4.月影の森2 過去を超えて

しばらく歩くと、アルドは今歩いている場所が馴染みのない場所だと気づく。


アルドが村の自警団であるバルオキー警備隊に入隊してからは、魔物が出る危険性の高いエリアにも足を踏み入れるようになり、アルドは月影の森の中をほとんど歩きつくしたつもりだった。


だが魔獣の青年が案内する道をアルドは見たことがない。

アルドは改めて、さすがだこの森に暮らしているだけある、と思った。


やがて、2人は開けた広場に出た。

「ここが、花の咲く場所だ」

「……すごいな」

魔獣の青年が案内したこの広場は、赤青黄色……さまざまな色に輝く花に彩られた花畑だった。

アルドは別世界のような輝きの美しさに、ごく簡単な言葉しか出てこない。


確かに、月影の森のどこにでも咲いている青白く光る花とはまるで違う。

老いた魔獣に託された本に記された花は、間違いなくこの花だ。

アルドはこの輝きとみずみずしささえ感じるかぐわしい香りの中、直感的にそう思った。


しかし、アルドにはもう一つ気になるものがあった。

「って!なんでこいつらがここに?」

目の前に広がるのは花畑だけではなかった。


姿かたちは人だが、一般的な人の3倍はある体つきの魔物、アベトスのような体つきの魔物が3体、花畑でくつろいでいたのだ。

アベトス3体程度なら、幾多の戦いを潜り抜けたアルドにとって大した相手ではない。

だが、そのアベトスとは致命的に違う部分があった。

肌の色だ。

アベトスは魔獣に似た青い肌だが、このアベトスと姿が似た魔物は、赤い肌をしている。

アルドは、急激に子供の頃に、ダルニス、メイ、ノマル、フィーネと月影の森へ探検して魔物に追われたことを思い出した。


「あっ!こいつら……子供のころにみんなで追いかけられた魔物じゃないか!」

アルドは当時追いかけられた時の必死さと隠せない恐怖を思い起こして、一瞬身がこわばった。


「森の番人って名前なのに何体もいるのか……」

思えばこの魔物への「森の番人」という呼び方も人間が勝手につけたものだ。

魔物側にしてみれば言いがかりでしかない。


右を見ても左を見ても、幼少の頃にアルドたちを追いかけた森の番人しかいない。

1、2、3体。

彼らはアルドの姿に気がつくと、立ち上がった。


「オデたち……やすんでたら……タベモノきた」

「メシだ……」

「ミンナで、タベヨウ」

などと口々に物騒なことをつぶやきながらアルドを睨み付ける。


「お、おい」

アルドは魔獣の青年の方に視線を向けた。

(あれ、そういえば……)

自分の前立っていたはずの魔獣の青年がどこにも居ない。


(オレより先にこいつらに気づいて身を隠したんだろうか)

それならいいと、アルドは腰に下げた剣に手をかけた。

臀部の背中側にこしらえた魔剣ではなく、片手で扱える軽量な剣だ。


魔獣の青年の所在はともかく、今やるべきことは一つだ。

なすすべも無かった子供の時とは違う。

「くっ……まずはこいつらを追っ払う!」

アルドは子供の頃に感じた恐怖を振り払うように叫んで、腰に下げた片手剣を抜いた。

森の番人たちは鈍く響く咆哮をあげ、総勢でアルドに襲い掛かった。



捕まえられてこいつらのエサになるのはごめんだ。

アルドは、とにかく自分を捉えようとする森の番人3体の腕から目を離さないことに集中した。


アルドが飛び回るたび、森の番人たちが腕を振るうごとに、きらきらと輝く花びらが舞う。

もやがかかったような、昼夜問わず木々の隙間から零れる月光らしきものに照らされて幻想的な空間となるが、残念ながらこの絶景を目にする観客は居ない。


アルドは襲い来る腕から目を離さず必死に剣を振るい、ときにはかすり傷を負わせた。


アルドを「少なすぎる食事」だと認識していた森の番人たちは、そのアルドの抵抗により徐々に動きを鈍らせる。

対してアルドの剣技は冴えるばかりだ。


形勢は逆転した。

攻撃がどんどん弱っていく3体の相手は、百戦錬磨のアルドの敵ではなくなった。

だから、

(元はこの魔物たちの休憩を邪魔したのだ、追い払うだけで終わらせたい)

