第二章 後輩女子と、ブヒる姫

ブヒる姫と、クラスメイトと、後輩ちゃん

 教室の席に着いた俺は、カナルヘッドホンを耳に付けたまま、カバンを机にひっかける。


「よっ、棗」


 進藤しんどう 尚哉なおやが、俺の肩にバンと手を置いた。俺とコイツは家こそ離れているが、小学生から毎年同じクラスである。俺は常にイヤホンをしているから、進藤はボディタッチであいさつをしてくるのだ。


「お前さ、この間からずっと音更さん見てるな」

「変な意味はねえよ」

「わかってるって。皆まで言うな」


 手をヒラヒラさせ、さも「すべて把握済み」という仕草をした。絶対に誤解してやがる。


「お前さんが、音更さん設立の変な部活に入ったことは知っている。でも、何も進展がないから、どう攻めようか考えている。間違いなかろう?」


 ほらぁ、やっぱり間違えてんじゃん。


「違う。なんで俺なんか誘ってくれたのかな、って考えてて」


 いくら俺にASMR音源の素質があるとはいえ、特に詳しいわけじゃない。色々調べてはいるが、理解が追いつかなかった。ASMRの必需品とも言える、バイノーラルマイクを持っていることもなく。


「自意識過剰すぎるぜ。頭数に決まってるだろ。もしくは実験体か」

「そうかもな」


 進藤の言うとおりだろう。


 人数合わせだと結論づけた方が、気持ち的に楽だ。


 俺と音更さんは、クラスでは話さない。授業の合間の時間も、音更さんはクラスの女子と仲良く話している。


 誰も、俺には注目しない。俺と研究会を立ち上げたとて、別に俺を茶化したりからかったりはしないようだ。音更さんも、俺を話題にすることなんてなかった。


 俺の方も、まったく意識せず過ごしている。意識はカナルヘッドフォンの向こうへ放り込んでいる。


 昼休みになり、進藤が「そういえばさ」と話題を振ってくる。 


「オレも、お前らが何しているのか覗いてみたけどさ」


 口に弁当の白米を詰め込み、進藤はモゴモゴと語り出した。


 コイツの弁当は重箱になっていて、中身もてんこ盛りだ。進藤はサッカー部に所属しているのだが、弁当だけは柔道部か相撲部屋のようである。


「そうなのか? いつだ?」

「二日前だったっけな。部活の備品を取りに行ったときにさ、見かけたんだ。お前ら、揃って勉強してたろ? 熱心すぎて声かけられなかったぜ」


 グラウンド側の窓から、俺たちの様子が見えたという。


「あー、あの時か。確か、中間試験の勉強していたときだ」


 その日、俺は音更さんと向かい合って練習問題を解いていた。


 文芸部に釘を刺されたので、「見た目だけは真面目にやろう」と二人で約束したのである。


「音更さん、イヤホンしてたろ? お前もいつも通りイヤホンしてたから、邪魔しちゃ悪いなって」

「あはは……」


 俺は、苦笑いを浮かべる。



 正確に言うと、音更さんはそのとき、

「ノートにシャーペンを走らせる音」

 に耳を傾けていたのである。



「楽しそうに勉強していたなー、音更さん。あんなにも勉強が好きだったなんて」


 鼻息荒かったもんな。あのときは。


 まさか、メモ取りで興奮する女性がいるとは想像も気でなかったし。


「そうだったのか。全然気づかなかった」


 気を使わせて悪かったと告げると、「いえいえ」と進藤は首を振る。


「オレらからすると、もうあの段階でじゅーぶんっアウトだぜ。あんなカワイイ女子と一緒に勉強できるだけでも、嫉妬のネタになるんだ」


 ニヤーと笑いながら、進藤は口をつり上げた。


「どうかな? 勉強っつったって、教え合ってたわけじゃないし。だいたい俺んちは妹が家でこもってるから、部屋で復習とかできないんだよ」


 妹は最近過敏気味で、わずかな音でも聞き取ってしまう。


 俺が遮断性の高いカナルイヤホンにしているのも、カシャカシャ音を部屋で鳴らさないためだ。本当は、もっと大爆音で懐メロを聞きたいんだけれど。


「受験生は辛いよな。特に小学生からそんな戦場に放り込まれてよぉ」

「親の命令じゃなくて、本人の意志だから余計にな」


 とある目標があって、妹は勉強に手が抜けないのだ。


「あーっこんな所にいた! 進藤先輩っ」


 ショートボブの少女が、進藤を指さした。

 上履きの色は、下級生のものだ。



「んだよ、東風こちじゃねーか」


 あまり歓迎してなさそうに、進藤は後輩の東風 ミミちゃんに声をかける。


「ミミです! そう言って下さいって、いつも言ってるでしょ!?」


 大股で、ミミちゃんはズカズカと教室に入ってきた。周りは上級生だらけなのに、後輩ちゃんはまったく物怖じしない。


「珍しい名前だからかわかわれたくない」

 と、この子は周囲に自身を「ミミちゃん」と呼ばせている。


「先輩、練習試合のミーティングです! 昨日報告しましたよね?」


 ミミちゃんは、進藤の腕を引く。


「待てよ、まだ食ってるだろ?」


 あれだけあった中身が、もうエビフライしか残っていない。


「わたしが代わりに食べてあげます! ぱくっ」


 哀れ、進藤の好物はミミちゃんの口の中へ。


「あーっ! オレが大事にとっておいたエビフライが!」


 進藤が、この世の終わりみたいな顔に。


 反面、ミミちゃんからは満面の笑みが浮かぶ。


「おいひい。こんなおひしひエビフライをいただけるなんて。わたし、先輩のお嫁さんになります」


 隠すでもなく、ミミちゃんは進藤への愛を伝える。


「言ってろ。あと東風、放課後おごりな」

「わかりまし。コンビニのチキンでもコロッケでもごちそうしてあげますから。行きますよ」


 ズルズルと、ミミちゃんは進藤を引きずっていく。


「放せ、オレはまだ休憩中だ」

「ミーティングルームでやればいいんです。では、棗先輩もごきげんよう」


 俺はミミちゃんに「おう」と返した。

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