第4話

 立ち見すら出る客席の灯が落ち、劇場にブザーが鳴り響く。

『真・ミグランス城の戦い』

 ベルベットの赤い幕がゆっくりと上がり、舞台から光が広がっていく……。


 夕闇の迫る城のテラスにて、幕が上がりきると同時に緊迫した生演奏が流れる。

 激しい戦争があった。崩れた城壁のセットに観客は燃える街や人々の悲鳴、何もかもが焼け焦げた匂いを思い出す。傷ついた隻眼の兵1人を従え、攻撃を受け膝をついたミグランス王の姿を見て、人々はあの日の緊張をすぐに思い出した。

「矮小なるミグランス王よ。王家の下らぬ歴史も終わりの時だ。潔く時代の闇に消え去るがいい!」

 剣の血を払った魔王の低い声に淑女たちが小さく悲鳴を洩らす。真っ赤な角に青い肌、獣のように金に光る瞳は迫力があり、とても人間が演じているようには見えない。混沌を武具にしたような禍々しい剣も目にしただけで震え上がる。

 だがその恐ろしい姿にもミグランス王は屈しない。凜然と立ち上がり、聖剣パルシファルに光を集め始める。

「魔獣王……貴様にもまた魔獣を統べる王としての役目があるのだろう。しかし私とて人の王。これ以上の狼藉を見過ごすことは出来ぬ。この聖なる刃……受けてみよ!」

 眩い剣技に劇場全体が光に包まれた。ワッと観客から声が上がる。王の御技に倒れぬものなどいない、と期待が高まる。

「むッ……!この輝き……まさかこの技は……!」

「おお、ついにこの時が……!」

 剣を構えて爆風に耐える魔獣王の狼狽に王の側にいた騎士が歓喜の声を上げる。……が、かなりダメージを与えることは出来たようだが、なんとか耐え切った魔王は牙を剥いて王を睨んだ。

「よもやその力を使いこなすとは……。敵ながら見上げたものだミグランス王」

「くっ……!私の技を耐え切るとは……」

 全力の斬撃を放った王の足が僅かにふらつく。今ので倒れなかったのは大きな誤算だ。

「我が絶望のつるぎに受けられぬものはない。だがこの俺に傷をつけるとはなかなかに驚かされたぞ……!」

 今度は不敵に笑う魔王に禍々しい瘴気が集まっていく。下手(しもて)に渦巻く黒いオーラが夕暮れの背景をそこだけ星のない夜に変えてしまう。

「……いいだろう気に入った。貴様らには特別に見せてやろう。俺の真の力を……!……ぉおおおおおオオオオオ!!」

 魔王の声が途中で変わった。冥の力が竜巻のように彼を包んで巻き上がる。膨れ上がり、客席まで迫り、一瞬収縮して爆発した。

「嘘だろ……」

「ま、まさか……!」

「魔獣だ……魔獣王だ……!!」

 客席から恐怖の声が上がる。そう、バサッ……バサッ……と重い翼の音を響かせ舞台に飛んでいるのは、あの日のユニガンで人々が見た闇の支配者、魔獣王そのものの姿だった。

「……ふっ……懐かしい感覚だ……力が漲ってくる」

 ベルトに仕込んだセバスちゃんの装置の出来に、ギルドナが素直な感想を漏らした。劇が始まる前に街の人に見られては事だ。下手をすればパニックになるかも知れない……ということで、他のシーンは散々練習したがこの姿だけはぶっつけ本番だった。

 観客の反応をチラッと伺ってみれば全員顔を痙攣らせて青ざめている。そうだ。我こそは魔獣を統べる王。人間どもよ、恐怖と絶望に震えるがいい……。

 と、久々の魔力を楽しんでいるだけではアルドに怒られそうで面倒だ、と我に返ってギルドナは血糊を流した王に向き直る。

「ではこの力で貴様を葬ってやろう。……さらばだミグランス王!!」

 照明ギリギリまで高く飛び上がった魔獣王の口元に精緻な魔法陣が浮かび上がる。盛り上がる筋肉、逆立つ獅子の毛、空気中のエレメントを一点に集めたブレスが王へと放たれた……!

