パワーストーン
同期入社の陸川が、ちょっと面白い話があると言うので、喫煙所に落ち合った。
「しばらくだったな」
「ああ」
ぼくはタバコに火をつけ、
「なんだ、面白い話って」
「実はね……」
陸川は、背広の袖口をぼくに突き出した。
左手首に、数珠のようなものをつけている。
「なんだそれ」
「パワーストーンなんだ」
「パワーストーン?」
「石の種類や色ごとに、いろいろな力があるんだよ。たとえば、いましているのはトリプライトなんだけど」
と言われても、ぼくにはさっぱりわからない。
「トリプライトには、発想力を高めるとか、目標を達成するとかいった効果があるんだ。実際、ぼくはこのブレスレットをつけだしてから、企画書をすでに三本も提出しているし、ぼくのてがけた新商品の受注数が、予定を大きく上回っているのだ」
「それで――」
ぼくは、皮肉まじりに訊いた。
「そのブレスレットを、ぼくに売りつけようというのか?」
「まさか」
心外だという表情で、陸川は言った。
「情報提供だよ。デスクに戻ったら、――というサイトにアクセスしてごらん。いろいろ、目的別にパワーストーンを紹介しているよ。購入することもできる。きみも、なにか思うところがあるなら、パワーストーンの運気を借りてみてはどうだろう。別にそれほど高いものじゃないし……」
その日は、それで終わった。
デスクに戻っても、ぼくは陸川の教えたサイトを検索することはなかった。
そもそも、石が運気を高めるだなんて全く信じられないし、万が一そんな石があっても、ブレスレットをじゃらじゃら手首につけて仕事をするなんて、ぼくには違和感しかないのだ。
それに、陸川の話すブレスレットの効果だって、一種のプラセボ効果にすぎないのではないか? 陸川は、もともと頭の良いやつだし、企画書だの受注数だのも、きっと本人の実力にちがいない。
と。
しばらくこのことを忘れていたぼくのもとに、また、陸川から内線電話が掛かってきたのだ。
例によって、今から喫煙所で落ち合おう、と言うのである。
「やあ、しばらくだな」
大きな会社で、部署の違うぼくらは、普段なかなか会うことはない。
「またブレスレットか?」
ぼくは先手を打った。
「そのとおり」
陸川は笑った。
「まあ、懲りずに、ちょっとこれを見てくれ」
陸川の手首には、五つも六つもブレスレットが巻かれていた。
それも、琥珀色のものや、紫色、無色透明なもの、真っ白なものなど、すべて色が異なるのだ。
じゃらじゃらじゃらじゃら……。まるで、成金かクラブのママみたいだ。
「ずいぶん武装したな、おい」
ぼくはあきれ半分で言った。
陸川はカカカと笑い、
「武装とは言いえて妙だよ! あれからぼくは、すっかりパワーストーンに凝っちまってね。たとえば、この白いのは、健康増進や胃弱を克服する効果があるんだ。いい仕事をするには、まずは健康でなければいけないからね。それから、これは深い集中力を生み出すパワーストーンだし、これは恋愛運を増大させるパワーストーン、これは交通事故を防ぐパワーストーンなのだ。そして、この黒いのは……人の心象をよくするパワーストーンなんだ。ひらたく言えば、出世運が急上昇するのさ! このブレスレットをしはじめてから、たしかに部長のおぼえがいいようでね。課長をすっとばして、いきなりぼくに大事な仕事をよこすようになった!」
「…………」
ぼくは、だんだん気味が悪くなってきた。
陸川のやつ、パワーストーンの効果にばかり気がいっているが、こんなにいくつもブレスレットをつけていること自体、異様なことだとは思わないらしい。
しばらく雑談を続けたが、陸川は、きみもブレスレットを買いたまえ、一緒にパワーアップして、この会社を盛り立てようじゃないか! などと、いやに威勢がよく、それがまた不気味なのだった。
夏の人事で、陸川は九州営業部に異動となった。
ずっと企画開発部にいた人間が、いきなり営業職に転換されるのも異例なのに、よりによって、はるばる九州だなんて(九州や北海道は現地採用が多いのだ)、いかにも解せなかったのである。
うわさでは、陸川のやつ、あの調子でブレスレットを人にすすめて回ったらしい。実際に話をもちかけられたという人が、ぼくのシマにも何人かいた。
なんと、直属の上司はおろか、副社長にまでブレスレットをふれて回ったらしい。それも、押し売りめいたものではなく……本人は、あくまで善意から良いものすすめます、ぜひぜひ使ってはいかがでしょう、といったようすだったらしい。それだけに、かえって異様な観を呈していたらしいのだが……
結局、社内では、九州行きは、一種の懲罰人事だろうと解されたのだった。
それからしばらくして。
ぼくは、陸川に用事があって、九州に内線電話を掛けた。
「やあ、もうそっちには慣れたか?」
「とっくに慣れたさ! 新天地に溶け込むためのブレスレットをつけているからね」
「…………」
「だが、なるべく早く本社に帰りたいよ。ぼくはあくまで企画開発で実力を発揮する男だからね。だから、そのためのブレスレットも買ったんだ」
「買ったって……」
ぼくはちょっと考え、
「出戻りのブレスレットか?」
「まあ、そんなものさ。本来は、旅行や出張に出たときに、ちゃんと家に帰ってこられるようつけるブレスレットなんだよ。こんな九州くんだりは、ぼくにとってただの出先だろう? だから、このブレスレットをつけていれば、いずれ近いうちに本社に凱旋できるのさ。そのときは、またよろしくな!」
「…………」
陸川は、しかし、九州でもブレスレットをすすめて歩いたらしい。
挙句、取引先でもそんな話の行脚をし……悪いことに、どこかのえらい人が、本社にクレームを入れたのだ。
会社としても、これ以上見過ごすわけにはいかなくなってしまった。
はじめは始末書で済む予定だったが、取締役会の喚問の席でも、ブレスレットうんぬんを喧伝するので……それも、こんないいものをつけないなんて経営者として間違っている、これでは会社が衰退する一方だ、いったいどういう見識なのだとまくしたて……とうとう、退職勧奨を受けたらしい。
陸川は、実家に出戻ってしまったのである。
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