第三章 夏も構わず、ブヒる姫
雨に切なく、ブヒる姫
中間も終わり、みんなは体育祭に向けて準備をしている。
ただ一人、音更さんだけが窓の向こうを眺めていた。窓を叩く雨を。くじ引きで早々と出番が決まり、暇を持て余していたのだ。
「音更さん、ちょっといいかしら?」
「なあ音更さん、すまんが学ランを調節してくれないか? 進まないのだが?」
クラス代表の二人が気を利かせて、音更さんに問いかける。
音更さんは、応援団長に選ばれたのだ。我が校は、男女とも青いブレザーである。だが音更さんは、体育祭当日に学ランを着て大太鼓を叩く。
自分の種目もあるのに大変だな、と思った。
「あっ、ごめん。ボーッとしてたや」
ウソだ。きっと雨音に酔いしれていたのだろう。
「体操着から羽織ってくれたらいいわ」
「当日は少々暑いが、ガマンしてくれ」
音更さんが「はーい」と返事をして、学ランに袖を通す。服に入った長い髪を、ファサッと流した。白い学ランとか、スゴイセンスだな。何かのコスプレだろう。
「あとは、これでいいかな?」
リボンを出して、髪をポニーテールに結ぶ。
思わず、俺はドキリとしてしまう。真後ろにいたから、音更さんのうなじをバッチリ見てしまったのだ。
「かわいいわ。みんなトリコになっちゃうかも」
「えへへ。ありがと」
頭をかきながら、音更さんは学ランを返す。
「後、キミもだ。棗くん」
「うっ……」
実は、俺も応援団員なのだ。しかも、チアガールという。
俺はポンポンを持たされ、ツインテールのヅラを付けられる。
「これはまた、運が逃げていきそうだ」
「ちょっとないわね」
くじで決まってしまった以上、仕方ない。
「さすがにスカートなどは用意していない。安心したまえ。たとえあったとしても、我々が食い止める」
「私たちだって、クリーチャーが見たいわけじゃないもの」
クラス代表たちは、ヒドい言いようだ。
「そりゃあ、どうも」
二人が去った後、俺はなんとなく聞いてみた。
「雨が窓を叩く音に、聞きふけってたろ?」
「バレた? イヒヒィ」
いたずらっ子っぽく、音更さんは舌を出す。
「じゃあ俺、競技の内容聞いてくるから」
「はーい」
音更さんに見送られ、俺は男子とリレーの順番を決める。
「当日、雨止むといいな」
「絶対に止ませるぞ。なんたって音更の学ランがかかってるんだからな!」
男子は息巻いていた。カーテンでてるてる坊主になってふざけている。
「こら男子! カーテンが傷んじゃうでしょ? 戻しなさい!」
女子クラス代表にたしなめられ、男子は渋々遊びをやめた。
とはいえ、音更さん自身は、雨に止んで欲しくなさそうだった。
放課後、部室に行く。
だが、主役の音更さんがいない。
「どこ行った?」
窓の向こうを眺めると、音更さんはグラウンドにいた。運営委員の設置したテントの中に立っている。いつからウチは運動部になったのかな?
音更さんは運動するわけでもなく、ただ突っ立っているだけ。これは、音関連だな。
野球部とサッカー部のマネージャーが、同じように屋根の中にいる。一部の運動部は、雨だろうと部活動をする。とはいえ音更さんの意図がわからないのだろう。呆然と立ち尽くしていた。
傘を差して、音更さんの元へ。
「あれ、何してるの? 屋根が雨漏りでもした?」
部室は一階である。雨漏りとは無縁のハズだ。
音更さんが振り返る。
「テントに雨が落ちる音を聴いているの」
屋根の裏側を凝視しながら、音更さんは耳を澄ませている。
「縁起でもないこと、言わないでよ」
ずぶ濡れの音更さんを見て、「中止」の二文字がよぎった。
「でも、テントを叩く雨音って、気持ちいいよ」
「戻れよ風邪引くって」
「もうちょっとだけ」
雨が寄り強くなってくる。
嵐になりかけた。頑丈なはずのポールがきしんでいる。
「やべえ、メイストームじゃんこれ!」
運動部マネージャーたちが、オロオロし始めた。
五月に起きる春の嵐を、メイストームという。
このままでは、テントが風に吹き飛ばされそうだ。
「二人も逃げて!」
各部のマネージャーも、運動部を扇動して避難を促す。
最近の体育祭は、台風の時期を避けるために春開催が多い。しかし、メイストームにやられて中止を余儀なくされることも。
「ゴーって言う雨もいいね!」
「よくないから早く逃げるんだよ!」
ダメだ。完全にトリップしていた。雨でテンションが上がっちまったか。もはや、音を楽しむどころではない。
「テントが壊れる前に逃げるぞ!」
いくら避難を促しても、音更さんの足は根を張ってしまっている。
雨が好きなのか?
「悪い!」
緊急事態だ、仕方ない。俺は音更さんをお腹から抱きかかえた。
「傘を頼めるか?」
俺は、運動部のマネージャーに声をかけて、傘を差してもらえないか頼んだ。
「はい!」
心許なく、マネージャーさんは俺から傘を受け取る。
傘が開いた。どうにか部室まで帰れそうだ。
下足場まで辿り着いた頃には、傘は骨が折れていた。
「すいません」
「とんでもない。ありがとな」
ボロボロの傘を返してもらい、音更さんにも語りかける。
「重いから、自分で立ってくれ」
「はうっ!」
唐突に、音更さんが覚醒した。
「ようやく、お目覚めか?」
「耳元でささやかれたら、落ち着いた」
「とにかくタオル。あと、あったかい飲み物買ってくる」
学校設置の自販機で、熱いほうじ茶を買う。
「これでも飲んで温まああああう!」
「きゃっ」
部室の鍵が開きっぱなしだったので、音更さんの白い背中が目に飛び込んでくる。タオルで身体を拭いているのを、ダイレクトに目撃してしまった。
「……見た?」
責めるような口調が、扉の向こうからする。
「見てない」
ピンクのヒモは見てしまったけれど。
「ん、どうした棗」
こんな時に、進藤が来てしまった。隣にはミミちゃんが。
「いかん。今は入ったらいかん! ミミちゃんだけならいいぞ」
部室の中からも、「ミミちゃんだけOK」と、音更さんが言う。
俺はミミちゃんにペットボトルを渡して、中に入ってもらった。
「うわ、沙和ちゃん先輩、どうしたんです!? ずぶ濡れじゃないですか!」
「はしゃぎ過ぎちゃって」
「あと、棗先輩からお茶もらってきましたよ。これで内ももを温めてください。太い血管が通っているので温まりますよ」
「ありがとーっ! あーあったかい」
女子がキャッキャしている一方、俺と進藤はいたたまれない気持ちに。
「どうすっかな。傘が壊れた」
「メイストームとはいえ、通り雨だ。すぐに止むだろ」
その後俺たちは、みんなでお茶とせんべいでまったりくつろいだ。
雨が止むまで。
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