さぁさぁ、復讐だっっ

 

 初瀬えれなは茶道部部員。


 そして茶道部は

 毎週火曜日と木曜日に

 作法室にて

 部活動が行われるという。

 中でも火曜日は

 外部から講師がやってくるため、

 解散時刻は十七時頃という

 健志からの報告も上がっている。



 そして本日十月三日は火曜日。


 これはもう作戦決行しろという

 神の思し召しとしか思えない。



 放課後の十六時前、

 俺は着々と作戦決行の準備を進めていた。


 最後の準備も終え

 俺は図書室の椅子に腰掛け、

 本を手にする。



「さあ、

 ショータイムのお出ましだ」



 俺は神と立花さんに

 作戦決行の合図に

 LINKへメッセージを送信した。



『こっちは教室に潜入中、準備万端です。

 いつでもどうぞー』



 と、神からの返答。



『2-4教室前でうろついてるで。

 これでいいんやんな?』



 という立花さんからの返信もあり、



『うん、そうだよ。

 そのまま待機してて』



 瀧川への餌は既に蒔いてある。

 立花さんにも

 打ち合わせしていることだし、

 手筈は整っている。

 あとは瀧川が

 やって来るのを待つだけ……



『あーあー電波テス、電波テス。

 ユズ、聞こえますぅ?』



 男のぶりっこ声、

 それも中音で自分の声質そのものだ。

 苦痛ったらありゃしない。



『あ、聞こえているようですね。

 なら今度はユズの方から

 何か言ってみてください~

 もちろん、脳内で喋るんですよぉ~』


『う・ざ・い』



 俺は腹の底からそう思い浮かべた。

 心の中で独り言を呟く感じと言った方が

 分かりやすいかもしれない。



『大丈夫そうですね~

 では、ユズもそのまま

 ――図書室待機でお願いします』



 なぜ教室前ではないのかというと、

 瀧川に怪しまれると考えたからだ。

 彼に気付かれては作戦が台無しになる。

 その分図書室は

 2-4教室前の廊下を突き当たって

 すぐに位置しているため、

 駆けつけやすく見つかりにくい。



『ああ分かってるって。

 そっちこそ、中継頼むよ』


『もっちろんですとも!

 こ~んな面白い実況をふいにするなんて

 もったいなくてできませんって!!』



 むふふ、という

 彼の歪な笑い声が頭に残った。

 相変わらず性格の悪いことだ。


 今日の流れとしては、

 まず瀧川を立花さんが呼び出し、

 二人っきりの場所で話をさせる。

 その後浮気について言及して、

 反省の余地があるようなら

 罰を軽減し、

 更正に導こうという話だ。


 反省の余地がないようなら……



『お、来ましたよ!

 瀧川と立花さんが中に!!』



 その省略の仕方は

 いかがなものかと思ったが、

 とりあえずまあいいだろう。

 瀧川がやって来たというなら

 作戦が動き出すのだから。



『えとー早速立花さん、

 浮気についての

 言及始めてますね~どうします、

 会話を直接聞いてみますか?

 その場合、口答で伝わらない分を

 ボクが補うという形になりますが』



 おそらく脳内電波と

 会話の声が混ざり合って、

 相当混沌と化してしまうだろう。

 しかし、



『うん、そうしてほしい。

 立花さんに判断を委ねるのは怖いし、

 その場の空気で流されかねないからね』



 彼女は言った「別れたい」のだと。

 こんなにも気持ちを踏みにじられて、

 許せるはずがない、と。


 だから報復計画にも快諾した……。



『それもそうですね、

 ではお繋ぎします――』



 さしもの神と言えど万能ではない。

 だからこれは神が

 盗聴している音声を

 俺に送りつけるだけにすぎない。



 ざざっと

 砂嵐のような音が頭で響く。

 それから次第に晴れていく霧のように、

 声がぷつぷつと

 聞こえてくるのだった――。



『――から、それは違うんだって』


『何が違うんよ!

 実際うちの友達が見たんやで、

 龍二と初瀬さんが

 腕組みながら歩いてるの。

 しかもそれ、

 ホテル街の近くだったらしいし……』



 彼女の言葉の終わりに

 鼻を啜るような音がした。

 もしかしたら泣いて……?



『ええ、泣いていますよ彼女。

 涙を止めようとしてますが、

 止めようとすればするほど

 涙が溢れ出しているようです。

 ……なんだかんだ言って、

 本気で惚れ込んでいるんでしょうね』



 神の声は儚げに、

 そして切なげに響いた。

 それは愚かな彼女を

 愚弄するようでもあったし、

 嘲るようでもあったけれど、

 決して憐れみは感じられなかった。



『穂乃花…………』


 それに対し、

 瀧川の立花さんへ同情を抱くような声音。

 ここからどんな台詞が

 繰り出されるのか

 想像しただけで反吐が出そうだ。



『俺が悪かった』


 当たり前だよ。


『つい、魔が差しちまったんだ。

 本気じゃない、

 本当に心から愛してるのは

 お前だけだ、穂乃花……』



 本当に、とか、心から、とか、

 愛してるとか、そういう単語を

 浮気言及の場で持ち出す輩に

 ろくな奴はいない。

 本当にとか、

 心からを強調する意味とは何だ?