などと考える余裕も出てきた。


アルドは足を大きく広げ、体を少し右にひねった。

そして剣を握る手に力を込めて剣身を後ろに構え、左手は右手に添える。

何か大技が来る、と森の番人たちが察した時には、アルドは彼らの合間を縫い、素早く斬りかかった。

「必ずといっていいほどエックスを描く軌道を見せる」と友達でありバルオキー警備隊に入隊してからは相棒のダルニスに指摘されたことから、アルドはひそかに「エックス斬り」と名付けている。

この世界の「エックス」は、単に「交差」の別の言い回しである。


ともかく、アルドのこの剣技は、疲れた森の番人たちをひるませるには十分だった。

森の番人たちは互いに顔を見合わせたあと、すごすごと森の奥に引っ込んでしまった。

3体の姿が見えなくなったところで、アルドは一息ついて剣を収めた。


「もう出てきていいぞ」

アルドはいつの間にか姿を消した魔獣の青年に、近くに居るとみなして声をかけた。

しかし、返事は無い。

アルドは首をひねった。

(あいつ……隠れたんじゃないのか。探しに行かなきゃな)

と、アルドがもと来た道を戻ろうと踵を返した瞬間、目の前を刃がかすめた。

アルドは再び身構え、刃が飛んできた大本を見る。


そこには、まさにアルドが探していた魔獣の青年が、体をぶるぶると震わせ、睨みつけるような、しかしまるで恐ろしいものを見る表情で立っていた。

「まさか……あのものすごく強い魔物を追っ払うなんて……」

「なんだ、やっぱり隠れててくれたのか」

アルドは、床に落ちた小斧と、これが飛んできた元に尋常でない表情の魔獣の青年がいることを認識しながらも、穏やかに声をかけた。


対して、魔獣の青年の表情はさらに険しくなっていく。

「確かに俺はおまえが探している輝く花の咲く場所に案内した」

「うん、ありがとう。やっぱりこの花がそうなんだな」

アルドは穏やかな調子を崩さなかった。


「だが、ここは巨大な魔物が頻繁にたむろする場所でもある」

「大丈夫、やつらは追い払ったから」

「あいつらは1人でもすごく強いから、人間が襲われれば必ずあいつらのエサになると思っておまえを案内した」


魔獣の青年はアルドを睨みつけて呟いた。

先ほどよりは震えがおさまっている。


「どうしてだ?」

なんとなく察しながら、アルドはあえて尋ねた。


途端、魔獣の青年は激昂した。

「言っただろう!人間は俺たちの家族を奪った!」

そして、小斧を持っていた手を振りかぶってアルドに襲い掛かった。


だが、アルドは冷静だった。

(相手をやっつけたいなら、斧を手放したのは致命的だ)

