ネーミング会議


 知り合いのNが、パスタの専門店を新規オープンさせるというので、相談をもちかけられた。

 出店する居抜きも店のコンセプトも固まっているのだが、名前がなかなか決まらないので、数人を集めて、今度オンラインで会議をしようというのである。

 そうして当日集まった三名は、ぼくを入れて編集者二人、イラストレーターが一人だった。進行はもちろんNが務める。

 はじめに、Nからコンセプトの説明があった。

 店は、立ち食いパスタの店だという。最近流行っている「おひとりさま焼き肉」店のように、客席がアクリル・パーテーションで仕切られていて、おのおの、立ったまま黙々とパスタを食べる。価格は一律五〇〇円で、ナポリタンとかカルボナーラとか、ペペロンチーノとかボンゴレとか、ひととおりのものを、大盛り(通常の二人前くらいの量)で提供するそうだ。サラダだのピザだのワインだのは一切出さず、パスタだけ食べてはい会計、という回転の良さで勝負したいという。

「結局、原価をあんまりかけなくたって、茹でたてのパスタにあつあつのソースをかければ、間違いなくうまいんですよ」

「なるほど」

「そりゃそうだ」

「だけどさ」

 イラストレーターは言った。

「パスタって、太るイメージがあるだろう。それを立ち食いでかっこむだなんて、なんだか飼育クレートのようだね」

 この人えらいことを言うなと思ったが、Nはにこにこ微笑みながら、

「もう、思い切ってそんな感じでやってみようと思ってます。ですが、肝心の名前がなかなか決まらないんで、こうして有識者に集まってもらったわけです」

「有識者というわけでもないが」

 と編集者が言い、

「ところで、出店はどこなの?」

「上田駅の近くのビルの、二階です。スペースは、キッチンが四坪、客席が一〇坪です。手洗いはありません。一階はファミリーマートで、三階に学習塾があります。まずは上田でやってみて、うまくいけば佐久、千曲、長野と広げていきたいです」

「まず、駅に近いのはいい」

「勤め人が昼に行きやすいよね」

「ええ。賃料も、思いのほか安かったんです。やっぱり手洗いがないのがネックですが、一階のファミリーマートには当然ありますんで、なんとかなるかなと」

 そんなわけで、ネーミング会議が始まった。

 まず、編集者が案を出した。


一、麺工房 タベールノ

二、パスタ専門店 ハラヘリーニ


「ああ、イタリア語っぽくするというね」

「そうそうそう。マルデナポリみたいなね」

 ぼくも、

「ペッコリーニなんていいんじゃないですか」

「ああ、いいね」

「親しみやすいし、インパクトもある」

「インパクトということなら……」

 イラストレーターは少し思案し、


三、愛は湯切りのうちに

四、光あるうち光の中を歩め

五、次に来たときで大丈夫


「どうです」

「うん。たしかにインパクトはある」

 編集者が頷いた。

「いやしかし、これでは岸本さんの高級パン屋では」

 Nが困り顔をした。

 そりゃそうである。

 次は、ぼくの番だ。

 話の流れでいけば、少なくともインパクトは重要だという。ただ、無意味な文章とか、奇を衒ったものは岸本系とみなされるから、あくまでパスタから逸れずに、かつ印象深いネーミングであることが求められる。と思いつつ、持ち前のパロディ精神を発揮して「鎧や」「つの笛」なんかやりたくなるが、本家から怒られるだろうし……これは難しいぞ。

