野盗暮らし

英 慈尊

先なき道

 元々は、川魚を獲ることでことで日々の糧を得る集落だったのだろう……。

 崖沿いを流れる小川にはささやかな桟橋が設けられており、漁に使うための網やら小船やらが設置されている。


 だが、今……これらの道具が正しく使われることはない。


 ――ギー!


 ――ギー!


 本来この集落で暮らしていた人々に代わり、我が物顔で桟橋を練り歩くのは……ゴブリンと名付けられた魔族たちだ。

 数は――多い。

 家屋に潜んでいる連中も含めれば、おそらく総勢二十ほどにもなろう。


 となれば、集落の奪還をするのは至難の業である。

 幸いにして、話に聞くホブやシャーマンといった変異種や、オークなど上位魔族の姿は見られないが、物量というものはそれだけで脅威だ。

 事実として、この子供ほどしかない背丈の魔族が万を超える規模で押し寄せてきた結果、北部を守る騎士たち総勢三〇〇のことごとくが討ち死にし、昨今の惨状が生み出されているのである。


 それを鑑みれば、騎士叙勲を受けたばかりの自分単騎で目の前にいるゴブリンたちを殲滅できるとは到底思えなかった。

 自分一人では、だ。


「どう攻める?」


 一早く崖上の草むらに隠れ、自身も同じように隠れ潜むよう促した助っ人がそう尋ねてくる。

 年齢はニ十歳前後。

 顔立ち、体格共に取り立てる所のない極々平凡な青年だ。

 だが、いかにも使い込まれた皮の装具や腰の小剣を見れば、地獄と化した北部を生き抜いてきただけのものがあると思える。


「無論のこと……堂々と攻め入り、ことごとく討ち果たす。

 私一人では無謀かもしれぬが、お主らの助けがあれば十分に可能と見た」


「ご立派な戦法……それで、何を得るんだい?」


 同じく草むらに隠れながらそう問いかけてきたのは、青年が連れていた少女だ。

 彼のことをアニキと呼んでいたので、おそらく兄妹なのだろう……。

 いかにもはすっぱな出で立ちからして、故郷たる王都では見られぬ人種である。

 しかし、彼女が背負った弓矢も青年の装具と同様に使い込まれており、実戦経験は己を上回ると素直に認めることができた。


 街道で出会ったこの二人は、魔族らに滅ぼされた村の出身であるという。

 そして、この集落を開放せんと参じた自分に助太刀を申し入れてくれたのである。


「何を……と言われると、難しいな」


 苦笑しながら、そう告げる。


「強いて言うならば、名誉だ」


「名誉?」


「ああ……この集落を解放することで、殺された民たちの無念が晴れる。

 集結しつつある、南部騎士団の先駆けとしてそれを果たすことこそ騎士の名誉だ。

 お主らも、それを分かち合おうぞ」


「なるほどな……」


 こちらを見やった青年が、深くうなずく。

 難民の身でありながら、助力を買って出てくれただけのことはある……。

 その表情からは、義侠というものが強く感じられた。

 だが、次に放たれた言葉はそんな印象と正反対のものだったのである。


「――それじゃあ、腹は膨れないな」


 ――トスリ。


 ……と、何か妙な感覚が喉元へ走った。


「――ゑ?」


 見れば、いつの間に抜いたのか……。

 青年の短剣が自分の喉に突き立てられており……。

 次の瞬間、視界も意識も何もかもが雲散霧消し果てたのである。


 こうして、南部の名家出身騎士――ホリット・ラービアンは、何一つ志を果たせぬまま北部の地に骸を晒すこととなった。




--




「何から何までお花畑な騎士様だったね、アニキ?」


「ああ、大人しく他の騎士たちと一緒に来れば良かったものを……。

 先走ってまで、名誉なんてものが欲しかったのかな」


 もはやゴブリンたちの拠点となった漁村から、十分な距離を取り……。

 安全と思える場所まで騎士様の骸を運んだ俺とチータは、そのようなことを言い合った。


「へへ……でも、その能天気さに感謝だ!