先ほど魔獣の青年が放ったあてずっぽうな攻撃で、即座に剣を抜くほどの相手ではないと判断した。


アルドは振りかぶる腕を避けて難なく魔獣の青年の懐に入り、体当たりで突き飛ばした。

魔獣の青年はぐっ、と呻いて背中から地面に投げ出された。


受け身も取らず倒れるなんて……アルドは、相手には全くと行っていいほどに戦闘経験が無いと判断し、やりすぎなかな、とすら思った。

だが魔獣の青年の体は頑丈なようで、すぐに立ち上がった。


そして、なおもアルドを睨みつけて吐き出すように怒鳴りつけた。

「たしかにあんたは人が良い……だが少し優しくされたくらいでこの人間への恨みが消えるものか!」


アルドはその恨みの根深さに、彼が受けた理不尽を思って表情を曇らせた。

そして目を閉じて俯き、口を開く。

「確かにわけもなく人間にすみかを襲われて、家族を失って無念だったろう……」

「そうだ!この無念、まずはおまえで果たしてやる!」

なおも向かってくる魔獣の青年の突進を、アルドは軽く去なした。


「すまないが、オレにもやることがあるんだ。ここでお前に命をくれてやるわけにはいかない」

何度も何度も向かってくる魔獣の青年をアルドはいなしつづけていたが、うっかり体勢を崩してしまった。

そこに魔獣の青年の突進がアルドの正面を捉え、アルドを押し倒す形となった。

魔獣の青年は素早くアルドに馬乗りになり、首に手をかけた。

「ぐっ!」

アルドが呻いたつかの間、魔獣の青年の手はひどく強い力でアルドの首を絞めつける。


(まずい!力は強い!!)

アルドは戦闘経験に乏しいと見られた魔獣の青年に油断したことを後悔した。

その油断が自身の体勢を崩すことになり、この状況を招いたのだ。

魔獣の青年の手はアルドを締め続け、アルドは息をするのも難しい状態だった。

徐々にアルドの意識が濁っていく。


(あ……オレ……ここで……?)

