ハイファイ野球


 隣の市、といっても、川向こうは埼玉県だから都のチームではないのだが、「早起きノモルトンズ」という草野球チームと、ぼくら「堀切ガンバーズ」が対戦することになった。

 早朝四時、薄暗い河川敷グラウンドには、既にノモルトンズの面々がきていた。

「おはようございます!」

「おはようございます!」

 と、両チームは快活な挨拶を交わした。

 ノモルトンズとは初対戦だが、見れば、四〇歳くらいの若者が多い。どれも日焼けした引き締まった体で、ガンバーズとは大違いだ。あちゃあ、これは今日は負けだな、とぼくはミットを叩きながら思った。

「洋平、ちょっと」

 父親が、ぼくを呼び寄せた。

「なに」

「お前、肩あっためとけよ。どっかで使うぞ」

「え、何回?」

「わからん。カズミちゃんな、ちょっと昨日の酒残ってるんだって。駄目なら三回くらいからいくと思うから」

 ぼくはまだ中学生だが、父親がノモルトンズの選手兼監督をやっていて、人が足りないというので、今日は招聘されたのである。うん、と頷くと、ぼくはキャッチボールを再開した。

 三〇分ほど体をあたためたあと、試合開始となる。

 ノモルトンズの監督が、メンバー表を持って、こちらへやってきた。そこにスタメンが書いてあるのだ。

「じゃ、よろしくお願いします!」

「はい、よろしくね」

 ところが、メンバー表を見た父親が、アレエ、とか、ウン? などと首を傾げはじめたものだから、ガンバーズの連中がぞろぞろ群がってきた。ぼくも、低い背丈をジャンプさせて、メンバー表を見ようとがんばる。

 メンバー表は、下記のとおりであった。


一 遊  杏 里一郎

二 二  寺尾 聰一郎

三 中  戸川 純一郎

四 一  細野 晴一郎

五 捕  吉田 美奈一郎

六 三  大瀧 詠一郎

七 投  カルロス 俊一郎

八 左  小椋 佳一郎

九 右  大沢 誉志一郎


控え   長渕 剛一郎

控え   坂本 龍一郎

控え   松任谷由一郎

控え   さとう宗一郎


「なんだこりゃ」

「なに、この名前」

 とても本名とは思えない。

 全員、なんとか一郎だし……

「しかも、こういうのって、普通フルネームじゃ書かなくねえか?」

「たしかにたしかに」

 いま投球練習をしているあのピッチャーが、カルロス俊一郎なのか? 外国の血は入っていなさそうだが……

「ねえ」

 父親が、ノモルトンズの監督を呼ばわった。

「はい?」

「これ、ニックネーム?」

 監督が、Uターンして戻ってきた。

「はいはい、なんでしょう」

「戸川純一郎とか、大瀧詠一郎とか……狙ってるよね?」

「狙ってるとは?」

「ニューミュージックだよね。いや、いいんだけどさ、そういうコンセプトなの?」

「えっと、ごめんなさい、何年代?」

「主に八〇年代」

 ノモルトンズの監督は、整理するように、

「八〇年代って、西暦八〇年代ですか」

「は」

「ユリウス暦の八〇年代? 帝政ローマとか、新羅の時代の」

「いやいや、一九八〇年」

「ユリウス暦の?」

「そうだよ」

 ノモルトンズの監督は膝を打ち、

「あ、それなら、たった四〇年前ですね」

 となぞのようなことを言った。

 父親は苛立ったようすで、

「あのね、これは何? ニューミュージックの人たちじゃないの? 寺尾聰一郎とかさ。寺尾聰だよね」

「え、寺尾だれ?」

「聰だよ。ア・キ・ラ。宇野重吉の息子。それに、カルロス・シュンイチ……俊一郎? ってのもさ」

「いや、カルロス・トシイチロウです」

「一番ねらった読みじゃねえか。なら千パーセント、オメガドライブだよね」

「オメガ、なんですって? シグマですよ今日は。オクタゴナル・シグマの、ユリエスキ・コルエスキのモンス・グラウピウスですよ」

「意味がわからん」

「わからない? なんだ、せっかくブラジルから呼び寄せたのに」

「だからカルロス・トシキだそれ」

 ところが、ノモルトンズの監督は、何を言っているんだという顔でぼくらを見つめているのだ。

「じゃ、カルロス・トシキはいいとして、大沢誉志一郎。こりゃさすがに無理あるな、これはさすがに」

「だって、そういう名前なんですよ」

「誉志一郎なんて名前があるものか。嘘つきなさい」

「嘘だなんて言われたら、ぼくは途方に暮れますよ」

「ほら、絶対知ってるだろ。それから、最後のさとう宗一郎。どうして急に平仮名なんだよ」

「だって、それが本名ですから」

「嘘をつきなさいって。世に、平仮名の苗字なんてあるものか」

「それがね、仙台にはあるんですよ」

「だからそれがさとう宗幸だろうが」

 と地団駄を踏む父親をぼくらは制し、

「まあまあ、とりあえず試合を始めましょう」

「始めるけどさ、なんか不真面目なチームだな、あんたたち。そんなら、あんたのお名前なんてのよ。本名だよ、本名」

「私ですか?」

 すると、ノモルトンズの監督はにっこり笑い、

「薬師丸、ひろ一郎です」

「…………」

「…………」

 薬師丸ひろ一郎は、ベンチへ帰っていった。

 堀切ガンバーズの面々は、呆然と、そのうしろ姿を眺めるばかりであった。






 

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