9.「再②」


 幾ばくかの静寂、夏風がそよぐ。

 俺はくるっと振り返る。棒立ちしている彼女に眼を向ける

 淡々と、機械みたいな声が、耳に流れて――



「――なるほど、それがあなたの『異能』。さしずめ……、『念導ネンドウ』ってところでしょうか」


 涼しい顔したアザミの眼前、灰色のナイフがピタリと空中で静止している。

 やさぐれたようにポケットに手を突っ込んでいる俺が、ギロリと彼女を睨んだ。

 深紅に染まった、真っ赤な両眼で。



「噂通り、赤眼には狂暴な異能が多いみたいですね。あなたが『鬼』でなくてよか――」

「――質問に答えろ」


 有無を、ひねりつぶす。


「返答次第では、お前の両眼をこの場で潰す」


 猶予を、消し去る。


 フゥッ――、と短い息を吐いたのは『アザミ』で――

 彼女がおもむろに両手をあげ、パチッと小さな瞳を閉じる。


「スカートの右ポケットの中に、手をつっこんでください。私は見ての通り無防備な状態ですので、あなたが近づいても一切の抵抗ができません」

「……あっ?」

「いえ、お望みなら身体に乱暴をされても構いませんが」

「…………あっ?」


 脳内血管が三本ばかりキレたところで――

 俺はボリボリと乱暴に頭を掻いたあと、やる気のない足取りで彼女に近づいた。

 眼前――、眼を瞑っているアザミのツラは、体温を持った生物とは思えないくらい白い肌をしていた。その顔面を睨みつけながら、おそるおそるスカートのポケットに手をつっこみ――


 がさっ。


 『ナニカ』が、指先に触れる。『ソレ』をつまんだ俺は、ヒュッと手を引っ込める。

 ……コレ――

 およそ見覚えのある、『ノートの切れ端』。


「……もはや言うまでもないと思いますが……、中の文章を読んでみてください」


 丁寧に四つ折りにされた小さな紙を、片手だけ使って乱暴に開いて。


『あなたは、人間です』


 ……なる、ほど、ね――


 カランッ。

 灰色のナイフが、灰色の地面に落ちる。



「……容疑は、晴れましたか?」


 パチッと、丸い眼を開いたアザミが、ユラリと、両手を降ろした。


「……もう一つ、質問がある」


 二つの赤い眼が、白い肌を射抜く。


「お前は、なんで俺が『鬼じゃない』って、知ってるんだよ?」

「……知っているというのは少し違いますが、ほとんど確信はしています」


 口元を指さしたアザミが、窺う様に俺のコトを見上げて。


「あ、か、め、は、も、も、た、ろ、う」


 クスッと、イタズラ好きの子供みたいに笑った。



「……つくづく、便利な異能だな……、っていうか鬼が誰なのかも『啓示』で特定すりゃいいじゃねーかよ」

「どうやら、あなたは著しく記憶力が乏しいようですね。昨日も言った通り、私の『啓示』は望んだ内容を得られるわけではありません。一条さんのコトを知れたのはたまたまです」


 アザミの冷めた目つきと、俺の赤い両眼が交錯し、


「……つくづく、不便な異能だな……」


 俺の口から、ヘドロみてーな声が漏れ出る。


「具体的にどうするつもりなんだよ。手を組むって」

「それは、私の提案を受け入れてくる、という解釈でよいでしょうか?」

「……好きにしろ」


 ボリボリと頭を掻いて、灰色の地面に眼を落として。


「基本的には情報交換ですかね。少しでも怪しいと思った人物がいたらすぐに教えてください。私もそうします」


 ……怪しい人物――

 ふと、地面に転がっていた桃色の玉手箱が目に入り、

 俺の脳内、線の細いロングヘアがフワッとなびき――



「――あるんですか? 心当たり」


 薄く細まった漆黒の瞳が、俺を貫く。


 ――ざわざわざわざわ、ザワザワザワザワ……


 夏の湿った風が、衣服と肌の間にまとわりついて、


「……別に」


 聞こえるか聞こえないかギリギリのラインで、俺は声を落とした。

 アザミが一言、「そうですか」と返して――


「……くれぐれも、軽率な行動は互いに控えましょう。特に、クラスメートと一対一で接触するコトは控えた方がいいと思います、誰が色眼族か、今のところ見当もつきませんから」

「大袈裟なこって……、たかだか『鬼』一人だろ? 怪しい奴にさえ近づかなければ――」


 ――断絶。

 俺はその台詞を、途中で切った。

 俺を見るアザミが、キョトンと、「何を言っているんだ」と、

 心底、不思議そうなツラをしていて――


「いえ、気を付けるべきは私たち以外の三人……、『色眼族』全員です」


 その発言の意味に、俺はイマイチピンときていない。


「なんでだよ。『鬼』以外の二人はどっちかというと仲間だろ? ゲームルール的に」


 フッ――、とタメ息がこぼれる。彼女の口から。陰鬱を混ぜながら。


「――『鬼』が誰だかわからないなら、クラス中の色眼族の両眼を『全て』狩ればいい」


 ――はっ……?


「このゲーム、一見『鬼』と『人間チーム』の対決様式になっていますが……、例え鬼の両眼が潰されたとしても、既に自分の両眼が潰されてしまっていては元も子もありません。……『自分の両眼を守る』コトが、誰にとっても唯一の勝利条件となるはずです。そして――、『人間チーム同士で両眼を狩ってはいけない』なんてルール、ドコにも書かれていなかった」


 紫色のショートヘアがフワッと揺らぎ、

 アザミの顔面、機械みてーに無表情のそのツラは、

 相変わらず、人間とは思えないほど真っ白で――


「……お前、まさか」


 俺の声が震えていた理由は、自分でもわからない。

 恐怖なのか、驚愕なのか、憤怒なのか――



……『拒絶』、なのか――



「――まぁ、私は最後まで生き残ることができれば、なんでもいいですけど」


 彼女が渇いた息をこぼす。すべてに辟易したように、少しだけウンザリしたように。


 ……コイツ――


 俺は、このゲーム……、『命がけの鬼ごっこ』とやらの、『本質』を――

 まだ、わかっていないのかもしれない。



 ――キーン、コーン、カーン、コーン……


 滑稽な鐘の音が響く。

 世界に刻が、返還される。


「……そろそろ戻りますか。あまり長時間教室から離れるのも不自然に思われますし……、今日は私から先に行きますね」


 言うなり、アザミが拙い足取りで、ペンギンみてーな歩き方で屋上の入り口に向かう。半開きの鉄の扉に手を掛ける。

 ――その姿はまるでガキんちょだった。彼女の背丈はたぶん百五十センチにも満たないないだろう。制服を着ていなかったら、小学生児童だと勘違いする自信すらある。


 そんな、ガキみてーなナリの女の背後ろ。

 ――なんだか、得体のしれない化け物を見ているような、形容不能な不気味さを、

 一人で勝手に、感じて――


 ――あれっ?……


 ――違和感。

 アザミが錆びた扉を引き開ける。何の気なしに、何でもないように。

 キィーッ――、と錆びた鉄の擦れる音が響く。


 ドアノブを、回すことなく。


「――オイ」


 思わず、呼び止めたのは『俺』で――、

 クルッとこちらに顔を向けたアザミが、キョトンと首を斜め四十五度に傾けて。


「……どうか、しましたか?」

「……いや、俺ここ来るとき……、ドア、閉めてたよな?」


 夏の湿った風が、衣服と肌の間にまとわりつく。

 その感触が、相変わらず気持ち悪かった。

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