峠の店


 峠をドライブしていた。

 峠の上り、中腹にさしかかったところで、ぼくは空腹を覚えた。

 田舎の峠道である。この先には、見晴らしのいい展望台があるだけで、なにもない。峠を越えて隣県の町に出るまで、腹ごしらえはできない。軽食を載せてくればよかったのだが、いつもは腹など減らないので、今日も用意しなかった。ドリンクホルダーに、缶コーヒーがあるだけなのだ。コーヒーのせいで、手洗いにもいきたいし――

 困った。

 おや。

 しばらく行くと、道ばたに、「IN」の立て看板があるのを見つけた。

 つづら折りの坂の途中に、開けた場所がある。

 そこに、飲食店が軒を構えているのだ。

 これは僥倖と、ぼくは方向指示器を出して、店の敷地へ入っていった。

 店は、プレハブに毛が生えたような、簡素なつくりである。山中といっても、このへんは雪があまり降らないから、こんな安普請でよいのだろう。

 店の入り口に、ところどころ木肌の剥げたベニヤが立てかけられており、

「ドライブイン 峠の茶屋レストラン 寄ってって」

 と、下手くそな文字がスプレーされている。

 ――まあ、いいか。

 この際、味なんか期待しない。胃袋をなだめられればよいのだ。それから、手洗いである。むしろ、こっちのほうが喫緊の課題なのだ。

 店に入った。

 会社の会議室にあるような長テーブルと、パイプ椅子が二つ三つ並べられている。

 それが、四セットある。

 ぼくは嘆息した。

 店の人が、出てこない。

 もしかして、営業していないのだろうか。

 それなら、手洗いだけでも借りておきたい。

 と。

 厨房に、人影が見えた。

 こんな狭い店に、店員が、五人もいる。彼らは、厨房の床にかがみこんで、車座をつくり、なにやらヒソヒソと話し込んでいるのだった。

 やはり帰るべきか?

 そう思ったとき、車座の、こちらに顔を向けている店員が気が付いて、立ち上がった。すると、一斉に、他の四名も立ち上がった。

「はいはい、いらっしゃいませ」

「やってます?」

 まずそれを訊いた。

「はいはい。やっています。ここは飲食店ですね。食事をお出ししますよ」

 妙な返しである。

「はい、では、お好きなお座席についてください。お座席はひとつの椅子とテーブルですよ。メニューは今から少し経つまでにお持ちしますから大丈夫なんですよ」

 カタコト? 外国人なのだろうか?

 しかし言われるままに、一角に腰を下ろした。

 店員のひとりが、メニュー表をもってきた。

 A4の紙に、明朝体が箇条書きされている。

――・カレーライス  一五〇円

――・ラーメン    一〇〇円

――・お寿司     八〇〇円

――・オムライス   七〇〇円

 以上、これだけなのだ。

 面妖なメニュー表だ。

 この際、品書きの少なさには目をつむるとしても、価格の設定もおかしい気がする。オムライス一皿が、ラーメン七杯と同額とは、いったいどういうことなのだ?

 それに、こんな山奥の茶屋が寿司を出すというのも妙である。握りではなく、ちらしなのだろうか。それにしたって――。

 よくわからないが、やめておいたほうがよさそうだ。

 ぼくは、あまり安いので、カレーライスとラーメンも避けることにした。となると、オムライスしか残らないが、仕方がない。オムライスを注文すると、席を立って、急いで手洗いへ向かった。

 用を足していると、背後に気配を感じた。

 ハッとして振り返ると、店員のひとりが、こちらを見ているのだった。

 若い、女性店員である。

「どうですか?」

「なにがです」

「ご加減はよろしいですか?」

「え」

「ご機嫌はよろしいですか?」

 聞き直した。

 どっちにしたって意味不明だ。

 ぼくは、はァ、まァ、と受け答えた。

 女性店員は、納得したのかそうでないのか、プイといなくなった。

 席に戻ると、もうオムライスがテーブルにきていた。

 見た目は、普通のオムライスである。小さなサラダに、スープも付いている。フォーク、スプーン、それに丁寧に箸まで添えてある。いっぱしのものじゃないか。

 ――だが、厨房から、店員たちの視線を感じる。

 仕事がまたなくなって、手持無沙汰なのだろう。ぼくの反応を観察しようというのだろう。たまにこういう店があるが、いやなものである。

 さっきから、いろいろと釈然としないが――

 腹が減っているのだ。

 食べるのだ。

 ぼくは、なにか合図があったかのように、勢いよく、オムライスを食べはじめた。

 あれ。

 ふうん。

 悪くない。

 いかにも、レシピに忠実に作りましたといった感じで、凝ったふうはないが、その代わり失敗もないような出来上がりなのだ。つまり、やる気になれば誰でも作ることができそうな代物なのだが、こんな山中では、それで充分なのである。

 ぼくはパクパクと食べ進んで――

 あっという間に、平らげてしまった。

 ふ。

 厨房を見る。

 例の五人は、やはり、こちらを眺めていた。ニヤニヤ笑っている。きっと、ぼくの食いっぷりを見て喜んでいるのだろう。そう思いたかった。

 と。

 ぼくは、テーブルの上に、小さな円筒を見つけた。

 小さな円筒に、鉛筆と紙が押し込まれている。

 一枚取り出してみる。

 飲食店によくある、アンケート用紙である。味のよしあしや、店の清潔感なんかを訊く、あれである。ぼくは字面を目で追った。

――お客様アンケート。

 うん。

――あなたは、地球のいちばん好きなところ、なにですか?

 …………。

――地球の抱える環境問題や平和に関する問題について、宇宙協和の観点からなに考えると思いますか?

 …………。

――もしも地球と異なる生息圏から移転した者でも害をもたらさないであれば地球への受け入れにやぶさかでないと考えますか? また、逆はイエスとあらかじめ言います。

 なんだこれは?

 なんの団体なのだ?

 気味が悪い。

 ぼくは、アンケート用紙を円筒に戻すと、財布から七〇〇円を取り出して、テーブルの上に置いた。

 大声で、

「ごちそうさま! お代はここに置きましたよ!」

 厨房の人々の顔を見ないようにして言い、店を出た。

 振り返ることなく自動車に乗り込み、すぐに発進した。

 追いかけてこられて、アンケートは書かないのかとか、面倒なことになったら困るからである。

 ルームミラー越しに、遠ざかる店をチラッと見たけれども、店員が出てきたようすもなく、相変わらず殺風景な店舗が、峠の中腹に佇んでいるだけだった。



 ぼくがこれを書いたのは、つい先日、久しぶりに、同じ峠をドライブしたからである。

 ああ、そういえばと、あのおかしな一件を思い出したのである。

 店舗は、しかし、既になくなっていた。

 いや、店舗どころか、つづら折りに突然開ける敷地など、どこにもなかったのである。間違いない。ぼくは、行きにも帰りにも、同じ峠を通って確かめたのだから。

 あの店、あの人々は、いったいなんだったのだろう。

 手洗いも貸してくれたし、空腹の虫を鎮めてもくれたので、気味は悪かったが、どこかで元気にやっていてほしいと思うのだが……。



 了

 


 

 

 

 

 

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