2日目・夕方 笑い声
「いや〜明日から週末って嬉しいね」
「そう、だね」
授業が終わり、その帰り道。
雲ひとつない綺麗な空に沈む夕日が私達を照らし、その影がどこまでも続くように伸びている。
時間帯が関係してるのか、ここは下校中の学生以外ほとんど人がおらず、冷たい風に乗ってくる音はせいぜいさわさわと揺れる葉の音くらいだ。
「アオイは何か予定あるの?」
「何も」
「ふ〜ん。じゃあ一緒にどっか行く?」
「いや、遠慮しとく」
普段ならこの帰り道で土日に何するかアカネと一緒に話すところだけど、アカネは何だかいつもと様子がおかしくて、会話はすぐに途切れてしまう。
昨日の車のことといい、昼の食堂の一件といい、どうしてアカネはずっと笑ってるんだろう。嫌なことが2回も、それも昨日の今日で起きたのに、悲しむどころかむしろ何ともないとでもいうように笑みを浮かべている。
何というか、異常なまでにポジティブになっているのだ。
私自身、アカネがそうして笑ってくれるのは嬉しい。だけどそれが本当にアカネが心から笑っているのか、それを知る術を私は持っていない。
もちろんアカネが元気になって、そのテンションがずっと下がってないだけならそれで良い。それはそれでちょっと怖いけど、私の考え過ぎで済む。
でももしそうじゃなかったら?
この笑顔の裏側では泣きそうになっていたら?
私といる時だけそうやって演技をしているとしたら?
疑問が妄想を呼び、妄想が悲劇を作り出す。己の悲観的思考に一発ぶん殴ってやりたいものの、アカネを見るたびにその壁はぶ厚くなっていく。我ながら醜い人間だ。
「ねぇ、アオイ」
黙ったままの私を見て、アカネが声を掛けてきた。
「どうしたの、なんだか様子が変だよ」
「そう、かな」
変なのはアカネの方だよ、と言い返したいけど、果たしてそのまま言っても大丈夫なのかと思考を巡らせ吟味する。
「ねぇ、アカネ。ずっと笑ってるけど何か良いことあったの?」
言葉を選びつつ、聞いてみる。
「良いことかぁ〜。うん、たくさん!」
「へぇ。たとえば?」
彼女は「そうだね〜」と顔を上に向けた。
「朝、目覚ましより早く起きれたことでしょ。あと授業で新しいことを学んだことでしょ。あ、休み時間にゲームのガチャでレアなキャラゲットできたこともだし、それから——今こうしてアオイと喋りながら帰ってることとか!」
「——」
「それにもうすぐで冬休みがあるし、またアオイと一緒に遊べるって思うと、嬉しくて嬉しくて!」
「——」
——それだけなの?
たったそれだけでそんなにも楽しいって思えるの?
そんな当たり前のことで?
「ねぇ、アカネ」
「なぁに?」
思わず吐いてしまいそうなくらい甘ったるい笑みに背筋が寒くなる。
「……本当に?」
「うん。とっても楽しいの!」
それは透明で、綺麗で、ついつい惹かれてしまいそうになるけれど。
「私、今とっても幸せなんだ!」
そんなアカネの声が、表情が、私の本能が忌避せよと警鐘を鳴らす猛毒となっていた。
「アカネ……」
「わぁ、待って!」
突然、目の前に小さな男の子が飛び出してきた。
大体小学2年生くらいだろうか。短髪で、如何にも運動大好きといったような、元気そうな少年だ。
少年は私達の前を横切るように、公園を抜けて、その先にあるボールを追いかけている。そのボールはというと、ぽんぽんと小さく跳ねてちょうど車道を渡り始めたところだった。
……背後から嫌な音が聞こえてきて、私は今来た道を振り向いた。
キキキキッと道路に勢いよくタイヤを擦り付けるのは、昨日アカネを泥水で汚した白い車だ。
恐らく毎日のように爆走していたのだろう。法が一体何の為にあるのか、考えたことすらもないらしい。だから昨日も、今日も、そして明日も、いつまでもいつまでも、きっとそうやってこの道を我が物顔で走り抜けるつもりでいたのだ。
だから、いつかこうなることはあの運転手以外、誰の目にも明らかだった。
「あ……」
走る車は急には止まれない。猛スピードなら尚のこと。
ブレーキが間に合わず、車はそのまま少年に激突する。
ドシャンという音に空気が凍りつき、さっきまでうるさく吼えていた車が一転して口を噤んだ。
喧噪は消え失せ、突如別の世界へと飛ばされたような感覚を抱く。
ミラー越しに映る運転手の顔は、加害者だというのに死人のように真っ青で、私も喉に大きな石が詰まっているかのように、浮かび上がる言葉の数々を声に出せずにいた。
よく漫画やアニメで見るような展開。フィクションだから、で済むようなありきたりな展開だった。しかしここはフィクションではない。
いつもならありえないと笑い飛ばす光景が、今目の前で起きたのだ。
少ししてから公園から少年と同じくらいの歳の子が4人と女子高生が2人出てきた。皆が皆この状況を受け入れまいと立ち尽くし、叫び声すら上げずにいる。
ふと私は、この女子高生達は子ども達の何か関わりがあるのだろうかと思った。見たところ親はいないけれど、彼女達がこの場での保護者のような存在だったのだろうかと。そして制服を着ていることに気付き、偶然居合わせただけだっただろうと思い直す。
しかしそんなどうでも良いことを考えてしまうのは、ただ私も彼女達のように現実から目を背けようとしているからに他ならない。
こんなことあってはならないのだ。これは夢に違いないのだ。
そうやって首を振り続けるも、タイヤの下からじわじわと広がる真っ赤な液体が、逃げるなとでも言っているかのように私達に現実を叩きつける。
何度も、何度も、何度も。
だから私達は認めるしかなかった。
子どもが轢かれてしまったという現実を。
「きゅ、救急車!」
重い思考を何とか巡らせ、私は今取るべき最善手を導き出す。
震える手で鞄から携帯を取り出して、電話のアプリを開く。119番か、110番か、どっちを掛ければ良いか一瞬迷ったがまずはと前者に繋いだ。
着信までのほんの数秒があまりにも長い。無限にも感じられるその時間に、私は得も言われぬ恐怖を覚えた。
『はい、119番、消防です。火災ですか、救急ですか?』
「きゅ、救急です」
『救急車が必要ですか?』
「は、はい」
上手く出せない声にもどかしさを抱きながら、早る思いで定型的な質問に答えていく。
『ではまず発生場所の住所を教えてください』
「えっと、ここは——」
「あははははっ!」
場違いな笑い声がこの空間を支配した。
まるでお笑い番組を観ている時のような、あるいは下らない会話で盛り上がった時のような。
その声の主はすぐに分かった。分かりたくなかった。
「ア、アカネ……」
『もしもし。聞こえますか?』
子どものように屈託のない笑顔を見せるアカネに、電話の声が聞こえなくなる。
「どうして……」
「分かんない! だけど何だかとっても面白いの!」
急速に膨れ上がる何故にアカネは答えない。否、答えられない。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは——」
身の毛立つ私を他所に、アカネは笑い続ける。
寒空に響く甲高い声に、私は大きな勘違いをしていたことに気付かされた。
アカネはもうアカネではなくなってしまったのだと。
「——ここは、浜名須駅近くの公園です」
震える手で落とさないように携帯を握り、声を上擦らせながらも救急車を呼ぶ。
サイレンの音が聞こえてきた頃には夕日はとっくに沈み込み、真っ暗な夜が訪れていた。
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