帰ってきたハイファイ野球

 

 午前中の試合は、ぼくら「堀切ガンバーズ」が「早起きノモルトンズ」を下した。

 序盤はノモルトンズの先発、カルロス俊一郎の速球と鋭いカットボールに翻弄され、なかなか点を奪うことはできなかった。一方、ノモルトンズはバントとエンドランを駆使した積極的な攻めを見せ、五回を終わった時点で二対ゼロとリードをとった。ところが、カルロス投手に代わって入った坂本龍一郎が絶不調で、四死球でランナーを出しては長打を浴びるという最悪のパターンを繰り返した。結局、終わってみれば三対七。ぼくら「堀切ガンバーズ」の逆転勝ちで、試合は終わったのであった。

「じゃ、昼にしますか」

 薬師丸ひろ一郎監督が、ぼくの父親にニコニコと告げた。

「そうしましょう」

「お弁当持ってきました?」

「はあ」

 いつものとおり、各自、手弁当でやって来ている。

「ああ、そうなんですね」

「どうしてです?」

「じつはですね、私の知り合いがキッチンカーで商売をしていまして」

「はあ」

「呼んでありますので、好きなものを注文してください」

「ええ?」

「じきに来ると思いますのでね。あ、もちろんお代は結構ですから」

 そんなことは聞いていなかったが、迷惑な話ではないし、はあ、わかりました、と父親は返事をした。

 そのうちに、薬師丸ひろ一郎監督の話のとおり、ピンクに塗装された、イベント会場などでよく見かけるキッチンカーが駐車場に入ってきた。

 キッチンカーから出てきたのは、薬師丸監督と同じような年恰好の、笑顔の爽やかなお兄さんだった。お兄さんは、朗らかな顔で、「じゃ、お好きなもの頼んでくださいねえ!」とぼくらに声を掛けた。

 薬師丸監督が、ぼくらのベンチにメニュー表を持ってきた。

「じゃ、これメニューになりますんで。どんどん頼んでいいそうなんで、遠慮なさらずたくさん注文してくださいね!」

 だが、メニュー表には、こう書いてあったのだ。


ランチメニュー


・Cheese "PIZZA"