「消えてなくなれ!!」

「我が君!!」

 熱波が王を襲った瞬間、白銀の盾を構えた赤い眼の騎士がその前に飛び出す。

 凄まじい音がして、聖剣パルシファルの輝きにも匹敵する閃光が劇場に満ちた。街一つを滅ぼさんとするほどの闇の力はしかし、ミグランス王朝のエンブレムを刻まれた大楯によって掻き消された。理屈は全く分からない。それでも比率にしておよそ9割5分、騎士の真の護国の意志を込められた盾は魔獣王の攻撃のほとんどを受け止めてみせた。……残った熱波は確かに彼の体を焼き、また観客の頬に触れた。

 力を使い果たした兵士がその場に膝をつき、ガシャン、と青い鎧を鳴らして地に伏した。

「なんということだ……私を庇って……」

 駆け寄り、騎士の頭を膝に乗せた王の顔が悲しみに歪む。最後まで王についていた彼は側近の1人なのかもしれない。

「我が君……貴方がいればこそこの国は……。ミグランス王朝に、栄光あれ……」

 髪が解け、熱を失った黒い瞳をゆっくりと閉じた騎士の死体がずり落ちて再び床に転がる。役目を果たした重い体はヴァルヲに引きずられて捌けていった。猫は時の女神に愛されしもの。護国の騎士は天に召されたのだろう。

「フン……邪魔が入ったか。だが次で終わりだミグランス王よ。」

「………………魔獣王……」

 騎士を看取った王が再び目に闘志を燃やして立ち上がる。

 国を傷つけ、民を苦しめ、命を賭して国を護った騎士を「邪魔」で済まされ黙っていられるはずもない。そしてその怒りは、口ではなく剣によって示すべきものだ。

「この期に及んで最早言葉は必要あるまい。兵の仇は必ずこの私が……!」

 王の手に力が入り、グローブがギュッと引き締まる音まで聞こえてくるようだった。しかし相手とて負けてはいない。

「笑止!人間の王よ!その程度の力で魔獣の王たるこの俺に太刀打ちできると思ったか!……ォオオオオオオオオ!!」

 魔獣王の体に再び瘴気が集まっていく。翼に集められたオーラは血管を通ることでより濃く、大きくなっているようにも思える。エレメントの力を宿した、人間とは別の生き物。ああ、やはりあれは私達の敵う相手ではないのだ……。

「くっ……あの技がまた来るのか……?しかし私は負けるわけには……!」

 聖剣も敗れ、盾となる兵も失い、自らも血を流した王はそれでも目の前の強敵を睨む。絶体絶命、最早これまで。最初から勝てるはずなどなかったのだ、あんなに強大な敵に……と、客席の誰もがそう思った。


「諦めちゃダメだ!こんなところで負けられないだろ!」

 だがそこに、さすらいの剣士が現れた!

 オーケストラの雰囲気がガラッと変わり、勇壮な曲に観客の胸が躍る。そうだ、相手がどんなに邪悪でも、人はこんなところで負けたりはしない!

「貴殿は……」

 赤いマントを颯爽となびかせ、剣先を真っ直ぐに敵に向けて立つ若者に、王が驚嘆の目を向ける。

「オレのことより今はその剣を!」

 黒髪の若き剣士に勇気づけられ、王が再び聖剣を構える。

 なんて眩しく、爽やかな男だろう。まるで光だ。消えたと思われていた希望、そのものだ。

「ああ……その通りだ。我が刃もまだ折れてはおらぬ!」

 王の口元に再び笑みが浮かぶ。過去の栄光を壊された街にも、失われようとする国の未来にも、もう何も臆すことなどない。

「雑魚が何人増えようと何も変わらん。まとめてひねり潰してくれる!」

 魔獣王の咆哮に、さすらいの剣士の仲間たちも舞台に上がった。


「吼えよ剣!呼べよ嵐!拙者侍、姿はカエルに変われども……この魂は人でござる!人の世に仇なす魔獣王よ、あお覚悟めされよ!!」

 気圧されるようなスピードで飛び出して来たカエル男が啖呵を切る。通常の劇であれば何故?と思う配役だが、先日のビラ配りで彼が出演することを知っていた客席は待ってましたと盛り上がる。

「何があっても、私は絶対に負けない!OK、ここで美女の登場よ!私の時代を守る為にも、人類を滅ぼすなんて許さない!王様、ここは私たちに任せて!」

 王様と入れ替わるように走って来たのは美女……というにはかなりおてんばな雰囲気の若い女性だ。とはいえ顔は可愛いし、露出度の高い衣装と客席へのアピールは見てる側も元気が出る。歓声はさらにヒートアップしていく。

