2日目・昼 食堂にて
憎き車がアカネに泥水を浴びせた次の日。いつも通り授業を受けた私は、アカネと一緒に昼食を摂ることにした。
というより、アカネが学校にいればいつもそうしている。アカネとは学部が違うから、学校にいてもほとんど顔を合わすことはなかった。同じ中学、同じ高校に通い、今も同じ大学で学んでいるというのにそんな状況のまま4年間を過ごすのは、私もアカネも嫌だった。
そこでこうしてできるだけ学校での接点を作っているのだ。
新しくできた友達とワイワイ食べるのも良いだろう。
ひとりで授業の予習復習しながら食べるのも良いだろう。
でもそんな中、やっぱりアカネと一緒の方が楽しいと思ってしまう自分がいる。
下らない話に盛り上がり、特にオチのない話を延々と続けるあの時間。
何者にも邪魔されない、ふたりだけの世界が私の心を躍らせるのだ。
「お〜い、聞いてる?」
「えっ、ごめん。何?」
気付けばアカネが私をじっと見つめている。
相変わらず可愛らしく口角を上げながら。
「注文! 何するの?」
私は周りを見渡した。
ふたりで並んでいた注文の列はいつの間にかなくなっており、生協のおばさんが困った顔をしながら私達を待っている。
「あっ、えーと。すみません、唐揚げ定食で」
慌てて私はおばさんに言った。
「どうしたの、考え事?」
厨房でおばさん達が盛り付けしているのを眺めながら、アカネは私に問いかけた。
「いや、ただぼーっとしてただけ」
流石にアカネに直接言うのはちょっと恥ずかしい。これは私の胸の内に秘めるべきものだろう。でもいつもありがとうのお礼くらいはしたいかな。あとで何も言わずに唐揚げ半分あげよ。
そんなこんなで私の下に唐揚げ定食が運ばれてきた。しかしアカネのはちょっとトラブルがあったようで、少し遅れるそうだ。
「ごめんねぇ。ちょっとだけ待ってねぇ」
「大丈夫ですよ。アオイ、先に席取っといて〜」
私は「分かった」と返事してお盆を持った。
少し遅れて来たからか、どこの席も埋まっていてなかなか見つけられない。
しばらく、といっても20秒くらいだけど、なんとかふたりで座れそうな席を見つけてひとまずは安堵。でも窓際で結構遠く、お盆を落とすまいと緊張してしまう。
とはいえ慎重にお盆を運んで席まで向かったお陰で、特に何事もなく辿り着くことができた。
このままさっさと割り箸を開くのも良いが、きっともうすぐにでもアカネは来るだろう。私はアカネがおばさんと話してるのを見ながら待つことにした。
その直後、申し訳なさそうな顔をしながら、おばさんがアカネにご飯を渡しているのが見えた。アカネはそれを受け取って私を探し、目が合ってこっちへと歩いてくる。
この一連の流れの中でも、アカネは笑顔を絶やしていない。昨日から一体何が面白いのだろう。可愛いけども。
「ごめんね〜。何かお肉の火が完全に通ってなかったらしくてさ」
そうして私の前の席に座ろうとした時だった。
「おっ、わりぃ」
食事を終えた男が椅子を引いて、それがちょうどアカネの脚に引っ掛かった。
バランスを崩したアカネはそのまま前に倒れ、ガシャンという大きな音が騒がしかった食堂を黙らせた。
「あっ……」
アカネの視線の先にはあるのは割れた皿と床にぶち撒けられたご飯だ。あんなにも美味しそうだったのに床に落ちたというだけで不快な気分になる。貧困に苦しむ国のことを考えればそう思うべきではないのだろうけど、これが潔癖大国で育った私の最初の感想だった。
しかし、そんなことはどうでも良い。それよりも気にかけるべきは——。
「アカネ、大丈夫!?」
「あいたた……」
本当に大丈夫だろうか。盛大に躓いたから、もしかしたら怪我してるかもしれない。保健室の場所ってどこだっけ。
そんな風に考えていると、近くにいた学生が何事かと野次馬の如く集まってきた。なのに誰もアカネを見るだけで声を掛けようともしてくれない。気持ちの悪い視線に拳がぎゅっと固くなる。
「大丈夫か? 悪かっ……アカネ?」
