一章 「喜多川探偵事務所」

第二ファイル

 二千十八年、十二月、歌舞伎町。

 現代の波というものは、こんな町でも影響があるようで、風俗街も少し寂しいものになってきている。売れている店と、そうでない店。差は歴然で、おそらくそういった店のオーナーが一番よく理解しているものだろう。

 夜の町を歩くだけで、様々な表情が見えた。楽しい表情や、そうでない表情。最近はそうでない表情を浮かべる人間は非常に少なかった。その理由は、クリスマスが近づいているということが大部分だろう。

 今日は十二月二十日。別に、今この場に佇む黒パーカーの男はそういった用事はないものの、少しばかりは浮かれた気分になってしまう。しかし、それよりも非常に大きな問題を抱えているために、そう喜んでもいられない。

「……今月も、家賃払っただけで財布がピンチかぁ……」

 無地の黒の半袖Tシャツに、それと全く同じ色の無地の黒パーカー、少し年季が入ってしまったチノパンに、黒と白が合わさったような動きやすいスニーカー。それが年中の喜多川真吾の格好なのだが、少しばかり肌寒い。

 彼は極度の金欠なのだ。服を買い足すにも、浮かれたことを企て、実行するにも、そして日々生きていくにも金が要る。

 そんな中で財布の中の所持金が千円ギリギリとは、どうも悲しい。ケンタッキークリスマスチキンのセットどころか、ドン・キホーテで碌なパーティーグッズすら買えない。

 そう落胆しながら力なく歩いていると、今回の「対象」を偶然にも見つけてしまった。

 中肉中背の男で、ハンチング帽をかぶり、少し汚れたスーツを着ている。左目の下に少し大きめの黒子があり、さらに攻撃的な釣り目。正しくこの男だった。別にカツアゲをするわけではない。これからすることは、「調査」であった。

 しかし、今歩いている場所は大通り、居酒屋も近く、こんな年末に近い時期のために、浮かれる奴は増える。

 酔っぱらいの男性六人組が、真吾にわざとらしくぶつかってくる。さらに棒読みの演技を見せつけてくる。

「痛ってえ! テメエ、なぁにぶつかってきてんだよ?」

「お前らが勝手にぶつかってきただけだろ? 変なヤクザに因縁吹っ掛けられてもおかしくない町だから、今後は気をつけなよ」

 そう言って、真吾はその場から去ろうとすると、行く道を塞がれる。

「待てや、お前ワビ入れずにどっか行けると思ってんのか?」

 これは面倒くさいことになった。

 街に流れる噂話の一つとして、こうして難癖をつけて、道行く人に遊ぶ金をたかっている、という話がある。

 周りの反応からして、余程悪さをしている集団らしかった。

 実際、そのチンピラ六人は他人に威圧感を与えるには十分な顔立ちをしている。目はかなり細く、体つきもできている。顔にそれっぽい傷跡をつけていて、変な柄のシャツだったり、黒いダウンジャケットだったり。それぞれが独特のファッションセンスを輝かせており、模範的なチンピラの姿をしていた。

「お前、ワビ代として十万寄こせや」

「そうだよ、心細い俺たちの財布になってくれや!」

 どうも方向性はぶれないらしく、場合によっては暴力も辞さない考えが見え透いていた。

「いいよ、金渡してあげる」

「お、話分かってんじゃねぇの」

その先の言葉を真吾は「ただし」と遮る。

「お前ら弱者しかいたぶることのできないチキン野郎共が負けたら、私に十万だ」

 その言葉が余程琴線に触れたのか、一斉に真吾に向かうチンピラ。しかし真吾は、それぞれの拳を静かに捌き倒して、芸術的なレベルでそれぞれ正反対の位置にいたチンピラ同士にぶつける。

 真吾はこっそりと一人のチンピラの財布をくすね、きっちり十万取って、黙ってその場を立ち去ろうとする。しかし、先ほど拳を捌いた一人のチンピラが彼の前に立ちはだかる。しかも短銃(ピストル)を構えて。

「舐めやがって……覚悟しろよ」

「それはこっちのセリフだって。さっきから、短銃持つ手が震えてるし」

 そのチンピラは、確かに銃を構えている。引き金(トリガー)に指もかかっている。セーフティレバーも下がっている。しかし、あからさまに人を害する覚悟がないのか、照準は定まっていない。

「う、うるせえ! 死ねやぁ!」

「流石に堅気がいる中で銃はおいそれと撃たせない――ッつうの!」

 真吾は全身の力を足に込め、一気に銃を持ったチンピラへと走り、そして短銃もろともチンピラの手を派手に蹴り飛ばす。チンピラの手からは不快な音がしたが、あまり気にしていられない。その短銃で誰か死ぬよりましである。