・チキンライス

・マシマロ

・グレープ

・ジューシィ・フルーツ

・ハチミツ

・セロリ

・はちみつぱい

・焼きそばパン

・JAM


「――またやったな」

 父親が言った。

「え、何です?」

 自分のベンチへ戻ろうとしていた薬師丸監督が振り返り、

「何のことです?」

「またやったよね?」

「ですから何のことです?」

「ジューシィ・フルーツとか、はちみつぱいとか、狙ってるよね?」

「狙ってないですよ。何を狙うんです」

「全部曲とかグループ名でしょうが」

「え、どういうことだろう」

「君は本当に、いつもマシュマロのことをマシマロと言っているのか?」

「言ってますけど、そのメニュー書いたのぼくじゃありませんよ」

「あのキッチンカーの人?」

「そうです」

 それもそうだと思ったのか、父親は、

「あの人の名前何?」

「なぎら健壱郎ですけど」

 と悪びれもせず言い、

「どうします? 本人呼んできます?」

 と言うやいなや、キッチンカーのドアがガチャリと開いて、なぎら健壱郎が慌ただしくこちらへ走ってくる。

「すいませえん、そちらのメニュー表にはないんですけど、カレーライスと、なすのちゃわんやきもできますのでェ」

「遠藤賢司と四人囃子じゃねえか」

 と父親が言い、

「エンケンと四人囃子じゃないかよう。狙ってるでしょ、ほんとに」

「どういうことです」

 なぎら健壱郎は首を傾げて、

「だって、カレーライスはカレーライスじゃありませんか」

「じゃああなた、いつも葡萄のことをグレープって呼んでるんだね?」

「呼んでますよ。だってグレープブランデーとか、グレープジュースとか言うでしょう」

「それはそうだが」

「とにかく、厨房のことは」

 なぎら健壱郎は鼻を鳴らし、

「ぼくにまかせてください」

「だからそれがグレープのヒット曲だろうが」

「え、だれです」

「さだまさしと吉田正美のフォークデュオだろうが」

「知りませんそんな人たち」

「じゃあさ、このハチミツとかセロリ、これは何なんだよ」

「何なんだよって、ハチミツとセロリですよ」

「嘘を言いなさいって。スピッツとまさよしだろうが」

「え、何です」

「ハチミツはスピッツだし」

「え、犬じゃなくて蜜ですよ」

 父親がとびかかろうとするのを、ぼくは懸命に制した。

「ハチミツやセロリを単品で提供する店があるか!」

「え、ハチミツやセロリって、単品で食べませんか?」

「食べるかもしれないけど、それがランチメニューになるものか」

「そうですか? ぼく、結構お昼に単品で食べますけどね。まあ、育ってきた環境が違うから」

「だからそれがセロリなんだろうが!」

 と父親は地団太を踏み、

「それに、ハチミツとカタカナで表記しておきながら、なんだこの『はちみつぱい』ってのは。表記不統一じゃないか。君は本当にいつもパイのことを『ぱい』と書くのか?」

「書きますよ。え、書きません?」

「書かないよ。それにこの『焼きそばパン』は川本真琴だろ」

「違いますよ」

「嘘をつきなさいって。どうして焼きそばパンなんて変化球が急に単独で登場したんだよ。だったら焼きそばがあったり、他のパンメニューがあってもいいじゃないか」

「できないできないできない!」

「だからそれがまこっちゃんだろうが!」

 と父親はわめき、

「それに、このCheese "PIZZA"ってのもジュディマリじゃねえか」

「ジュディマリ? 何ですかそれ。チーズピザはチーズピザですよ」

「嘘をつけ。ジュディマリにチーズピザって曲があるんだよ」

「あるんだよなんて言われても知りませんよ。だってチーズピザを英語とイタリア語で表記したら自然とこうなるじゃないですか」

「そんならどうしてわざわざ外国語表記にしたんだよ」

「外国語? 再見(ツァイチェン)、再見(ツァイチェン)」

「だからそれがそばかすの冒頭で流れる逆再生の部分の元のセリフだろうが!」

 父親はとうとう切り札を突き付けるように、

「じゃ、最後のJAM。これはもうイエモンだな」

「いや、ジュディマリのファーストもJAMですよ」

「知ってるじゃねえか。だけどそれはJ・A・Mだわ。しかも読み方ジェイ・エー・エムなんだわ。JAMといえばもうイエモンしかないんだわ」

「イエモンって誰? からくり道中とか?」

「それはがんばれゴエモンだろ」

「鶴屋南北の?」

「それはお岩さんの伊右衛門だろ! しゃらくせえ、とにかく狙ってなきゃ、こんなメニューは出来っこねえんだ。やっとまともに試合したと思ったら、昼食休憩でもこんな刺客をまぶしこみやがって!」

 だが、そのときだった。

 ごおおおおという大轟音とともに、一機のジャンボ旅客機が、こちらへ向かって突っ込んでくる!

「ひ、飛行機だ」

 一同はわめいた。

「飛行機が落ちてくる!」

「ジャンボジェットだァ!」

 そうなのだ。

 ジャンボ旅客機は、もはやどうやってもグラウンドへ直滑降に墜落することは免れないと思われた。

 だが――

 ほとんど激突の寸前に、煙が消えるように、パッとかき消えた。

 まるで音もなく、パッと、消え去ってしまったのである!

「な、なんだあ」

 一同は、みなグラウンドに腰を抜かし、へたりこんでいる。

 その中で、ノモルトンズの面々となぎら健壱郎だけが、薄笑いを浮かべて、立っているのだ。

「どうしました? 皆さん」

 二人はにやりと口角を上げ、

「大丈夫、皆さんは犠牲者にはなりません。皆さんは日本人なんですから。ね?」

 

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