3.月影の森1 過去を想う

陽がまぶしかったヌアル平原から少し歩くと、アルドと魔獣の青年は青白く光る森にたどり着いた。

森全体に広がる青白い光源は、世界有数のプリズマ鉱脈である月影の森が多量のプリズマを吸収している影響によるものである。

木々からプリスマの結晶、花に至るまで、その影響は多岐にわたっていた。


A.D.1000年代に作成された曙光都市エルジオンの研究資料では、このように説明されているが、A.D.300年の時代を生きるアルドたちには不思議な森という認識でしかなかった。


日中でも空を見上げると月が浮かんでいるように錯覚させる月影の森に一歩入れば、夜と見まがう闇に出迎えられる。

プリズマの影響による青白い光が、かろうじて闇を照らしていた。

この青白い光が森を照らすさまは、見慣れぬ者にとっては美しいという感想すら抱かせる。


しかし、この森の闇は魔物が隠れるにはうってつけで、ヌアル平原に棲む魔物より強力な魔物が潜んでいる危険な場所だ。

この月影の森に一番近い位置に集落を構えるバルオキー村では、腕の立つ人間以外入ってはいけないと厳しく言いつけられているほどである。


しかし、バルオキー村から子供の足でも1時間ほどでたどり着いてしまう距離なので、村の子供が怖いもの見たさに探検に出かけることもある。

もちろん見つかれば大目玉だが、そのまま戻ることはなくなった子供もたくさんいた。

そのような痛ましい結果を繰り返さないために、大人たちは口を酸っぱくして月影の森へは行ってはならぬ、と子供たちに諭している。


(そういえばオレもこの月影の森を探検したっけ}

アルドは剣を習い始めた子供の頃を思い出していた。


バルオキーで一緒に戦いの訓練をしていた友達のダルニス。

隣の武器屋に住むメイ。

オレのことが気に入ったのか付いてきてくれてるノマル。

そして妹のフィーネ。


(フィーネは危ないから置いていこうとしたけど、ついていくと聞かなくて結局連れて行ったんだっけ)

現在もほぼ同じ状況だから、

(昔からフィーネはこうと決めたら頑固だったな)

