第七ファイル
軽くノックをし、優しく開けられたドアの向こうでは、子供たちが楽しそうに遊んでいる姿が見えた。
託児所の先生を務める女性が、真吾たちを迎えてくれた。真吾と誠はそれぞれ、対代協定のバッジと警察手帳を見せて、事のあらましを簡単に伝えた。真吾の顔を事前に知っていたためか、心なしか安堵していたようだった。
その女性は、奥の先生用のテーブルに真吾たちを招く。元気に遊ぶ子供たちを横目に椅子に着くと、真吾たちそれぞれの目の前にコーヒー入りのマグを置いてくれた。
「ミルクや砂糖は、大丈夫でしたか? 何も聞かずにお出ししてしまいましたけど……」
「いえ、大丈夫です」
それは明らかに、誠に向けられた言葉だということは分かってはいたものの、無意識に反応してしまう。
「喜多川さんは分かっていましたから、最初からブラックですよ。もし好みが変わった時は、いつでも仰ってくださいね、子供たちと遊んでもみくちゃになることが確定しますが」
そういうと、その女性は優しく微笑んだ。真吾はそれに対し上手い返しをすることもできないまま、ただ笑うだけで終わってしまった。
コーヒーを一口飲んで、一息つく。ブラックコーヒーのはずなのに、どこか優しい甘さが感じられる。不思議なものは、特段入っていないはずなのに。
「真吾、もう本題に入れそうか」
誠の一言によって、糸をぴんと張ったような緊張感のある空気に変わる。
真吾は黙ったまま頷くと、先生に対しての聞き込みを開始する。
「それでは単刀直入に聞きますが……昨晩の事、お聞かせ願えますか」
「昨晩のこと……ですか。私は子供たちにかかりきりだったので、詳しいことは分かりませんが、窓を黙ってみていた子の一人が、『真っ黒な人がいる』と言っていたことが気にかかっているんです」
「『真っ黒な人』、ですか」
「ええ。そう言った子は……あの子です」
女性は窓の方を指さすと、柔らかいクッションの上に座って窓の外をぼうっと見る、周りの子と比べても少し大柄な子供がいた。
誠は一つ頼みごとをする。
「すみません、あの子に昨晩の事を聞いても大丈夫ですか?」
「大丈夫だとは思うんですけど……」
誠はそう聞くと真吾が止める前に、その子の元へと歩み寄り、優しく声をかける。
「君、ちょっといいかな? おじちゃん、少し困ったことがあるんだけど……」
しかしその子は誠を一瞥するだけで無視し、ツンとした態度のまま窓を眺め続けた。誠の背中が、少し悲しく見えたのは気のせいだろうか。
「……伊達さん、私に任せてください」
肩を同情するように叩くと、誠はとても悲しそうな顔をしながら、先ほどいた場所まで戻った。
悲しく思いながらも、その子に向き直る。
「ごめんね神宮(かみや)君、君を驚かせるつもりはなかったんだ。私の先輩はとてもいい人だから、許してね」
真吾がそう言うと、神宮満(かみやみつる)は彼の方を向く。
満はまだ十才でありながら、人見知りの気がかなり強い。昔の自分を想起させるのか、真吾は心なしか満と関わる時間が他の子よりも多い。
「……別に大丈夫だよ、喜多川さん。それに、聞こえてたし。さっき先生としてた会話でさ」
「つまり、昨日の夜の事を教えてくれるのかい?」
満は小さく頷くと、その夜の事を静かに話し始めた。
昨晩のこと。
いつものように満は外を眺めながら、大好きなお母さんが返ってくるのを待っていた。街行く人々は歌舞伎町のゴールデンタイムである、夜九時が近づくにつれ仕事終わりのサラリーマンだったり、夜の町で生きる女性だったり……様々な人が往来する時間となっていた。
その中で、一人少しおかしい様子の人物を見かけていた。雨も降っていないのに、黒のレインコートを着た人物が暗がりに入っていく様子が見えたという。
最初満は、見た目が怪しい人物などこの街ではよく見ていたために、特にこれといった感情を抱くことは無かった。あるものを見るまでは。
それは、その人物が持つ物にあった。少し大きめの、白のボストンバッグ。それだけだと、何ら怪しむ様子はないボストンバッグのはずだが、白かったはずのボストンバッグが、路地裏から出てきたときには赤の斑点が見えたという。
満は怖くなって、いつものように母親を黙って待ち続けることにした。あの赤い斑点の事を考えないように、必死に努力した。
「ごめんね、少し怖いことを思い出させちゃったね、神宮君」
