運命なんて知らない
しかし運命の神様というやつは
実に意地悪で、
ことごとく俺を惑わせてくる。
今日がまさしくそれだ。
天宮さんから言及された翌週、
成瀬に話があると言われて
その週末の土曜日に
二人で会うことになっていた。
彼女から呼び出されて
向かった先は
すっかり寂れて
静寂に包まれた小さな公園だった。
あるのは錆のついた
滑り台とブランコ、
あとは大人一人分の
長さもないような砂場くらいだ。
色がくすんだ雑草は
程良い長さに切り揃えられてあり、
公園として最低限の機能は
果たしているらしい。
足を踏み入れると、
奥に位置する左端のブランコで
成瀬が待っているのが見えた。
俺はすぐにでも
声を掛けようとして、はっと思い留まる。
彼女はブランコに腰を下ろしながら、
大層悩ましそうな顔をして
俯いていたのだ。
唇が微かに動いたかと思えば、
気怠げに溜息を吐く。
という所作を幾度か繰り返した。
見てはいけないものを
見ているような気がして、
俺は彼女に
声を掛けることができずにいた。
下手をすれば
待ち合わせ時間まで
このままかもしれないと
そう思ったときだった。
彼女はおもむろに顔を上げる。
そして俺のことを見つけた。
「柚子? いつからそこに……」
「あはは……」
俺は降参とばかりに
ひらひらと手を振ってみせる。
すると察しの良い彼女は
一部始終を覗き見されていたことに
気付き、頬を真っ赤に染め上げた。
「もう……気付いていたなら
声を掛けてくださいな」
彼女は頬を膨らませながら、
ぶんぶんと手招きをする。
俺は誘われるままに
ブランコの方へと歩み寄り、
隣のブランコに腰を下ろした。
今日の彼女は
モノトーン調を意識しているらしい。
丸襟のワンピースは
白と黒のストライプだし、
髪は編み込みというのだろうか、
それに紺のリボンを着けている。
その大人っぽさから
どことなく
気合いのようなものが感じられた。
「お待たせ」
あえて気さくな感じを
意識してみたけれど、
成瀬はそんな俺のことを
キザだと言って笑う。
しかも笑うと言っても、
口元だけ動かしたような
薄い笑みだった。
「それで……話って何?」
俺は問いを投げかけた。
どんな答えが返ってきたとしても
逃げないように、
ブランコから身を乗り出して。
少しだけ息も止めた。
呼吸の音が彼女の半言半句を
邪魔しないように。
その緊迫感は彼女から見て
相当異様なものに
感じられたのだろう。
唇がおちょこのように窄ませ、
首を傾げさせている。
「どうかしました?
いつもと様子が違うようですが……」
「大丈夫だよ。
そ、そうここ来るのに
走ってきたからちょっとまだ
鼓動が落ち着いてないだけだと思う!」
その誤魔化し方はどうかと思ったが、
彼女はさして気にしていないらしく、
それではと咳払いをした。
「この前は何から何までお世話いただき、
ありがとうございました」
そう言うと
彼女はブランコから降りて、
丁寧なお辞儀をして見せる。
その立ち居振る舞いは
魅せるために
織り込まれた芸のようだった。
「い、いや……
そんな大層なことじゃないよ。
私がしたくてしたことだから、
だから」
過干渉なお節介はトラブルの種だと、
相手の成長を妨げるものだと
教えられたからこそ、
その言葉は苦々しい毒のようだった。
礼を素直に受け容れない俺に、
彼女は「そうですか……」と
目を伏せてしまう。
縮められた肩の細さや
僅かに垣間見える窄んだ口からは
そこはかとなく寂寥感が漂っていた。
自分の事情で
強く言いすぎたと悔いて
声を掛けようとすると、
彼女は「でも」と口火を切った。
「自分が柚子に
助けられたことに変わりはありません。
ただ何かしてくれた
ということに関しては
あづちゃんや立花さんの方が
上かもしれませんね」
だったらどうしてと
口を挟む隙すら与えてくれない。
「でも柚子は、
今の自分でいることを
責めたりはしなかったでしょう?
