閑話④水藤あずさの人生

 ヒナタと家庭教師である明石が二人きりで勉強をしていたとき、あずさは外で買い物をしていた。あずさは新たに雇った家庭教師「明石あゆむ」の素性を知っていた。知っていたにも関わらず、双子の家庭教師として受け入れた。


 あずさは、自分の夫がすでに亡くなって、二度と会えないことを受け入れていた。しかし、双子にはそのことを隠して、狂気の母親を演じていた。最初は受け入れがたく、本当に自分の息子が自分の夫と重なっていたこともあった。


「でも、私が自分の夫と子供を間違えるはずがないでしょう。」


 夫である匠の祖父がやってきた日があった。匠のことを見捨てたくせに、亡くなったとわかると、息子である双子を引き取りたいと言い出す始末。あずさは腹が立って追い払った。


 祖父もあずさ同様に匠が亡くなって、狂気にのまれたようだと知った。双子の私物をすべて捨てた日、双子は家を出ていった。あずさは、自分から逃げていくものに容赦することはない。こっそりと盗聴器を双子につけていた。


 そこで、匠の父親、双子の祖父も自分と同類だということがわかったわけだ。同類とは言いたくないが、そうとしか言えないだろう。あずさは正気に戻ったが、祖父は死ぬまでもとに戻ることはなかった。


 あずさが狂気にのまれたふりをするのは、双子に自分を軽蔑して欲しかったからだ。自分の夫が亡くなり、本当に悲しみに支配された。悲しみに打ちひしがれる自分が悲劇のヒロインだと思い込もうとした。そのせいで、家のことをやらずに一日中、家事もせずに無為に過ごしていた。


 ヒナタとミツキには迷惑をかけた。きっと母親である自分に恨みを持っているだろう。高校も、本当は二人を一緒に行かせてあげてもよかった。それでも、一人しか行かせなかったのは、家に一人でいるのがつらかったのかもしれない。





「K学園に行きなさい。一人は行かせない。」


 そう告げたときの双子の絶望顔は見物だった。確かに一人で家に居ることは夫がいなくなったことを考える時間ができてとても寂しく辛いだろう。それでも、自分が我慢すれば済む話だった。そのつらさを紛らわすために自分の息子の人生を狂わせてしまうのは良くないとは思っていた。


「それでも、私は自分優先で生きていきたい。」


 それからは双子に殺気を向けられる日々に酔いしれた。あずさはまた生きる実感が湧いた。


 ミツキとヒナタは私の意見にもちろん反抗した。それでも、あずさは彼らの保護者であり、母親の意見は絶対だ。双子は最終的には受け入れた。


 ここで、あずさは双子はどのように動くか興味がわいた。同時に自分への殺意が理性を超え、自分を殺しに来ることを期待した。


 結果として、双子は別の道を模索していた。あろうことか、K学園に交代で通うことを選択した。これには驚かされた。盗聴器で確認したが、あずさを殺す計画を聞くことはできなかった。





 家庭教師を雇ったのはほんの気まぐれだった。意図したわけでもなく、彼、結城彰人と会ったのは、まったくの偶然だった。彼が匠の知り合いの息子ということは知っていたが、まさか近所のスーパーで遭うとは思ってもいなかった。


 そして、彼の父親と不倫まがいのことをしていたことを思い出した。最終的に最後の一線は超えていない。なんだかんだ言って、あずさは自分の夫の匠が好きだったのかもしれない。それでも、彰人にとってはあずさが自分の家庭を崩壊させた原因になるのだろう。


「お久しぶりです。あずささん。」


 嫌悪感露わに、鋭い殺気を放ちながら挨拶をしてきた彰人にあずさは苦笑した。どうやら、相手は私のことを知っていたようだ。きっと、この殺気は全てを知ってしまった証拠だ。あずさは一つ、面白いことを思いついた。双子には悪いが、自分の思い付きにつき合ってもらうことにしようと考えた。


 あずさは夫が死んで生きる意味を失っていたが、やっと生きる意味を見出した。そう、皆に恨まれる存在として生きていけばいい。それで、殺されるなら本望だ。もし、死んだとしても悔いはない。すでに最愛の夫は先に旅立ってしまった。


 自分の思い付きに思わず笑ってしまった。はっと気づいた時には、遅かった。慌てて口元を押さえて彰人の姿を見ると、殺気が強まっていた。


「何がおかしいんですか。僕があなたのしていることに気付いていないと思っているのですか。滑稽な息子だとあざ笑っているのですか。」


 あずさはゆっくりと首を振って否定した。


「そんなことはない。むしろ、ここで遭えたことを喜んでいるわ。」


 あずさは彼を家庭教師に雇うことを決意した。その話を持ち掛けたら、彰人は驚いていた。それもそのはずだ。自分の家庭を崩壊させた女の息子の家庭教師を加害者の女自らが申し入れたのだ。


