第4話 遠い夢
「とりあえず、元のかたちに戻すことは出来たかな」
プロペラが完全に固定されたのを確認し、リシテアは小さく息を吐いた。手の甲で額に張り付いたを髪を汗ごと拭う姿からは、一仕事終えたという安心感が滲み出ている。
「お疲れさまです、リシテアさん。よかったらこのハンカチ使ってください」
ウィルが差し出したハンカチを、リシテアは短い感謝の言葉と共に述べて受けとると、そのまま顔をガシガシと拭いた。
科学や機械に疎いアルドは、リシテアとウィルが飛行機を修理する様子をただ眺めるしか出来なかったが、二人の息の合ったコンビネーションと手際の鮮やかさには、ただただ感嘆するしかなかった。
「これで飛行機は元通りになったのか?」
「バッチリ! ……とまでは言えないけど、だいたい元通りかな」
「今度は落ちたりしないだろうな」
「それはやってみないとわからないけど……まあなんとかなるよ、たぶん」
何の根拠もないというのに前向きに笑うリシテアを、ほんの少し寂しさの混じった穏やかな表情で眺めてからウィルは口を開いた。
「あとは燃料となるプリズマを探してくるだけですね」
「ああ。月影の森の奥に、質のいいプリズマが採れる場所があるから、そこに行けばちょうどいいサイズのものが見つかると思う」
採掘隊の護衛役として何度か行ったことのある場所を頭に思い浮かべ、案内するよとアルドは付け加える。
「ありがとう、二人とも。あともう少しだけ付き合ってもらってもいい?」
「もちろん。困ったときはお互い様っていうだろ」
もとより放っておくなどアルドの性格上出来やしないのだ。
「ボクは飛行機を直すお手伝いが出来たこと自体が報酬みたいなものですから。 いつか人間は空を飛べるようになる。それがわかっただけで十分過ぎるぐらいに満足です」
謙虚過ぎるぐらい謙虚なウィルの言葉は、聞く人間によっては美徳として称賛されるであろうものだった。だが、リシテアはその謙虚さを良いものであるとは判断しなかった。
「……本当に?」
リシテアは何かを探るような目をウィルへと向ける。どこまでも明るい声と表情は消え、嘘を吐く子どもを咎めるように彼女は尋ねる。
「本当にそう思ってるの?」
「え?」
「いつか誰かが空を飛ぶ術を見つける。それは事実だよ。でもその誰かが君が生きている間に現れるとは限らない。それなのに満足するの? 満足できるの?」
真っ直ぐ向けられる視線に耐えきれず、ウィルは視線を足元へと落とした。
「それは……だって……。ボクだって空を飛べるなら飛んでみたいとは思いますけど、こんな高度なもの、師匠にだって造れるかどうか……」
ウィルの口から出るのは、言い訳じみた言葉だけだった。
「自分が飛行機を造る、とは言わないんだね」
「……っ」
リシテアの言葉を聞いた瞬間、ウィルの表情が凍り付く。それは酷く傷付いたような顔だった。
「……ごめん。手伝ってくれたのに、変なこと言って。ちょっと顔を洗ってくるね」
明らかに作り笑いとわかる笑みを浮かべて、リシテアはひらりと手を振った。
近くの池へと向かうリシテアの背中をじっと見つめていたウィルが口を開いたのは、その姿が完全に見えなくなった後のことだった。
「アルドさんはどう思います? この時代の人間が、ましてやボクみたいな何の才能もない人間に、人類の歴史を塗り替えるすごいものが発明できると思いますか?」
「それは……」
アルドは目を伏せ、キメラに追われ、月影の森からエルジオンのエアポートに降り立ったあの日のことを思い出す。
目に映るすべてが新鮮で、知らないもので溢れた都市は現実味がなくて、夢でも見ているのかと思った。
空の上に敷かれた石の道、馬も車輪もないのに動く鉄の馬車、謎の材質で出来た喋る扉、姿を変えた巨大なプリズマ、景色を写し取ったような精巧な絵、時間を閉じ込めたような不思議な劇。見たことも聞いたこともないものが溢れた都市の何もかもに驚いた。
