神からの第一指令




 一時間目の授業の始まりを告げる

 鐘の音が鳴り、

 俺はようやく怒濤の質問ラッシュから

 解放された後の授業は

 ある意味いつも通りで

 眠気ばかり誘うものだった。



「――今日はここまで。

 携帯は触ってもいいけど、

 チャイムが鳴るまでは外に出るなよー」



 生徒たちは先生の話を

 聞いていないのか

 そもそも騒ぎすぎて

 聞こえていないのか、

 何にしても

 授業が早く終わったことに

 はしゃいでいるようだった。


 うちのクラスは

 大学進学希望者が少なく、

 大半は専門学校や短期大学への

 進学希望者が占めているせいか

〝チャラい〟と呼ばれる生徒が多い。

 学年全体で

 三割に満たない男子でさえ、

 パーマやらカラーやらをかけて 

 見目を美しく装い、

 女子の七割は化粧をしていて

 他クラスに比べて

 ギャルっぽい雰囲気は拭えない。


 つまり俺のようなオタクは

 居辛い場所であるというわけだ。

 しかし女子となった今は

 別の意味で居辛い。

 矢継早に投げかけられる質問に

 答えていくのもそうだし、

 質問の内容もくだらなかった。


 俺が恋愛に

 積極的になれないのは

 そういう事情も

 関係しているかもしれない。

 三次元の女子があまりに

 理想離れしすぎていて、

 そういう対象と

 認識できなかったのだろうか。


 どちらにしても、

 もう昼休憩は御免被りたいけど

 ……そんなちょっと

 失礼なことを考えて俯いていたら、

 ポケットにある

 スマホが微かに振動した。

 相手はどうやら神らしかった。



『教室の左端の最前列で

 一人本を読んでいる女子に

 声を掛けなさい、これは神命令です』



 文面から神のドヤ顔っぷりが

 伝わってきそうだ。


 こっそり隣の神へ目配せすると、

 これみよがしに

 あざといウィンクとアイコンタクトで

「さっさと行きなさい」と云われた。

 殺気ではないが

 呪いの前触れのような不穏さを感じて

 俺は直ちに立ち上がる。

 それはもう一種の

 強迫観念だったように思う。


 立ち上がった俺は

 ブリキの人形のように

 ぎこちない歩みを見せて、

 指定された席へと向かう。


 彼女の前に立つと、

 その傍から胸に重圧みたいな

 緊張感が走ってきて、

 息が詰まりそうになる。

 顔も火照って、

 もしかしたら目も

 潤んでいたかもしれない。


 ただ俺はそれほど

 女子とのコミュニケーション

 障害にあるわけではないのだ。

 しかしそれならなぜ緊張するのか、

 答えは簡単だ。



「あっ、天宮さん……

 もし良かったら、私とお昼一緒に

 食べてくれませんか?」


「えっ……あたし?」



 言われてようやく

 俺の方を向いた彼女。


 肩の辺りに揺蕩う黒髪。

 その面差しは

 どこか幼さを思わせ、

 透明感のある

 ピンクっぽい白肌をしている。

 顔立ちは至って

 純和風な日本人顔。

 なのに近寄りがたく、

 サクランボのような唇が

 怪訝そうに

「んー……」と結ばれている。



 ――その相貌に

 俺は心惹かれていた、憧れの人だ。



「うーん……まぁ最近は――

 ちゃんと

 約束してるわけでもないし、

 いいのかな。

 それにどうせ今日も…………」



 彼女は教室を一望すると、

 こくんと頷いて見せる。



「いいよ、二人で食べよう。

 閑さん――は、もしかして学食?」


「…………へ?」


 すっかり引かれて

 ダメになることだとばかり

 思っていたから、

 OKされたときのことなんて

 考えていなかった。

 ど、どうしよう……。



「……大丈夫?

 もしかして緊張して

 パンクしちゃってる?」



 天宮さんは質問されても

 何も答えない俺を前に、

 ずいっと身を乗り出して

 顔を覗き込んできた。

 今度は距離感のせいで

 黙り込んでしまう

 愛想の悪い俺に対しても、



「そんなに

 緊張しなくてもいいんだよ、

 私なんかに気を遣わなくていいから」



 と微笑みかけてくれたのだった。

 愛想が良いとまでは

 言えないまでも、

 俺はその心遣いが何よりも嬉しくて、

 緊張の糸が解けていく。



「ありがとう、天宮さん。

 あ、お弁当はね

 持ってきてるんだよ。


 ただ、誘うのに

 夢中でここに持ってくるの

 忘れちゃっただけで……」



 最後まで言ってしまってから

 余計なことを言ったことに

 気が付いた。

 はっとした頃にはもう遅くて、

 天宮さんはぽかんと

 口を開けていた。



「誘うのに夢中……」


「い、いや!

 それは言葉の綾というか

 何と言うか……!!」



 身振り手振りというよりも

 両手をぶんぶん振り回して

 必死に言い訳を

 取り繕おうとしていたら、

 ぷっと吹き出したような

 笑い声が聞こえる。



「閑さんって、

 すっごいあがり症なんだね。

 あたしはあがり症じゃないけど、

 人見知りだから

 似たようなものかも」



 完全に緩みきったわけではないけれど、

 ミステリアスだとか

 深窓の令嬢だとかそういう

 高嶺の花扱いされていた

 彼女の素顔がほんの少しだけ

 垣間見えた気がした。

 綺麗というか可愛いのに

 メイクをしていないせいか、

 その笑顔はどこかあどけない。



「そ、そうかも……

 ね、ねえあまみ――」



 そのとき不意に

 終礼のベルが鳴り響き、

 俺の声はそれに掻き消される。

 もう一度言い直そうともしたけれど

 それさえも被ってしまい、

 すっかり意気消沈だ。


 その一部始終を見届けていた

 天宮さんはやっぱり笑って

「なーに?」と問い掛けてくれた。

 本当は名前呼びとかそんな女子同士の

 友達みたいなままごとを

 やりたいと思っていたけれど、

 なんだかそれも薄らいで、

 ただこの子とお喋りしたいな

 という気持ちに変わっていた。



「あ、じゃあお弁当持ってくるね!」



 俺は駆け足で自分の席に戻り、

 リュックの中から弁当を取り出して

 浮き足立つ感覚で舞い戻ると、

 天宮さんは俺を歓迎してくれるみたいに

 机と椅子を二人分用意してくれていた。





「どうぞ」



 声を掛けられて俺は

 天宮さんの

 正面の椅子に腰掛ける。

 机二つ分の距離なんて

 一メートルにも満たないだろう。


 向かい合うように並べられた

 一段弁当が二つ。


 それからは

 ただの他愛もない世間話や

 その場で思い付いただけの

 くだらない話をした。

 お弁当の中身がどうとか、

 好きなおかずはこれだとか、

 知ったところで何もならないような、

 そんなくだらない話を。


 終始そんなことしか

 話していなかったはずなのに、

 天宮さんは笑ってくれたし、

 会話も弾んでいた。


 だからだろう、

 大事なことに気付いたのは

 昼休みが終わる

 ものの三十秒前のことだった。



「あ、一緒に帰ろうって誘い損ねた!」



 声に漏らしてしまったのは

 失態だったが、

 聞いていたのがかろうじて

 神だけだったのでなんとか命拾いした。



 でも、結局俺がヘタレで

 阿呆故に

 天宮さんと親交を深める

 せっかくのチャンスを

 ふいにしたことに変わりはなかった。


 しかし、神だけは

 余裕綽々の笑みを浮かべて

 授業に挑んでいた。




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