ピラミッドパワー


 昼休みに屋上へ出ると、何人かの上司が、寄り集まってなにかしていた。

 よく見ると、三人が、一人を取り囲んでいる。

 トラブルか?

「やあ、山田君か」

 上司のひとりが言った。

「ピラミッドパワーって知ってる?」

「は」

「ピラミッドパワーよ」

 他の上司も続いた。

「いきなりそう言ったって、山田くんは分からないでしょう。我々が子どものころに流行ったんだから」

「それもそうね」

「ピラミッドパワーとは」

 最初の上司が説明した。

「三角形が、不思議な力を与えてくれるってことなんだ」

「不思議な力?」

「エジプトのピラミッドの中には、王の棺があるだろ。そこには死体が入っていたわけだろ。三角形の中央に棺を配置すると、死体が腐らないのさ」

「え? 防腐処理をしたからではなくてですか」

「ああ。ピラミッドの内部は、不思議と、どんどん脱水されていくんだって」

「はあ」

 にわかには信じがたい話である。

「三角形には不思議な力があるのさ。たとえば、三角錐の中に剃刀を入れておけば、研がなくても永久に使えるだとか、三角錐の部屋に入って瞑想すると簡単に悟りが開けるとか、三角錐の中で保存した水には霊力が宿るとかさ。オカルトブームのころには、そういうピラミッドパワーが流行ったんだよ」

「吉田くんが体調悪いっていうから」

 吉田次長のことである。彼らはみな同期入社なのだ。

「こうやって、三人でピラミッドを作ってたの」

 そう言うと、吉田次長をのぞく三人は、吉田次長を三点から取り囲んだ。

 そして、それぞれ、両手を中央へ差し伸べた。

 吉田次長は、三角形の真ん中でしゃがみこんでいる。

「朝から腹が痛くてね。だけどもう大丈夫。全快だよ」

 彼らは包囲陣を解いて、

「君からすればバカみたいだろうけど、わたしたちの世代だと、いまだにやっちゃうのよね」

「子どものころからの慣習だから」

「ああ、しかし本当に胃が爽快になった。これぞピラミッドパワーだな」

 彼らは、ぼくを置いて戻っていった。

 ピラミッドパワーだなんて、ぼくにはまるで信じられないし、いい大人がそんなことを会社で実践しているだなんて、まったく理解できない。

 それに、上司連中とぼくの両親とは似た年恰好だが、ピラミッドパワーの話なんて聞いたことがない。さっき、彼らはさも世代でくくるようなことを言っていたが、まるで腑に落ちないのであった。



 その日以来、ベテラン社員は、しばしば三角の陣形を張るようになった。

 たとえば、会議が行き詰まって膠着していると、ベテランたちが急に立ち上がり、なにをするかと思えばピラミッドの儀式をはじめるのだ。

 儀式はほんの一○秒ほどで終わるが、その間、若い社員は目がテンだ。

「はい、整いました!」

 すると、中央でしゃがんでいた社員は、急に冴えた発言をするようになる。

 ちょっと気分転換をして頭が冴えただけかもしれないが、そんなことが立て続けに起こるとと、これはもしやピラミッドパワーの効果かと思ってしまう。

 実際に、ピラミッドパワーの儀式を経て上がった企画が、いくつも社長決裁に通った。

 いつからか、社内に、やたらと三角錐を見るようになった。

 ダンボールで作ったもの。

 新聞の折り込みチラシで作ったもの。

 プラスチック製の、透明なもの。

「君らの中に」

 ある日、社長が社内放送でこう訓示した。

「あってはならないことだが、男女の三角関係にある者は、即刻、直属の上長に報告すること。関係改善のため、上長が積極的に間に入ります」

 なんの話だとギョッとしたが、ベテラン社員の連中は、みな真剣な表情だった。そう言えばいまの社長も、年齢的にはピラミッドパワー世代である。

 社内のあちこちに配置された三角錐のおかげか、会社の業績は伸びていった。

 各フロアのデスクは大三角形に配置され、その中心に管理職が鎮座した。

 この頃には、ぼくも含めた若い社員にも、ピラミッドの儀式が奨励された。ベテランたちがつくるピラミッドの中に入り、ひょいとしゃがみこむのである。

 効果のほどはわからない。

 だが、業績が伸びて、仕事がどんどん忙しくなるのに、体力はあるし、頭もよく働いた。絶好調なのだ。

 会議を開けば、誰の口からもアイデアが出るようになった。そのどれもが、市場に問えば金になった。次から次へと当たるのだ。

 これはやはりピラミッドパワーのなせるわざだと、誰もが口にした。皆、そうそう簡単に頭が良くなるはずはないからである。

 どんどん新規事業が始まった。

 社員も増えて、三角錐も増えて、社内はみるみる手狭になった。床など足の踏み場もない。

 当然のなりゆきとして、社長は社屋を建て替えるといいだした。

 もちろん、ピラミッド型にしたいそうだ。

 建て替えに異を唱える者はなかった。

 夏の賞与がどれだけ出るか、時期になると社員はそわそわした。

 労働組合の要求月数は五ヶ月だった。これでも、以前なら交渉の場で張り倒されても不思議はない月数だが、民間企業なんだから、利益が出ている以上は配分されなくてはならない。結果、会社からの回答は七ヶ月だった。