だがアルドを何より驚かせたのはその技術ではなかった。
ミグランス王朝時代に生きるアルドにとっては名前も用途もわからないそれらを、エルジオンの住人たちが当たり前のものとして甘受している。その事実に驚いたのだ。
「未来の技術は本当にすごくて、どういう仕組みで動いてるのか、オレにはさっぱりわからないけど、それでも存在してるってことは、どこかの時代の、誰かが完成させたってことだろ」
知らない技術で溢れていた未来とは逆に、古代では現在当たり前に使用されている技術が存在しなかった。
現代人からすればプリズマが存在しない生活など考えられないのだが、古代人たちは違う。火を点けるには火の精霊の力を借り、水を汲むには水の精霊の力を借りる。誰もが魔法を使えた時代だからこそ成り立つ生活がそこにはあった。
「オレたちが普段使ってるプリズマだって、最初に発見した誰かはどう使っていいかわからなかったんじゃないかな」
プリズマの成り立ちについて、何度か幼馴染のルッカに説明してもらったものの、アルドは細かい理屈までは理解できていない。精霊の力が宿っていて、その力を使うことで便利な生活が出来ている程度の認識だ。
プリズマに関する研究がなされ、知識として共有されていても、わからない人間にはわからないのだから、発見当初などは触ると火や水の出る不思議な石として扱われていても不思議はない。
「何年か、何十年か、もしかしたら何百年もかけて試行錯誤を繰り返した結果、今の生活があるなら、飛行機ってやつだって、がんばれば造れちゃうんじゃないか」
「そのがんばるって、たぶん血反吐を吐きながらとか、一生かけて成し遂げるとかのレベルですよ」
「そうかもしれないけど、挑戦してみないことには、出来るどころか、出来ないってことすらわからないだろ?」
真剣な表情で答えるアルドに、ウィルは眉を八の字に寄せて小さく笑みを漏らした。
「アルドさんと話してたら、少しだけ勇気が持てたような気がします」
「少しでも役に立てたなら良かったよ」
ウィルが浮かべた微笑みは静かなものだった。何かを受け入れたような、覚悟を決めたようなそんな顔だ。
「アルドさん、ボク忘れ物をしたのを思い出したので、ちょっとここを離れますね」
「あ、ああ。それは大丈夫だけど、何だか心配だし、オレも着いていこうか?」
「すぐに戻ってくるので心配しないでください。それにアルドさんまでいなくなってたら、リシテアさんがビックリしますよ」
「この辺は安全とはいえ、なるべく早く戻ってこいよ」
「ありがとうございます。行ってきます」
その表情に引っ掛かりを覚えながらも、アルドはウィルを送り出した。
■
リシテアが戻ってきたのは、ウィルが出掛けてすぐのことだった。
「ただいまー……って、あれ? ウィルは?」
ばつが悪そうに瞳を揺らしながらリシテアがアルドに尋ねる。その前髪は僅かに濡れていた。
「何か忘れ物をしたとかで、どこかに行っちゃったんだよ。すぐに戻るとは言ってたけど……」
「そっか。なら良かった」
リシテアはほっと肩の力を抜いた。そのままゆっくりと飛行機へと近付いていく、足取りはまだ僅かに重いが、顔を洗ってきたことで気持ちの切り替えは出来たらしい。
修理したばかりの愛機に触れ、リシテアは表情を和らげる。愛猫の頭を撫でるような優しい手付きと眼差しからは、彼女の飛行機に向ける愛情が感じられた。
「リシテアは本当に飛行機が好きなんだな」
「うん、好きだよ。特にこのシルバードは特別でね。この子は最初に飛行機を発明した、シルバード博士が遺した設計図をアレンジして造ったものなんだ」
銀に近い灰色のボディをリシテアはするりと撫でる。表面に刻まれた無数の小さな傷や汚れ。その質感を楽しんでいるようだった。
「博士は、人間が空を飛べるなんて考えもしなかった時代に、空を飛ぶ夢を見たんだよ。そして何世代もかけて飛行機を完成させた。すごいよね」