と苦笑するしかない。


アルドはそのときのことを巡廻した。


------------


「うわああああああ!」

月影の森に、子供の叫び声が響いた。

魔物に追いかけられているバルオキー村の子供たちだった。


人数は5人。

黒髪の快活な少年アルド。

落ち着いた印象のストレート金髪の少年ダルニス。

亜麻色の髪を肩まで垂らした少女メイ。

巻き毛のくすんだ金髪で顔をぐしゃぐしゃにして泣きわめいている少年ノマル。

そして、この4人に比べて幼いアルドの妹フィーネ。


かれらは現在、太った巨大な人型の魔物アベトスに似た「森の番人」と村の大人たちに呼ばれている魔物に追いかけられている。


「うわあああん!!!たべられるよううううう!!!!」

「ああもう泣くなっ!とにかく走れって!」

泣きじゃくるノマルに寄り添うようにはっぱを掛けるメイ。

だがメイ自身の表情も不安で彩られていた。

ノマルとフィーネが足が遅く、二人に付き沿う形でメイが二人のすぐ後ろを走っている。


三人の前を走っているのはアルドとダルニスだった。

「ダルニス、どうする」

アルドがダルニスの方を向いて尋ねると、

「俺たちでは太刀打ちできない。とにかく隠れる場所を探すぞ。

おまえは俺の後ろについてくれ。

場所が見つかったら合図をするから、みんなを連れて来てほしい。それから……」

ダルニスは正面を見たままで澱みなく答え、短く指示を出す。

「わかった」

アルドは頷いて、ダルニスの後ろについた。


幸いにして森の番人はその巨体にたがわず足が遅く、子供の足でも逃げ続けられた。

だがそれは子供たちが動けるうちの話であり、足を止めればすぐに捕まえられてしまうだろう。


ほどなくしてダルニスは急に木々の狭い隙間に飛び込んだ。

それを見たアルドはメイたちのそばに付いて、メイに囁いた。

「メイ、ダルニスが隠れ場所を見つけた。ダルニスに続いてくれ。俺はあとから行く」

「うん」

メイは短く答えて、なおも泣きじゃくるノマルと、不安な表情だが口を固く結んでいるフィーネを連れて、ダルニスが通った木々の間を抜けた。


アルドがひとり残ったのは、足跡を消すためだった。

そのへんにあった枯れ枝や落ち葉を自分たちの足跡の上に素早くまいて、

「これでよし……と」

ひとつ呟いてから、アルドもダルニスやメイたちに続いた。



ダルニスが入った木々の間の向こうには、ちょうど5人が身をかがめて隠れられる場所があった。

アルドがその場所に足を踏み入れると、一番先にいまだ泣き止まないノマルが目に入った。

それをメイが励まし、フィーネがおろおろしながらノマルの背中をさすってやっている所だった。

「うええええん……」

「だからもう泣き止みなって、しっかりしなよ」

ダルニスはノマルの正面に座っている。

「ノマル。おまえが泣き止まないことで、その鳴き声を魔物たちが聞いてしまうかもしれない。そうしたら俺たちは魔物に見つかることになる。だから泣き止むんだ」

理路整然とノマルが泣き止まないリスクを小声で説明しているが、ノマルはさらに泣き続けた。


アルドは困った顔をした。

(ダルニスもメイも、それぞれノマルを励まそうとしているのは分かる。

だけど二人とも態度が厳しくて、余計にノマルがおびえてしまうんだ)

「二人とも、ここは俺にまかせてくれ」

「うん…」

「分かった、後は任せる」

ダルニスとメイはノマルのそばに1人入る分の隙間を開けた。


アルドはノマルの傍らに座って、頭を撫でた。

「う……うっく……アルドさん……?」

ふわりと降りた感触にノマルは驚いてアルドを見る。

アルドはノマルを見つめ返してから穏やかに微笑み、優しくささやいた。

「ノマル。大丈夫だ」

そしてノマルの手を軽く握り

「大丈夫、大丈夫……」

とささやき続けた。

それだけ?

ダルニスとメイの顔には、そう書いてあった。


「う……うっく……」

しかし効果はてきめんで、ノマルはアルドの穏やかな声と手のぬくもりに落ち着きを取り戻した。


ノマルが落ち着いたころを見計らって、ダルニスは口を開いた。

「みんな、聞いてくれ」

全員がダルニスに注目すると、ダルニスはさらに続けた。

「俺が石を投げて気をそらせる。その間におまえたちは逃げろ」

「でもダルニス一人じゃ……」

「アルド、おまえは他の3人を守れ」

「わかった」

当時、未熟ながら戦うすべを学んでいるのはアルドとダルニスの二人だけだった。

ダルニスは弓が得意なので敵を正確に狙うことが出来ると踏んだのだろう。

「あの魔物に追われる前だが、来た道の枝に蔦をひっかけておいた。それを探して辿ればこの森を出られる」

アルドは一抹の不安を残しながらも、その指示に従った。


------------


(結局、オレたちは森の番人から逃げることが出来た。

ダルニスの指揮も功を奏したが、あいつらは動ける範囲が決まっているから、追ってこれなかったんだ)

アルドはそう追懐した。

(結局そのままみんなで命からがら森を出ることができたんだけど、その後が大変だったな。

オレたちはダルニスがかけてくれた目印の蔦をたどって森の入り口に近い場所までたどり着けた。


そこでいつまでたっても帰ってこないオレたちを心配して探しに来てくれたじいちゃんや大人たちと鉢合わせになったんだ。

入っちゃいけないと言われた月影の森から出てきたオレたちは、じいちゃんやそれぞれの親ににめちゃくちゃ怒られてみんなで大泣きしたっけなあ……。


今にして思えば、とんでもないことをした。

大人たちがみんなでこの危険な月影の森へ俺たちを探しに来てくれて見つけてくれたからいいものの、じいちゃんにはすごく心配をかけたし、絶対にやっちゃ駄目なことだった)


