電話越しに、ブヒる姫

「送らなくても?」

「いいんだ。ひいきするわけにはいかないからね」


 なるほど。生徒の親族となると大変なんだな。 


「キミも、沙和に無理して合わせる必要はないからな」

「無理だなんて。そりゃまあ、変わってるなって思うけれど」


 そこまで、とっつきにくい印象は感じない。


「キミが沙和を気に入ってくれて、うれしいよ。ボクも応援するから」

「教師にあるまじき発言ですね」


 俺たちは、互いに笑い合う。


「いや、あそこまで他人と親しい沙和は、初めてだよ」

「お家では、しゃべらないので?」

「家では、普通なんだけどね」


 クラスの女子とは、そこそこの距離を保っている。超然としすぎていて、ウワサにものぼらない。悪い話も聞かなかった。お姉さんの方が、もっと過激な性格だったからかもしれない。


 世間にあんまり興味がない、浮世離れした存在に思えた。

 あそこまで表情豊かだとは。


「ボクも不思議だっだよ。キミには何でも話すんだなって」

「どうなんでしょうね?」

「家庭に問題があるわけじゃないし、学校でもそこそこ過ごしてる。でも、心がどこか遠くに行っている気がするんだ。ボクたちがわからない世界を、彼女は見ている」


 だから、ASMRみたいな特殊ジャンルに目を付けたのだろう。


「ボクは言わば、ここの見張りさ。あの子がとんでもない所へ行かないための」


 多聞先生も、帰り支度を始めた。


「その役割は、キミに委ねてもよさそうだ。ボクはさっきの事情があって、この部に顔を出せない。頼めるかい?」

「はい。もちろん。ではさようなら」




        ◇ * ◇ * ◇ * ◇



 夕飯の後、俺のスマホに着信があった。


『ヒコちゃんと、何話してた?』


 音更さんからである。ヒコちゃんってのは、多聞先生のコトだったっけ。


「何も。音更さんを見張っとけって」

『えーっ。引き受けちゃったの』

「はぐらかした」


 実際は、引き受けちゃったけれど。

 とはいえ、そこまで心配されるようなことはないと思う。言動が突飛すぎるだけで。


『だよねっ。いやぁ、棗くんは話が分かる男子でよかったぁ』

「ああ、ありがとう」


 適当にごまかす。


『それだけなんだ。男同士の会話って、ちょっと気になっちゃった。起こしちゃったよね。ゴメン』

「いいよ。今から寝るところだったから」


 コンコンと、部屋をノックする音が聞こえた。


「おにい、誰としゃべってんの?」

 刺々しい声が、扉の向こうからする。


『誰?』

「妹だ。受験前で気が立っててさ」

『うわゴメン! おやすみなさい』

「ああうん。また学校で。それじゃあ」


 できるだけ小声で、俺は電話でささやく。


「おやすみ」

『ブブブブブヒイイイイイイイッ!』


 まるでブタのような悲鳴が、スマホから鳴り響いた。


「ちょっとおにい、うるさいから!」

「待て待て。今切るから。じゃあ音更さん、また明日」


 音更さんの承諾も得ず、電話を切る。


 電話の向こうで、音更さんはまだブヒブヒ鳴いていたっけ。

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