 好きな人が一人だけなら、

 本当、心からと

 取り繕う必要はないはずなのだから。


 後に続く

「お前じゃなきゃダメなんだ」

 という口説き文句も

 巧言令色極まりなくて、

 なんて薄っぺらいのだろうと

 悲しくなってくるほどだった。



『たき……糞川が

 彼女の肩に触れました。

 彼女はまだおそらくまだ、

 平常心を取り戻せていないはずです。

 だからきっと――』


『言わなくていいよ』



 神の言葉を遮るように放たれた

 俺の言葉で神は口を閉ざした。


 脳内電波を拾う

 耳を塞ぎたいくらいだ。


 彼女はきっとダメだと

 分かっていながらも

 その手を取ってしまうのだろう。

 彼の言う真実の愛が

 目の前のご馳走を食すためだけの

 餌だと知りながら……。



『んんっ??』


『どうした神』


『いやぁ~そのぉ、

 彼女が糞川に接近させるのを

 許していたところまでは

 想定内だったんですけどね……』



 神は何やらしどろもどろ

 と言った具合に言葉を濁した。

 核心的な一言を告げることを

 渋っているように思える。



『なんだよ、神。

 言ってくれなきゃ分からないだろ』


『いえ、まあ言って

 差し支えることはないんですが

 ……これ以上誤魔化しても

 仕方ないでしょう。

 ――彼女が、糞川の唇を指で止めて、

 ただ冷ややかに言い放ちました』


 勿体振るような、

 まるで御伽噺の語り手のような

 神の物言いに痺れを切らし、

 答えを急かそうとすると、



『〝初瀬さんとはキス、したの?〟と。


 それはさながら

 聖母のような慈悲深い笑みであり、

 自己犠牲を厭わない

 自嘲的なものでした』



 指先で止めた唇。

 吐き出すは、 

 責めでも自己防衛でもない問い掛け。

 そこで浮かべられた笑みを、

 もし俺がこの目で見ていたなら

 きっと……。



『……それで、

 瀧川はなんて答えたのさ』



 怒りを押し殺す俺に対し、

 神は比較的冷静で淡々としていた。



『一瞬は狼狽えましたが、

 面映ゆそうに頬を赤く色付け、

「しようとしたけどできなかった」

 と答えましたよ。

 恐らくはキスする寸前に

 拒まれでもしたんでしょう』



 それは場面が違えば、

 きっと美しく

 賞賛的なものになっただろう。

 しかし今それをするのは、

 ただ彼女を深く、傷付けてしまうだけだ。

 身も心も心の随まで毒してから、

 痙攣させられるかのようだよ。



『ははっ、そっか……

 じゃあさ、もういっかい、繋いでよ』


『……いいんですか?

 きっと反吐が出て、

 糞川の局部を木っ端

 微塵にしたくなりますよ?』



 いつもなら俺への気遣いが

 癪に障ってしまうところだが、

 今はそれどころではなかった。



『それでも。

 神は潜入するために

 ミニマム化してもらってるから、

 トイレかどこかで

 変身してからじゃないと

 助けに入れないでしょ?

 それなら俺が駆けつけた方が早いよ。

 それに多分、こういうのは

 男子の姿じゃ意味がない』

 

 もし仮に神が

 助けに入ったとしても、

 お前にも男がいたんだから

 おあいこだろと言われてお終いだ。


 それじゃあ意味がない。


 瀧川に自分の犯した

 残忍さを戒めなくては。 



『……分かりました。

 もう一度お繋ぎしましょう。

 しかし覚悟してくださいね、

 本当に聞くに堪えませんから…………』



 平生はふざけたり、からかったり、

 相手を苛立たせるために

 言動しているような神が

 掠れるような声を出した。

 もう、言葉だって発したくないのに

 それを無理やり捻り出したような

 雰囲気が感じられる。



『大丈夫だよ。

 いざとなったら駆けつけて

 蹴り上げるから』


『……勇ましい限りですね。

 それではお繋ぎ致しましょう――』



 再び砂嵐が鳴く。

 それは立花さんの心を表すがごとく。

 霞が晴れていくように

 明瞭になっていく中で

 初めて聞こえたそれは、


『龍二、

 うちと別れてほしいねん』


 という別れの言葉だった。

 これは一体。



『…………は??

 お前、何言って……??』



『もういっぺん言ったるわ。

 龍二、あんたみたいな

 下半身分離野郎とは別れたいねん』



 ――これは確かに聞くに堪えない。

 ある意味で。

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