現在のアルドは探検に出かけた子供のころよりは剣の腕も心も成長していて、この月影の森にも平気で入れる腕前の持ち主である。

そんな子供の頃の失敗を思い返しながら、アルドと魔獣の青年は月影の森に足を踏み入れた。


二人とも木材を抱えながらの移動で、両手はふさがっている。

月影の森に棲む魔物に出くわしたら厄介だとアルドは思っていると、魔獣の青年はアルドに近づき、

「ここからは俺に付いてきてくれ。魔物と出くわしにくいし、もし見かけてもすぐに隠れられる道があるんだ」

と囁いた。

「へぇ、そうなのか。じゃあ任せるよ」

アルドは素直に感心し、魔獣の青年に先頭を譲った。


たしかに、しばらく歩いていても全然魔物が出てこない。

ここに住んでいるだけあってよく知ってるんだな、とアルドは魔獣の青年を見て感心した。


------------


しばらく行くと一本道になり、その先に開けた安全な休憩場所があった。

この場所はアルドも知っている。

とにかくここで休むことにより不思議と疲れや傷が癒えるのだ。

さらに、魔物は絶対に寄ってこない。

原理は不明だが、アルドにとってはその事実があれば十分だった。


二人は木材を地面に下ろし、そのかたわらに腰をかけた。

大した距離を歩いたわけではないが、大きな木材を抱えながらの移動は疲れを何倍にも増幅させる。

流れた汗を涼やかな風の流れが冷やし、二人を癒す。


二人はしばらく木々の擦れ会う音を楽しんでいたが、魔獣の青年が独り言のように話し始めた。


「俺たちはさ、人間に両親を殺されたんだ」

アルドは唐突に語られる重い内容に顔を沈ませながらも、魔獣の青年を注視し、話の続きに耳を傾けた。



「俺たちは、父親、母親、俺と妹の4人家族だった。

両親は狩りや食べられるキノコなんかを摂って、それを使った料理を囲んでとりとめのない話をした。

夜はみんなで寝床に潜り、父や母のおとぎ話を聞きながら寝るのが普通だった。狭い家、薄暗い上に魔物が出る森の中の生活だが、俺たちは幸せだった」


顔を綻ばせて語る生活は、さぞや充実していただろう。

アルドは心安らかに聞いていた。


「だがいきなりだ……。」

魔獣の青年の表情が険しく一変した。

アルドは思わず身を固くする。


「人間たちが、月影の森は俺たち人間のものだから出て行けと武器を持って月影の森にやってきたんだ。そしてやつらは月影の森にずかずかと入り込み、ここに住む魔獣たちを武器で脅したり、それを振るったりして追い出しにかかった。中には甲冑を着たやつも居た」

「そうだったのか……」

アルドは、この月影の森の所有権を人間が勝ち取った戦いのことを、バルオキーの村人や仲間の魔獣から聞いていた。

バルオキーの大人たちからは武勇伝、共に旅をする魔獣らは元々は俺たちの場所だったが人間が不当にわがものにした、と苦々しい出来事として。


魔獣の青年の話通り人間側に甲冑姿があったのなら、それはミグランス国から兵も出ている証だった。

しかも、軍備を施していない魔獣の集落に対しては過度な武装ともいえる。

当時、バルオキーに甲冑を着るものは居なかったからだ。


余談だが、現在はアルドの幼なじみの一人ノマルが甲冑姿である。彼が過度に憶病な性格ゆえだが、重い甲冑を着ながら日常をこなす筋力に、周囲はひそかに驚嘆していることを本人は知らない。


とにかく、月影の森はプリズマ資源が豊富で、魔物や魔獣たちの住みかにしておくには勿体ないほどであった。

甲冑という武装ひとつで、人間側が月影の森にそれだけの価値を感じていたこと、何が何でも森を人間の所有地にしようとする強い意志があることが窺える。


バルオキー村長こそ「プリズマ資源はみだりに搾取するものではなく、あくまで自然との共存をはからねばなかない」という考え方だったが、「プリズマ資源は世界の更なる発展の為に際限なく必要」と積極的な掘削に走る者も少なからず居た。