 見てみなよ、アニキ! こいつこんなに持ってやがった!」


 慣れた手つきで遺体を漁るチータが、ずしりとした重さの革袋を掲げながら嬉しそうに笑う。

 金など今の北部では石ころほどの価値もないが、将来を見越せば溜め込んでおくに越したことはなかった。


「こっちも上々だ――ほれ、干し肉が入っていたぞ」


 荷の中をあらためていた俺は、取り出した干し肉をチータに放ってやる。


「わ――とと、久しぶりの肉!」


 早速、それへ噛り付くチータを他所に今回の収穫物を確認した。


硬麺麭パン、干し肉、薬草……これだけあれば、しばらくは困らないな」


 確認した収穫物は、自分の背嚢はいのうへとしまい込む。

 騎士様の背嚢はいのうごと、持っていくような真似はしない。

 いかにも高価そうな皮作りのそれは魅力的な品であるが、それ故に悪目立ちする。

 こんなものを持ち歩いたら、「誰かから奪いました」と喧伝するようなものだ。


「アニキ! こいつは持ってかないのかい?」


 遺体の腰に下げられていた剣を引き抜くチータに、俺は苦笑いを浮かべる。


「チータ、それは置いていけ。

 見ろ、柄に紋章が刻まれてるじゃないか?

 ……騎士から奪ったって、丸分かりだぞ?」


「えー、でも、どっかの野営に持ち込めば食い物や金と交換できるよ? きっとたくさん!」


「それで、この……何だっけ?

 何とかという騎士様の、親族なり知り合いなりに目を付けられたらどうするんだ?

 ……置いてけ」


「ちぇ」


 唇を尖らせながら、チータが剣を放り捨てた。




--




 元々は、どこぞの猟師が暮らす小屋だったのだろう……。

 壁の一部が破れ、乾いた血痕がそこかしこに散見するそこを俺たちは今日の宿としていた。


「食った! 食った!

 ……今日は久しぶりに、人間らしい食事をした気がするよ!」


 焚き火を囲んだ向かい側で、だらしなく腹をさすったチータがごろりと横になる。


「そうだな……今日の飯は、本当に美味かった」


 俺自身は何事か起こった時に備え、腹三部ほどに留めたが……。

 チータが言うように、今日の食事は実に人間らしいものだった。

 鉄片がごとき保存用のそれとはいえ、パンなど食べたのは本当に久しぶりのことなのである。


「今みたいな生活をするようになって、もう、どれくらいになるっけ……?」


「そうだな……三ヶ月ってところか」


 横になりながら遠い目で天井を見やるチータに、俺は記憶を探りながらそう答えた。


 三ヶ月前……。

 突如として死の平原に現れた魔族たちは、ネクロドの山脈を越え一気に王国北部を蹂躙した。

 無論、北部を守護する騎士たちも一丸となってこれに交戦したが、騎士方の総勢が三〇〇そこそこであるのに対し、ゴブリンを主体とする魔族の軍勢は万を超えていたという……。

