美少女から求められる


 今週の木曜日に中間テストがある。


 俺のクラスは大半が

 非大学進学希望者であるために、

 テスト勉強に対する意識は低く

 学力もあまり高くない。

 クラスの平均点は

 毎回底辺争いをしているほどだ。


 とは言え、それなりにテスト前の

 独特な緊張感というのは漂っていた。


 その証拠に昼休みであるというのに、

 お喋りもほどほどに

 教科書とノートを用いて

 友達同士で問題を

 出し合っている者が半数だ。

 とは言っても、

 お喋りの延長戦であるが故に

 脱線することもしばしばだが……。



 俺たちのグループも

 例に漏れずそれだった。



「じゃあ、問題①:

 枕草子の作者は?

 ――はい、ほのちゃん」


 回答用マイクのように握られた

 拳を突き出されて、

 立花さんは首を傾げる。


「えーと……和泉式部?」


 出題者の天宮さんは纏められた

 ノートで口元を隠しながら、

 にやにやしている。


「ぶっぶー。それは……えーと

 何の作者だっけまあいいや。

 正解は清少納言でしたー。

 だけど和泉式部の方が

 知名度低いよね?

 どうして知ってたの?」



 早速脱線の予感しかしなかったが、

 俺の注意というやつは

 天宮さんの出した

「ぶっぶー」という

 可愛い口の窄め方に向けられていた。


「んーせやねー……

 漫画のキャラで色っぽいキャラとして

 描かれてたからやと思うわ」


「あーそれあたしも知ってるけど、

 ちゃんと清少納言が

 枕草子の作者だって語られてたよ?」 


 もーしっかりしてよと

 天宮さんは立花さんを窘める。


 立花さんはにまついていて、

 そうされることが

 まんざらでもないようだった。


 ……まるでリア充の会話を

 見せつけられているみたいだ。

 うぅ、俺だって混ざりたい……。


「天宮さ……」


 そう言いかけて口を噤んだ。

 

 同じく、

 笑い合っていた

 二人の笑い声さえ止んでしまう。



 俺たち三人の間に静寂が流れたのは

 目の前に一人の女子生徒が

 立ちはだかったからだ。

 見覚えのある、

 あのピンクブラウンの

 巻き髪を揺らして。 



「柚子、未来のグループに入りなよ」



 そう命令口調で言い放ったのは

 成瀬未来だった。


 相変わらず学校では

 濃いメイクを続けているらしく、

 マスカラやアイライナーで

 ぐりぐりに書かれた目元、

 グロスで艶めいた唇。

 首には

 黒レースのチョーカー。

 そしてお決まりの高露出。

 絵に描いたようなギャル娘だ。



 唐突の登場から

 俺の名前が出されたところで

 二人の注意はこちらを向いた。


 友達になるとは言ったし、

 助けてもらったけど

 ここまで干渉してくるだなんて

 思わなかった。

 彼女自体は嫌いじゃない。



「な、成瀬さん? どうしたのかな?


 急にそんな、

 グループに入れって言われても困るよ」



 だけどここでは、二人が優先だ。


 しかし彼女はそんなことなど

 お構いなしといった様子で

 腕組みをしながら聞いていた。

 二人で話すときとはまるで空気が違う。

 威圧感というものが

 ぴしぴし伝わってきて不快だ。



「未来のグループさぁ、空気読める奴とか

 あんまいなくて~。

 そんで、転校してきて

 一ヶ月もしないうちに

 融け込んでたあんたに

 グループ入ってもらいたい、みたいな?」



 やけに抽象的で真意も伝わってこない

 彼女の話を聞いて、俺は密かに落胆した。

 ――せっかく理解できたかも

 と思っていたのに。

 こんな子だったなんて。

 先日のデート中のような

 淑やかで自分に素直な

 女子はどこにもいない。


 それをようやく受け容れて、

 一息吐いて断りの言葉を入れようとした。


「そんな理由で私は――」


 しかし、



「……ダメ。

 柚子ちゃんは渡さない」



 その二言で俺の声は

 掻き消されてしまった。


 女子の姿でも俺の背丈はそこそこ高く、

 女子の平均身長は優に上回っている。

 それは成瀬も似たようなもので

 俺と大して背は変わらない。

 そんな成瀬が

 立ちはだかる前に対抗して

 彼女の行く手を立ち塞いだのは

 天宮さんだった。

 天宮さんはどう見ても

 俺より数センチは低い。

 加えて華奢っぽい彼女が

 豊満ボディの成瀬の前に立つと、

 仔犬が獅子に挑むようだった。



「あ、天宮さんそれなんか彼氏みた……」


「……ダメなの?」



 俺があわあわしながら指摘すると

 彼女は途端に耳をへたらせて、

 寂しそうに口を窄める。


「だ、ダメじゃないよ」


「ホント!?