リシテアの瞳がキラキラと輝き出す。とっておきの宝物を自慢する子どものような表情に、アルドの表情もつられて和らいだ。表情から、声色から、言動から、その全てから好きだという気持ちが伝わってくる。
「その人はリシテアの憧れなんだな」
「うん。アタシ、子どもの頃身体が弱くててね。ちょっと走るだけで息切れして、すぐに倒れちゃうから学校にもあんまり行けなかったんだ。そんなとき偶然博士の伝記を読んで、こんな風に困難なことでも諦めず挑み続ける人間になりたいなって思ったんだ」
リシテアは力強く頷くと、太陽を閉じ込めたように輝く瞳を空へと向けた。真昼の空の、見えなくても確かにそこにある星を探すように目を細めて、彼女はニッと口角を上げる。
「いいな、そういうの。がんばってる人の話を聞くと、自分も頑張ろうって思えるもんな」
「そうそう。負けるもんかー! ってなるんだよね」
そこまで言って、リシテアは一度言葉を切った。
「でも、そういう風に思えるようになるには、キッカケがいるんだよね」
「ウィルのことか?」
「うん。何事も挑戦あるのみとか、やらずに後悔よりはやって後悔する方がいい……とか経験から言うことも出来たけど、最初はアタシも怖かったから」
「少し、意外だな」
「昔はすごーく繊細だったの。必死になって身体を鍛えても元気になれないかもしれない。がんばって勉強しても学校に通えないかもしれない。努力が報われないかもしれない……そういうたくさんの"かもしれない"に足を掴まれて身動きが取れなくなっちゃってた」
リシテアはこつりと愛機に額を当てて、瞳を閉じる。
「アタシに前を向かせてくれたのは博士の伝記だったけど、ウィルにもそういう心を支えてくれるものってあるのかな?」
アルドは目を伏せ、先程ウィルとした会話を思い出す。迷いはあるようだったが、リシテアの言葉は確かに彼に届いているようにアルドには感じられた。
「どうだろう。ただ今はなくても、これから見付けられる可能性はあるんじゃないかな。キッカケっていうのは、案外いろんな場所に転がってるものだしな」
昨日までありえないと思っていたことが起こり、それが明日には当たり前になる。時空を越える旅をするアルドはそんな経験を何度も積み重ねてきた。
ウィルにとっての変化も、ある日突然訪れるかもしれない。あるいは既に出会っているのに自覚できたいないだけなのかもしれない。それは誰にもわからないことだ。
「……それにしても、ウィルのやつどこまで出掛けてるんだ。すぐ戻ってくるって言ってたのに遅すぎる」
飛行機の修理中は頭上にあった太陽が、今では西へと大きく傾きはじめている。
「この辺、迷うような場所とか危ない場所とかあったりする?」
「いや、ヌアル平原はこの通り見通しがいいし、隠れる場所もないから魔物と出くわすことも殆どないよ」
リシテアは何かを考え込むように口を閉じる。それからはっと様子でコックピットに手を突っ込んだ。
「……あった。これを使えば……」
飛行機の中から取り出した顔半分を覆うような変わった形の眼鏡を装着し、リシテアはぐるりと周囲を見回した。
「……いない」
「リシテア?」
「念のためゴーグルを望遠モードにして平原の向こう側まで見てみたんだけど、ウィルの姿が確認できない」
「なんだって? それじゃあ、ウィルはどこに……」
言い終えるより前に、アルドはひとつの可能性にたどり着く。視線は自然と鬱蒼と茂る暗い森の上へと向かっていた。
「まさか、月影の森か!?」
何かを決意したようなウィルの表情を思い出し、アルドは唇を噛み締める。
「それって、プリズマ鉱石が採れるって言ってた場所だよね?」
「ああ。もしそうなら危険だ。追いかけないと!」
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