 当然ながら、太刀打ちなどできるはずがない。


 結果、北部は地獄と化し、村という村は焼かれ、あるいは昼間の漁村みたいに奴らの拠点へ変じたのである。


 俺とチータが暮らしていた集落も、同じ目にあった。

 薬師の跡継ぎである俺は、猟師の娘であり妹分であったチータの手を握り、足が千切れそうになるまで滅ぼされる村から逃げ延びたものだ。


 そしてその後――二人揃って野盗となった。

 何故かと問われれば、他に生きる術がなかったからである。

 何しろ、互いに着の身着のままで、持ち物と言えば森へ入る者として手放さぬ短剣くらいしかなかったのだ。


 それで、たまたま見つけた流民を手にかけ、持っていた食料を奪い……。

 以降は、殺しては奪い、殺しては奪いの日々を繰り返し、今に至る……。


 三ヶ月前……平和に当たり前の暮らしをしていたのが、もはや何かの冗談みたいだ。


「でも、もうすぐ終われるよね?」


 むくりと上体を起こし尋ねてきたチータに、俺は深くうなずく。


「ああ、もう金も大分貯まってきた……。

 この調子で、もう少し蓄えて……。

 それで南部へ逃げられれば、また元の人間らしい暮らしができる……。

 失くしたものを、取り戻せる――」


 ――はずだ。


 ……という言葉は飲み込んだ。

 分かっている……自分がもう、神様に許されない人間だってことは。

 人としての純潔性を、俺はもう捨て去ってしまっているのだから。


 ぱちり……ぱちり……と。

 焚き火の爆ぜる音が響いた。


「へへ……そしたらさ?」


「うん……?」


 こちらを見てくるチータに、首をかしげて応じる。


「あたしのこと、お嫁さんにしてくれる?」


「ああ……もちろんだ」


 返事を聞いたチータは耳まで真っ赤になると、反対側を向いて寝入ってしまった。

 俺はそんなチータの姿を見て、そっと微笑んだ。


 なんだか、ひどく心が軽くなったのを感じる。

 もう過去はない……。

 だけど、現在いまと――こいつと共に生きていく未来あすはあるはずだ。




--




 数日後……。

 川へ水汲みに行っていた俺は、瀕死の重傷を負い、寝床として選んだ空き家の壁へもたれかかるチータと対面していた。


「これは……」


 驚くでもなく……。

 取り乱すのでもなく……。

 まず冷静に、傷の深さを測ってしまう。

 地獄と化した北部で三ヶ月生き抜いた経験は、この状況下で人間として当たり前の反応をすることすら許さなかった。

 そうして直感する。


 ――助からない。


 ……と。

 チータの腹は、鋭利な刃物で切り裂かれており……それは中の臓物にまで達していた。

 いかなる薬草を用いても、これを癒すことはできないだろう。


「アニ……キ……」


「……誰にやられた?」


 魔族の仕業では、ありえなかった。

 この傷を与えるには、相当の腕を持つ何者かが、しかるべき剣を扱う必要があるからだ。


「こないだの……騎士の……親族か知り合いだよ……。

 ほら、昼間……流民の野営を見つけて立ち寄ったでしょ……?

 あたしさ……こないだ、長剣は捨てたけど短剣はこっそりくすねてたんだ。

 そんで……アニキに隠れて流民のおっさんと交換したんだ……。

 ほら……これがその金……」


「そうか……」


 最期の力を振り絞り、差し出された革袋を受け取る。

 重い――おそらくこれを足せば、俺たちが目標としていた額に達するだろう。

 ……もう、何の意味もないけど。


 革袋を渡したチータは、どうにか笑顔を作ってみせた。


「アニキの言う通りだった……。

 あの騎士様……いいとこの坊ちゃんだったんだね?

 飛び出したのを捜しに来た別の騎士が……きっと夜営で短剣について尋ねたんだろうな……?

 血相変えてあたしを追いかけて来て……こうなった」


「そうか……」


「気をつけて……あたしたちが二人組だってことも知ってるだろうから……きっと近くでアニキを捜してる……。

 ごめんね……アニキ……」


「いいんだ……」


「ごめ――」


 それでチータは、動かなくなった。




--




 甥っ子の仇たる野盗の片割れは、まだこの近くにいるはず……。

 騎士クラーク・ラービアンは、油断なく周囲を見渡しながら森を練り歩いていた。


 ――野盗。


 あの娘が、たまたま短剣を拾っただけの流民であるとは、到底思えぬ。

 まだ若く――これから真の騎士へ成長するはずだったホリットは、そのあたりの勘働きが養われておらず、不覚を取ったのだ。


 事実、腹に致命傷を負ったというのに、あの娘は自分を振り切り逃げ切ってみせた。

 そちらはじきに死ぬだろうが、片割れの男が問題だ。


 逃げればどこまでも追い詰めて殺し、この場で襲ってくるならば返り討ちにする。


 熟練の騎士として身構えるクラークの髪を、ふとそよ風が撫でた。

 木々の間を抜けてくる風は、興奮し火照っている体を冷ますのに丁度よく……。


 ――いや!?


 ――これは!?


 突如として強烈な眠気に襲われ、膝が崩れ落ちる。


 ――薬!?


 わずかに感じた異臭から、風に何らかの粉末を乗せ己を害しているのだと察せられた。

 だが、察したところでどうにもならず……。

 そのままクラークは倒れ、意識を手放した。


 そして二度と、目覚めることはなかったのである。




--




 薬師としての技を用い、人を殺す……。

 自ら禁忌としてきた行為であったが、やってみると案外何も感じないものである。


 いや、ついさっきまでなら……。

 チータが生きていた時なら、思うところもあっただろうが……。


 ともあれ、眠り薬で昏倒する騎士にトドメを刺した俺は、素早く小剣の血をぬぐうと……いつも通り、その荷物を物色していた。


 例え……。

 例え愛する者を失ったその日であろうと、生きているからには腹が減る。

 腹が減るからには、食い物が必要だった。

 今の北部で食い物を得るには……こうするしかない。


 振り返るべき過去はない……。

 そしてもう、未来あすもない……。

 ただ、現在いまを生きるしかなかった。

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