「……いや、別に良いよ。喜多川さん、そいつを追ってるの?」
真吾は黙って頷く。それを見た満は、真吾の手にある物を押し付けてきた。それは、神社でよく売っているような、何の変哲もないお守りだった。
「喜多川さん……これ、無事でいられるように」
その顔は、酷く不安そうだった。真吾と接することが多かった満の不安が、手に取る様に伝わった。
真吾はそれに答えるように、その少し冷えた手を優しく握る。
「大丈夫大丈夫、仮にも私、元警察官だしね。この託児所の子や神宮君を守るために、そして自分のためにも頑張ってくるから」
そういうと、満はふっと笑んで、真吾の手を離した。
「今度、周りのチビたちも含めて、皆で遊ぼうね、喜多川さん」
「分かってる分かってる、この案件が済んだらまた戻ってくるよ」
そう真吾が言うと、満はようやく安堵の表情を浮かべた。
満に話を聞いた後、真吾たちは託児所の先生にお礼を言い、二人はその場を後にした。一人明らかに落ち込んだ状態ではあったが。
「……真吾、俺って、子供が嫌うような風体か……?」
「まあ、怖くはありますよね、トレンチコート+強面ですからね」
誠はその一言でさらに落ち込んでしまった。何とか謝罪しようにも、「いいんだ、真吾は悪くねえ、悪くねえよ……」というばかりで、悲しいことに取り付く島もない。
誠は昔から陰で、「鬼」だとか、「隠れて人を数人殺してる」だとか、変なことを言われ続けてきた。真吾とは違うベクトルで、傷つき続けてきた人なのだ。厳しくも優しい人ではあるのだが、子供ウケが最悪なのだ。
しかし本人はかなりの子供好きで、自分の一人娘も溺愛しているのだが、「顔が怖い、近寄らないで」と言われてしまっているのである。
「ま、まあまあ、我々は事件解決のために走るだけですよ。頑張りましょう、伊達さん」
「……ああ、そうだな真吾」
真吾たちは再び事件現場に戻る。
その事件現場には、もう対代協定の人間はほとんどおらず、いるのは真吾たち二人を覗くとたった一人、雪のように白い、ゴシック調のロングドレスを着た少女がいた。そう、一二三だった。
「一二三ちゃん、何でここにいるんだい!?」
その様子は、誰がどう見ても分かるほどのご立腹である。
「喜多川よ、貴様の取り柄は何だ? 無駄にでかい図体とできた体は飾りか? ん?」
「ど、どうしたんだい一二三ちゃん、何でそんなに怒っているの?」
「どうもこうもない、単純に遅いわ馬鹿者!」
出会った初めのような、心に来るストレートなセリフが飛んできた。
「何だ、貴様はどこか別の場所で貪るほど道草を食っていたのか!?」
「い、いやでもいい証言は聞けたから……それでチャラってことにはならないかい……?」
「なるわけないだろ馬鹿者!」
一二三は真吾に対して何度も指をさし、そしてドストレートな罵倒で真吾の心に傷を負わせていく。
「まあまあ嬢ちゃん、真吾をあまりいびらないでやってくれ。俺にも責任があるからな」
「ふん……貴様は喜多川に対して甘いぞ、もう少しくらい厳しくしたらどうだ」
何気ない一言が、誠の心に追い打ちをかけてしまうようで、今の傷心中の誠には「厳しい」という言葉でさえ傷を負わせるにはふさわしいらしく。誠は先ほどのようなナーバスモードに突入してしまった。
「……それで喜多川よ。いい証言、とは何だ」
一二三がそのことを忘れていなかったことに安堵しながら、満のことについて余すことなく話した。犯人と思われる人間の姿や、死体に残された謎も全て。
「……以上が、今回の調査に関しての事だよ」
「確かにいい情報ではあったが……これで二時間半をチャラにするには、少々情報料が高すぎるのではないかね?」
「面目ないです……」
一二三は呆れたように息を吐いて、懐から一枚のジップロックを取り出す。その中には、被害者のものと思われる血が付着した紙切れがあった。
「死体は貴様らが託児所で話を聞いている間にもう検死に回されたが……探偵連中にまだ調べられていない紙切れがあったぞ」
急いで鑑識用の手袋をはめその紙きれを受け取り、おそるおそる開くと、そこには謎の文字が描かれていた。一見規則性はないように思えるものであるが、この現場に残されているもので、無関係とは思えないものだった。
