喪男が美少女を振るらしい


「楪くん??

 そこにいるのは楪くんなんだね……」



 ほっとしたような柔くて脆い声。


 俺は今からこの声を――壊す。



「……そうだよみかちゃん。

 楪だよ。

 ……会いに来るのが

 遅れてごめんね、それから、」



 どうして声のトーンで

 女だとバレなかったのかは分からない。


 霞にそんな力があるとも思えない。

 だけど今はそれよりも、


「みかちゃんごめんっ」


「へ……?」


 向こうにいる

 みかちゃんの声が揺らぐ。

 波長がゆらゆら揺れて、

 波打っては寄り返す

 渚のように霞の前で返っていって。

 それから、



「俺っ!!

 ……好きな子ができたんだ」



 これで終わりだ、

 初恋はもう終焉を迎え……


「それで?」


 え。


 彼女は俺が思うほどに

 か弱い乙女なんかじゃなかったらしい。



「楪くんに好きな子が

 できたからどうなの。

 ……私は、私はたった

 それだけのことを聞かされるためだけに

 ここへ来させられたの?」



 したたかで俺よりも

 ずっと正直に真っ直ぐ、

 自分の聞きたいことを尋ねてきた。

 その問いは俺の言葉を

 真摯に受け止めてくれた故の

 鋭く牙を剥いた切り返しだ。



「違う……違う!」


「違うって何が」



 怪訝で不機嫌な声が返ってくる。


 当たり前だ、言葉以上の意味なんて

 伝わるはずがない。



「俺はずっとみかちゃんのことを、

 忘れてなかった。

 ちゃんと覚えてた、

 絶対守るつもりで……

 それは約束の日まで

 変わらないはずだった。


 だけどさ、

 入学式でその子を見かけたとき、

 思っちゃったんだよ。


『あぁこの子が好きだって』」



 みかちゃんはついに黙り込んでしまった。


 話を聞いてくれているのか

 どうかは分からない。



 それでも理不尽な要求を

 呑んでもらうには、

 それも初めて好きになった

 女の子が相手なら

 最後まで誠実でありたい。



「……でも、みかちゃんのことを

 何年も好きだったから

 その子のこと、そう簡単に好きだって

 気付けなかった。


 一年も、もう少しもかかって……

 最近になってようやく、

 この気持ちが恋だって

 認められるようになったんだ」



 そうだ、

 憧れが恋になったのは本当に最近だ。


 独り善がりな

 告白(ざんげ)でごめんなさい。



「ふぅーん、それって惚気?