椅子から立ち上がった男がアカネを見下ろしている。
私はその顔に見覚えがあった。
「あんたがアキト……」
「え、あぁそうだけど。誰、アカネの友達?」
こいつが知らないのも無理はない。私も実際に会うのは初めてだから。
「わざとなの?」
「いや、違うけど……なんでそんな口調が攻撃的なの? 俺、君に悪いことした?」
「いや。ていうか初対面だし」
どちらかと言うと、悪いことをされたのはアカネの方だ。
多分、今回は故意にやったんじゃないと思うけれど、こいつがアカネにやったことを思えば自然と目は細まって声も低くなる。アカネに謝れと言いたいところではあるが、私が言うのは筋違いというものだ。そもそもこいつが本当にクソ野郎なのか知らないし。
「うぅ……」
そうこうしている間に、アカネがゆっくりと起き上がった。
「アカネ! 大丈夫?」
「う〜ん、ちょっと痛みがある気がするけど大丈夫だよ」
「ある気がするって、結局どっちなのよ」
私の心配を他所にアカネは「あ~あ」と床のご飯を見つめている。
「アカネ、本当に悪かった。後ろをちゃんと見てなかった」
アキトの声にアカネは振り向いた。
数日振りの元彼との再会。しかもこんな形で果たすことになるとは。
一体アカネは第一声に何と言うのだろうか。「あなたに会いたくなかったわ」とか「どうしてくれるのよ」と言って怒れば問題ない。初恋の思い出をすっぱりと切れた証だからだ。でもまだ「会いたかった! お願い、また一緒にいさせてくれない?」なんて言い出したら、ちょっと考え直さなければならない。また捨てられると知りながら付き合うアカネを見るのは御免被りたい。
昨日アカネ本人が大丈夫って笑ったから十中八九、心配することはないのだが、残りの一を無視することもできず、どうしても気になってしまう。
……何やらこの状況を利用している気がして自己嫌悪に苛まれる。しかしそれでも私は確かめるようにアカネを見つめた。
不安と周囲の視線からの苛立ちとが混ざり合い、胸がざわざわとする。
そうして私が唾をごくりと飲んだと同時にアカネが口を開いて——、
「あなた、どうして私の名前知ってるの?」
「「……は?」」
思わず私とアキトの声が重なった。
嘘かと思ってアカネの表情を窺うけれど、ニコニコしていてよく分からない。彼女は嘘吐けない性格だから、ならば本音なのかとも考えるが、それはそれで矛盾が生まれてしまう。
「え、いや、俺だよ。アキト。もしかして怒ってる? 悪かったって」
「アキト……?」
それでもアカネの態度は変わらない。もしかして本気で忘れているのか?
でもそれは有り得ない。
そんなに長い期間ではなかったとはいえ、アカネはこいつと付き合っていた。しかもアカネの初恋の相手であり、捨てられた後もくよくよと悩みに悩んでいたのだ。忘れるわけがない。
「じょ、冗談も大概にしろよな。ほら、これで新しいやつ買ってこいよ」
何か恐怖を感じたのか、強張った笑みを浮かべながら、アキトは財布から千円札を取り出した。
「じゃ、じゃあ俺、そろそろ行かないとだから。本当にごめんな」
そうしてそそくさと席を離れた。
——え、逃げたの、この状況で!?
「マジかあいつ……」
やっぱりアカネから聞いた通りの最低な男なのかもしれない。
一部始終を眺めていた部外者達も、なんだこれで終わりか、とぞろぞろと離れていく。残ったのは私とアカネと床のご飯の残骸とくしゃくしゃな千円札だけだった。
厨房を見るとおばさんがこっちに行こうとしている。とりあえずは何とかこの場は収まりそうだけど……。
「アカネ」
「ん、どうしたの?」
「あんた、演技の練習でもしてたの?」
「ん、何のこと?」
「惚けないでよ。アキトのこと、あんたが忘れるわけないじゃん」
「……あぁ、さっきの人? かっこよかったよね。千円も貰っちゃったし、良い人って本当にいるんだね〜」
変わらずアカネはニコニコと笑っていた。
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