そこに書かれていた文字は……正しく怪文書と言わんばかりの意味が分からない文字の羅列。それが記された手紙の最後には、『母の胎内に還るその日まで、退屈な日々を彩る隣人より』と書かれていた。
真吾はどこか暗い表情になり、誠が頭を悩ませている間、一二三が少しばかりこの紙切れを覗き、鼻で笑った。
「それはレールフェンスではなく、変則的なシーザーだな。いくら模倣犯とはいえ、型にはまったものしか分からない未熟者と思われているのは心外だな」
「し、シーザー……? レールフェンス……??」
誠がそんな間抜けな返答をすると、呆れたと言いたげな表情で一二三は解説する。
「シーザーもレールフェンスも、どちらも暗号の類だよ。シーザーは簡単にいうならば、文字を何文字かずらして表記するもの、レールフェンスはいくつかの行(レール)を用いて組み替えるものさ。今回は変則的なシーザー、つまるところそれに表記されている文字を数個ずらせば答えになる、というわけさ」
真吾たちは、一二三に対しある程度噛み砕かれて説明されたのだろうが、真吾たちにはこういった類の謎……特に暗号に対し、めっきり弱い。
それを何となく悟ったのだろうか、一二三は真吾たちから紙切れをひったくり、事務所へと歩き出した。
「喜多川よ、そこの伊達とやらも連れて事務所に戻るぞ。この暗号の公開解読会としゃれこもうじゃないか」
午後三時の事務所内。
真吾はひとまず、誠と一二三に対して、ココア入りのマグを手渡す。
「さて、ではこの紙切れに記された暗号の答え合わせをしていこう。喜多川と伊達よ、共に脳がパンクしないようしっかり理解し、静聴してくれたまえ」
誠は少しきつそうな表情をしながらも、黙って頷く。
「ではまず、一つ目の暗号からだ」
紙切れを見ながら、少し拙い字ながらも事務所内のホワイトボードに暗号を記していく一二三。一通りすべて書き終わり、こちらに向き直る。
「この二つの暗号は、それぞれ私たちの生活を支える、二つの物によって解読が可能な暗号となっている。それが何だか、分かるかね? 喜多川よ」
「……さあ?」
即答した真吾に対し、ため息を漏らす一二三。
一二三は仕切りなおすように、また咳ばらいをすると、謎解きを開始した。
「まずは、一つ目の鍵括弧の中身だ。それは十中八九パソコンに当てはめて考えてみろ、というものだ。しかも、ローマ字ではなくかな入力だ」
「パ、パソコンだと? こいつの事務所にそんな高価なもの置いてあると思うか、嬢ちゃん?」
「さらっと傷つくこと言わないでくださいよ、未だにある程度あの時のことを探ったりしているんですから」
ふと、殺気むき出しの瞳に睨まれたような気がして、それ以降余計なことを言わないようにした。誠もその殺気に圧されてか、口をつぐんだ。
「……まあ、それぞれ当てはめてみると、英文が書かれている。意味は、『よくこの紙に気が付いたな、賞賛を送ろう』となる」
真吾は分かったように頷くしかできなかった。少しでも下に見られないよう、取り繕うことしかできなかった。
「そして二つ目。これはスマートフォンの打鍵数+それの一字送り。しかもこちらは先ほどと異なり、英語ではなく日本語。まわりくどいことをするものだ」
「……嬢ちゃん、何でそんなすぐにわかるんだ?」
ふと横を見ると、誠は疑わしいと言いたげな目線を一二三に送っていた。それに対し、一二三は明らかに不快な表情を浮かべた。
「まさか伊達よ、私を疑っているのか? 言っておくが、私だったらもう少しまともな、それこそ警視庁のトップに近い人間でも分からない暗号を挑戦状として叩きつけているわ!!」
「「いやそっちかよ」」
つい誠と声が揃ってしまった。
「まあ暗号云々はともかく、その時の私のアリバイを知りたいなら、私の執事などに聞けばいいだろう。その時はまだこの歌舞伎町にはいなかった。事件発生時間はその少年の話も併せて考えたとしても夜九時頃。私がこの歌舞伎町に車で到着したのは夜十時頃。そのころにはすでに喜多川に会っていたからな、アリバイ完全成立だよ」
疑われることに対して、不機嫌の度合いが極まっているような表情を見せる一二三。それに対し誠は、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「話を戻すぞ。二つ目の暗号についてなんだが、これをただ解くだけじゃ意味不明な文章になってしまうために、この文章を全て一字前に表記しなおすと、『でも、君たちに私のショーを止めることができるだろうか? いや出来ないだろう、なぜなら私は、現代のジャック・ザ・リッパーなのだから。』となる」
