二幕 -憎み アイ-

8.「再①」


 ――ガチャリ……


 錆びついた鉄のこすれる音が遠慮がちに響く。

 俺の眼に広がるのは、雲一つない青空と、灰色の地面と――


 ――バタンッ……


「おひょかったへふね、ひはらびてしまふかとおもひました」


 大きな菓子パンを両手に、もぐもぐと口を動かしているアザミ。


「……俺も、昼食いながらで、いいか?」

「へぇ、もひろん」


 ゴクンと喉を鳴らした彼女の隣に腰を落とし、桃色の玉手箱をパカッと開ける。


「……ずいぶん可愛らしいお弁当箱ですね。お母さんのお手製ですか?」

「いや……、両親は、いねぇよ」

「そうですか」


 あむっと再び、アザミが菓子パンにかぶりついて、


「まぁ、『色眼族』なら珍しいことでもないですね」


 そのままもぐもぐ、子リスみたいに頬を膨らます。


「……お前は、いんのかよ。おふくろ」

「ええ、健在ですよ。父親は私が幼いころに行方不明になって、今も連絡が取れないですが」

 ピンク色のプラスチック箸を、くるくると片手で回しながら、

「……そうかよ」


 俺は真っ黒なひじきを箸でつまんで、乱暴に噛み潰した。



「袋の中身、見ましたか?」


 くしゃくしゃと、空になった菓子パンの袋をスカートの左ポケットに突っ込んだアザミが、代わりに取り出したティッシュで口をぬぐっている。


「……ああ」

「どう、思われましたか?」

「……ずいぶん、趣味の悪いコトするなって」

「感想ではなく、意見が聞きたいのですが」


 ジトッとした黒い瞳が俺の横顔を射抜く。

 俺はハァッとため息を漏らして、桃色の玉手箱をパタンと閉じて――


「……主催者の脅しじゃねぇの。俺らに対して、このゲームは本気だぞっていう」

「なるほど」


 ニヤッと――、ほんの少しだけ、アザミが口角を上げて、


「私も、同意見です」


 その声が、まっ平な灰色の地面に、ポツンと落ちる。



「――で、なんなんだよ、お前の『提案』とやらは……、俺はこの少女趣味の弁当箱を持主に返さなきゃなんねーから、手短に済ませてくれ」

「……おや、お盛んなんですね」

「――ぶっ殺すぞ」


 スッ――、とアザミが立ち上がる。ふいに流れた夏風に紺のスカートがさらわれ、彼女は小さな口を静かに開いた。


「私たち、手を組みませんか?」


 相変わらずの、仏頂面で。


「……あっ?」

「『生存戦略』です。……人の眼玉を調達できるなんて、このゲームはもうイタズラの域を超えています。『自分が何もしなければ、主催者に本気で両眼を潰すされるかも――』、『鬼』が今そう考えていてもおかしくありません」


 淡々と、ツラツラと、国語の教科書を音読するみたいに、彼女の声が紡がれて。


「『鬼』がどう動くかわからない……、明日になったら、私たち二人ともあっさり両眼を失っているかもしれません。……だから――」


 一呼吸。彼女がフゥッと息を漏らして。細い目つきで俺を見下ろして。


「――私たち二人で『鬼』を見つけましょう。こちらの眼が、狩られる前に」



 ――ざわざわざわざわ、ザワザワザワザワ……



 夏の湿った風が、衣服と肌の間にまとわりついて、

 気持ち悪い。


「――どうすんだよ」


 数秒間の沈黙を破ったのは、『俺』――

 アザミから視線を逸らした俺は、灰色の地面の上にあぐらをかきながら、背後ろに両手をついて体重を預けていた。


「……見つけて、その後どうすんだよ、『鬼』のこと」

「えっ?」


 キョトン。


 ガキみたいなツラをしているアザミが、マヌケな声を漏らす。


「決まっているでしょう」


 なんでもないように、言葉を放る。


「両眼を潰すんですよ」


 簡単な算数が解けない同級生を、心底不思議がるように。


「……できんの?」

 ――問い。


「本当に、お前できんの? 鬼をふん捕まえたとして、逃げられないようにロープでぐるぐる巻きにしたとして……、ソイツの、眼ん玉に指ツッコんで、眼球えぐりだして――」

 ――確認。


「……ええ」

 ――応答。


「できますよ」

 ――断定。


「やらなきゃ、こっちが狩られますから」

 ――補足。



「……フーン」


 乾いた声が、がらんどうの空に響く。

 のそり――、とあまりにも重い腰を上げた。


 アザミに背を向け、灰色の地面をノロノロ歩く。彼女との距離が離れる。

 二メートル、くらいかな……。

 俺はピタっと足を止め、ポリポリと頭を掻いて、

 おもむろに、上着の内ポケットに手をつっこんで――


 『ソレ』を取り出す。ポーンと、『ソレ』を放る。


「っていうかさ」


 ぶっきらぼうに、口を開いた。

 太陽に照らされた『ソレ』がギラリと光って、『ソレ』がくるくると宙で回って――


「お前が『鬼』なんじゃねーの?」


 ――ヒュッ。


 一直線。

 空中で、不自然に軌道を変えた灰色のナイフが、

 アザミの両眼に目掛けて飛んでいった。

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