注連縄


 ある地方都市である。

 自社工場への出張を終えたぼくは、そのまま帰りの駅に向かった。

 工場といっても、比較的町のなかにあるから、駅も近いのだ。 

 そのまま一番早いダイヤに飛び乗ってもよかったのだが、せっかくだからと駅前通りを散策した。その折に、ちょっとした商店街があるのを見つけた。この町に、こんな商店街があったのか。線路とは平行に軒を連ねる、幅員の狭い、昔ながらというか、いかにも生活感に溢れる商店街だ。こんな田舎では、駅前の繁華街といってよいのかもしれなかった。

 ぼくは、しばらく通りを冷やかしてから、良さそうな喫茶店に入った。

 店の中には、三、四人の客がいた。

 店主らしき男性は、ぼくの姿をじろりと一瞥すると、こちらへどうぞ、と店の奥の大きなテーブル席へ案内した。空いているので気前がいい。少しよそよそしいのが気にはなったが、見慣れない奴が来た、ということだろうか。

 アメリカンを飲みながら、営業日報やスケジュール帳を整理した。

 それに気が付いたのは、会計を済ませ、帰りしな、店のドアを閉めるときだった。ぼくは、あれ、と首を傾げた。

 ――注連縄だ。

 ドアの上部に、注連縄が飾ってあるのだ。

 二の腕ほどの稲わらの束をねじり上げて、ちゃんと紙垂しでも藁も挟んである、本格的なものだ。

 店に入ったときに気が付かなかったのか?

 いや、注連縄なんか飾ってあれば、きっと目にとまったはずだ。見過ごすのは考えづらい。

 となると、ぼくが店内にいる間に飾られたのだろうか。

 気になるから訊いてみようと思い、ドアノブに手を掛けると、ノブが回らない。

 鍵が掛かっているのだ。

 気が付くと、ドアには「CLOSED」のプレートが提げてある。

 クローズド? 

 だって、中にまだ何人か客がいたじゃないか。一体どういうことだ?

 よくわからないが、いまいる客をはいて、新たな客は入れない、ということなのだろうか。それにしてもと思い、もう一度ノブに手を掛けたが、頑なにノブは動かない。

 この注連縄といい、急な施錠といい、なんだか妙である。

 なにか、このあたりでお祭りでもあるのかと思ったが、ぱっと見たところ、この喫茶店のほかはどの店も普段どおりの様子である。注連縄を飾っている店なんて、他には一軒もないのだ。

 と思いきや、道を挟んで五〇メートルばかり行った煙草屋の店先にも、同じように注連縄が飾ってあった。「TOBACCO」と書かれた店の赤い庇に、いささか不格好だが、注連縄が結わえてあるのだ。