 その銃は本来の役割を果たすことなく地面に落下し、チンピラもまた、痛みに悶えながら地面に転がった。

「これに懲りたら、もうこういったことは止めておけよ」

 返事はなかったものの、理解はしていることだろう。チンピラ六人のうち、誰も真吾に対してリベンジをしようとはしていなかったのだから。


 チンピラに絡まれたせいで距離こそ離れてしまったものの、真吾は少し離れた位置から、尾行を始める。振り返るときには、無関心な通行人のふり、あるいはスマホをいじる通行人のふり……と、当の本人に怪しまれないように、徐々に近づいていく。その間も、周りの幸せそうに歩く人々を心の中でやっかみながら、男の後をつけて人気のないところへと進んでいく。

 仄暗い路地で、大通りと比べると人通りは少なくなっていく。この仄暗い路地の先には行き止まりの道と、スナック街に繋がる道があるのだが、その男は行き止まりの方へと向かっていた。

 静かについていくと、つけていた男ともう一人、サングラスをかけた、全身黒服の男がいた。真吾は物陰から単眼望遠鏡を使って覗き、会話内容を盗聴する。

「おい、誰にも見られていないだろうな」

「もちのろんさ、これからの事も考えるとウキウキ気分は全く抜けねえけどな」

 ハンチング帽の男は、灰皿の近くで煙草をふかしながら、やけに上機嫌そうにしていた。黒服の男はハンチング帽の男に現金十万を手渡ししていた。真吾は、少し羨ましく思いつつも盗聴を続ける。

「まあ、これで今回の分だ」

「今回もありがとさん、いい加減ウマで勝たせてくれよ」

「それはあんたの運もかかっているさ」

 情報通りだった。あのハンチング帽の男は、家賃を酷く滞納しており、その原因は競馬にあった。金ができた途端、全て競馬につぎ込むために家賃を滞納している。ここに来るまでの道中も、「億万長者になりたい」なんて口にしていたのは、全てこの事だったのだ。

 こういった人間もいるんだな、と真吾は軽く頭痛を起こしながらも現場に踏み込む。

「こんばんは、今やるべきは家賃収めることじゃあないの?」

「おい、アンタつけられてねえっつったんじゃあねえか!」

「知らねえよ俺も!」

 競馬に関する情報屋と思われる黒服の男は、ハンチング帽の男に悪態をつきながらその場から急いで走り去っていった。

「お、おい待てよ! 俺を置いていくなよ!」

 ハンチング帽の男も逃げ出そうとしていたために、真吾は唯一の逃げ道を塞ぐ。

「……お前、何なんだよ、俺を大家にでも突き出すつもりか?」

 ハンチングの男はばつが悪そうに、真吾を睨みつけていた。

「違う違う、私はあんたと同・業・者」

「……探偵、ってことか」

「そう言うこと、今回はあんたのところの大家さんが警察に届だして私にその処理が回ってきたの。実際今警察は総動員でそれぞれ別の仕事をやってるから。知ってるだろ?」

「……お前も、警察(サツ)と協定結んでんのか」

 この現代、警察だけでは手が回らないことにより、全国各地の探偵が特例として臨時に警察関係者の一部として働く協定、「対犯罪者対策探偵代理捜査協定」が発足した。通称「対代協定」を結ぶと、警察の一部の事件を任せられ、解決するたびにそれに応じた金額が支給される。

 真吾もこの協定に加入しているのだが、しかし大概がちょっとした事件、または案件ばかりで、それぞれ報酬金額もかなり少ない。この一件だって、多分五万行くか行かないか程度。悲しい。

「だから、おとなしくしていれば悪いようにはしないさ。刑も軽いものになる。払う物は払ってもらうけどね」

 真吾は、そのハンチング帽の男にゆっくりと歩み寄る。

別にこっちは争いたいわけではないためだ。いついかなる時も、争うことは嫌いだ。

「確かに、持ち合わせはある……けどな、それはウマで増やしてからだ」

 真吾は呆れてものが言えなかった。真吾自体ギャンブルに興味がないために、余計こういった反応になってしまうのだが、実際この現場にいたとしたら誰だってこんな反応になるはずだ。

「……あんた、ギャンブル中毒者(ホリック)かよ……」

「うるせぇ! 増やすまで待ってろって伝えとけ!」

 そう言うとハンチング帽の男は、真吾に向けて爆竹を投げつけ、真吾がひるんだ隙に逃げ出した。

「何で今そんなもの持っているんだよ……どんな時のために持っていたわけ?」

 しかし、真吾にも負けっぱなしでは終われない、探偵としてのプライドがある。すぐさまそのハンチング帽の男を追いかける。

 真吾はかつて、陸上部だった過去があり、走ることはお手の物。しかも、この歌舞伎町の土地勘はかなりある。これは真吾自身が言うことではない上に思うことでもないかもしれないが、あの男がどれだけ逃げようとも追いつく自信があった。倫理観を捨てて女子トイレとかに逃げ込んだりしない限り。

 風を切って、ハンチング帽の男を追いかける。夜の街を駆け抜けるその姿は、周りにはどう見えているのだろうか。借金取りとそれから逃げる男か、はたまた変な目を向けられているのだろうか。

 今の状況、どの場合だったとしても、このような、それこそたかだか数万円のために、幸せそうな町を疾走する……なんて状況を望んでいる物好きな人間なんていないだろう。

 少し走ったところに、袋小路になっている部分があった。真吾はハンチング帽の男をそこにおびき寄せるべく、不発だった爆竹を男の前に投げる。驚いたハンチング帽の男は脇にある袋小路へと、文字通り転がり込んだ。

