシロ、というわけだ」

 そう言われた堅一郎は、あからさまに喜んでいた。堅一郎は組長大好きで、誰よりもリスペクトしていたために、それを言われたのがよっぽど嬉しかったのだろう。

「しかし裏を返せば、ここにいない人間は、怪しい要素がありここにいない、ということだ」

 今ここにいないこの事件の関係者は、真と佐麓、郷馬組の残りの人間、そして託児所の満たちと先生。あとはシャインのキャストだろうか。該当者はそう多くはないものの、どの人物が内通者だとしても、心に深い傷を残すことになる。

「……真吾よ、不安か? 特に自分の知っている人間が、内通者の危険があると言われて」

「……確かに、不安だよ。疑われている中に、私の恩人が含まれている訳だから」

 一二三は一つ頷く。しかし、真吾の言葉はそれだけでは終わらなかった。

「でもさ、組長はここで迷っているようじゃ、私の事を笑うと思うんだ。『情けない』って」

 不思議と、心は決まっていた。真犯人に対しての憎しみも、文司(おやじ)を殺されたことに対する怒りも、そして味方がいることに関する心強さも、全てひっくるめての、今の真吾があるのだ。

 堅一郎の覚悟は、真吾に拳を伝って伝染していたのだ。

「……気持ちは決まっているようで、何よりだよ、真吾」

 不敵な笑みを浮かべる一二三は、話を続ける。

「今真吾は、真犯人が手をまわした影響によって、迂闊に外を出歩けない状況になる。私も、真吾と関わっていた人間であるからマークはされているだろうからな」

「だからこそ私達の出番、というわけですね、一二三お嬢様」

 郎介はそう言いながら、静かに準備を済ませていた。捜査用の手袋であったり、ある程度の変装道具であったり。

 真吾が反応に困っていると、一二三が補足してくれた。

「この館の執事長である明智はな、今尚現役の怪盗でもある。基本的に企業の裏情報などを盗んでもらっている。真吾、貴様の情報も陰ながらこの明智が収集していた」

「……つまり、腕利きってことかい?」

 そういうことだ、と一二三は軽く納得する。

 真吾が堅一郎の肩を弱い力でつかみ、心配そうな面持ちを見せていた。しかし、そんな真吾の姿を見て、堅一郎は一度にっと笑って見せた。

「なあに、若頭としてもそうやけど、真吾ちゃんの幼馴染としても協力せえへん理由があらへんよ。ワシの力、見せたるわ!」

 堅一郎と、郎介。二人の意志を確認した一二三は、ほうと一つ息を漏らすと、ホワイトボードに何か書き始めた。

 何事か、と真吾たち三人がそちらを見ると、大きく拙い字で書かれた何かがあった。

「どうだ、これから私たちは、現代のジャック・ザ・リッパーと警視庁上層部という巨悪と真っ向勝負をすることになる! だからこそ、新たな集団(パーティー)として名乗りを上げる必要があるのだ!」

「……何や、これ」

「……字が少し……いや、だいぶ汚いからよく分からないというか……」

「お嬢様……あれほど文字のお勉強を、と口を酸っぱくして言ってきたのに……」

 二人は困惑し、一人は悲しみに明け暮れている様子。

「な、何だ、何か不満があるのか? このチーム名、『ギャラクティカ・ジャック&ケイシチョ―・ブッコワース』に何か異論があるのか!!」

「「「却下で」」」

 困ったことに、一二三はたまに年相応な部分があるというか。それが普通なのだけれど、困った方面へその部分が向かっているというか。ネーミングセンスが、文字が、何もかも壊滅的であった。

 ホワイトボードに書いてあるもの全て、一字たりとも読めはしないし、何より声に出したら最後、周りの人から白い目で見られること間違いない。

「……簡単にそれぞれの陣営の頭文字を取って、『大郷喜(だいごうき)連合』でいいんじゃないかい?」

「……分かった」

 一二三は分かりやすくむすくれていた。これは真吾が悪かったのだろうか。


 作戦会議は、そう長くはかからなかった。

「……つまり、ワシらはこうすればいいんじゃな?」

「その通りだ堅一郎、理解が早くて助かるぞ」

 ある程度小さい紙に記された作戦内容は、そうかからないものばかりであったが、一つ大きな作戦があった。

「……なあ、嬢ちゃん? こりゃあ流石に映画じゃあらへんからごっつきついと思うんやけど……」

「いや、これは緊急手段だ。最悪の時……それこそ、どうしようもなくなって、そして相手も出せる手を出し尽くした時にやると良い。しかしだ……なるべくやって欲しい……感じはある」

