11.「耐」


 ザワザワザワザワ、ガヤガヤガヤガヤ――


 理科室での事変が収束してから約三十分後。

 突如舞い込んだ『非日常』。事態が終息した今でもクラス連中の興奮が収まる気配はない。

 狭い教室で、担任が必死の形相で大声を張り上げているものの、耳を貸そうとする者はほとんどいなかった。……律儀に傾聴しているのは『俺』くらいで――、どうやらこの後の授業は中止。俺たちには速やかなる帰宅が求められているらしい。……まぁ、そりゃそうだろうな。


 クラスを救ったヒーロー、志鎌陽介へのヒーローインタビューが長時間に渡って続けられていた。奴は相変わらずケラケラ笑いながら、なんでもないように受け答えをしているが……、確かに、あの状況で一人教室を抜け出し、短時間で消火器を探し当てる行動力。その冷静さと度胸は賞賛に値するだろう。……やっぱりただのバカではないらしい。


 チラッ――、と彼女に視線を向ける。線の細いロングヘアが、萎れている。


 興奮冷めやらぬクラスの連中とは対照的――、眼を伏せている雪村は長い前髪に顔が隠れてしまっており、その表情は窺い知ることができない。


 ……雪村――

 心の中で、その名前をこぼして。


「――あれっ? ハギの奴がいなくね?」


 聞き覚えのある不愉快な大声が、俺の耳にねじこまれた。


 思わず眼を向けた先は、ハギの席。

 背景オブジェクトみたいにいつもジッとしている大男が、確かに存在しない。


「アイツのことだから、ビビッてそのままオウチ帰っちゃったんじゃねーの!」


 不愉快な大声が、耳の裏側をザワリと再びさらって。



 ――ガチャリッ……


 錆びついた靴ロッカーを徐に引き開けた俺は……、

 寂しそうに佇んでいる一組の革靴を眺めながら、おもむろにソレらを取り出した。

 

 収拾のつかない喧騒に辟易したのか、担任教師が「とにかく今日はもう帰れ」と捨て台詞を吐きながら退場したのが数分前の話で――、人と人の合間を縫って、俺はそそくさと一人教室内を抜け出し、一足お先に昇降口にたどり着いていた。

 革靴をポイッと地面に放って、やる気の無い所作で上靴を脱ぎ捨て、バタンッ――、と靴ロッカーの扉を閉める。

 トントンッ――、と足元の帳尻を合わせている俺の脳内、意志とは裏腹に様々な思考が巡る。


 ……さっきのは、『何だったんだ』? ……ありえない実験ミス? 

 ……では、ないだろうな。アイツ……、あの教師、アルコールに火をつけたあとも、ニコニコ笑ってやがった……、ってことは、サイコパス教師の暴走か?

 ……に、しても腑に落ちないな。サイコパスの心の内なんてわかるわけもねぇが……、なんか、あまりにも変化が急すぎたというか……、いや、態度が突然変わったとかではないんだけど、まるで、あの教師の意識が、他の誰かに乗っ取られたみたいな――



「動くな」



 リアルに強制送還された。

 耳元に響く恐ろしく低い声と、

 背中に伝う、鋭利な感触によって。


 ――はっ……?


「こ、声も出すな……、そのまま、だ、黙って、僕の言うコトを聞け」


 再び、声。――而して、同じ声が今度は若干不安定に震えている。

 俺はというと、取り急ぎ状況の理解は混迷を極めており、言われるまでもなく恐怖から身体を動かすことができなかった。

 タラリと、首に一筋の汗が流れて。



「――どうしちゃったんだろうね! あの理科教師! あ~っ、マジ怖かった~っ!」

「……でも、六限目ナシになってラッキーだね! ……あ、今からカラオケ行こうよ!」


 ――キャッキャウフフと、およそ緊張感のない声が聴こえてきた。

 俺の背後ろ、その黄色い談笑が徐々に近づいてきて――


 ピタリと、止まる。


 俺は想像する。

 名も分からぬクラスメートの女子連中が、『状況』を眼の当たりにして、絶句している光景。

 ――彼女たちの視界に映るは、何者かによって背中にナイフを突き立てられている俺の姿。


(……アレ、例の転校生だよね)

(……ウン、こわ~、何やってんだろ。昇降口で一人、ボーッと突っ立って)


 ――ヒソヒソ、ヒソヒソ、ヒソヒソ……



 ――えっ……?



 俺の視界、弧を描くように俺を避けながらグラウンドへと抜ける二人組の女子の姿。チラチラと、訝し気な眼を俺に向けながら。

 彼女たちの姿が、徐々にフェードアウトしていき、

 俺の頭を巡るのは、幾多の疑問符。


 ……アイツら、なんて言った?



 ――俺が……、『一人』?



「――そのまま声を出さずに、まっすぐ歩け。学校を出たら僕の言う通りに歩くんだ」


 再び、耳元に声が流れて――

 後ろを振り向きたい衝動を、必死に堪える。

 ハァッ――、と短くタメ息を吐いたあと、憶測による事態の把握諦めた俺は言われるがまま、やる気の無い足取りでだだっ広いグラウンドへと歩みを進める。

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