今を変えずに自分の問題を
解決してくれようと
してくれましたよね。
自分にはそれが
ひどく嬉しかったんです、
今の自分を
恥じるべきものでもなく、
悔いの対象でもないと
言ってくれたみたいで
――認めてくれたような
気がしましたから」
それが救いだったんです、
と彼女は言った。
躊躇うことも、
恥じらうことも一切なく。
真っ直ぐに俺だけを
見つめるような眼差しで。
契機をものにし、
自分自身の意思で
心を変革させた彼女。
俺には眩しすぎて
目が眩みそうだ。
「私は、そんな
素晴らしい人間じゃないよ。
未来が頑張ったんだから、
その努力を過小
評価するのはやめてあげようよ」
それはもう、許しを
乞うような掠れた声だっただろう。
弱々しくて
聞いていられないような
痛々しさに満ちていたはずだ。
しばしの間、
二人の間に沈黙が流れた。
秋空の下、
真昼と言えど
イチョウがゆらゆら舞い落ちる
この季節は
身体を震わすような風が
突然吹き付けてきたりする。
沈黙を破ろうか破るまいかと
頭を悩ませながら、
俺は辺りを囲う
イチョウの木々から
黄色い葉が降るのを見ていた。
ふらふら、ふらふら
行く宛てもなく彷徨っては
落ちていく様は
まるで誰かのようだと
感傷的な気分にさえなったほどだ。
それから、ひゅーと
木枯らしが吹き付けて
俺の頬を撫でるのと同じ頃に、
彼女の手が俺の頬に触れる。
どうしたのだろうと思って
そちらへ顔を向けると、
今までにないくらい
張り詰めた
顔付きでこちらを見ていた。
「ねえ柚子」
けれど一変して、
しおらしく上品な
――まるで淑女のように
優しい音色と笑みが
俺の心をざわつかせる。
「――柚子、あなたが好きです」
「えっ、ど、ど、
ど、どういう……?」
俺は言葉を詰まらせた。
だって生まれてこの方
告白なんてされたことがないんだ。
女子に好かれるなんて、
女子の姿で告白されるなんて
思いもしなかったから
――どう答えたらいいか
分からない。
そういう気持ちが
顔面に表れていたのか、
成瀬はふふっと笑って
諭すように言う。
「恋、という意味ですよ。
友達じゃない好き……
分かってくれますか?」
それは子どもに
物を教えるような
優しい口調だった。
穏やかな表情。
視界の片隅に映る彼女の手は
微かに震えていた。
――好きな人に告白する。
ただでさえ勇気がいるものなのに
同性となれば、
どれほどのものになるのだろう。
弱虫な俺には想像もつかない。
言葉すら吐き出すことに躊躇して、
首を縦に振った。
「そうですか、
ありがとうございます。
それで、気色悪ければ
引いても構わないんですが
……答えてほしいんです。
柚子が好きです。
それも恋っていう
厄介なものに落ちてしまったから、
独り占めしたいし、
交際したいんです
――返事、いただけますか?」
こんなときでも
気丈に振る舞う彼女は
綺麗だと思うし、いじらしい。
だけど、でも俺には
――決められた相手がいる。
「ごめん。
未来と付き合うことはできないよ。
でもそれは、
女同士からとかじゃなくて――」
「好きな人、いるんでしょう?」
「っ!!?」
彼女の指摘で体中の熱が
頬に集まっていく気がした。
遂げてもいいかすら
分からないこれをそう呼んでも
いいかさえ分からなかったから。
「……それは、
私にもよく分からないよ。
ただ、
心に決めた人はいるから
……ごめん。
でも、
告白してくれてありがとう
――好きになってくれて、
ありがとう」
本当に分からなかった。
どれが恋で
どれがそうじゃないのかさえも、
分かっては
いけないような気さえする。
俺は腰から背を曲げて、
深々と頭を下げた。
そうすることが、
彼女の気持ちに向き合えないことへの
精一杯の誠意だと思ったから。
「そう、ですか……
でももし、自分の気持ちが
何なのか分かったら
ちゃんと告白するんですよ。
でなきゃ、諦め切れませんから」
彼女の口元は
やや引き攣っていたけれど、
決して涙を見せるような
真似はしなかった。
そのいじらしいまでに
気丈な様が可愛いと
思ってしまったのは、
浮気心と数えられるだろうか。
そして俺は――
誰を好きだと言えばいいんだろう。
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