もしも願いが叶うなら


 楽しきデートも終わり、

 告白も未遂のまま夜が訪れる。



 あることに気付いた

 俺は何もし得ない

 自分を苛んでいた。



「っぅう……俺はどうして、

 こんなにも

 莫迦だったんだろう」



 雨戸も下ろして

 カーテンも閉じた。


 そして布団にくるまり、

 枕を泣き濡らす……。


 真っ暗だ、

 部屋も心も頭も何もかも。



 ここ数日俺は泣いてばかりで、

 悩んでばかりいる。


 貴重な高校生活を

 惰眠と泣き伏すのに

 やつすなど愚の滑稽……

 なんてジョークも

 ちっとも笑えない。



 陰惨な俺の心が晴れることは

 あるのだろうか。


 いっそもう男に

 戻れないままでいる方が

 約束も守れない自分には

 お似合いかもしれない。



「そうだ、それでいいや……」



 口の端だけが持ち上がって、

 にへらと笑った。


 きっと今の俺を見たら、

 健志だって神だってもさい、

 と嘲笑するだろうな。



『……約束三つを

 挙げさせてもらうよ。


 一つ目は、

 俺の生活を守ってくれること。


 二つ目は、

 犯罪行為に荷担させないこと。


 三つ目は――』   


『分かりました、

 約束しましょう――』  



「…………え?」


 頭の中で、


「声が……聞こえた?」


 今のって……。



 それは紛れもない突破口だった。


 この最悪に惨めで

 最低な事態を収拾する

 唯一の方法。


 恐らくは、

 現実的には絶対あり得ない

 非現実そのもの。


 しかしそれが、俺には

 ……いや。



「〝私〟には使えるんだ」



 こうしちゃいられない。


 俺は素早く上体を起こすと

 カーテンを引き、

 雨戸を上げた。



 窓の外には

 淡く光る数多の星々が

 地上をぼんやり照らしている。


 こういう星の美しい夜には

 月がいない、新月だ。



 俺は月の光を受けて

 変身する狼男でもなければ、

 ほんの一回だけは

 ただの人間でもない。


 俺は、

 神に恵まれただけの一少年だ。




「神、起きてるんだろ? 出てきてくれ」



 扉に背を向けて言い放つと、

 間もなくキィィという僅かな音が響いた。

 確かめるまでもないが、

 俺はその主に向かって宣言する。



「俺はもう忘れてきた過去から逃げない。

 その責任も罰だって

 ちゃんと受け止めるから、だから……」



 向かい立つ青年は星明かりしかない暗闇の中、

 瞬きすらせずこちらの目を確実に捉えていた。

 鋭く観察し、俺から目を離さない様に

 緊張で胃が縮れそうになったが、

 気後れなんてしない。

 御前に立ったような心持ちで自分を奮い立たせた。



「〝閑柚子〟という

 一人の女の子の願いとして叶えてよ。

 閑楪の初恋である

 みかちゃんに会わせてください……!」



 真正面の陰が揺れる。

 薄闇の中で何かが蠢き、

 得体の知れなさ故に思わず目を瞑ってしまう。


 決意の固さは偽りではなかったはずなのに、

 こう何もかもが闇で

 暗まされては太刀打ちのしようがない。



 その不遜な態度で祈りは

 届けられなかったと思いきや、

 柔らかなものが頬に触れる。



「え……」



 それはけして男の指先などではなかった。

 もちろん、俺の手の質感が

 女らしいほど嫋やかというわけでもない。

 ではどういうことか、

 その答えはさほど難しくもなかった。

 なぜなら触れてきた手の主が男ではない、

 ただそれだけだったのだから。 



「その願い、しかと聞き届けましたよ」



 それはそれは艶やかで、

 今にも呑まれてしまいそうなほど、

 美しく淑やかな女の声だった。


 顔はうすらぼんやりとして認識できない。

 けれど、その顔が自分とは

 似ても似つかないものであることは

 本能的に察せられた。



 しかし頬に触れている手は

 普通の人間の女の手くらいの大きさはある。

 人並みの体温も持ち合わせていた。

 とすれば、ミニマム化した神でもない。


 それじゃあ一体こいつは……誰だ?



