リモート講義
今日は、妻も在宅勤務である。
妻は、医療系の専門学校で講義を一つ持っている。
その専門学校でコロナの感染者が出たとかで、今日はオンライン講義になったのだ。
妻の部屋から、講義をおこなう妻の声が聞こえてくる。
もちろん、私にはさっぱり理解できない。
どうも統合失調症の患者に処方される薬の副作用とか、投薬上の注意点に関する話らしいが、専門用語ばっかりで、ちんぷんかんぷんなのだ。
私は書斎にこもり、自分の仕事にとりかかった。
こっちはこっちで、仕事が山積しているのだ。
それでもなんとか片付けていって、ほ、と一息ついたとき……。
妻は、まだ話しているようだった。
そうだ。
たしか、今日は二コマ続きの講義だと言っていた。
すると、三時間も喋るわけだ。
大変だと思いながら、私は自室を出た。
ここいらで、一服入れようと思ったのだ。
台所でコーヒーを淹れ、カップを手に、庭へ出た。
二階から、妻の話し声が聞こえてくる。
庭の椅子に腰かけ、煙草を吸っていると、高い場所から、カタン、音がした。
「?」
私は頭上を見上げた。
うわ、と思わず声をあげた。
若い男が――どうも学生風の若い男が、二階の窓から身を乗り出しているのだ。
その窓は、妻の部屋の窓だ。
あれはなんだ?
「おい、なにしてる」
私は煙草の火を消して、椅子から立ち上がった。
「おい、だれだきみは」
泥棒か?
妻は無事なのか?
「なにやってんだ」
若い男は、窓の桟に鉤のようなものを引っ掛けると、するするする、とロープを伝って、地上へ降りてきた。
その若者に続き、これも学生風の女の子が降りてきた。
それだけでは終わらなかった。
若者が、次から次へと庭に降りてきたのだ。それも、ロープを伝うスリルを愉しむように、キャーキャー、ワアワアはしゃぎながら……。
結局、七、八人の若者が庭に降りてきた。
「お前ら、いったいなんなんだ」
だが、彼らは私など見向きもせず、敷地を出て、道路のほうへ歩いていく。
「さ、遊びに行こうぜ!」
「このへんになにかあるの?」
「知らないよ。知らないけど、つまんない話を聞くよりはいいだろ」
「それもそうね!」
「ハハハ、ばっくれた、ばっくれた!」
「…………」
私は、しばらく呆気にとられていた。
と。
そうだ。
妻は?
私は急いで家の中へ戻り、二階へ駆けあがった。
妻の部屋からは、相変わらず、講義の声が聞こえてくる。
ゆっくりとノブをひねり、中を伺うと、妻はこちらに背を向け、パソコンと対峙していた。
さっき若者が何人も降りてきた部屋の窓は、ちゃんと閉まっている。あの鉤も、ロープも見当たらない。
カメラに私の姿が映ったのか、妻はこちらを振り返った。
シッシッと、顔をしかめて私を追い払った。
「嫌味を言いたいわけ?」
私と妻は、庭に立ち、二階の窓を見上げている。
「あんな高いところから、ロープを伝って学生が何人も降りてきたですって? ふん、ばかばかしい」
「本当なんだ」
「もうよして!」
妻はぴしゃりと言った。
「あたしの講義がつまらないって言いたいんでしょ。あなた、そんな作り話をしてまで、あたしを馬鹿にしたいの?」
了
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