6.「相」


 放課後。学校の昇降口。靴ロッカーを開ける音がキィッと響いて――


 ……なんも、ねぇよな――


 俺は一人、ホッと胸を撫で下ろす。

 バタンッ――、と鉄のこすれる音を鳴らして。 


「――あっ」

「――おっ」


 視線と声が、交錯した。


「アマリくんも、今から帰り?」


 線の細いロングヘアがフワッとなびいて、ソイツがニコッと屈託のない笑顔を浮かべる。


「ああ、……えーっと――」

「……まさか、今日の今日で私の名前を忘れたとか言い出すんじゃないでしょーね」


 ジトッと、明らかな非難を帯びた両眼が俺を睨んで――


「い、いや、さすがに忘れねぇって、えっと――、ゆ、『雪村』!」


 慌てた俺のマヌケな声が、がらんどうの空間に響いた。

 両手を腰にあてた雪村が、ふぅっと呆れたようなタメ息を漏らして。


「……慌てて思い出したでしょ?」

「そ、そんなコトは――」


 ポリポリと頬を掻いている俺の視線が、キョロキョロと淡水魚みたいに動き回る。

 ――まぁ、誰がどう見ても挙動不審なワケで……。

 ズカズカと俺に詰め寄ってきた雪村が、ジィ―ッと俺の顔を下から覗き込んで――


「――まぁ、いいわ。ギリギリセーフってことで、ジュースの奢りは勘弁してあげる」


 クスッと、子供みたいな笑みをこぼした。

 ……ほっ――



「アマリくんは、電車通学?」


 革靴に履き替えた雪村が、トントンとかかとの帳尻を合わせている。


「……いや、俺は徒歩だよ。一時間かけて隣町まで歩いている」

「えっ、辛っ……。私も歩きなんだ。学校から十分もかからないけど」


 床に置いてあったスクールバッグを、彼女がよいしょと肩に掲げて、


「……ねぇ、途中まで一緒に帰らない?」


 そんなことを、言った。


「……えっ?」

「……実は、なんか最近下校中にヘンな視線を感じる気がして……、自意識過剰なだけかもしれないけど、ちょっとだけ怖くって」


 ヘラッと、眼前の少女が困ったように笑って、


「――それとも、女子と一緒に下校だなんて恥ずかしいお年頃?」


 猫のように丸い彼女の丸い瞳が、くにゃりとたゆむ。


「……別に」


 俺の声が、すすけた地面に落ちて。



 人気のない一本道を、並んで歩く。雪村と二人。押し黙ったまま。

 こういうと時に男の方から話を振るのが常識だってことくらい、さすがの俺でも知っている。……知ってはいるが、別に罰金を取られるわけでもない条理に従ういわれもない。


「――ねぇ」


 ――とか考えていたら、沈黙を破ったのは『雪村』で。


「今日のさ……、黒板のアレ……、どう思う?」


 およそ色気のない質問が、俺の耳にうちつけられた。


「えっ……?」


 ――俺はよっぽどマヌケなツラを晒していたのだろうか。

 ハッと表情を変えた雪村が、慌てたように両手をブンブンと振り始める。


「い、いや、私もただのイタズラだとは思うんだけどさ、なんか妙に気になっちゃって」


 数秒の沈黙。どう答えるものかと俺はローペースで脳みそを回し始めた。

 ……まぁ頭をひねったところで、無難にやりすごすくらいしか選択肢はないワケで――


「……ただのイタズラだろ。知らないけど」


 ボソリと、やさぐれたような声がこぼれて、


「だ、だよね……、アハハ――」


 乾いた笑い声を、湿った夏風がさらった。


 ――少なくとも主催者は、『色眼族』の存在を知ってるんですよ――


 ふいに頭によぎったのは、無機質で淡々とした、機械みたいな声。


「……まぁでも」


 沈黙を破ったのは、今度は『俺』で。


「――もし本当だとしたら、色眼族って奴らはさぞ大変だろうな」

「――えっ?」


 『念のため』に放った言葉。

 チラッと視線を横に向けると、キョトンと、雪村がガキみてーに眼を丸くしていた。


「……いや、自分では何もしてねーのに、『命がけの鬼ごっこ』とやらに巻き込まれてるんだろ……、悲惨だなって」


 ――ザワッ……


 湿った夏風が、頬を撫でた。

 ふと、気づく。

 隣を歩いていたはずの雪村が、俺の数歩後ろで、ピタリと足を止めている。



「アマリくんはさ」


 線の細いロングヘアがフワッとなびいて、彼女は壊れそうな笑顔をこぼしていた。


「他人を犠牲にしてでも、生きていたいと思う?」


 その声が、耳の奥でやけに響いて。


「……はっ?」


 自分でもびっくりするくらい、間の抜けた声。

 ジリジリと容赦なく照り付ける太陽が、剥き出しになった素肌をこがす。

 俺は、呼吸の仕方を思い出す事ができない。


「――な、なーんてねっ!」


 グニャリと、歪んだリアルが世界に返還された。


「……アハハッ! 冗談冗談っ! ……ご、ゴメンね! まだそんなに親しくないのに、ヘンな質問しちゃって――」


 雪村が笑う。からくり人形みたいに、壊れたおもちゃみたいに。


「……いや、今の質問は、仲良い奴にすらしねーだろ……」


 ボソリと、俺は精一杯の声を漏らして、


「だ、だよね――、わ、私の家こっちだから、また明日……、あっ! お弁当楽しみにしててね! 愛情たっぷり注いであげるからっ!」


 ――強制終了。ポチッと。

 ブンブンと両手を振る雪村が足早に俺の元を離れる。ボーッと、バカみたいに突っ立っている俺は、なんだか、足を動かす気になれなくて……、やがて彼女の姿は遠く見えなくなっていた。


「……愛情注いでどーすんだよ」


 こぼれた独り言は、誰の耳にも届かない。

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