おしゃべり図鑑


 姪に贈る誕生日プレゼントを買いに、近くのショッピングモールへ出かけた。

 数日前にビデオ通話をしたとき、なにが欲しいかと訊いたらアンパンマンのおもちゃだと答えたので、コーナーに行くと、ものすごい品数である。

「アンパンマンは子どもに大人気なのよ」

「そうなのか。アンパンマンなんか、おれが子どもの時分はばかにしたものだがな」

「そんなら何に夢中だったのよ」

「特捜エクシードラフトとか、小さな巨人ミクロマンとかだよ」

「ばかじゃない」

 と妻は言い、

「とにかく、いまやアンパンマンって言ったらすごい人気なのよ」

「ふうん」

 見ると、乳幼児から五歳くらいまでに対応した、夥しい点数のおもちゃが用意されており、単純な遊具から知育玩具、人形や楽器まで幅広い。

 予算は決めていなかったが、こう見ると、やはり高いもののほうが立派に見えてくる。どうせプレゼントするなら、しっかりしたものを与えたほうがよいのではあるまいか?

 結局、妻と相談の上、日本語と英語の単語学習ができる、おしゃべり図鑑に決めた。

 図鑑の絵にタッチペンを当てると、アンパンマンが、というか戸田恵子が、その単語を読み上げてくれるのだ。

「これはいい」

 ぼくは言った。

「言葉をどんどん覚えられる。これはいいプレゼントになるよ」



「みかん。みかん」

 姪は、喜んでタッチペンを図鑑に当てる。アンパンマンや食パンマン、カレーパンマンだのが、どこかの果樹園に勢揃いして、いろんな果物を収穫している図絵だ。

「あんず、あんず」

「なし、なし」

 この果樹園には季節がないらしく、四季の果物が、みな収穫ざかりである。

「さくらんぼ、さくらんぼ」

「あんぬ、愉しい?」

「たのしいたのしい」

 義姉がまた礼を言うのを、ぼくは制した。

「それにしても、いまはこんな玩具があるんですね」

「そうですね。あたしたちの時代にはなかったわ」

 すると妻が、

「でも、あたしたちもいっぱい玩具を買ってもらったわね。セーラームーンのお人形に、ポワトリンに、シルバニアファミリー。いまどこにあるのかしら」

「あなたの部屋にないの?」

「実家の? さあ、わからないわ」

 ぼくは、姪に付き添って、ページを繰ってはタッチペンを押した。

「イルカ、イルカ」

「ペンギン、ペンギン」

 だが、続いて、草原を走る馬の絵をタッチしたときだった。

「エクウス……」

 アンパンマンは言った。

「エクウス・カバラス」

「え?」

 姪は首をかしげた。

「ウマ、ウマだよ」

「うん。ウマだよね」

 ペンを借り、もう一度タッチすると、再び、

「エクウス……フッ、エクウス・カバラス」

 また言った。

 これは学名だ。

 ラテン語なのだ。

 それに……途中の吹き出し笑いはなんだ?

「エクウス・カバラス。エクウス・カバラス」

「ウマだよ、ウマ」

「そうだ。ウマなんだ」

 続いて、ゾウの絵をタッチしてみたが、

「ロクソドンタ」

「は」

「ロクソドンタ……フフ、アフリカーナ」

「ちがうよ、ゾウだよ。ゾウ」

「そのとおり。ゾウだよね」

「ロクソドンタ・アフリカーナ。ロクソドンタ・アフリカーナ」

「ちがうよ、ちがうよ」

「そうだ。ゾウが正解なんだ」

 とあやしながら、別のページを開く。だが、アンパンマンはセイウチを海象と言ったり、アザラシを海豹と言ったり、シャチをサカマタと呼んだりする。

 ぼくは図鑑を持って、別室へ移動した。

「いい加減にしろよ」

 ぼくは図鑑に言った。

「ちゃんと一般的な名前を読み上げてくれ」

「だってシャチはサカマタとも言うじゃねえか」

 とアンパンマンは言う。

「それは一般的じゃないだろうが。それなら、猿はエテとかマシラとか言うのか」

「猿はサルじゃねえか」

 とアンパンマンはせせら笑う。

「頼むよ。学校で、姪だけシャチのことをサカマタなんて呼んだらびっくりされちゃうよ。いじめられたらどうするんだ」

「そんなもんいじめるほうが異常者じゃねえか」

 とアンパンマンは言い、

「他の図鑑は知らねえけどよ、おれはもっといろんな言葉を教えたいんだよ。ボキャブラリーの話だよ、ボキャブラリーの」

「それはもっと長じてからでもいいだろう」

「そういうわけにはいかねえんだ。頭のフニャフニャ柔らかいうちに、なるたけいろんな言葉をつぎこむ必要があるんだよ。あんまり甘っちょろいことばかり抜かしてやがると、お前を児相へ突き出すぞ。はばかりながら、おれはいつだって幼児のことを第一に考えてるんだ。てめえさんの眠てえバカ話を聞く暇は、おれにはこれっぽっちもねえんだよ」

 と、アンパンマンは言うのであった。

 


「あなた、どうしたの」

 玩具コーナーの前で、おしゃべり図鑑の箱を手に佇むぼくを、妻が呼んだ。

「あ、図鑑? そうねえ、ちょっとまだ早いんじゃないかしら」

「そうかな」

「そうよ。あの子、まだ二歳なのよ。まだ単純な遊具のほうがいいわよ。あそこに滑り台があったわ。あれにしましょうよ」

 ぼくは、妻に言われたとおり、玩具とは思えぬバカ高いアンパンマンの滑り台を、カードで購入させられたのであった。




 了



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る