第8話、202×年、GINZA〜『令和事変』その4

 ──まさに、地獄だった。




 休みらしい休みがほとんど取れない、悪夢の三交代勤務の都立病院の看護婦の私であるが、今日は珍しく丸一日休みが取れたこともあって、久方振りにぎんへショッピングに出かけたところ、




 文字通りの、『阿鼻叫喚の地獄絵図』を、目の当たりにしたのであった。




 ──最初は、『通り魔事件』、といったていで始まった。


 ……そうなのである、『通り魔』が、「ちょっとした」レベルに感じられるほど、こののちに言う『れい事変』全体そのものが異様過ぎたのだが、その『通り魔』自体も、非常に異様であったのだ。


 まずは、何と言っても、『数』が多かった。


 突然発狂したかのように、手当たり次第周囲の人々に襲いかかるといった、とんでもない異常事態なのに、何と個人的暴走とかでは無く、あたかもかのように、大人数で広範囲にわたって、一斉に暴徒化して暴れ始めたのだ。


 ……そうなると、最初から仕組まれた『同時多発テロ』かと思われるところであるが、それにしては、個々の通り魔の暴れっぷりが、あまりにものである。


 誰彼構わず襲いかかり、制止の言葉等に応ずるどころか何の反応も見せずに、ただただ暴れ回る姿は、もはや何の知性も理性も感じられず、『狂人』とかいった一応人間的なレベルでは無く、『ケダモノ』にでも成り下がったかのような有り様で、けして計画的なテロなぞ行えるようには見えなかった。


 これだけでも十分、週末の銀座ならではの歩行者天国を大混乱に陥れたのだが、当然のごとくすぐさま警察官が大勢駆けつけてきて、野獣そのままと言っても基本的には、ごく普通の人間が主に素手で暴れ回っているだけなので、すぐにでも鎮圧されるものと思われたところ、




 むしろ、本当の地獄は、ここから始まったのだ。




「──我々は、神聖帝国『ёシェーカーёワルド』より、『逆転生の秘術』によって、このニッポン国に派遣された、神聖騎士団の騎士である! 現時刻をもって、貴様らニッポン人による、『異世界転生』の名を借りた侵略行為に対する、『復讐作戦』を開始する! ──神聖皇帝陛下、バンザーイ!」




 あまりにも唐突に、辺り一面にとどろき渡る、意味不明の宣言。


 何とそれは、暴徒の鎮圧に当たっていたはずの、警察官の口から放たれたものであった。


 ──そして始まる、一方的な『虐殺』。


 むしろ先ほどの暴徒たちとは違って、『狂気』を一切感じさせないところが、よっぽど怖かった。


 まるで『流れ作業』をこなしているかのように、拳銃を取り出すとともに、周囲の人たちへと向けるや、何のためらいも無く発砲していく、自称『神聖帝国の騎士』たち。


 当然周囲一帯は大騒ぎとなって、みんな他人を押しのけてでも、自分だけは助かろうとあがいたものの、




 ──すでに『歩行者』と化していた銀座の街並みは、自分たちの生け贄を逃がすつもりなぞ、毛頭無かったのだ。




 一緒に逃げ惑う群衆の中からも、次々と現れて暴れ始める、新たなる『暴徒』たち。


 それを鎮圧しに来た、警察の事実上の『武力集団』である機動隊も、政府が苦渋の決断で出動させた最後の切り札である、自衛隊すらも、次々と『異世界からやって来た神聖帝国兵』を名乗り始めて、逃げ惑う民衆はおろか、自分たちの同僚にさえも、銃撃や砲撃をお見舞いし始める始末であった。


 ……もはやこの段階においては、人々に対する『殺戮』などといったレベルでは収まらず、まさしく銀座の街全体の『破壊活動』と化していた。


 それは、そうだろう。


 機動隊や自衛隊の歩兵部隊の制圧のために出動してきた、陸自の機甲師団──つまりは、戦車部隊までもが、『神聖帝国軍』を名乗りだして、大口径機関砲や戦車砲を無差別に、周囲一帯に向かって発砲し始めたのだ。


 たとえ直撃しなくても、人体なぞ余裕で吹き飛ばされるし、当たれば当然、痛みどころか己の死を自覚する暇も無く、物言わぬ肉塊と化してしまうばかりであった。


 いまだ正気を保っていた機動隊員たちが、苦肉の策として、ガス弾を周囲にばらまいてくれたお陰で、一時的とはいえ、自称『神聖帝国軍』の視界を塞ぐことができ、多くの人々がその大混乱の場から逃げおおせた。


 私自身も、這々の体で銀座を脱出することに成功した一人だが、私たちを逃がすためにそこに踏みとどまった、自衛官や機動隊員の皆様がどうなったかは、もはや確かめる術も無かった。




 ──そんなこんなの末にたどり着いたのは、かつてのとうきょうの台所、旧つき市場の跡地であった。




 その広大なオープンスペースは、現在まさしく『野戦病院』といった有り様となっており、銀座方面から逃れてきた多数の負傷者たちが、一般市民か警察官か自衛隊員かを問わず、地を埋め尽くすように倒れ伏しており、近隣の病院等の医療従事者たちが、その治療に飛び回っていた。


 現役の看護婦である私自身も、かすり傷程度だった怪我を治療してもらった後で、ボランティアスタッフに加えてもらい、負傷者たちの治療を開始した。


 それからは文字通りに、目の回るような忙しさとなったのだが、そこには当然、目も当てられないような重傷者や、治療の甲斐も無く亡くなる人も大勢いて、非常に気が滅入ったものの、その一方でやっと人心地がつけたのも、また事実であった。