 煙草屋へ行ってみた。

 ところが、煙草屋の小窓は内側からカーテンが閉められていて、人の気配もなかった。

 庇には、白く縁どられた小さな穴がいくつか空いており、その穴に水引のような朱色の帯紐を通して、注連縄を結わえている格好だった。

 煙草屋のとなりが和菓子屋だった。和菓子屋の人に、注連縄のことを訊いてみよう。

 ところが、和菓子屋に入っても、誰も出てこない。咳をしたり、わざと靴音を高く立ててみたりしたが、店はしいんと静まり返っている。

「すみません」

 とうとう呼んでみたが、返答はない。

「すみません」

 これにも応答なし。

 ぼくはあきらめて、和菓子屋を出た。

 ふたたび隣の煙草屋の軒先に立って、商店街をぐるりと見回した。

 さっきの喫茶店には、まだ注連縄が飾ってあった。遠巻きに見ても、異様としかいいようがなかった。

 すると、ここから七〇メートルばかり行った先、今度は同じ並びにある金物屋の軒先にも、注連縄が飾ってあるのが見えた。

 行ってみると、だがその金物屋も、店のシャッターが下りていた。

 しばしその場で首をめぐらせた。すると今度は、通りを横道に逸れてすぐの金魚屋に、注連縄が飾ってあるのが目に入った。

 行ってみると、その金魚屋は、ちょうど店じまいの最中らしかった。

 金魚屋の店主らしいお爺さんがこちらに背を向けて、おそらく軒先に置いていたのだろう、大きな金魚鉢を抱えて、店の中へしまいこむところだった。

 お爺さんは、金魚鉢を床に置くと、そのまま、なぜか後ろ手で店の引き戸を閉めた。

 それとほとんど同時に、引き戸の右側から、シャッとカーテンが閉められた。

 むろん、お爺さんが閉めたのではなかった。見た目には、勝手にカーテンが閉まったように見えた。そんなことはあり得ない。あり得ないが、そうとしか見えなかった。

 ぼくは、あっという間に閉店してしまった金魚屋の軒先で、注連縄の紙垂しでが、夕方の微風にそよそよと揺られるのを眺めていた。

 喫茶店。

 煙草屋。

 金物屋。

 金魚屋。

 ぼくは考えた。

 おそらくこの四軒は、神道の中でも、同じ教派に属しているのだろう。その教派において、何か催事(祭事)があって、だから注連縄なんて飾っているのではあるまいか。そういう例を過去に見た記憶はないが、そういう例がまるでないというわけでもないだろう。そういう催事があるから、今日はもう店を閉めたのではあるまいか。

 しかし、そもそも注連縄とは、たしか「結界」を示すものではなかったか。家の神棚に注連縄を飾るのは、神棚は神の住まいであって人の世界と別世界であることを示している。神社の社殿に注連縄を飾るのも、同様の理屈からだ。となると、金物屋だの金魚屋だのが、この場合は神域ということになるが、それはおかしな話である。では、いったいなんなのだ?

 ――と。

 ぼくは気がついた。

 金魚屋の隣は、道から少し奥へ引っ込んだ、お茶屋である。そのお茶屋もシャッターが閉め、軒先には注連縄が飾ってあるのだ。

 お茶屋だけではない。

 その隣の民宿も、その向かいの漬物屋も、その隣の靴屋も、いや、目に映る通りの店々は、いまやどこも店じまいをしおおせて、軒端に注連縄を飾っているのだ。

 ぼくは、心の底で、なにかがカタコトと音を立てて震えているのを聞いた。

 ゆえない焦燥に駆られる思いだった。

 金魚屋のある横道から、元来た商店街の道に出た。

 その道をしばらく行って、わずかな記憶を頼りに四つ辻を左に行くと、じきに神社が見えてきた。

 鳥居をくぐって境内に入ると、狩衣かりぎぬを着た、おだやかな顔つきの神職の男性が、参道の掃き掃除をしていた。袴の色からすると、どうも宮司ではなさそうだった。彼はふと顔を上げて、急にやって来たぼくの顔を、じっと見つめた。

「あの」

「どうされました」

「あの注連縄はなんです」

 境内からも、神社の外にある紙屋や、呉服屋の軒が見えた。

 ぼくはそちらを指さして、

「ほら、あれです。あそこだけじゃなく、急にどこも店じまいをして、軒先には注連縄が飾ってあるんです」

「それは、間違って入って来ることを防ぐためなんです」

 要領を掴みかねた。そんなぼくの様子を見てとったらしく、

「つまり、これより先は神域であるから、入ってはならぬと。こういうことでございます」

「しかし」

「たとえば異界の者が通りを歩いてきたとしても、注連縄を飾ることで、これより先は神域であるから入ってはならぬと教えることができます」

「異界の者ってなんです」

 すると、神職は柔和な笑みを浮かべて、

「ご自分の体を、いまいちど改めなさい」

 と言った。

 言われたままに、ぼくは顎を引いて、自分の体を見やった。

 うわ、と声を上げた。

 ぼくの白いワイシャツは、べったりと血に濡れていた。その血が他人の血ではなく自分の血であることは、えぐれた腹部の切創を見ればすぐにわかった。

 左脚が、もがれていた。ちょうど脚の付け根の先から欠損しており、しかし、まるでそこに左脚があるかのように、ぼくはその場にちゃんと立っている。

「おわかりになりませんか。〇〇町にある化学工場が、爆発してしまいました」

 彼は、にこやかに、

「そうです。あなたは異界の者なのです。そして私も、やはり異界の者なのですよ」

 と言った彼の胴体には、何本もの和弓が突き刺さっており、針のむしろになっていた。一本などは、彼の色白の頸部を、ほとんど水平に貫いていた。白い狩衣には、川のような血の筋がいくつもあった。しかし、彼はあくまで静かにほほ笑むだけだった。

 ぼくは、参道の向こうにある、古さびた本殿に目を向けた。これまでに見たどの注連縄よりも巨大な、そして揺るぎのない神域の誇示がそこにはあった。見るだに、ぎらぎらと目に眩しかった。





 了

 


 

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