一気にその場の空気が引き締まる。真吾の古い記憶が徐々に蘇っていく中で発言する。
「……一二三ちゃん、これって本人からの挑戦状と、受け取っていい感じかな。過去の資料にも予告状として載っているからさ、警察関係者……その中でも、大分あの事件の核にいた人間じゃなきゃ、できない芸当だよね」
「勿論だとも、喜多川よ。予告状の次は被害者の特徴だ。これもまた、当時捜査していた喜多川、貴様なら分かるな?」
勿論、理解していた。真吾は即座にその一二三の質問に回答する。
「……今まで殺してきた人間は全て、前科(マエ)ありってことだね」
現代のジャック・ザ・リッパーは、いつだって歪んだ正義感を心に抱いていたのか、前科がある人間しか狙うことをしなかった。
それらが誠の脳内で結びついていき、やがて一つの結論が生み出される。
「どうやら、気付いたようだな、伊達よ」
「ああ、こりゃア……当の本人かそれに付随する者、ってことになる」
誠が気付いたことを知った瞬間、一二三の表情が少し柔らかくなった。
「その通り。置手紙を残すところや、被害者の傷の様子。昨晩の死体も同様で、茶化しやただの模倣犯がやったにしては、今までの事件と類似性がありすぎる。対代協定の探偵が知っていなくて当然な気がするよ。これに気付くには当時事件に協力していた人間しか知らないか、事件資料を漁った人間以外知らない」
「かつて、俺と真吾が相手取ってた現代のジャック・ザ・リッパーは、死体の腹部を掻っ捌いて、胎児を模した人形を入れていた。現に今回もそういう死体だが、勿論この特徴もメディアの連中には明かしてない。左利き、ってことくらいしか明かされてねえんだとか」
一二三は物凄い形相で誠を見つめていた。
「……え、もう一つなくなぁい? 大事な判別場所もう一つなくなぁい??」
「一二三ちゃん、何でか知らないけど口調完全に壊れてるよ」
そう指摘した瞬間に、何事もなかったかのように口調が治った。
「まあそのもう一つの判別場所があってな、死体のどこかに『数字を表す切り傷を残す』ということだ。これに関しては、喜多川は見つけているだろう」
「残る特徴的な外傷は……手首のリストカットのような切り傷かな?」
「その通り。リストカットに見立てた切り傷は、ある種のナンバリングのようなものさ。以前の事件の資料を漁っているときにも、全ての死体の写真に共通して見られたのは、先ほど言ったように、体内に残された胎児の人形と、ナンバリング代わりの切り傷なんだ」
「嬢ちゃん、そしてジャック・ザ・リッパー事件に共通していたことは……」
「……『予告状に次の被害者となる人物のキーワードが含まれている』……か?」
頭の中の引き出しを必死に開け閉めしてる誠を横目に、一二三は無慈悲にも答えを出す。答えを導き出した次の瞬間、真は隅っこの方で落ち込んでいた。これで三度目である。
「……まあ話を続けるが、暗号内に次の標的とみられるものはある。それはスマートフォンとパソコンだな。それがある電化製品店はこの歌舞伎町内に二つほどあるわけだが、片方は今日臨時閉店日だ」
一二三は少し厚手のコートを羽織り、事務所の扉を開ける。続いて言われる言葉が何となくわかりそうな気がしたために、真吾もその後についていく。
「……なんだ、喜多川も少しは分かるようになってきたじゃないか」
「まあね、私がこき使われそうな未来が何となく見えたから」
小さく微笑むと、一二三はそれに応えるように、微笑み返してくれた。
その後ろで、誠が急いで支度している音が聞こえたために、静かに事務所の鍵を渡す。
「伊達さんは、資料まとめとかで疲れているでしょうし、どこかで一休みしていてください。私たちが見つけた証拠を元に、第三の事件場所が見つかったら電話しますので、すぐに出て来れる支度だけは済ませておいてくださいね」
それだけを言い残し、急いで一二三の後に戻っていく。
「さて行こうか、助手よ」
真吾たち二人は、事件の鍵を手に入れるべく、歌舞伎町の中で二つしかない、電化製品店に向かうことになった。
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