 それでも、

「はい、できました」

 と言って提案したのが下記である。


六、アーリオ(オーリオ)上田

七、スッタニパスタ

八、上田パスターミナル


「ダジャレじゃないか」

 編集者が言った。

「ダジャレで飛びつくのは初回だけですよ」

 お前だってタベールノとかハラヘリーニとか言ってたじゃないかと思いつつ、

「そうですかねえ」

「でも、地名を入れるのは面白いかも」

 とイラストレーターが言う。

「例えば、嬬恋とか長野原って、群馬県じゃない。もう軽井沢町じゃないのに、ブランドに乗っかるために、北軽井沢って言うよね」

 と、もう人生で百回は聞いた定番の例示を聞かせたのち、

「なんで、たとえば」


九、リストランテ西軽井沢


「こんなんどうでしょう」

「いやしかし、上田を西軽井沢というのは……」

「だめですかね? 西軽」

「だめではないが、西軽井沢といえるのは、せいぜい御代田まででしょう」

「そんなことだれが決めたんです」

「むろん誰かが決めるたちのものではない」

「ならいいでしょう」

「そんなことにはならない」

 編集者もイラストレーターも気色ばみ、

「御代田から上田まで、車ならそんなに掛かりませんよ」

「しかし、それなら東御や小諸はどうなる」

「西軽井沢に入れたらいいじゃないか」

「入れたらいいじゃないかと言われても……」

 明らかに無理があるのだが、引くに引けなくなり、

「入れて一向に問題ない。上田はもちろん、千曲市や白馬村だって西軽井沢だ」

「そりゃ方角わね」

「そうだよ。さっきから方角の話をしてるんじゃないか」

「してねえよ。地名を入れるって話だろうが」

「まあまあ、ちょっと待ってください」

 ぼくは言った。

「整理すると、地名と、インパクトのある名前の組み合わせで考えてみてはどうですか。Nさん、いかがです」

「そうしましょう」

 さきほどから全くコーディネーターの仕事ができていないNは頷き、

「そしたら……なんかありますかね?」

 一貫して他人任せである。

「こんなのどうです」

 編集者が言った。


一〇、初めに言っておきます。トイレありません。上田


「いやしかしそれは」

 Nが苦笑した。

「そもそも岸本系ですし……それに、飲食店の名前にトイレなんて入れるのはだめですよ」

「じゃあ、こんなのは」

 とイラストレーター。


一一、タベールノ五〇〇 上田店


「ああ、なるほど。価格を推すと」

「そういうことです」

「いいかもしれない」

 ぼくは言った。

「あとはそうだな、ゴヒャクを、あえてチンクエチェントと言ってはどうです」

「なるほど、フィアットですね」


一二、タベールノ・五〇〇(チンクエチェント) 上田店


「そうです。フィアット五〇〇と言えば、これぞイタ車という感じがしませんか」

「しませんな」

 編集者が言った。

「最低限、アルファロメオでしょう。本当はフェラーリやランボルギーニだが」

「だけどちょっと敷居が高すぎますよ」

「アルファロメオはそんなに高くないですよ」

「そうかもしれないが」

 面倒なやつだと思いつつ、

「フィアット五〇〇は小さいし、親しみやすいでしょう」

「それを言うなら、ロメオのミトやジュリエッタだって小さいですよ」

「ですが五〇〇よりは大きいでしょう」

「じゃあ、なんでアバルトじゃだめなんですか」

 うるせえなと思い、ぼくはNに、ちゃんとコーディネートしろ、とチャットで伝えた。すぐに、そろそろ打ち切ります、とNから返信が来た。

「あの、いろいろとご意見を頂戴でき、光栄です」

 Nが言った。

「本当に、かなり参考になりました。ちょっと結論はいますぐには出せないんですが、持ち帰りましてですね、自分なりに考えて、最終的に決めたいと思います」

「…………」

「…………」

「…………」

「今日の御礼は、開店しましたら、無料ご招待ということで代えさせていただきます。一食分、サービスさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」

 日当五〇〇円か。

 別に金額なんてどうでもいいが、こんな会議で、本当にネーミングが固まるのだろうかと、ぼくは心配だった。



 それから一カ月が経ったある日、Nから、店がオープンしたから来てください、と連絡が入った。名前は何に決まったのかと訊いてみると、見てのお楽しみだと言う。結局、駅前のなんとかいうビルの二階ですからと住所だけ送ってきたので、ある日の仕事帰りに、快速に飛び乗って行ってみた。

 駅から構外へ出て、遠目にそのビルを見る。

 ビルの階段に、なんと行列ができていた。

 三階は学習塾だというが、並んでいるのは大人ばかりだから、あれはパスタ屋の客なのだ。これは……かなり繁盛しているのではあるまいか。

 だが、ぼくはびっくりした。

 そのビルの看板に、パスタ屋の名前も書かれているのだが……


一三、3015CN7myVu39


「どうしちゃったの、この店名」

「ワイファイのパスワードですよ!」

 厨房から顔を出したNが、ぼくに教えた。

「あの後、いろいろ考えたんですが……ワイファイのパスワードなら、ここにフリーワイファイがあることも示せるし、文字列のインパクトもあるかなと」

「しかし……」

 と口ごもると、

「ハハハ、ご心配なく。フリーワイファイがあるからって、パソコンいじりで、ながっちりになるお客さんが現れないかって言うんでしょう」

「うむ」

「それが、全くないんですよ。ちゃんと注文はしてくださるし、召し上がるだけ召し上がって、すぐにお帰りになります。たしかに初見のインパクトはあるでしょうが……やはり、値段の割に味がいいから、こんなに来てくださるんですな。毎日来られる方も大勢いらっしゃいます。フリーワイファイに惹かれて、旅行中の外国人なんかも結構来られますし……本当にありがたいことです。料理人冥利につきるとは、まさにこのことですな」





 了

 

 













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