清良さんは卑したい!?

英 慈尊

残業と差し入れ

 液晶モニターの中に次々と文章を浮かび上がらせては体裁を整え、かねてより用意していた宣材用写真などと組み合わせていく……。

 新卒と同時に入社して早六年。企画書作りも慣れたもので、俺の手つきと思考に迷いというものは一切なかった。

 いや、迷っている暇などないというのが正確なところか……。


 何しろこの企画書、明日までに作り上げねばならず現在の時刻は既に二十時を回っていた。

 そうなると、少々こたえる。

 別におじさんぶるような年齢でもないが、仕事の手際が良くなるのと反比例するように体力が低下しているのを実感できる年頃ではあるのだ。


 不幸中の幸いなのは、別に徹夜を覚悟するほどの仕事量でも時間帯でもないことだろう。


「大変ですね。幹村みきむらさん」


 その言葉に、ふと背後を見やる。

 節電のためそこかしこの照明を落としたオフィス内に立っていたのは、同僚の清良せいらさんであった。

 女性に対し年齢の話を持ち出すのはどうかと思うが、俺より一つ年下だったはずの彼女は実年齢より一つか二つは若々しく見える。

 そう感じさせるのは、その身にまとっている空気に疲労の色を感じさせないからかもしれない。

 ただ元気があるというのとは、少し違う。

 日常の疲れやストレスをふわりと受け流すような、やわらかさが彼女にはあるのだ。


 社則に則りぴしりとしたスーツ姿であるというのに、一片の厳めしさも宿らせないのは彼女くらいなものだろう。


「清良さん、他の人たちと一緒に上がったはずでは?」


 一度仕事の手を止め、今後は体ごと向き直りながら俺は当然の質問をする。

 別に人手が増えれば効率が良くなるという類の仕事でもなく、他の皆は先ほど退社したばかりだ。

 その際、清良さんも一緒に帰ったはずであったが……。


「それが……そのですね……」


 少しもじもじとしながら、清良さんが手元に視線を落とす。

 よく見やれば、その手には彼女が愛用しているビジネスバッグの他にコンビニのレジ袋が握られていた。


「実は帰り道でコンビニに寄ったら新作のお菓子が出ていて……。

 食べてみたいと思ったんですけど私には少し量が多いので、差し入れも兼ねてシェアして頂ければと」


「ああ、それはありがたいですね。是非、頂きます。

 実は俺も、ひと息つきたいと思っていたところでして……」


「ふふ……コーヒーもありますので、良かったらどうぞ」


「これは、何から何まで……」


 こうして、コンビニのコーヒーとお菓子を用いてのちょっとしたお茶会が開かれたのである。




--




「いやあ、こういうのを食べるのは久しぶりなんでなんだかより美味しく感じられますね」


 秋季限定商品らしいチョコレート菓子を一つ口にしながら、俺は素直な感想を述べた。


「やっぱり、男の人だと甘い物とかは買わないんですか……?」


「いや、甘い物は大好きなんですが、いかんせん一人暮らしだと始末に困ってしまって……。

 こう、この半分くらいの量だと丁度いいんですけどね」


「ああ! 私も同じことをよく思います。

 だからこうして、シェアして頂いてるわけなんですが……」


 ここ数年でめきめきとクオリティを高めているコンビニコーヒーはなかなかに味わい深く、清良さんがチョイスしてくれたチョコレート菓子ともよく合う。

 飲み物と菓子が美味ければ自然と話も弾むもので、俺たちは一人暮らしあるある談義に花を咲かせていった。


「少しは自炊もするので卵なんかも買ったりするんですが、十個入りのを買うともてあましてしまったりするんですよね。

 結局、毎朝卵かけご飯にして無理矢理消費したりするんですが」


「あら、それでしたら中華良菜のカニ玉とかオススメですよ?

 私もよく買うんですけど、簡単に作れて美味しいですし」


「へえ、それはチェックしてなかったな。今度試してみますよ」


「ふふ、独身OLの知恵です。

 本当は誰かと一緒にご飯を食べられれば、もっと食事のレパートリーも広げられるんですけど……」


 そう言いながら、ちょっと物憂げな表情になる清良さんを見て俺は内心こう思ったものだ。


 ――え、俺モーションかけられてる?


