推しから迫られるときの気持ちと言ったら、


 立花さんとの不仲を知った健志は

「週末、お前がよろこぶとこへ

 連れてってやるよ」と言ってきた。


 それはまるで

 恋愛ドラマの一節のようだったし、

 落ち込んでいる俺としては

 全うに嬉しさを感じたのだけれど、

 あまりに健志がしたり顔を

 浮かべるので感謝よりも

 罵倒が口を吐いて出た。



「健志、

 ちょっと顔がやかましいよ」



 言葉にしてしまってから

 失礼なことをしたと思った。

 せっかく気を利かせてくれたというのに、

 俺ってばつい本音が……



「か、顔がやかましい??

 つ、ついに顔面も

 いじられるようになったか、

 ぐふふふふ////」



 マトモな人間の様相を

 取っていたはずの

 彼の顔はもうない。

 あるのは欲望に塗れた変態ドM野郎の

 アヘ顔くらいだった。

 顔面の無駄遣いでは

 ないだろうか。



 ……良かった。


 というか

 心配するだけ杞憂だったな。



 当日、二人で目的の場へ向かうと

 俺は久しぶりに目にする

 それに興奮を覚えていた。


 ブースごとに仕切られた

 天井の高い会場。

 しかもあちらこちらに

 とあるゲームキャラや

 アニメキャラのコスプレをした

 コスプレイヤーと呼ばれる

 人たちが闊歩する。

 ある一定のブースにできた長蛇。

 市販されているものよりも

 二回りは大きく、薄そうな冊子。


 そしてひしめき合い、

 各会話が成す騒音ノイズ。


 そうここは――同人即売会だ。



 感動にも似た眼差しで礼儀程度に、

 どうしてここを選んだのか

 という視線を送ってみる。

 すると健志は莫迦にしてんのか

 とでも言わんばかりに

 ふんっと鼻で笑い、



「そりゃあ、

 デートって相手が行きたいところに

 連れて行くもんだからだろ」



 全くもう、と溜息を吐いて

 健志はふいっと顔を逸らしてしまった。

 しかし、デートなんて初耳だが。



「そうか、マジで元気出たよ

 ……その、サンキュな」



 素直な感謝の気持ちを口にすると、

 健志は心ここにあらずで

「何か言ったか?」

 という風に装っていたが、

 彼の耳が真っ赤に染まっていたのを

 俺は見逃さなかった。



「そ、それより早くしねーと

 限定ドラマCDの頒布が

 終わっちゃうだろ……

 つーわけで、ここから別行動な。

 今から三時間後に今いる

 東出入口前に集合。それじゃ!」



 健志はそれだけ言い残して、

 しゅばばばっと走り去ってしまった。



 ……なんだろう、

 気を遣ってくれたのか

 自分がそうしたかったのか

 どっちか分からない奴だ。


 とりあえず、

 健志が俺をここに来させたい

 と思っていたらしいし、

 それはつまり俺の

〝俺の好きなもの〟が

 ここにあることを意味しているわけで。


 俺は入場時に配られた

 館内マップにざっと目を通してみた。



 結構色んな

 同人サークルが入っており、

 その大半が二次創作ものだった。

 それも悪くないが、

 大概がR18ものだったりするため

 手が出せない。

 そういうけじめは付けるタイプなのだ。

 そうすると

 自動的に創作系に絞られて……



「んんん?