燃え滾る人間への恨みに歪んだ魔獣の青年の表情をうつろに見ながら、アルドは死を覚悟した。


そこに、二人のものではない声がした。

「兄さん?近くにいるの?どうしたの?」

穏やかな女性の声がした。

アルドはその声の方向に視線だけを向ける。

と同時に、魔獣の青年の体がびくりと跳ねた。

「い、今は来るな!」

なぜここに、と言わんばかりの表情でその声に向かって叫んだ。


「やっぱりその声、兄さんね?」

その女性は見知った声に安堵した様子で花畑へ向かい、二人の前に姿を見せた。

と同時にひえっ、と恐怖の声をあげた。

「兄さん!なんてことを!」

一転おびえた表情に変化した魔獣の女性は、ひとに危害を加える兄を非難した。

「!……くっ」

魔獣の青年がなおもアルドの首を絞めていると、魔獣の女性の一喝が森中に響き渡った。


「兄さんもうやめてっ!」

魔獣の女性は、兄と呼んだ魔獣の青年に駆け寄り、アルドを絞める腕をどかそうと掴む。

「そんな気の良さそうな人に何してるの兄さん……」

「おまえは黙ってろ。人間がとうさんとかあさんに何をしたか、覚えてないわけじゃないだろう?」

「確かにそうだけど……」

なるほど、この魔獣の女は彼の妹か。

アルドはぼんやりとしながら、一人腑に落ちていた。

魔獣の青年は魔獣の女、つまり妹を説得にかかるが、相手は引き下がらなかった。


「この人が、あたしたちのパパとママにひどいことをしたわけでは無いでしょう?」

この言葉が、完全に魔獣の青年の心を折った。

「くっ……」

魔獣の青年は、がくりと肩を落とした。

アルドの首にかかった手が力なく外された。


兄が勢いを失ったのを見届けた魔獣の女性は、上体を起こしたアルドに向き直るとこう訪ねた。

「人間の方、どうして兄と一緒に居たんですか?」

アルドは、魔獣の青年と出会って月影の森に来た経緯を簡単に説明した。


「このひとの妹さんの家が雨漏りしてるっていうから、木材を一緒に探すかわりに、オレが探している花を探してもらってたんだ」

魔獣の女性はうんうんと頷いて話を聞き、アルドが話し終わると丁寧におじぎをして謝辞を述べた。


「兄を助けて頂いてありがとうございます」

「いいんだ。困ったときはお互いさまだよ。オレも助けてもらったしな!」

快活に笑ってアルドが言うと、魔獣の女性も微笑んだ。


ここでやっとアルドは、魔獣の女性の姿かたちを認識することが出来た。

獣の青年と同じ青肌、兄よりは薄い紫がかった銀髪、顔立ちは人間とさして変わらない女性だった。

美女ではないが、安心してみていられる容姿だ。


その魔獣の女性は胸を撫で下ろし、こうつぶやいた。

「森に侵入してきた人間や両親を襲った人間しか見ていなかったので、人間は怖いものだと思っていました」


人間と魔獣のかかわりは、互いにいがみ合うことがほとんどだ。

アルドは魔獣たちと旅をしているが、人間と魔獣が共に旅をするまでに親しい事例はほとんどない。

それだけに、次に彼女が語る言葉はアルドにとって意外なものであった。


「このまえ私を助けてくれた人間といい、あなたといい、人間にも優しい人がいるんですね」

魔獣の女性は腰に下げた革の道具袋から布切れを差し出した。


「魔物に襲われて逃げようとして足をくじいてしまった私を、人間の男性が助けてくれました。彼は魔物を追い払い、この布で手当てをしてくれました」

そして彼女はとても柔らかい微笑みをもってこう付け加えた。

「怖くない人間もいる、と思ったのはそれが初めてです」


「魔獣を助ける人間か……」

アルドは誰に言うでもなくつぶやいた。


互いに憎み合うだけでは何も解決しなかった人間と魔獣の関係は、一度世界全体に裂け目のようなものが現れ、世界全体が空の黒い穴に飲み込まれようとしたときに一変した。


世界が滅びようとしているときに、恨みつらみで種族同士争っている場合ではないのだろうか、という機運が、人間と魔獣両方からあがってきたのだ。

人間と魔獣、話し合えば解決できるのではないかと、人間と魔獣双方の口からアルドも何度か聞いている。


それを聞くたびに、無駄な争いが無くなるといいな、とアルドは思ったが、こんな身近な場所で人間と魔獣が絆を結んだ事実があることに、アルドはひそかに心躍らせた。


アルドがあたたかい思いに浸っていたが、真珠の青年の声が現実に引き戻した。

「そういえば、この花が必要じゃなかったのか?」

魔獣の青年は思い出したようにアルドに言った。

「あっ、そうだった!」

アルドは慌てて地面に咲いて輝く花を摘んだ。

その様子を見て、魔獣の兄妹は穏やかに笑う。



一輪の輝く花を持ったアルドは、魔獣の兄妹に別れを告げようとしていた。

「妹さんの家をしっかり直せよ」

「ああ、こんなにいい木材が手に入ったんだ」

そして、ばつが悪そうにアルドの顔色を伺って、こう付け加えた。

「本当に、悪かった……俺は」

「いいんだ」

ここまで言って、アルドの声にに遮られた。

「オレのことは気にするな。あんたたちが大人しく暮らしてくれるならそれでいいよ」

「ああ……そうする」

先程とは打って変わったすっきりとした顔で、魔獣の青年は頷いた。傍らに居る魔獣の女性もそれに倣う。


「じゃあな!」

アルドは手を振る2人に別れを告げて、ひとり月影の森を出た。


バルオキーへの帰り道、アルドはすっかり陽が赤く染まる頃の空を眺めた。

思うのはヌアル平原で出会った魔獣の兄妹のことだった。


住みかの雨漏りに困り、探しものがお世辞にもうまいとは言えない兄。

そしてその兄を頼るしかない魔獣の女性が、周囲におびえながら隠れ住んでいる。

(気の毒だ……)

アルドは改めて思った。だが、それだけではない。

魔獣の女性が人間に助けられたという事実もあった。

それは永い間争ってきた人間と魔獣にも、共に手を取る道があることをアルドに示した。

(いつか……人間も魔獣も、仲良く堂々と暮らせる世の中が来るといいな)

アルドは心の中でそう願った。



「あとは、この花をアンガルのじいさんに見てもらうだけだな」

気を取り直したアルドが懐から出した花は、さまざまな色にぼんやりと光っていた。

見ているだけで光り方が目まぐるしく変化し、見る者の目を楽しませる。


アルドは単純にきれいに光るんだな、と感心してA.D.1100のアンガルへと向かった。


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