 オーケー、冷静に状況を考えよう。こういう時はそう、5W1Hを正確に認識することが大切だ。


 フー(誰が)……清良さんが。


 ウェン(いつ)……終業後に。


 ウェア(どこ)……オフィスで。


 ホワット(何を)……独身だと食事レパートリーが狭くなるという話を。


 ハウ(どのようにして)……俺との茶飲み話でしている。


 よし、六つの内五つまでは無事に埋まった!

 ここまで埋まってしまえば残る一つ、ホワイ(なぜ)もごく自然に分かる。

 すなわち――!


 ホワイ(なぜ)……俺にモーションをかけるため?


 いかんいかんいかん。一周して元の場所に戻ってきてしまったぞ。

 だが、だがしかしだ……!


 ――これはワンチャン、あるのではないか?


 そう思ってしまうのも、無理からぬことであろう。

 何しろ退社後にわざわざ差し入れを手に戻ってきて、かような話の流れとなっているのだ。

 俺に対する好意の表れと見て、間違いないのではないか?

 来たんじゃないか……っ!? 春……っ!


 目まぐるしく脳が回転し、一瞬が十分にも一時間にも引き延ばされたような錯覚に陥る。

 今、俺の脳はかつてないほど活発に働いていた。

 何ならば、取引先と商談している時ですらこれほどまでに頭は働いていないであろう。


 頭の中に、天使の自分と悪魔の自分が現れる。

 陰と陽……! 正と負……! 真逆の立場から見た客観的な意見を俺によこさんとしているのだ。

 悪魔の俺が、重々しく口を開く。


『落ち着け幹村。ここで勘違いして舞い上がったら、生涯残る深手となるぞ?

 学生時代に一度、それで失敗した経験があるのを忘れたか?』


 さすがは悪魔の俺。一片の希望すら抱かせず、ついでにちょっとした古傷すらえぐっていく容赦のなさである。

 ならば、天使の俺はどうだ……!?

 天使の俺が、にこりと微笑みながらその口を開く。


『落ち着きなさい幹村。ここで勘違いして舞い上がったら、生涯残る深手となりますよ?

 学生時代に一度、それで失敗した経験があるのを忘れましたか?』


 一致……っ!? 悪魔と天使の見解が完全に一致している……っ!?

 しかしながら、それで頭が少し冷えた。

 大体からして、何でもかんでも恋愛に結び付けようという考えからしてどうなのかという話である。


 よしんば、清良さんが俺に好意を抱いていてこれがそのアプローチなのだとしよう。

 ならばその場合、ただ恋愛的な意味での好意を抱いているのではなく、その先にあるゴール……神の領域すら見据えていることになる。

 誰かと一緒にご飯を食べられれば――すなわち結婚すればこんなことで悩まずに済むと吐露するなんて、「私と結婚して毎日美味しいご飯食べませんか?」と暗に問うているとしか考えられないからだ。


 ――カーッ! 卑しかっ!


 もはやそんなの、OLでも何でもない。現代に舞い降りたサッキュバスである。

 その脳内はどピンク……っ! 俺のことを見ては、もしこの人と結婚したらとあれやこれや妄想していることになる……っ!

 何だそれ? とんでもない卑し系女子もいたもんだ。


 幹村よ……! お前はそれでいいのか……!?

 誇り高き企業戦士として、尊敬すべき同僚のことを淫乱どピンク女扱いするような男でありたいのか……っ!?

 答えは――否! 断じて否である!


 ここに結論は出た……。

 何てことはない。最初から俺が一人で勝手に勘違いして勝手に舞い上がっていたというだけだ。

 生粋の癒し系かつちょっと天然入ってる清良さんは、何の裏表も駆け引きもなく言葉通り俺と新作菓子をシェアしに来ただけなのである。

 料理のレパートリー云々も、実家のこととか思い出しただけに違いない。ただの想像だが、清良さんは子供の頃から母親のお手伝いとかしてそうなイメージあるし。


 加速していた体感時間が通常のものに戻り、俺は清良さんと楽しく――そして差し障りのない会話を続けた。

 それで活力を得た俺は、その後の残業もスピーディに果たし終えたのである。


 今日はいい日だ。最後にちょっと幸せな気持ちになれた。

 それもこれも、変な勘違いをせず冷静に振る舞ったが故であろう。




--




 残業の続きに戻った幹村を残し、オフィスビルの入り口をくぐる。

 少しだけ歩いて振り向くと、わずかに照明の灯されている窓を見やった。


「もう……」


 そうしている清良の頬は、少しだけ不満げにぷくりと膨らんでいたのである。

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清良さんは卑したい!? 英 慈尊 @normalfreeter01

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