 組合の執行委員長は胴上げされ、持て囃されたが、うっかり床へ落とされて腕を骨折した。彼は翌日、三角巾で腕を吊り元気に出社した。

 社長は、新社屋はエジプトのクフ王のピラミッドと同じ寸法にすると宣言した。

 挙句、自分の父親が作っておきながら、あんな陰気な社歌も変えちまおうと言い出した。

 そうだ、「青い三角定規」に歌ってもらおうと提案したが、だれかがあそこは自殺や脱退でメンバーが様変わりしたと教えると、それなら「ナイアガラ・トライアングル」の大瀧詠一に依頼すると言ったが、それも亡くなりましたと聞かされると仕方がないから自分で歌うということでまとまった。

 工事期間は、まるごと貸切った、近くのビルで仕事をおこなった。

 このビルは、ただの長方形である。ピラミッドパワーを弱めぬために、無数の三角錐が、まるで霊園の墓石のように、各フロアに敷き詰められた。

 工事には、無慮千人に及ぶ労務者が従事した。

 賃金は相当良かったらしい。聞けばぼくら社員より良かったそうである。 

 昼夜を分かたず、異例の急ピッチでピラミッドの建設は進んだ。ある夜、建築中のピラミッドの尖塔付近に、巨大な鳥の影が見えた。ちょうど夜間工事の休憩中だった労務者たちは、闇の中で、黒い怪鳥がぐるぐる旋回するのを口を開けて見ていたが、翌朝その話を聞いた法務部のインテリが「ホルス神ではないか」と呟き、あたりは水を打ったように静まり返った。

 とうとう新社屋が完成した。

 ビル街に、高さ一三○メートル、周囲二四〇メートルという途方もない大ピラミッドが竣工されたのである。

「アヌン・クヌ・クフート!(俺は現代のクフ王だ!)」

 豪勢な金糸や宝石の散りばめられたファラオのカツラを被った社長は豪語し、新築のピラミッドの前で天を仰いだ。

 地元住民から新社屋が「南信州エジプト村」と揶揄されていることが社長の耳に入らぬよう、家臣たちが細心の注意を払った。

 竣工記念パーティーが、新社屋で開かれた。

 知事、県議会議員、市長、市議会議員、土建屋、寒天会社の社長をはじめ、来賓や取引先のえらい人たち、それから社の管理職が、男性は古代エジプト風の半裸、女性はビーズ柄のノースリーブのワンピース姿で大ホールに会した。

「ダッハッハ! さあ、我が社の新しい社屋に! 輝かしい未来に! 偉大なるピラミッドパワーに乾杯しましょう!」

 最後に社長の姿を見た人は、社長の目や鼻や口から、赤い光が放出されていた、と証言している。まるで内部のエネルギーが、からだの孔という孔から漏れ出ているようだったと。あのときたしかに社長はファラオのようだったと。

「乾杯!」

 と発声した社長の舌の根が高麗人参のように渇き、続いてキエッと声を立てたときには既に肉体の風化が始まっていた。社長のからだの肉は、乾いたぼろ雑巾のようにかさかさになり、ぽろぽろ剥がれ落ちていった。密閉されていたはずのピラミッドに、どこからか砂嵐が吹き込んできて、落ちた肉の剥片はきれいに吹き飛ばされた。あとにはされこうべしか残らない。だがそのされこうべも風に四散し、白いむくろの上を、かさかさと黒いスカラベが蠢いていた。ゴキブリだったかもしれないが、あんな手の平大のゴキブリなんて日本にいるはずがないから、やはりスカラベに違いないという話である。だが、ろくに観察する暇はなかった。来賓の連中も、ほとんど間を置かずに急激に白骨化していったんだという生存者の証言である。

 異変を感じて、何人かは慌ててピラミッドから脱出した。彼らは、ドドドドドと轟音を鳴らしてピラミッドが沈降していくのを見た。猛烈な砂埃が目を傷めたのか、それとも悲しいからなのか、彼らは遠巻きから涙目でクフ王のピラミッドが地下へ吸い込まれるのを見届けた。

 竣工記念パーティの一部始終は、ぼくらヒラ社員は貸しビルからオンラインで眺めていたが、すっかりブラックアウトした画面を眺めながら、係長が、

「やっぱり歴史は二度あってはならないんだ。歴史を復元しても、歴史によってすぐさま訂正される。歴史はぼくらを監視しているんだなあ」

 としみじみ言ったのが忘れられない。





 了






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