第5話 森の奥
プリズマ鉱石の放つ淡い光に包まれた暗い森。昼夜を問わず日の光の差し込まない森の中を、ウィルは一人進んでいた。
きょろきょろと辺りを見回しては進み、足を止めてはまた同じことを繰り返す。周囲に人がいれば何事かと注目されたことだろう。だが今現在この森の中には彼しかいない。
「……なかなか、ちょうどいい大きさのプリズマがないな」
ウィルが森に入ってしばらく経つが、目当てのプリズマ鉱石を見つけられずにいた。
小粒のものならばいくつか見かけたが、ウィルが探しているのは、重い機体を射出できるだけのエネルギーと長時間の飛行に耐えられる鉱石でなくてはならない。
プリズマ鉱石の採掘場として有名な月影の森とはいえ、それなりのサイズのものを探すのは難しい。何十年も前は大岩のような巨大なものもあったが、一般家庭で利用されるようになって以降、埋蔵量は急激に減少しているのだ。
「これも違う。あっちのもダメそう。もう少し奥に行けば、手付かずの鉱石もあるのかな。でも……」
ウィルは森の奥へと続く獣道をじっと見つめて逡巡する。ここまでは人の手が入ってた道だった。だが、この先は違う。森をよく知る者以外は進まないような自然の道だ。
「……」
暗く、深く、夜の色が濃い方へとウィルはゆっくりと足を踏み出した。
■
ウィルがプリズマ鉱石を求めて森の奥へと歩みを進めたのと時を同じくして、二人の男女が常夜の森に足を踏み入れようとしていた。
「これが月影の森。昼なのに真っ暗で……なんだか不思議な場所だね」
見知らぬ場所だというのに、怯えひとつ見せず薄暗い森の中へと足を進めたリシテアは、開口一番そんな感想をもらした。
太陽の沈まぬ時刻だというのに空は暗く、巨大な月がその姿を見せている。この場所だけ時間の流れから隔絶されているような錯覚を覚える森だ。
「きれいな場所だろ。見慣れるオレでも、ここの景色にはつい目を奪われる。ただ森には魔物も生息してるから、あんまり離れないでくれよ」
「そんなに危ない場所なの?」
「この辺はまだ大丈夫だけど、奥には強い魔物もいるし、同じような景色だから方向感覚を狂わされるんだ。護衛をしてくれとか、森ではぐれた仲間を捜してくれなんて村の警備隊にくることも珍しくない」
「それじゃあ、早くウィルを見つけてあげなくちゃ」
「ああ、そうだな。あんまり森の奥に入ってないといいけど……」
行路は平和なものだった。餌となる生物を求めて巣穴から出ていた小型の魔物と時折遭遇することはあれど、それ以外の大型生物には出くわしていない。
遠くから獣の声や鳥の羽音が聞こえては来るが、近付いてくる気配はない。生き物の気配よりも、小川のせせらぎや風に揺らされる木々の音の方が大きいぐらいだ。
音が消えたのは森の中程。こんこんと湧き出る水に濡らされた光る草花の小路を抜けたあとのことだった。
しん、と静まり返った森は、ひそひそ話すら筒抜けになってしまいそうなほどで、おしゃべりなリシテアの口数も自然と少なくなる。
「難しい顔してるけど、どうしたの?」
「やけに静か過ぎると思って。この辺りは強い魔物もいるから、小さい魔物や動物が近寄らない。でもいつもなら生き物の気配ぐらいはするんだ」
アルドはいつでも剣を抜けるように、柄に手をかけ周囲を警戒する。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁあ…… !!!」
男の悲鳴が聞こえたのはそのときだった。
「この声、まさか……」
「ウィル!」
アルドとリシテアが駆け出したのは同時だった。
草木と小石で構成された、道とすら呼べないような悪路を二人は走る。
ランプのように足元を照らす草花。それが途切れたところに捜し求めた人影が見えた。
その姿が別れたときのままであることに安堵しつつ、アルドは視線を森の奥、尻餅をついたウィルが見つめる先へと向けた。
周囲の木々に負けぬ巨躯、乾いた血を思わせる錆びた赤色の肌、異様なまでに盛り上がった筋肉、肉食獣のような鋭い瞳と牙を持つ魔物、人々が森の番人と呼んで怖れる、赤いアベトスがそこにいた。
「た、助けて……」
自身に向かい大きく振り上げられた棍棒から逃れるようにウィルが体を縮こまらせる。
「させるかっ……!」
剣を抜いたアルドが、走ってきた勢いのまま地面を蹴って飛び上がる。
「はぁぁああ!!!」
白銀に光る一閃が、森の番人の棍棒を軌道を反らす。反動で巨体がぐらりと傾いた。
「大丈夫か」
敵から目を逸らさず、アルドが背後にいるウィルへと声をかける。