 彰人は驚愕していたが、最終的には承諾した。彼がどう動くかあずさは楽しみで仕方なかった。双子を殺したとしても、自分には文句を言う権利はない。それだけのことを彼の家庭にしてしまったのだ。聞いたところによると、彼の家は一家心中をして、彼だけが生き残ったようだ。


 しかし、そんなことはあずさに関係なかった。彼の父親もそうなることは多かれ少なかれ理解できたはずだ。理解できなかった男の方にも非がある。


 それから、彰人は家に来るようになった。あずさはいつ、彼が自分の息子に手を出すのか楽しみに迎え入れた。しかし、予想は大きく裏切られることとなった。




「僕たちは君たちを助けたい。」


 あろうことか、双子をあずさの手から救いたいとまで言い出したのだ。これには驚いた。お前の恨みはそれほどのものだったのか。あずさは失望した。ちょうど双子は中学三年生。進路を決める大事な時期に差し掛かっていた。


 その話を聞いて、あずさは失望した。それでも、チャンスはあると思い、中学卒業まで彰人を家庭教師として雇うと決めた。ヒナタは無事にK学園に合格した。それでも、彰人が双子に危害を加える気がないことを知り、彰人の解雇するに至った。


「どうしてですか。彼らには、まだまだ教えたりません。それに、高校の方が、勉強は一段と難しくなります。」


「確かにそうかもしれないけど、彰人君は、私のことを恨んでいるのでしょう。その気持ちが薄らいでいる気がして。それじゃあ、私が彰人君を雇う意味がない。」


 彰人は理解不能な顔をしていたが、最終的には解雇に納得してくれた。







 ヒナタのK学園の入学が決まり、新しい生活が始まった。あずさはさてどうしよかと考える。彰人はあずさの思い通りに動くことはなく、解雇してしまった。


「また、家庭教師を雇うことにしようかしら。」


 誰も彼もが彰人のようにお人好しとは限らない。次の家庭教師こそは、自分の望みをかなえてくれるような人物にしよう。あずさは新たな家庭教師を雇うために人材を探すことにした。幸い、私はいろいろな男の家庭を崩壊させている。人材集めに苦労することはなかった。あずさは出かけることが多くなった。


「では、私たちの息子のことを頼みます。」

「わかりました。こちらこそ、よろしくお願いします。」


 彼女、明石あゆむに会って、確信した。たくさんの人に会ってきたが、どうにもあずさに対する恨みや憎しみが足りていなかった。しかし、彼女なら自分の望みをかなえてくれるはずだ、と。彼女はなぜか、女性であることを隠して生きているようだった。理由は不明だが、それでも問題はなかった。彰人と同じように彼女はあずさに殺気を込めた視線をよこしていた。


「私の息子はK学園に通っているの。しっかりと勉強を見て欲しいわ。」

「僕の学力でどこまでできるかわかりませんが、精一杯面倒を見させていただきます。」


 結果は上々だった。彼女、彼はあずさに並々ならぬ感情を持っているようで、会うたびに鋭い殺気をあずさによこしていた。あずさにはそれが生きているという実感となっていた。


 こうして、私が作った舞台が完成した。火事が起きた日、あずさは嫌な予感がして、買い物を早めに切り上げて、自宅へ急いだ。


 あの家庭教師は本当に優秀だった。あずさが自宅にたどりついたころにはすでに炎に包まれていた。敷地内の外でヒナタが気を失って倒れていた。


 しいて言えば、ヒナタもミツキも一緒に殺して欲しかったと、あずさは不満に思ったが、別に彼らが自分と一緒に旅立つことを強いるつもりはなかった。彼らには彼らの人生があるのだ。あずさの心が満たされた暁には手を離してやるつもりだった。それが今というだけだ。


 ヒナタの頬をそっと撫でて、あずさは燃え盛る炎に向かって進んでいく。こうなることは予想していた。双子の息子たちはこの状況に衝撃を受けるだろうが、仕方ない。


 あずさは最後の情けとして、双子に向けて、今までの行いを遺書にしたためていた。遺書は自分の祖母に託していた。きっと、あずさの死後、それは読まれるだろう。その遺書を読んで、彼らがどう思おうがあずさには関係なかった。すでに自分は亡きあとの話だ。



「じゃあ、お母さんはお父さんのもとにいくから、自由に行きなさいね。」


 あずさの言葉は誰に聞こえることもなく、ごおごおと音を立てる炎の音にかき消された。

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