豊富なプリズマ資源はミグランス国としても無視できるものではなく、プリズマを際限なく掘って力に変えようとする城内の過激派がバルオキー過激派をそそのかし、月影の森への出兵をしたというのが、推測の域を出ないが実情のようだった。



「だから俺たちは人間を憎み、恐れていた。一人なら大した力もないが、束になると力を持ち、なんでもしてきやがる」

「…………」

深い恨みをのぞかせる魔獣の青年の表情と語られる内容に、アルドは口をはさむことを躊躇われた。


「月影の森に攻め込んできた人間を蹴散らしてきた両親だが、獣用の罠にかかって人間に捕まった。

人間に「仲間はいるのか」と問われたとき、父は「俺たち二人だけだ」と言った。

俺はその言葉を聞いてすぐに妹を抱えてその場を逃げ出した」

この魔獣の青年が下した判断は正解だった。下手に駆け寄りでもしたら彼ら兄妹の命も無かっただろう。


「子供だった俺にはなすすべがなかった。結局月影の森は人間のものとされ、俺たちは森を追われた」

「だが、俺たちによそで暮らすあてはなく、結局は月影の森に戻って隠れ住んだ。ここならば俺たちは森のどこに果実が成るか、食料になる草木がどこにあるかを知っていたからだ」

どれだけ人間に追い立てられようとも、身寄りのない兄妹は住み慣れた月影の森を離れることが出来なかった。

感傷的なものは存在せず、あくまで現実問題として。


この一帯では凶暴な魔物たちにおびえ、人間をも警戒しながらの暮らしはさぞ不自由だっただろう。

アルドは人間側の立場ながら、この兄妹に深く同情した。

彼らが望むなら、陰ながら助けてやりたいとすら思う。

アルド自身にも、束になった人間のたちの悪さには覚えがあった。



幼少のころ、妹フィーネは村人に内緒で月影の森に入り浸った時期があった。

月影の森で友達になった魔獣の女の子に会うためだ。

フィーネが内緒にしていたのであえて話題にしなかったが、アルドはそれを知っていた。

一度心配でこっそり付いていったが、二人が楽しそうに話をしているのを見て、友達が出来て良かったと見守っていた。


またフィーネがこっそり居なくなったので、今回も月影の森だろうとアルドが月影の森に入ると、誰かを非難する子供の声がした。


声のした方見ると、バルオキー村の子供たちがフィーネたち二人取り囲んでなじっていたのだ。

「村長のとこにいる拾い子が魔獣と一緒に居るぞ!」

「さては魔獣の仲間だな!」

「魔獣はやっつけていいって親父が言ってたぞ!やっちまえ!」

アルドは反射的に飛び出し、フィーネと悪口を言う子供たちとの間に割って入った。

「フィーネをいじめるとゆるさないぞ!」

そうアルドが怒鳴りつけて睨むと、アルドが村の子供の中ではけんかが強いのを知っているその子供たちは、口々に文句を言いながら逃げていった。

魔獣の女の子は、ばつが悪そうに別れだけを告げてどこかに行ってしまった。


アルドが覚えている数少ない嫌な思い出の一つだが、子供ながら人間の暗い部分を肌で感じた出来事だった。



「変な話しちまったな」

アルドが苦い顔をして長く黙り込んでいるのを、魔獣の青年は返答に困っていると判断して話を切り上げた。


「いや、本当にひどい話だなと思って」

アルドは心のままに感想を述べた。

「人間がそんなこと言うなんてな。やっぱり変な奴だ」

魔獣の青年はうつむいて立ち上がり、表情の見えない状態でこう呟いた。

「よく言われるよ」

アルドは快活に笑って立ち上がる。


それが休憩終了の合図だと互いが認識した。

また魔獣の青年がアルドの前に立って歩き始め、アルドはその後に付いていった。


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