はずだ


 真夏の、それも昼日中だけれども、買い物に出なければいけない。

 すぐに必要なものがあり、商店街の、金物屋へ行くのだ。

 外に出る。

 肌が焦げそうだ。

 空気も乾燥しきっている。

 大汗をかきながら買い物を終え、帰路をたどりはじめた。

 区の広報車が、熱中症に気をつけましょう、水分をこまめにとりましょうと、拡声器で呼びかけながら、通りすぎていった。余計に暑さが増した気がした。

 喉が渇いたが――

 失敗した。

 せっかく商店街に行ったのだから、スーパーで、飲み物を買えばよかったのだ。

 手持ちの水分はない。

 ぼくはため息をついた。

 汗が止まらない。

 ハンカチはぐっしょり濡れている。

 前に続くアスファルトに、逃げ水ができている。こんな酷熱の中では、歩く人もわずかだった。

 ぼくはふと、ここから教会通りに抜けて、すぐ目の前の場所に、自動販売機があったことを思いだした。

 そうだ。

 横路地を行き当たると、目の前が、クリーニング店なのだ。その軒先に、たしか一台だけ、自動販売機があったのだ。

 そこで飲み物を買い、またこの道に戻ればいい。

 ぼくは、横路地に折れ、教会通りへ歩いていった。

 やがて、目の前にクリーニング店が見えてきた。

 ところが。

 以前はあったはずの自動販売機が、なかった。

 記憶違いではない。

 たしかに、以前はあったのだ。

 それがぽっかりなくなって、ようやく重しのなくなったコンクリートが、嫌味な白さを見せていた。コンクリートの割れ目に、たんぽぽのロゼットが生えている。日照りにも負けず、萎れもせず、緑の葉は濃かった。

 ともかく――

 自動販売機は撤去されたらしい。

 そのまま、四方を見渡す。

 どこかに、自動販売機がないかと探したのだ。

 ところが、ここは住宅街だから、そんなものは見当たらなかった。

 家へ帰るにも、商店街に戻るにも、同じような距離だ。

 ぼくは、ほんの数秒とどまり、意を決めた。

 家に帰ろう。

 家に帰るのが賢明だ。

 こんな猛暑の中、余分に歩く必要はないのだ。

 そんなことをすれば、それこそぶっ倒れてしまう。

 ふうふう息をつきながら、ぼくはまた、元の通りへ向かって歩きだしたのだった。



 だが。

 やがて秋が来て、ふと教会通りを歩いたとき、ぼくは立ち止まった。

 クリーニング店の軒先に、ちゃんと自動販売機があったのだ。

 あの、酷熱の日の体験が忘れられないぼくは、どうしてあのとき自動販売機がなかったんだろう、と考えずにいられなかった。

 機械を修理に出していたか……

 古い機械を、新しい機械に入れ替えたか……

 いろいろ、想像はできた。

 しかし、目の前の機械は、別に真新しくもない。

 ふと、あのときは暑さで頭がどうかしていて、道を間違えたのかもしれない、と思った。

 引っ越して間がないので、クリーニング店に行き当たる横路地を、一本間違えたのではないか?

 ――いや。

 あのとき、目の前には、たしかにクリーニング店があった。このクリーニング店が、である。

 それに。

 いくら暑さにうだっていても、目の前にある自動販売機を見落とすはずがない。あのときは、こんなものはなかった。

 なかったはずだ。

 あそこにあったのは、ひと株の、たんぽぽのロゼットだけだ。そうだ。そうに決まっているのだ。

 心のうちで繰り返しながら、ぼくは、ポケットから小銭を取りだした。もちろん、飲み物を買うためだ。

 なにがもちろんなのだか、ぼくにもわからないが……

 何事もなく缶ジュースが落ちてくることを祈り、ぼくはボタンを押した。


  

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