プール開きで、ブヒる姫

 俺たちの学年総出で、プールの清掃をしている。

 

 我が学年が何をしたというわけではなく、今日は俺たちの当番と言うだけだ。遊ぶ生徒だって出てくるため、一日二日で終わる作業でもない。全校生徒で持ち回る。


「暑いよぉ。まだ六月なのに日差しが強いね」


 体操着の下にスクール水着という扇情的なスタイルで、音更さんは腕で汗を拭く。


「俺も、めまいがしそうだ」


 本当は、音更さんの姿に若干クラッとしてしまった。これで音フェチでなければ、俺はすっかりまいってしまっていたかも。


「でもさ、音更さん。その割りには楽しそうじゃないか?」

「ブラシでプールを擦る音が、クセになっちゃっててさ」


 音更さんはデッキブラシで、プールのコケを落としている。人が見たらやけに熱心な女子と映るだろう。しかし、彼女は音を楽しんでいるだけなのだ。音更さんの本性は、俺しか知らない。


「プールを掃除し終わった学年が、先には淹れるシステムにしたらよかったのにね」

「それをやってケンカになったから、全学年で掃除になったんだよ」


 何かと時代は、えこひいきにうるさくなった。


「早くプールに入りたいねぇ。棗くん」

「言っても、水着になるとまだ寒いけどな」


 俺たちが話し合っていると、横顔にホースの水をかけられる。


「うわ冷たっ」

「おーお。悪い悪い。二人がお熱かったモノでつい、な」


 犯人は進藤だ。


「アハハッ。やったなぁこの!」


 ブラシで床を思いっきり擦って、汚水を進藤へぶっかける。


「うわっ。てめっ」


 反撃しようとしたら、進藤がコケで足を滑らせた。


「罰が当たったんだ。アハハーッ!」


 尻餅をついた進藤に、手を貸してやる。


「ちゃんと起きろってお前、うわ!」


 案の定、進藤に引っ張られて俺も転倒した。想定内だが。


 俺たちの様子を見て、音更さんが腹を抱えて大笑いしていた。



「待ちに待ったプール開きだ諸君! 女子の水着姿も眩しいはずだ! それなのに!」


 進藤が大げさに、バスタオルをマントのように開く。


 プールの授業が始まる頃、大雨に見舞われる。


「寒いいっ! 掃除の時は晴れていたのにぃ!」


 身体を震わせながら、進藤が歯をガチガチと言わせた。


「仕方ないだろ。今は梅雨なんだよ」


 まだ、プールの床が熱々じゃないだけマシだと思おう。真夏のプールのコンクリートは、一種の拷問器具だ。雨のおかげでその地獄から解放されたのだ。そう思わないとやってられない。


「それはそうと棗よ。音更さんって、隠れ巨乳だよな」


 向こうのコーナーで準備運動している音更さんを、進藤がボーッと見ている。


 我が校の水着は、普通のスクール水着だ。昨今の露出を控えた、サーファーなどが着るような「ラッシュガード」タイプではない。


「ミミちゃんに言いつけるぞ」

「わーったよ。音更さんの正妻はお前だしな」

「いつ俺が、音更さんの嫁になったんだよ」

「厳密に言えば『女房役』だな。いわゆるバッテリーってやつだ」


 野球かよ。


 音更さんは、雨に当たるプールの水面をずっと凝視していた。


 あー、音に入り込んじゃったか?


「音更、何をしている?」


 紫の競泳水着を着た女性の体育教師が、ゴーグル越しから音更さんに注意を促す。


「よそ見していると、事故を起こすぞ。集中しろ」

「はい。すいません」


 急に大声を出されて、音更さんは反射的にビクッとなった。


「音更さん、最近よくトリップするよなぁ」

「特に、水の音が好きみたいだな」


 俺たちは、順番に水の中へ。


 絶妙なタイミングで、俺と音更さんが同時にプールに入る。


 クロールで、音更さんが俺とすれ違う。水の中で、ニカッと白い歯を見せた。


 ゴフッ、と俺は思わず水を飲みそうになる。体勢を立て直し、咳き込みながらゴールした。


「大丈夫か、苦しそうだったけど?」

「平気だ。もーうビビったぁ」


 深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。


「すれ違い様に、何かされたか?」


「別に」と、俺は首を振った。


「音更さんって、お前の脇腹にツンツンとかしてきそうなんだけどな」

「バッカお前。そんな……なぁ?」


 強く否定できない。音更さんなら、やりかねなかった。あのいたずらっ子な眼差しは、何か不吉な想起をさせる。


 当の本人は、しれっと授業を受けていた。憎たらしい。


「お前さ、音更さんと知り合ってから、すごくわかりやすくなったな」

「そうか? 俺は普通に接しているつもりだが?」

「どこがだよ? 意識してるの、見え見えだっての」


 本当だろうか。今まで、考えてもいなかった。


「うまくいくといいな、お前ら」

「勝手にカップルにするなって。授業するぞ」


 プールの中を見ると、音更さんが潜る授業をしている。体育座りのまま、一回転するのだ。水の中で、音更さんはどんな音を聞いているんだろう?


 俺もやってみたけれど、水のバブル音くらいしか聞こえなかった。


 終始、無音である。


 しかし、音更さんには確かに、何かの音を感じ取っているように思えた。


 音更さんと、目が合う。ゴーグルをしてないのに。


 細い指が、俺の脇腹をつつく。


「ゴフぅ」と情けない音を吐き出して、俺は一番でプールから顔を出してしまった……。

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