「っ…………!!!!」



 双眸が不確定で

 曖昧な目の前の対象を

 捉えようとするが、

 視界が靄らしきもので

 霞んで上手く見えない。


 こわい。


 どれだけ暴論を振り翳し、

 無茶苦茶であろうとも

 神を本気で怖いと

 思わなかったのは

 目の前にいたからだ。



 正体が不詳の存在だと

 認識していたから

 脅威でないと思っていた。


 額に粘ついた汗がへばりつく。


 他にも手が熱っぽい

 湿り気を帯び始める。



「どうされたのですか、

 顔色が悪うございますよ?」



 クスクスと嘲りでも

 見くびりでもない

 笑みを漏らす

 彼女は嫌に不気味だ。


 正体もだが、

 目的さえ分からない。


「……っお前は、一体誰なんだ」


「お前は一体誰なんだ、

 とはおかしなことを

 尋ねられますねぇ

 ……ふふ、可愛い楪」



 相手を小馬鹿にするような

 母音を小さく言う発音方法。


 俺の名前を

 知っているということ。



 それらから類推される

 答えは一つしかなかった。


「お前もしかして神なのか?」


 陰の主がゆらりと揺らめき、

 もったりした布地を

 擦らせる音がする。


 袖を引っ張りあげると

 それで口元を覆い隠し、

 声を押し殺しながらも

 笑壺に入っていた。



「左様でございますよ。

 ボクは女子を愛して止まない

 神ですから、

 もちろんユズの願いだって

 叶えるというものです」



 月明かりも外灯も、

 狙ったように神を照らし出さない。

 

 俺に彼女が何者であるかを、

 その真実を隠さんとばかりに。



「ならどうして、

 そんな暗いところにいるんだよ。


 どうしてこっちに来て

 顔を見せてくれないんだよ……?」


「それは……

 できないというものです。


 ボクは、

 星月夜の薄明かりでさえ

 照らされてはいけない存在。


 本当の私というのは

 ボクよりもより醜悪で

 見聞きするに耐えないのです」



 神が何を言っているのか

 意味が分からなかった。


 だけど、俺の頬を撫でる手は

 限りなく優しかったし、

 震えていたことさえ

 容易に感じ取れる。



「……だからこの私を

 お見せするわけにはいきません。

 たとえ、それが

 楪の願いであろうとも」



 俺はふと思い出した。


 この手が遠い昔に

 触れたことのある手だと。



「だったらさ、

 もし俺が試練を

 クリアできたときには

 お前の正体を教えてよ。


 あ、もちろんどうして

 俺を女体化させたのかもな!」



 にかっと笑って

 GJサインを神に突き出す。


 途端、

 頬を撫でていた手が止まり、

 躊躇うように頬を離れた。


 一体何をされるんだろうと

 ハラハラしていたが、

 それは宙を彷徨い、

 やがて俺の頭の上に着地する。



「……承知しました」


 乗せられた手が髪を揺さぶり、

 くしゃくしゃと乱してくれる。



 本来なら、この年にもなって

 髪を撫でられるのなんて

 嫌でしかないはずだ。


 しかし俺は手から僅かに匂う

 風と草木の薫りに心奪われて、

 そんなことなど

 気にも留めなかった。



「――では、決行の日取りは

 いつにしましょう」


「へ?」


「へ?

 ではありません。

 君が言ったのではありませんか、

 閑柚子として

 願いを叶えてほしいと。


 ボクは、そのために

 呼ばれたのでしょう?」



 すっかり口調は元通り。


 いつもの神に逆戻りしていた。



「……あぁそうだな」



 十二月の第一火曜日からは

 期末テストが始まる。


 最終日は

 第二月曜日の十一日だ。


 今度こそ二の轍は

 踏まないように気を付けたい。



 とすれば、

 来週の土曜日十一月二十五日も、

 もちろん再来週の土曜日

 十二月二日も避けるべきだろう。


 仮初めの身である俺はともかく、

 みかちゃんは

 普通の女子高生だ。


 できるだけ余計な

 気苦労はかけたくないし、

 できれば

 迷惑もかけたくない。



「どうかしましたか?」


「……なんでもないよ。

 じゃあ決行は、

 十二月十六日土曜日で」


「了解です。

 では、それまでに

 心の準備をしておいて

 くださいね?」


 神は俺に背を向けて、

 扉から退出していった。



 枕元にあった

 スマホを手に取ると、

 待機画面に2:24と表示された。


 もうすっかり夜も更けて、

 そろそろ

 朝が目覚め始める頃だ。



 そして俺も

 今度こそ初恋を終わらせて、

 夜明けを迎えよう。


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