 ハンチング帽の男は受け身こそ取ったものの、先日の雨によって生じた水たまりが、ハンチング帽の男の上着を酷く濡らす。

 この辺りはホームレスも多いために、その辺で用を足すことが非常に多い。洗濯したとしてもきつい、そして酷い臭いが残るだろう。

「……ったく、何なんだよお前!?」

「言ったでしょ、探偵だって」

 バランスを崩しながらも、真吾に殴りかかるハンチング帽の男。しかしその殴る姿勢、拳。全てが人にダメージを与えるにはバランスが悪く不相応だった。さながら、べろべろに酔っ払ったサラリーマンのよう。

 そのために、その拳を堅実にガードして相手との距離を放す。

 すぐ後、真吾はサウスポースタイルの構えをとる。

「……何だよ、やろうってのか」

「だって抵抗するし、一応正当防衛も効くし」

 その意志が分かると、すぐさまハンチング帽の男は真吾に再び右で殴りかかる。

しかし、先ほどとほぼ同じ軌道のために、捌いて隙を生み出す。

 その隙を調整するように、逆側の拳も同じように繰り出す。

真吾自身にとばっちりがないように捌くも、ハンチング帽の男は少しばかり左拳をかばうようなしぐさを見せた。

「……アンタ、左手……何となくだけど怪我してる?」

「う、うるせぇ!」

 どうやら図星のようだった。どこかで不幸な怪我をした可能性がある。いつものように攻撃手段を潰すような……それこそ、チンピラにやったような攻撃をしていたら、危うくハンチング帽の男に酷い怪我をもう一個増やしていた。

 余程指摘されて頭が来たのか、見境ないラッシュをして来た。

 全てを捌いて、真吾自身に害のないようにそのラッシュを終わらせる。完全にスタミナ配分をミスしたようで、そして余程の愛煙家で肺機能が衰えているのか、ぜえぜえと息を乱し汗を流していた。

「……無理は禁物だぞ? 煙草の吸い過ぎがたたってるんだから」

「……うるせぇ……」

 真吾を酷く罵ることすらできなくなった様子。なんだか少し可愛そうに見えてきた。

 しかし、ハンチング帽の男は、へたり込んだ次の瞬間、真吾の腹部にダガーナイフを突き刺そうとしていた。

 真吾は即座に後方へ飛び、それを回避するも、男の殺意は消えないままだった。

「刃渡りおよそ七センチのダガーナイフ……がっつり銃刀法違反じゃないか」

「邪魔するってんなら……ぶっ殺すぞ」

「いくら何でもウマのためにそこまでするかい…………博打中毒も行き過ぎると麻薬と変わらないじゃないか」

 真吾は仕方なく構え直す。今度は、チンピラの様な酷い怪我をさせる気で行く覚悟を決める。人を傷つけるのは未だ苦手ではあるが、相手が殺す気であるならば容赦は必要ないはずであった。

 男のナイフの突きをスウェイで躱し、男の左手を右足で思い切り蹴り飛ばす。

 痛みによって、身動きが取れなくなった男の両腕を掴み、引っ張る勢いと自分の跳躍する勢いを合わせ、男の顔面に全力の飛び膝蹴りを食らわせ、男はノックダウンする。

 その際にしっかり家主から取り立て依頼されていた、ウマ代になりかけていた代金も回収。

 ハンチング帽が力なく、澱んだ水たまりに落水する。男の一張羅が台無しになるさまを見て、真吾は少しばかりの同情を覚えた。

「左の負傷に鼻、前歯……というか基本顔面骨折の合計二発。過剰防衛な気はするけど、アンタにナイフで殺されそうになったからチャラだね」

「チャ……ラ……な訳ねえ……だろ」

 あの二撃を受けてまだまともに喋るとは。真吾自身、脚技に自信があったために驚愕していた。ハンチング帽の男は、未だに真吾に対しての敵対心をむき出しにしている。

 個人的には心も折れてても仕方ないって納得するよ、うん。

「お前……訴えてやる。こんだけ俺の事を怪我させて、ただで済むと思うなよ? 裁判所にも来てもらうからな」

 顔面がぐちゃぐちゃになった男は、情けなくも虚勢を張る。鼻水、血、その他諸々で汚れた顔は見るに堪えない。

「仕方ないな……アレ、出したくなかったんだけど」

 そう言うと真吾は、未だ抗議を続けるその男の前にある物を突き出す。それは、『S1Smpd』と金文字で書かれた、金枠の赤い丸バッジ。正しく「警視庁捜査一課のバッジ」だった。

「お前……探偵じゃねえのかよ……? 覆面警察かなんか……なのか……?」

「しっかりとした探偵だよ? ちゃんとした事務所もあるし……。出るとこ出てみる? だ・け・ど……」

 真吾は少し不敵な笑みで、その男に捜査一課のバッジをさらに突きつける。

「やっぱ……相手が悪いと思うよ?」

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