 ていうか、

 私にそれを言って何がしたいの。

 約束を破棄にしてってだけなら

 ……それだけなら私は帰るよ」



 ざっざと土を踏みしめる

 音を耳にして俺は地べたにへたり込んだ。

 もう為す術なんてない。



「……そうかもしれない」


「え?」



 靴が土を擦り付ける音が止む。


 多分ごめんなさいを言うのも、

 わざわざお願いを

 聴いてもらうのもエゴなんだろう。

 それでも俺は、



「っ本当にずっとみかちゃんのことが

 大好きだったから、

 みかちゃんには分かってほしいんだ。

 俺が君を嫌いに

 なったわけじゃないって!」


「…………」



 雨が降り出しそうな

 雲行きになってきた。


 しばらくの沈黙が続き、

 やっぱりエゴじゃ届かなかったかと

 思われたときだった。



「……じゃあなんで、」



 ひくっという

 しゃくるような音が聞こえる。



「みかちゃ……」


「なんで私じゃダメなの……」


 ただ一言の嘆きが響いた。


「私っ、だって……

 楪くんのことだけ

 一途に思えてたわけじゃないよ」



 突然彼女が感情的になった

 ――いやそれは違う。


 初めから感情的だったのを隠していて、

 今はそれが露わになっただけだ。



「でも、そうやって間違えたり、

 色んな人を知ったりしながら

 また戻ってきたらいいじゃない。

 最近だって

 好きな人に告白して振られたしね。

 ……だから一度で

 簡単に叶わなくたって、結ばれる

 ――それでいいじゃない」



 ぐすっと鼻を啜る音さえ

 鮮明に聞こえてくる。



「ごめんね、みかちゃん。

 それはできないんだ」


「どうして……どうしてよ。」


「ごめん」


「ごめんじゃ済まないでしょ」



 冷たく言い放たれたように

 聞こえるそれは

 必死の強がりの現れなんだろう。

 僅かにだが、

 声の波長が震えていた。


 この謎な霞のせいで

 それがよく分かる。



 ごめんねみかちゃん、

 さよならだ。



「それでも俺は、奏ちゃん

 ――天宮奏が好きなんだ……」



 パリンッと見えない壁が

 音を立てて崩れていく。


 目の前の霞が

 ぼろぼろと剥がれ落ち、

 その先にいたのは――、



「み、未来!?」


「えっ、柚子

 ……えっえっ!?」



 戸惑いに構わず、

 光が二人を包んだ。


 というよりは俺が

 発光源みたいに

 カッと煌めいて

 目を眩ませられた後、

 気が付くと

 地べたに横たわっていた。



 目を覚まして

 すぐに目に入ったのは

 疑いの眼差しに満ちた

 成瀬の顔だった。



「み、未来……じゃない、

 みかちゃんごめんなさい」



 恐怖よりも罪悪感で反射的に

 そう告げざるを得なかった。



「もう聞き飽きました。

 それよりも

 なんですかさっきの。


 柚子が楪くんに、だなんて

 ……もちろん

 説明してくれますよね?」



 鼻先が触れ合いそうなまでに

 顔を近付けてきて、

 黒き笑みでさらっと

 脅しをかけてくる成瀬。



 起き上がるついでに

 視線を下に向けてみれば、

 一物が戻ってきていた。



「い、いやそれはその

 ……話せば長くなるというかー」



 自分で言ってて言い訳がましい。


 どうしよう、

 成瀬だと分かったら

 余計に説得できる

 自信なくなってきた

 ……もうダメだ。



「……ふん、ヘタレですね。

 冗談に決まっているでしょう。

 莫迦ですか」



 成瀬は至極

 真面目な顔でそう言った。


「へ?」


「あーもう、やめやめ。

 初恋の人として

 楪くんに会えると思って

 会いに来たら、

 とんだ恥晒しに遭いますし、

 咄嗟に芝居を打ってみたら

 ……あまりにも楪くんが

 騙され易すぎて

 馬鹿らしくなってきました」



 はぁーと肩を落として、

 成瀬こと

 初恋の少女みかちゃんは

 俺に背を向けた。



「え? え?」


「まだ分からないんですか。

 今でも楪くんが好きだなんてのは

 真っ赤な嘘。

 

 第一、最近柚子に

 振られたばかりでしょう。

 まあそれも

 楪くんだったみたいですけど」



 言葉選びが容赦ない。


 さすが俺の初恋の人は

 急所を心得て

 いらっしゃるようで……。



「だから、

 天宮さんに告白でも

 なんでもしてきてくださいな。


 自分だって、

 柚子が彼女を好きなことくらい

 分かってましたよ」


「い、いつから……!」



 沸騰中の鍋のように

 顔から熱を発する俺を見て、

 彼女はにやりと笑う。



「楪くんが

 天宮さんのこと好きだって

 気付くより前からです」


「そ、そんな……」



 何もかもお見通しだった上で

 告白してきただなんて、

 みかちゃんはやっぱり初心な乙女では

 なくなっていたようだ。


「あーでも、」


「こ、これ以上まだ何か……」



 完全に女王様に

 弱みを握られた下僕のような

 心境になっていた。



 しかしそんな心とは裏腹に、

 彼女は無邪気に微笑んだ。



「天宮さんに告白できたら、

 結果報告と……

 どうして楪くんが

 柚子になっていたのかの

 事情説明をしてくださいね」


「え」



 俺は彼女に背を押されて

 転びそうになる。


 でもそれは嫌がらせなんかじゃなく、

 不甲斐ない俺への鼓舞だった。 



「ありがとうみかちゃん

 ――それと未来。

 やっぱり未来はいい女だよ」



 俺はそのまま振り返らずに

 丘を駆け下りて行く。


 すぐにでも振り向いて

 その顔を確かめたくなったが、

 それはしなかった。

 情けをかけて

 彼女を惨めな気持ちに

 させてしまわないように。



 背後に涙を流し、

 鼻水を啜る女の子の泣き声を

 耳に受けながら

 俺はスマホを手に取った。


 もちろん声は

 飛ばせないから文字を贈る。



『今すぐ会いたいです』



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