懐かしい夢の続き


 ――醒めない夢の終わりを

 見たくはないかい。


 どこかでひっそりと、

 そんな声がした。





 うすらぼんやりとした視界が

 ゆっくりと晴れていく。


 下は芝生?

 景色は高い。


 ここはもしかして、

 思い出の丘の

 公園だろうか……?



『……りくん、ゆーりくん、

 ゆーりくんってば!』



 懐かしいような甲高く、

 甘い声が耳を突き抜けた。



『うわぁっ!!?』


『うわぁっ、じゃないよー。

 今からおままごとだって

 言ったのに……』



 これは夢?


 そうとしか考えられない。


 なぜなら、

 目の前にいるのは

 幾度となく

 再会を待ち侘びた

 初恋のみかちゃん

 そのままだったのだから。


『ご、ごめん』


 謝るにかこつけて

 俺は辺りを見回してみる。



 野花が咲き乱れ、

 蝶や名前の分からない

 虫が飛んでいた。


 ときどき風に揺られて

 草木が揺れ、

 サワサワと心地の好い音を立てる。


 風が匂いを運び、

 青く甘い柏木のような薫りが

 鼻孔をくすぐった。



 そして目の前に広がる

 ミニチュアのような

 家々と青く澄んだ近い空。



 ここはやっぱり

 思い出の丘の公園だった。   



『まあいいよ。


 ゆーりくん、

 おねぼうさんだもんね?


 またよふかしでも

 してたんでしょ』



 びしっと人差し指を立てて、

 名探偵の真似をする

 少女はあどけない。


 そういや名前の真ん中にある

「ず」を上手く発音できなくて

「ゆーりくん」って

 呼ばれてたっけ。



 みかちゃんの顔の

 輪郭は丸っこく、

 目は一重だけど黒目が大きくて

 くりくりしている。


 それから腰まである

 長い黒髪はこしがあって、

 艶やかだった。


 でもやっぱり

 幼年のおぼこさがあって、

 整いきっていない

 顔立ちや短い手足が特徴的だ。



『う、うんまあねー。

 そ、そんなことはいいから

 はやくおままごとしようよー』


『あ、ごまかしたー。

 でもいいや。

 ゆーりくん、ゆーりくんは

〝おっとやく〟をおねがいね』



 みかちゃんは後ろに置いてあった

 リュックサックから

 ピンクの可愛らしい

 レジャーシートを取り出すと、

 いそいそと地面に敷き始めた。



『……?? みかちゃん、』


『なーに、ゆーりくん』


『おっとってなに?』



 幼い俺が尋ねると

 少女はレジャーシートを

 敷くのをやめる。



『ゆーりくんの

 おとうさんと

 おかあさんがいるでしょ』 


『うん』 



 真面目に話を聞いているらしい

 俺はこくんと首を縦に振って、

 続きというのを

 行儀良く待っている。


 それに対し少女は

 もじもじと何かを恥じらい、

 躊躇っているらしかった。



『……みかちゃんどうした――』 


『その!』


 少女は奮起したように

 声を荒げた。


 ぎゅっと固く瞑られた

 目と両の拳は

 勇気を振り絞った

 証かもしれない。



『おとうさんが

 おっとになるんだけど、

 おっとっていうのはね……』


『おんなのひとと

 おとこのひとが

 けっこんしたときの

 おとこのひとのことをいうんだよ』



 少女は頬を真っ赤に染め上げて、

 俺の方を見上げる。


 その仕草は確かに

 乙女のものであった。



『へえー、そうなんだ!

 みかちゃんって

 ものしりなんだねー』



 さて、幼いながらも

 乙女心を無碍にされた

 少女はというと、

 頬を膨らませて目を赤くしていた。




『ふーん……??

 わ、分かったならさっさとしようよ』


『うん!

 みかちゃんのおっとだね!』



 向日葵のような笑顔が眩しい。


 少女は感情を惜しみもなく

 出している。



『っ!!?

 そうだよ、

 ゆーりくんはみかのおっとで、

 みかはゆーりくんのつまなの』



 そう言って握ってきた手を、

 俺は握り返していた。


 そして、とんでもない

 言葉を吐き出すのだ。



『みかちゃん、』


『なーに、ゆーりくん』


 みかちゃんは愛らしく

 首を傾げた。

 幼くてもやっぱり可愛い。



『みかちゃんは

 ぼくのことすき?』


 彼女は茹で蛸さながらに

 顔を火照り上がらせた後、

 もー! と

 泣き出してしまった。


 一度泣き出すと

 抑えが利かないらしく、

 しゃくりを上げて

 ひっくひっく涙を流してしまう。



『みかちゃんどうしたの?』


『ゆーりくんこそ、

 どうなの……?』


 少女は顔を覆っていた手を離し、

 目を擦って涙を拭うと

 俺の顔を見上げた。


『え?』


『そんなこときくってことは、

 ゆーりくんも

 みかのことすきじゃないの?』



 それは誘導尋問のように

 聞こえないでもなかったが、

 まだ小学生にもなっていない

 幼子なら本能的なものだろう。



 十二分に気合いの入った

 少女とは裏腹に、

 幼年の俺は

 ぽかんと首を傾げる。



『うん?

 ぼくはただ

 みかちゃんがすきだから、

 みかちゃんもそうだったら

 いいなぁっておもって、

 きいてみただけだよ。

 ちがってたらごめんね』



 少女は過去の俺

 もとい少年に飛びつき、

 ぽかぽかと拳を殴りつけた。



『ばかばかばかぁ……

 みかだって、

 ゆーりくんがすきだもん。


 でも、しょうがっこうは

 べつべつになっちゃうから、

 やくそくしたくて

〝おっとやく〟をたのんだの』



 だけど少年の俺は

 全然痛みを感じていなさそうに、


『やくそくって?』


 すっとぼけたように

 尋ねてみせる。


 痺れを切らす少女は

 間髪入れず、



『じゅうねんごのきょう、

 またここであおう!』


『??』



 戸惑う少年に構わず

 火のついた少女は

 さらに捲し立てる。



『それでそのときもかわらず

 ふたりともすきだったら、

 つきあおう……!』



 最後まで言い切った少女は

 吹っ切れたように、

 凛とした目で

 少年の答えを待っていた。



『えっと……

 つきあうってなあに?』 



 少女は想定外の返答に

 たじろいでいた。


『つ、つきあうって

 いうのはね……』


『うんうん』


『あなたのことがすきですって

 きもちをやくそくして、

 そばにいることだよ』


『そうなんだね、じゃあうん。

 やくそくしよう、

 みかちゃんじゅうねんご、

 ぼくとつきあってね』


『っうん!!』


  


 幼すぎたことが

 罪だと気付くのは、

 頬に滴る痛みを

 感じたときだった。


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