2.バルオキー~ヌアル平原 出会い

アルドはA.D.300年のバルオキーに降り立ち、さっそく自分が育った村長の家に駆け込んだ。

「じいちゃんただいま!」

台所と応接間を兼ねる大部屋のイスでお茶を飲んでくつろいでいる村長が出迎えてくれた。

「おおアルド、おかえり」

年相応の皺が深々と刻まれた村長の顔が綻ぶ。


村長は、緑を基調としたゆったりとした服を着、年季の入った白髪と髭を蓄え、腰は曲がって杖が手放せないでいたが、活力のある老人だった。


アルドはさっそく村長の元に駆け寄って、アンガルで老いた魔獣から受け取った本を開いて見せた。

「じいちゃん、この本に書いてある花のこと知らないかな」

村長は一つ頷き、その本に目を通した。


「どれどれ…ふむ」

アルドが固唾をのんでその様子を見守っていると、やがて村長は口を開いた。


「この花は、月影の森の一部にしか咲かないものじゃな」

「月影の森にいっぱい咲いてる花とは違うのか?」

アルドの問いに村長が頷いて続ける。

「うむ、確かにその花の一種じゃが、あれだけは月影の森の中でも一部にしか咲いておらんのだ」

「え?」

アルドは驚いた。月影の森を幾度となく歩いてきたアルドに心当たりのある場所は無かったからだ。

村長は続けて言った。

「輝きが違うんじゃ」

輝きが違うだけなら、月影の森のどこにでも咲いている花を輝く花だと言ってアンガルの老いた魔獣に渡しても分からないのでは。

アンガルの老いた魔獣は輝く花を見たことが無いから、そんな些細な違いなど分からないはずだ。


しかし、誠実なアルドの心はそれを許さなかった。

「そうか…意外と難しそうだな」

とアルドが俯いたが、すぐに開き直った。


「とりあえず月影の森に行ってみるよ」

真っ直ぐなところが我が子らしい。

「ああ、行ってらっしゃい」

村長は、玄関を出るアルドの背中をしみじみと眺めて穏やかに目を細めた。



ーーーーーー



アルドは、月影の森に続くヌアル平原を歩いていた。

草木が茂るのどかな平原で、現在のように天気が良ければ高台からミグランス城を望むことができる。

少し前に魔獣軍に深々と攻め込まれた際に破壊された痕は未だ生々しいが、この高台からそれを確認することは出来ない。


ヌアル平原には人間に危害を加える魔物が居るにはいるが、少し戦える程度の実力でも大した脅威ではないゴブリンなどが住むのみである。


バルオキーに住むアルドにとって、ヌアル平原はなじみ深い土地だった。

村にほど近い大人の目の届くエリアは子供が遊ぶ広場としても使われており、アルドはそこで遊んでいた子供のころを思い起こしていた。

(昔はダルニス、メイ、ノマルとここでよく遊んでたなあ……危険だから付いて来ちゃダメだって家に置いていってもフィーネはいつも付いて来ていたっけ)