「無茶言うなや嬢ちゃん、これ最悪手錠(ワッパ)かけられるで」

 ブーブー文句を言う一二三を宥めすかしながら、真吾は堅一郎をどこか心配してしまう。力に関しては申し分はないものの、どうも心配になってしまうのである。命の安全が脅かされている今の歌舞伎町で、必ず生きている保証はどこにもない。

 すると、真吾の表情が分かりやすく現れていたようで、頬を堅一郎の両手で挟まれる。変な顔はあまりしたくはなかったわけだが。

「心配すんなや真吾ちゃん、俺らが前準備をしいっかり済ませておくからな!」

 文司を想起させるような表情は、どこか精神の安寧を得られるようなものだった。

「……気を付けてくださいね、堅一郎さん」

 堅一郎はまた笑って見せると、郎介と共にリムジンに乗り込み、歌舞伎町へと向かった。


 街は、大分落ち着きがなかった。喜多川探偵事務所の爆破によって、そして文司の死によって。夜の町だというのに話題が二種類ばかりである。道行く人はどこか焦っていた。

 あれから、一二三を宥めすかした後のこと。

 堅一郎と郎介は、大宅家のリムジンで歌舞伎町へと戻る。格好は以前真吾と会った時のまま。そう言うと語弊がありそうではあるが、実際同じようなスーツを十は持っているために、自然とほぼ毎日同じような格好になってしまう。

 街行く人々は、勿論堅一郎の顔を知っているわけで、それぞれが組の心配やら町の心配やらをしている。夜の店のキャッチやら飲み屋のキャッチやら。様々な見知った顔が堅一郎に話しかける。

「物部のカシラですか? 郷馬組絡みでひと悶着……あったんですか?」

「オーナー、この町は一体……どうなるんですか……?」

「堅一郎さん……歌舞伎町は……この町は大丈夫なんですか……?」

 それぞれの痛みが、手に取るようにわかる。しかし、堅一郎はどうもできなかった。彼らを気に掛けることはできても、その気持ちを汲んでどうこうする、なんてこと、今は忙しくてできやしない。

「……すまんな、俺らが、何とかする。やから歌舞伎町(ここ)に来る人のため、今は街を盛り上げといてくれ。少しでも明るい町に、一日でも早く、戻すために」

 そう堅一郎が言うと、キャッチたちは自分の持ち場に戻って客の呼び込みをしていた。

 ふと、口調が何となく戻っていることに気が付いた。一人称だったり、喋り言葉だったり。どうも、真吾の前以外だと関西弁が出づらい。

 真吾の前だったら、そうはいかない。気心の知れた相手ではあるのだが、ある程度素の自分が出せないような気がするのだ。

 せめて、真吾の前では強くあり続けなければ。という、固定観念がこびりついている。昔から、何となくそんな考えがあるのだ。

「……組長がいたとしたら、現状(いま)を見てどうするんやろな」

 今はもういない文司に思いを馳せながら、近くの喫煙所に入り、煙草に火を灯す。煙を吐くと、昔の記憶が煙に乗って夜空に消えていく。

 文司に初めて名のある立場に任命された時。言いしれない不安と使命感との板挟みになりながら、名に恥じないように若頭としてあり続けた。

 文司と初めて酒やたばこを共にした時の事。口を開けば真吾や堅一郎の事、そして堅一郎よりも下の立場の組員の事や、堅気の方のこと。決して堅気の方に対して、他の組の人間とは異なって下に見るようなことはせずに、いつだって自分たちを育んでくれる存在として見ていた。堅一郎は文司のそこに惹かれた節もある。

