出張の帰途


 ホームに、新幹線の車両が入ってきた。

 みか子は、自由席車両に飛び乗った。

 運よく、最後尾の座席が空いていた。

 腰を下ろすと、みか子はぐっと伸びをした。

 一日がかりの企画会議が、やっと終わったところなのだ。かなり神経を使う会議で、準備も入念におこなったので……疲労困憊なのである。

 帰りの駅まで、二時間の長旅だ。

 なるべく寝て過ごそう。

 明日に疲れを持ち越さないように……。

 みか子は、座席のリクライニングを、おもいきり倒した。

 車両が、ゆっくりと動きはじめた。

 さあ、寝よう。

 寝て。

 からだを休めよう……。

 二時間もあるのだから……。

 たっぷり眠ろう……。

 ――だが。

 うるさい。

 子どもの声である。

 車両の、前のほう。

 子どもが何人かいるようで、話し声がすごくうるさいのだ。

「それ、あたしのよ!」

「いいじゃないか!」

「だめだったら!」

「それ、ぼくンだよォ!」

 どうも、菓子かなにかを奪いあっているらしい。

「ああ、うまい」

「けち!」

「ねえ、それぼくのだよォ」

「だまってろ!」

「返してよォ」

 保護者はいないのだろうか?

 かなりうるさい。

 なぜ注意しないのだろう?

「うめえ!」

「返してよォ!」

「やだったら!」

 みか子は、ため息をついた。

 ついていない。

 これでは寝られたものじゃない。

 まったく、保護者はどうしたのだ?

 このまま放置するつもりなのか?

「ほら、やめなさい」

 やっと母親らしき声が聞こえた。

「うるさいわよ、やめなさい」

 しかし、子どもたちに効果はないらしい。

 ちょっと大人しくなったと思うと、じきに騒ぎだすのである。

「ねえ、ぼくそっち行くゥ」

「あたしの席!」

「うわァ、でっかい山が見える!」

「どこどこ?」

「でっかいなァ!」

 どうやら、今度は席を移動しはじめたらしい。

「ねえ、そこぼくの席ィ」

「でっかい川が見える!」

「お菓子返してよ、お菓子!」

「ほらほら、よしなさい」

 周りの人たちも、いらいらしているはずだ。

 だれか怒ってくれないだろうか。

 それとも。

 次の駅で降りてくれたりしないだろうか。

 いやいや。

 こういうときに限って、なかなか降りないものなのだ。

 と。

 あれこれ考えているうちに、車内放送が、次の駅が近いことを伝えた。

「あら、もう?」

「あっという間ねえ」

 子どもたちがいるあたりで、声がした。

 お婆さんの声である。

「話をしてると、あっという間だねえ、ほんと」

「ほんとになァ」

 今度はお爺さんの声だ。

 みか子は起き上がり、首を伸ばして、車両の前方を見た。

 ――老人だ。

 お爺さんが一人に、お婆さんが二人。

 そして、中年女性が一人というグループだ。

 その一行は、立ち上がって、棚から紙袋を下ろしているのである。

 東京みやげの紙袋で……旅行帰りのようなのだ。

「ああ、楽しかったわ」

「子どものころに帰ったようだったわ」

「東京なんて、あっという間だね。近いもんだねえ」

「ありがとね、山本さん」

 山本さんとは、中年女性のことらしい。

「お忘れ物はないですか? あ、切符はお持ちでしょうかね。もう一度確かめてくださいね」

「施設へはどうやって帰るんでしょう。心配だわ」

 お婆さんが言った。

「心配いりませんよ、清水さん。お迎えのワゴンが来てますからね。それに乗って帰りましょうね」

「ああ、そうですかァ」

 みか子は、座席を立って、通路を進んだ。

 たしかめたが……

 子どもなんて、どこにもいない。

 座席は、ぎっしり人で埋まっているが……その中に、子どもなんていないのだ。

 みか子は、形だけいったんデッキに出てから、すぐに元の席に戻った。

 車両は入線をはじめた。

 老人たちは、少し危なっかしい足取りで、車両から出ていった。

 ――あの子どもたちの声は、なんだったのだ?

 老人の会話が、子どもの会話に聞こえたということなのか?

 ばかな。

 そんなこと、あるはずがない。

 みか子は、窓の外を見た。

 さっきの一行が、駅のホームを歩いている。

 だが――

 引率の、山本さんとかいう女性の後ろには、お爺さんとお婆さんの二人しかいない。

 もう一人、お婆さんがいたではないか。

 老人は三人組だったはずだが……

 二人なのだ。

 また、ゆるゆると列車が動きはじめた。

 前方の席は、ぽっかり空いていた。

 誰も乗ってこなかったのだ。

 みか子は、もうすっかり眠る気がなくなっていた。



 

 

 

 

  

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る