そんなことを思いながら気楽に歩いていると、目の前に信じがたい光景が広がっていた。



魔獣の若者が、何かを探すようにうろうろとさまよい歩いていたのだ。

魔獣軍がミグランス城へ侵攻している通り、魔獣は基本的には人間と敵対する種族だ。アルドは警戒をし身構えた。


その魔獣の若者は、人間の男と変わらない体躯だった。

よって、今は戦闘態勢ではない。


露出の多い服装から露わになる青い肌、金色のくせ毛を背中まで垂らし、頭には2つの湾曲した角をこしらえている。

魔獣の若者としては十人並みの姿かたちだ。


なお、人間と魔獣は国同士の戦争をするほどには敵対的だが、個人レベルになれば話は別である。

ごく稀にではあるが、友好的な魔獣もいる。

アルドの旅の仲間の中にも魔獣が何人かいるので、アルドにはそれが良く分かっていた。


しかし遠くからは、アルドに全く気付いていないこの魔獣が友好的かどうかは分からない。

もしこの魔獣が人間を敵対視していれば、アルドの姿が目に入ったと同時に襲い掛かるかもしれない。


だがこうして様子を見ているだけでは埒があかないので、アルドは慎重に、こちらに背を向けてうろうろしている魔獣の若者に声をかけた。

「おいおまえ、なにやってるんだ?」

魔獣の若者の肩がビクッと跳ねた。そしてゆっくりとアルドの方へ振り返る。

「その薄だいだい色の肌……おまえ人間だな?」

アルドの姿を見て、魔獣の若者は持っていた小斧を構えた。

が、攻撃をしてこない。


アルドは話のできる魔獣と見て、さらに声をかけた。

「何か探しものをしていたようだけど、もし必要なら手伝うよ」

「なに…?人間が俺を手伝う?」

しばらく呆けたように立ちすくんでいた魔獣の若者だったが、やがて呟いた。


「そうか…魔獣に友好的な人間がいるってのは本当だったんだな」

「その武器を下ろしてくれたらな」

アルドが腰に下がった剣にかけた手を離しながら言うと、魔獣の若者も手斧を下ろした。



「改めて教えてくれるか?なにか探していたのか?」

アルドが問うと、魔獣の若者は先程とは打って変わった柔和な表情で話を始めた。


「実は俺と妹は月影の森に隠れ住んでいるんだ」

「妹がいるのか」

魔獣の若者が頷く。

アルドはか弱い姿だが芯の強い、こうと決めたら頑として突き進む妹フィーネを思い出した。

「ああ。気が弱いが好奇心の強いかわいい妹だ」

「分かるよ、オレにも妹がいるんだ」

「そうか、妹はかわいいよな!」

妹の話に目を輝かせるこの魔獣の若者は、よほど妹のことが大切なのだろう。

アルドは思わず顔をほころばせた。


「でも、隠れ住んでるならどうしてこんなところを堂々とうろうろしていたんだ?」

アルドの問いは至極まっとうだった。


ミグランス国と魔獣王率いる魔獣軍との戦いは、アルドが駆けつけ魔獣王を倒していなければ魔獣王はミグランス王の首を取っていたほど人間側に不利だった。

魔獣が獣化すればほとんどの人間はなすすべもない。


だが、魔獣の強さにもよるが、戦える人間が魔獣を倒すことは不可能ではない。

アルドも向こうから襲ってくるときに限り、何度も魔獣を倒している。

だから、こうして目の前に居る魔獣の青年が「魔獣は等しく人間に害をなす悪」と決めつける人間に剣を振るわれる事があったかもしれない。


アルドはその可能性を指摘していた。

ヌアル平原は人間の往来が多く、魔獣が姿を見せればそれはそれは大層目立つのだ。


「ここは人間も良く通る場所だからまずいんじゃないのか?」

「あっ……」

それを聞いた魔獣の青年はやっと自らの状況に気が付き、間の抜けた表情であっと口を開けた。

魔獣の青年は、頭を掻いてぽつりぽつりと喋り始めた。


「俺と妹が住む家がボロくなっちまって、補修するオーク材を探してたんだ。月影の森には少ないから危険を承知でこの辺まで出てきたが、なかなか見つからなくて夢中になっちまった」

「気持ちは分かるけど、危ないぞ」

「雨漏りして困ってる妹が気の毒で、すぐに直してやりたくて」

オーク材は、つまりオークの木を伐採して出来た材木のことだ。

ヌアル平原を歩いていれば、バルオキーで使うために伐採した木材の余りが落ちているのがやすやすと見つかる。

持って帰る途中に落としてしまうのか、使えない部位だと敢えて捨てているのか……とにかく躍起になって探さなくても見つかるものだが、この魔獣の青年はよほど探しものが下手なのだろう。


アルドはそんな彼を見かねて言った。

「よかったらオレも手伝うよ」

魔獣の青年は目を大きく見開かせた。そして、しばらく沈黙が訪れる。

何か考え事をしているのは眉間のシワを見れば分かる。

アルドは静かに彼の考えがまとまるのを待った。


やがて、魔獣の青年は口を開いた。

「人間が魔獣の俺に協力してくれるとは……ありがたい、たのむ」

魔獣の青年が出したこの結論が飛んできて、アルドは笑顔で大きく頷いた。

「じゃあ決まりだな。オーク材がよく見つかる場所に案内するよ。ついてきてくれ」

そう言ってアルドは魔獣の若者を促した。

魔獣は少しためらいがちに、アルドの後に付いていった。


------------


アルドはもともとバルオキー村に育ち、材木を担げるようになってからは木こりの手伝いをしていた。

だから、どの辺にオーク材が落ちているかは手を取るようにわかった。


魔獣の若者を連れたアルドはヌアル平原を歩いて周り、まるでそこに最初から置いてあるかのようにオーク材を次々と見つけて、魔獣の青年に手渡す。

「すごいな。よくこんな簡単に見つけるな……」

魔獣の青年はアルドが見つけたオーク材が使えるかどうかを吟味しながらその手際の良さに舌を巻いた。


たいした時間も経たないないうちに、魔獣の青年は家の補修に適した大きさのオーク材を両手いっぱいに抱えて笑顔だった。

「これだけあれば十分だ、ありがとうな」

「あんたの役に立てて良かったよ」

アルドも心底言葉通りの思いだとわかる表情で答えた。


「人間…いや魔獣の中にもこんなに親身になってくれるやつに出会ったのは初めてだ」

魔獣の青年の顔は、出会った時とは打って変わって柔和だった。

「もし俺で役に立てることがあったら言ってくれ」

アルドは何気なく聞いていたが、すぐにこの辺りを通った理由を思い出して魔獣の青年に尋ねた。

「月影の森に咲いてるぼやーっと光る花が咲いてる場所知らないかな?」


魔獣の青年は訝しげに

「そんなのそこら中に咲いてるぜ?」

と言うと、アルドがこう返した。

「オレもそう思ったけど、そこら中に咲いている花とはちょっと違うって聞いたんだ」

すると、魔獣の青年は何かを思い当たったように表情を変えた。

「ああ!あっちの方かな?それなら咲いてる場所知ってるぜ」

「本当か!?」

アルドの声が弾む。魔獣は頷いた。

「よし、この木材の礼だ。その花が咲いてる場所に連れてってやるよ」

アルドに断る理由などなかった。

「ありがとう、頼むよ」

「任せときな、じゃ行こうか」

魔獣の青年が歩きだすと、アルドも続いた。


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