「……クソ、煙が目に沁みやがる」

 喫煙所で流す涙は、どこか異質で、そして堅一郎にとっての久方ぶりの涙だった。


 少しばかり喫煙所で弱みを出した後は、郷馬組事務所へと向かった。事務所の外では、若い衆が何人か組を守るための壁のような役割をしていた。

「……何してんだ、お前ら?」

「カシラ! 今は、他の組からこの状況を狙われないようにしています!」

 堅一郎はその若い衆の頭を軽く小突くと、組の中に入るようジェスチャーで指示する。

「な、何かわかったんですか、カシラ」

「まあな、俺がおるから外の守りはせんでええで」

 そう堅一郎が言うと、若い衆は皆、事務所の中へと入っていった。堅一郎もまた、同じ様に組事務所内へと入る。


 郷馬組組事務所内は、騒然としていた。

 仕事(シノギ)の折り合いなどで普段滅多に集まることの無い役職持ちも全員集まっていた。

「カシラ……ご無事で」

「そっちもな。俺は別に心配はいらねえよ」

 軽い挨拶を挟んで、本題へと素早く入る。

「昨夜……と言っても、ほんの数時間前、組長が何者かに殺された。その犯人として候補に挙がっているのは、喜多川真吾。お前らもよく知っとる、組長が一番目をかけた男やし、俺の幼馴染や」

 そう堅一郎が切り出すと、一斉に場がざわつきだした。

 それもそのはず、ここにいる誰もかれもが、真吾と顔を合わせたどころか、昔からの付き合いである。若い衆はそこまでかもしれないが、役職持ちは皆、知っている人物であるためである。

「……じゃあ、その……喜多川、真吾って奴を……?」

 そう言った若い衆を、堅一郎はすぐに殴り飛ばした。かなりの距離を飛んで、少し離れた壁まで飛んでいった。その堅一郎の怒気を察したのか、役職持ちも全員黙った。

「あいつは……今冤罪で苦しめられとる! 少し前の警視庁であった濡れ衣の案件や、今現在進行形で進んでいるジャック・ザ・リッパーの事件だってそうや!! もう一度、この組で誰もが世話になったあいつに対して疑いの言葉を投げてみィ、俺がそいつをどついたる!!」

 喜多川真吾という男に対しての、堅一郎の思いは、留まることを知らない。

「あいつは、組長が殺されたことに対して、本気で心を痛めとった……! そして、俺を信じて、一極道の俺を信じて全てを話してくれた!! 事件解決の糸口は、組長の仇を取れる一手を打てるのは、俺らなんやって……!!」

 堅一郎の思いが正しい意味で届いているかどうかは、分からない。しかし、この物部堅一郎という男の思いだけは、理解してほしかったのだ。

「お前らは、あのいつだって人のために生きていた真吾が、同じ生き方をしていた組長を殺すと思うか? お前らは、組長の生き方に影響されていた、別の方向でこの街の平和を守ろうとしていた真吾を、疑うんか……?」

 涙で前が見えなくなっていたものの、伝わっていることを信じたい。

「お前らなんだよ……お前らが、最悪の状況に置かれている真吾を、救うことができるんだよ……! だから……頼む……!!」

 堅一郎はその場に正座し、土下座の体勢を取った。勿論、生半可なものは自分が許さなかったために、額を何度もコンクリートの床に叩きつけて、大量出血した土下座であった。

 堅一郎の出血が多く、血だまりで頭への衝撃と痛みが和らいでいく。

「どうか……!! 真吾を助けるために……そして組長の仇を取るために……協力してくれ……!!」

 最初は無音が場を支配していたものの、少しずつむせび泣く声と拍手が広がっていった。

「カシラ……本当にすみませんでした……」「そこまでの思いがある中で……見捨てたら男じゃねえ……!!」「俺たちが……はみ出し者の俺たちが……真吾さんと組長の仇を取れる……!」

 言葉はそれぞれではあったものの、堅一郎が顔を上げたときには、全員が堅一郎に賛同してくれた。

 頭から出血していたために、立ち上がる時にふらついたものの、役職持ちが堅一郎に肩を貸し、支えてくれた。

「それで、俺たちは何をすればいいですか、カシラ」

「何でも言ってくださいカシラ、真吾さんを救うためだったら何だってします」

 その優しさが、文司を失って、そして真吾が不幸な目に遭って、空っぽだった心を満たしていく。自然と涙が溢れていた。

「お前ら……ありがとう……!」

 郷馬組全員、戦う意思を見せた。それだけでも、堅一郎にとっては非常に心強いものであった。

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