 ──なぜなら、あの頭のイカれた暴徒どもに攻撃を受けて負傷したということは、あいつらの仲間では無いという証しなのだから。




 それというのも、ここへ至るまでの道すがらにおいても、一緒に逃げていた人たちが突然凶暴化して周りの人を襲い始めたり、それを見て駆けつけてきた警官さえも、これまた『神聖帝国騎士団宣言』を行って、民衆に向かって発砲し始めるといった、あたかも生き地獄そのままの有り様が続いていったのだ。


 ……きっとあいつらは、組織だった、テロ集団に違いない。


 一般民衆や警察や自衛隊の内部にずっと潜伏していて、今日という『一斉武装蜂起』の日を、密かに待ち続けていたのであろう。


 一体どういった思想や政治的主義イデオロギーの持ち主かは知らないが、おそらく『神聖帝国』とやらが、彼らが所属する組織の秘匿名コードネームであり、このように首都のど真ん中でテロ活動を起こしたのは、下手すれば国家転覆、そうで無くとも社会システムの撹乱等を、目的にしたものと思われた。


 ……つまり、彼らは同じ志を抱く、文字通りの『同志』であって、どんなに残虐非道であろうとも、少なくとも同じメンバーの間で、『同士討ち』はしないはずであった。


 ──そんなことを頭の中で巡らせながら、目の前の、重症を負い気を失ったままの自衛官の治療に当たっていた、その刹那であった。




「……気をつけろ」




 え?


 突然すぐ目と鼻の先の、傷だらけの男性が、瞳をカッと見開き、意味不明の言葉をつぶやいた。


「あ、ああ、良かった、気がつきましたか?」


「気をつけるんだ! この中にもまだまだ、『異世界からの刺客』は隠れている! 下手をすると、皆殺しにされるぞ!」


「ちょ、ちょっと、落ち着いてください! ここにいるのはみんな、あの卑怯なテロリストに傷つけられた人たちの中でも、特に重症な自衛官の方ばかりなのですよ! あいつらの仲間であるはずが無いではありませんか⁉」




「違う! あいつらはテロリストでも、反乱軍でも無いんだ! 『異世界という概念を認識している者』──つまりは、インターネット上で異世界転生系のWeb小説なんかを読み書きしている、世に言う『オタク』どもなんだ! つまり、今ここにいるやつらの中に、そういったオタクがいるとすれば、そいつらことが『キャリア』であり、今からでも『神聖帝国軍化』する怖れがあるんだぞ⁉」




「はあ? 何言っているんですか、それではまるで、Web小説なんかを読みすぎたために、現実と虚構の区別がつかなくなって、自分のことを異世界の騎士の生まれ変わりであると思い込んでしまった、単なる妄想癖ではありませんか⁉」


「そうだ! 元々異世界転生なんて──いわゆる『前世の記憶』なんて、妄想以外の何物でも無いんだが、こいつらの妄想は残念ながら、『本物』だったんだよ!」


「へ? 『本物の妄想』って…………いやいや、妄想に本物も偽物も、無いでしょうが? そもそも『異世界』自体が、本当に存在したりするはずのない、ただの妄想なのであって──」




「まあな、貴様らにとっては妄想に過ぎないだろうが、我々にとって『異世界』は、あくまでも現実なのだよ」




 私の言葉を遮るようにして響き渡る、三十がらみの男性の声。


 しかしそれは、ほんの目の前の、傷ついた自衛官のものではなかった。


 振り向けば、つい先ほどまでは、うめき声を上げながら倒れ込んでいた、数名の自衛官たちが、平然とその場に立ち上がっていた。


 ──全員が全員、その手の中に、すでに手榴弾を、握りしめながら。


「あ、あなたたち、まさか⁉」


「しかしそれにしても、こんなにも早く、気づかれてしまうとはな。──まあ、いい、すべてはそいつの言う通り、俺たちは元々仲間同士で、示し合わせて武装蜂起したの、いつでもどこでも自由自在に、ニッポン人の身体を乗っ取ることができるのだ」


「そ、そんな! 本当にこの方の、言う通りだと言うの⁉」


「ああ、異世界からの転生の受け皿となれる条件が、『異世界という概念』を認識していることもな」


「や、やめて! やめてちょうだい! あなたたちはただ単に、自分たちが異世界人であると、思い込んでいるだけなのよ! それは単なる妄想なの! お願い、正気に戻って! 馬鹿なことは、もうやめて!」


「もはや、妄想でも現実でも、どっちでもいいのだ。少なくとも、我々のニッポンに対する『復讐心』だけは、本物なのだからな。後はそれに、殉ずるのみ!」


「復讐、って……」


「『異世界転生』だの『異世界転移』だのと、ふざけたことを言って、我々の世界を好き放題に侵略したのは、おまえたちのほうが先だと言うことさ」


「だからそれは、Web小説の中だけの、虚構の話でしょうが⁉」




「何度も同じことを、言わせるな。たとえ貴様たちにとっては妄想であろうと、我々にとってはれっきとした、『現実』なのだ。──なぜなら、異世界人にとっての『精神体』のようなものに過ぎない我々は、ある意味『妄想』そのものとも言えるのだからな。貴様たちにとっては妄想の世界でも、我々妄想的存在にとっては、現実の世界になるのさ」




 そのように、最後の最後まで、わけのわからないことを言い続けたあげくの果てに、一斉に手榴弾を放り投げる自衛官たち。




「「「──神聖帝国『ёシェーカーёワルド』、バンザーイ!」」」




 そして周囲一帯が閃光に包み込まれて、私の意識も途絶えたのであった。

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