「あ、ありがとうございます……」
「ウィル、怪我はない?」
駆け寄ったリシテアが、ウィルの体にパタパタと触れて傷の有無を確かめる。ウィルは慌てて首を横に振った。
「だ、大丈夫です、リシテアさん。びっくりして、転けちゃっただけなので……」
「良かったぁ……」
リシテアがはぁぁっと大きく息を吐く。アルドも口許を僅かに緩めると、そのまま後ろに立つ二人に指示を出した。
「オレがあいつを倒す。二人はそのまま少し離れた場所にいてくれ」
森の番人が棍棒を支えに立ち上がろうとしていた。それに気付いた二人は「はい」と短く答えると、急いで近くの木の影へと体を隠す。
アルドが剣を構え直すと、怒りを露にするように巨躯の魔物が咆哮を上げた。原因は獲物に逃げられたことか、武器に傷が付けられたことか、声を持たない獣の意思を知ることは出来ない。伝わってくるのは体をヒリつかせる殺気だけだ。
木のような巨体が怒りのままに突進してくるのを、アルドは左へ避けることでかわす。
「こっちだ!」
ウイルたちに意識を向けさせないよう、すれ違いざまに剣先で腕を斬り付ければ、森の番人はそのままアルドを追ってきた。
もともと知能の高い魔物ではないが、興奮状態になっているせいで更に思考力が落ちているようだった。
非戦闘員二人から引き離すように、森の奥へと逃げたところで、アルドは足を止めて振り返る。
筋肉量のせいで膨れ上がったように見える上体に比べると、細身に感じられる足が地面を踏みつける度に、森全体が揺れるような錯覚を起こす。体格も体重も人間とは比べ物にならないほど大きい。純粋なパワー対決では人間は圧倒的に不利だ。
近付いてくる敵に対して、アルドは片足を下げて剣を構える。
「来い!」
アルドのその声を挑発と捉えたのか、森の番人が落雷を思わせる鋭い声で吠える。そのまま左手に持った棍棒を引き摺りながら、獲物と定めたアルドに向かい速度を上げて近付いていく。
先程まで足元の土を削っていた棍棒が大きく振り上げられた。小石と土がアルドの視界を僅かに遮る。回避が一瞬遅れた。鈍器がアルドの前髪を掠める。
「ぐっ……」
攻撃をすんでのところで避けると、アルドは上体を屈めて、敵の足元を斬り付ける。ガァッと苦悶の声が響くも手応えはない。赤い皮膚に覆われた体は通常のアベトスよりもずっと硬い。
「それならっ…… 」
巨躯の脇をすり抜けるように背後に回り、右腰から武器を持つ左手に向けて斜めに斬り上げる。剣の切っ先が左脇の比較的柔らかな肉の表面を僅かに削いだ。その勢いのまま、左手を二回、三回と高速で斬り付ける。
激しい連撃に、森の番人は手にした棍棒を取り落とした。
アルドは敵が体勢を立て直すより早く、剣を構えたまま、利き足を使って高く飛び上がる。武器を失った今、敵に頭上からの攻撃を防ぐ手段はない。
「はぁぁぁぁ…っ!!!」
脳天めがけて、力の限り剣を振り下ろす。普通の剣では森の番人の固い皮膚は斬り裂けない。だが、これで十分だった。
ゴンッ……と岩に金属をぶつけたような鈍い音が周囲に響く。
森の番人が目を見開いたまま、仰向けに大地に倒れ込んだ。
鋭い牙の生えた口から泡を吐き出し、ピクピクと巨体を痙攣させてはいるが、気絶しているだけで死んではいない。
どれほど体を鍛えようと、脳を鍛えることは出来ない。強い力で脳を揺さぶられれば、一時的に戦闘不能にすることはできる。
「まだ生きてるみたいですけど、放っておいて大丈夫なんですか? また襲ってきたりとか……」
木影から様子を窺っていたウィルとリシテアが、戦闘が終わったのを確認して戻ってくる。リシテアに支えられて歩くウィルの足取りは怖々したものだったが、蒼白だった顔色は先程よりも幾分良くなっていた。
「それは大丈夫だと思う。こいつは縄張りを荒らされない限りは襲ってこない。森を侵す者を排除する番人みたいなものなんだよ。だからオレたちがここから去れば、おとなしく棲みかに戻るはずだ。プリズマはオレが探すから二人は先に……」
「そんなのいいよ! こいつが起き上がる前にすぐにここを離れよう!」
リシテアがアルドの言葉に重ねるように口を開く。自分のために誰かを危険な目には遭わせられないと顔にありありと書いてあった。
「けど大きめの鉱石はこの辺にしか……」
「帰り道で見つけるから大丈夫! アタシ、運はいい方だから!」
「わかったよ」
リシテアの言葉にアルドは頷いた。
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