 じゃあ……あたしのことも

 奏って、呼んでね」


「え、えっとそれはちょっとさすがに……

 恥ずかしい――」


「……ほのちゃんが

〝しず〟って呼ぶようになったとき、

 あたしも柚子ちゃんと

 名前で呼び合いたかったの」



 むぅぅっと眉間に皺を寄せ、

 俺は何を言われるのか肝を冷やした。

 緊張感が漂う中、

 彼女は深い溜息を吐いて、


「柚子ちゃん」



 真剣な眼が俺を捉える。


「は、はい」


「お願い、

 名前で呼んで……?」



 と、意識的なボディタッチが

 下手くそな天宮さんが珍しく

 ぎゅっとしがみついてきた。

 首元に腕回して目瞑ってるし

 ……お持ち帰りして抱き枕にしたい。



「か、奏ちゃん……」


 成瀬の名前を口にしたときよりも

 高鳴る鼓動、火照る頬。


 それらは俺の中での

 女子の優先順位を

 覆しかねない感覚だった。


 そんなことに気付かせた当の彼女は

 名前を呼ばれただけで

 相好を崩している。


 これだから天然は……

 無自覚の小悪魔には抗う術もない。

 もう降参だよ、

 と俺は心の中で両手を上げていた。

 しかし……。



「ねぇ……柚子ちゃんは

 あたしのこと、〝好き〟?」


「ふぇっ!?? ゃ、ぁの、その……」



 急遽提示された問いかけは鬼畜だった。

 その言葉の意味の解釈も、

 答える行為そのものさえも。


 だから俺は慌てふためいた。



 けれど天宮さんはそれで

 許してくれるほど甘くはなくて、


「答えてくれないと…… 

 ずっとこのままだよ?

 離してあげない」


 と抱き締めてくる。


 ついさっきのやりとりが

 無自覚だとしても

 これはさすがに……と

 全身が浮つくような

 うずうずに襲われたものの、

 同性間の問いとしては

 さほどおかしくないことに気付き、

 俺は理性と沈着さを取り戻した。



「……うん、スキだよ。

 友達の中で一番、かな」



 嘘じゃない。

 たとえ、今俺の想う相手が誰であろうと。


 なのに、天宮さんは顔色を翳らせて

「そっか」と作り笑いを浮かべる。


 どうしたのだろうと

 それに気を取られていたら、

 彼女は俺の耳元まで

 顔を近付けてきていた。



「……じゃあ、一緒にいてほしいな。

 だから、いかないで

 ――いっちゃやだ」



 その言葉は甘えたで、

 懐かしい響きを持って

 俺の脳に侵入していった。

 吐息混じりのウィスパーボイスが

 鼓膜に木霊する。


 甘くて艶めかしい。

 舌と唾液の跳ねる音がする

 蠱惑的な囁き。

 鼓膜が呑み込んでしまいそうなほどの

 淡くて儚い吐息。


 これはもう洗脳の領域だろうと

 思ってしまうくらい

 ――蕩けそう。



 対して、腕組みしながら

 高圧的な態度を取る成瀬。

 天宮さんから依然として

 その場から動こうとしない。

 むしろ悠然と、鼻先で嘲笑うように

 俺たちのことを見下ろしていた。


 俺は成瀬に

 明確な答えを出すべきだと思って、

 改めて口を開いた。



「未来ごめん、

 やっぱりそれはできないよ。

 私は二人と過ごすのが大好きだし、

 そこに健志や楪が混ざるのも

 好きなんだ……だから、

 私は未来のグループには入れない」



 成瀬はきょとんとしていた。

 断られるとは

 思っていなかったかのような顔だ。


「っ……!!」


 彼女は唇を噛み締めて、

 踵を返すと何も言わず

 走り去ってしまった。


 台風一過の静けさの中俺は口火を切る。



「一体何がしたかったんだろう?

 本気でグループ

 勧誘してきたとは思えないし……」



 そうであったとしても

 全力でお断りするだけだ。

 俺にギャルグループは辛すぎる。



「なあしず、さっきの成瀬

 なんか変な感じやなかった?」



 眉間に皺を寄せた立花さんが

 俺の肩にそっと手を乗せる。


 そう言われてみれば、

 ギャルの彼女としても

 立花さんのトラブル以外で

 表立って俺に

 干渉してきたことはなかった。

 そう考えれば

 おかしいというのも肯ける。



「いや……しずが気付かんかったら

 勘違いなんかもしらんけど、

 なんか追い詰められてる

 みたいやったから」



 息継ぎをするようにして

 彼女は息を吸い込んだ。



「まぁ、話くらい聴いてあげたら?

 もちろん、成瀬の

 グループに入るのはなしやで。

 それは奏はもちろん、うちも嫌やからさ」



 分かったと答えて、

 俺は成瀬の後を追った。


 相も変わらず立花さんは

 いい女すぎて都合良く

 使われないかが心配である。

 


 教室を出て辺りを捜索すると、

 成瀬は近くの踊り場に座り込んでいた。


 声を掛けると、

 押し殺していた感情が溢れ出たように

 うわぁと俺に抱き着いてくる始末だ。

 俺が泣かせたのかと思いきや、

 それから続けざまに

 口にしたものは確かにSOSだった。


 そんな彼女に俺はこう言った、

 家においでよと。



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