 あったぁぁあああああ!!!」



 周囲の人間が

 一斉に俺に視線を向けてきた。

 しまった、やらかした。



「すみませんすみません」



 へこへこと頭を下げると、

 周囲はまた何でもなかったように

 列を作ったり

 競歩で移動したりし始める。


 俺の心を震わせたのは

 地図に載っていた

「華樂」の名だった。



 今更だが、

 華樂は俺と健志が愛してやまない

 ギャルゲー

「幼馴染みだって知ったら

 萌えられませんか?」

 通称「幼萌え」を発表したサークルだ。



 ゲームの概要は、

 その作中に登場する

 昔約束した初恋の女の子を探しながら

 恋愛するというものだ。


 ヒロインは三日月東子、

 三島梨花、三木凛子、三条雪乃、

 葵三香の計五人が攻略対象となる。


 その華樂が出店しているのだ。


 そうとあれば

 そこへ向かうしかない。

 地図によると、

 出店場所は西口付近の

 壁サークルの右隣だった。


 近付いていくにつれ、

 華樂のサークルに

 綺麗な女子が店番を

 していることが分かってくる。


 その横顔は端麗と表するほどに

 清廉で見るからに上品な感じだ。

 歳は……俺よりも何歳か

 年上くらいだろうか。

 そう思わせるくらいに

 落ち着き払っていた。

 耳下で結われた髪は

 黒髪の清楚さを引き立てている。

 メイクもすっぴんを思わせる

 自然さだった。

 けれど、胸元だけ張り詰めた

 茶色のブラウス、

 スカートの折り返し部分には

 むっちむちの胸がのし掛かっている。

 つまりけしからん。



 つい唾を飲んでしまうほど

 興奮を覚えてしまったが、

 次の瞬間目に映ったものは

 それを凌駕してしまった。


「幼萌えの

 afterstory版だって……!?」



 しかも夏休み期間の収録だ。


 パッケージに描かれていた

 ヒロインたちは

 それぞれの水着を着用して、

 こちらを向いていた。



「これください!」



「はい、お買い上げ

 ありがとうございます。

 今回、先着購入者の特典として

 ポストカードを差し上げていますが、

 どれに致しましょうか」



 美人の売り子さんは

 ポストカードの

 サンプルシートを見せてくれた。


 ポストカードは全十種類、

 各キャラ二枚ずつ

 別の物があるようだ。

 水を滴らせたエロ水着姿と

 うなじと鎖骨のチラリズムが

 たまらない浴衣姿、

 どちらを選ぶべきか。

 迷うまでもなかった。



「東子ちゃんの

 浴衣姿のやつでお願いします!」



 ちと興奮気味でそう答えると

 なぜか売り子さんは

 笑壺に入ってしまったように、

 からからと笑い出した。



「お客さん、

 十種類もあるのに即答するなんて

 ……よっぽど東子ちゃんが

 好きなんですね」


「そりゃあもう!

 大好きですよ!!

 昨日も東子ちゃんとデートしましたし!」


「ふっ……

 それはそれはありがとうございます。

 ところで、

 東子ちゃんの水着姿もあったのに

 浴衣姿のものを選ばれたのは

 なぜか訊いてもいいですか?」



 こんな(傍から聞けば)

 やばい発言をしているにも関わらず

(しかも見た目は女子)、

 売り子さんはちっとも

 引いていなさそうだった。

 むしろ、にこつきながら

 ふんふんと真剣に耳を傾けてくれている。



「だって……全裸の女子よりも

 彼シャツとか着て、

 恥じらってる女子の方が

 可愛くないですか?

 理屈で言えば、そんな感じですね。

 まあ、隠された色気の方が

 そそられるっていうか……」


「お客さん、見かけによらず

 むっつりさんなんですね」



 売り子の美人さんは

 格好いいですねとでも言いそうに

 爽やかな笑みを

 浮かべながらそう毒吐いた。

 その仕草にはどこか

 愉悦めいたものを感じた。



「まあでも、

 そういうの分かりますよ。

 だって自分も好きですから、

 エッチな場面に遭遇して

 恥じらってる女の子、堪りませんよね」



 まさか女子でも俺の考えを

 理解してくれる人がいるとは

 思わなかった。

 もう興奮が治まりそうにない。



「そうそう!

 特に、リン音先生の

 イラストがやばっくて。

 ただエロいんじゃなくて……

 それこそさっき言ったみたいに

 チラリズムとか見られる側の

 恥じらいとか表情とかが、

 生々しいけどグロくなくて……

 つまり、天然エロカワで最高です!!」


「…………」



 売り子さんの方から

 振ってきた話題だったのに、

 俯きがちになって

 急に黙り込んでしまった。



「どうしたんですか?」



 彼女の様子を窺っていると、

 その頬は僅かに赤みを

 帯びていることに気付いた。



「それ――なんです」



 売り子さんは

 何かを決意したようにさっと顔を上げる。

 その目は潤んでいて、

 上気した肌が妙に艶めかしかった。



「え、なんて言いました?」


「それ、私です。

 リン音って私のペンネームなんです」



 彼女はそう言うと

 次第に頬を赤らめていく。



「マジですか!?

 あ、あの、お……じゃなかった。

 私、リン音先生の

 ファンなんです!! 

 あ、あ、握手してくれませんか?」



 だいっっすきな絵師さんに会えて、

「幼萌え」を語らい合えて

 いただなんて幸せすぎるのだが、

 それ以上に得られるかもしれない

 好機に目が眩んでしまったのだ。

 けれど、売り子さんは

 嫌な顔をするどころか

 俺の手をぎゅっと掴んできた。


 そのシチュエーションは

 ギャルゲーさながらで、

 頭がおかしくなったのか

 と疑わずにはいられない。


 俺がこんなギャルゲーみたいな

 イベントを生身で

 経験できるわけないのに

 と目の前の現実を否定するが、

 やっぱり人肌だけは確かなようだった。



「よ、良かったら、

 じ、自分の友達になってくれませんか?」



 それから二つ返事で快諾した

 俺はその場で

 即LINKを交換した。


 そしてそのとき表示された

『未来』という名前を見て、

 俺はようやく既視感というものを

 覚えたのだった。



「成瀬未来」彼女はクラスメートだ。



 それを指摘すると、

 恥じらうように頬を染め、

 それでもなお嬉しそうに

 口元を綻ばせるのはやめなかった。



「はい、閑柚子さん」と。



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