B 私の苗字も変わりました

 それから一年後の木蓮の季節。


「智樹さんは、二五歳、私は、一六歳になったわ。そろそろ……」


 新しくまた栞を作って貰った。

 白蓮の白い花びらと木蓮の紫のだ。

 智樹さんは、花びらでアートフレームも写真用に作る。


「ああ、友達以上に思っている。そう新美家のお父さんが眠る墓前で誓ったでしょうよ」


「え! それって、プロポーズなの?」


 白蓮は顔に手を当てる。


「何もおかしくないでしょう。そのままを言ったよ。指輪もいつか作ろうよ」


「そ、そうね……。身の丈に合わせるわ」


 二人は籍を入れ、白蓮は、夢咲白蓮となった。

 白蓮は、はしゃいで仕方がない。

 婚姻届のコピーが欲しかったと後になってぶつぶつ言った。


 後日、学校へ姓名が変わった報告をすると、何と校長先生に呼ばれる。


「新美の家庭の事情は承知した。しかし、派手にされては困る。これだけは、本校としても釘を刺すよ。分かったね」


「智樹さん、聞いて、聞いて。結局は、結婚式を挙げるなってことだって! 理解できない校風だよね」


 そのことを智樹に告げると、しっかりと肩を抑えられて言われた。


「高校は出た方がいいよ、白蓮の為に仕事をがんばるから」


 釘一つで結婚式を挙げられなかったが、白蓮は、後でできると思っていた。


「高校を出て、お金が沢山あったらできるもんね」


 キッチンへ向かってムキーと言っていた。

 智樹が仕事へ出ていて留守だったのもあり、尚更、白蓮はくさくさする。


 ◇◇◇


 秋も深まり、十月になった。


 以前から企画していた白蓮の写真集、『コムCommeダビトゥードゥd'habitude』がやっと完成し、出版された。


「ねえねえ、智樹さん。これ!」


 白蓮は、学生通りにある金沢かなざわ書店の店頭ではしゃぐ。


「ああ、やっと、二人での初仕事だな」


 智樹は満更でもない顔でちょっとにやついている。


「買う人、居るのかな? 智樹」


 白蓮が語り掛ける傍から、智樹が耳元をくすぐるように囁いた。


「当たり前だろ。お前、喰いたいもん……」


「いやん、智樹」


 照れて智樹の鼻をピシャンと叩いた。


「エプロン一枚の写真撮ったろ。あれ、そそられるの俺だけにしたい……」


 意外とマジな顔で苛めるので、白蓮は困った。


「や、やだあ」


 耳まで真っ赤になった。


「夫婦になってから初めての仕事だよな。二人の……」


 ついこの間まで、編集に追われて疲れ果てていたのが嘘のようだ。


「だよね~。苦労したもの……」


 白蓮は、三キロもダイエットした。

 彼女にとっては、ちょっとした苦労なのかも知れなかった。


「白蓮は眠っていただけだろう?」


 くすくすと笑ってからかう智樹。


「やだやだ! ちょっとうたた寝しちゃっただけじゃない!」


 肩をパシパシと叩く。

 白蓮には何かあると叩く癖があるらしい。


「なーんて冗句だよ。白蓮は真面目にやってたさ。ちょっと良いショットあったけどな」


 空を見つめてちろりと横の白蓮を見た。


「もう! それは――、智樹さんだから撮れたの! 他の人には見せない顔だもん。ぷんだ」


 智樹はふくれっ面も可愛くて仕方がなく、笑いを堪えていた。


「分かっているって……! まあまあ、お嬢様、貴女の好きな珈琲でも飲んで行かない?」


「うん! モカね」


 ◇◇◇


 喫茶「めるすぃー」の扉をガランと開けた。

 いつもの席が待っている。

 窓際の良く通りが見える小さな白いテーブルだ。


「マスター、モカ二つお願いね」


 智樹の声を聞いて向こうで明るい返事が来た。


「ねえ、私達、結婚式できなかったじゃない? お金も貯まって来たし、世間的にも智樹さんのお仕事認められて来たじゃない? 智樹さんのお父様もうんと言って下さると思うの。どうかな?」


 智樹は暫く窓の向こうの景色を頬杖をついて見ていた。


「うんって言ってあげたいけれども、それはちょっと難しいな……。ごめんね」


 智樹は静かに首を垂れた。

 哀しそうな顔で白蓮は呟く。


「な、な……んで?」


「仕方がないよ。僕達は時期を逃してしまったんだ」


 智樹は、君が学生だから、高校生だから。

 それに君よりも俺の稼ぎは少ないから、式や披露宴は無理だとは言えなかった。


「酷いよ、智樹さん……! ウエディングドレスだって着たいし、指輪だって皆の前で交換したかったよ!」


「困ちゃったなあ……。ごめんね。勘弁してよ。結婚できただけで良いじゃない。もっと大変な人達いるよ。ごめんね。俺が悪いことにしていいからさ。俺は白蓮と結婚して……」


「やだやだ……!」


 智樹の話が終わる前に白蓮は智樹の頭をバシバシ叩いて出て行ってしまった。


「あ……。白蓮……」


 止める術もなく、暫くして、冷めたモカを二杯飲んだ。


「こんな筈ではないのにな。幸せの形が見えないのかな、白蓮」

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