「美女って貴方のことだったの……?まあいいわ。私は人ではないけれど……そうね、これはこの星を守ることにも繋がるわ。さあ、星よ……応えて……!」

 ふわ、とまるで飛ぶように舞い出た彼女こそが期待していた美女だ。目元こそ仮面で見えないが、僅かに露出した口元や全体のミステリアスな雰囲気が彼女の美しさを物語っている。その呼び掛けに、頭がすっと冴えていくような気さえした。

「はあ!!」

「……グルル」

 唯一最初から舞台に立っていたアルドが剣を振るい、魔獣王がそれに爪で応える。

「俺には仲間がいる。たった独りのお前に負けるもんか!」

「調子に乗るなよ小僧……吹き飛べ!!」

 苛立つ魔獣王が金色の翼を振るい、猛烈な風が吹いた。

「うっ……!」

 土属性を持つヘレナがダメージを受け、高度を落とす。その肩に優しく手を置いたのは同じく仮面がミステリアスな美少女だった。

「ここはワタシにお任せクダサイ!ワタシは元々人間の為に活動するアンドロイドデス!ノデ!戦わない理由がありマセン!カタストロフ・モード起動!」

 美少女の目が赤く光ると、薄明かりの壁が生まれた。これでもう、どんな風でも大丈夫だ。

「はっ!!」

「んえい!!」

「はあ〜!!」

 アルド、サイラス、エイミがそれぞれ連撃を繰り出す。だが強大な魔力により弱点を持たない魔獣王への効きは弱い。

「フン。その程度か雑魚どもめ。ならば今度は魔獣の力を思い知るがいい。……これが本当の力だ!」

「う……っ!!」

 魔獣王の生み出した青い球体がエイミを包み込む。とても苦しそうな声を出して膝を着いたが、彼女の目の光は消えない。

「……このくらい、負けないって言ったでしょ!」

 なおも力強いパンチが3度魔獣王を打った。

「メディカルサポート、デス!」

 すかさずリィカがパワーヒールで味方を癒す。その間も、アルドとサイラスは攻撃を止めない。同じ場所を斬っているのか、前よりも攻撃が通りやすくなっているような気がする。

「くどい、くどいぞ人間め!何をやろうと、貴様らはもう終わりだ!」

「なんとぉ!!」

 再び繰り出された魔獣王の爪が今度はサイラスに傷を負わせた。

「……ふふふ……相手も余裕がなくなって来た様でござる……さすれば次こそが勝機!円空自在流・蒼破!!」

 流れる血をもろともせず、サイラスが目にも留まらぬ速さで剣を振るう。蒼いしぶきが打ち上がり、水を得た彼の力が増す。

「OK!そうこなくっちゃ!」

 エイミも一度攻撃の手を止め、次の一手に力を込める。

「サポートしマス!敵打撃耐性、低下」

「小癪な……!」

 リィカの産んだ光を両腕でガードした魔獣王が、隠せぬ苛立ちとともに胸を開き爪を振り上げる。

 そこにアルドだけが同じ技を撃ち続けた。積み重ねた切傷は深い溝となり、確実に斬撃のダメージを増している。

 その痛みに僅かに自らの飛行が揺らいだのを感じた魔獣王は再び天井スレスレまで高く飛んだ。

「どいつもこいつも……貴様ら劣等種族がいるせいで星が傷つくのが何故分からん!?エレメントの力を吸い取るだけの寄生虫め……消えてなくなれ!!」

 魔獣王の口元に再び五重の魔法陣が浮かび上がる。あのブレスをもう一度撃つ気なのだろう。だかもうこちらにはミグランスの盾はない。運命に逆らおうとはしてみたものの、最早これまでなのだろうか……


「いいえ、こんなとこで退けない!精霊なる魔獣、ここに降臨!」

 その声と姿に会場がどよめく。魔獣対人間の決戦で、最後に人間の味方として出てきたのはなんと魔獣の少女だった。

「なっ……!貴様、裏切るつもりか!?」

 これにはさしもの魔獣王も狼狽えたようで、集められていた瘴気が揺らぎ、霧散した。

 彼女は弓をまるで剣のように構える。そしてその手から溢れる光が眩い刀身となった。

「私たちとは別のものだけど、人間にだって思想と力がある……皆と出会って学んだの。今は難しくても、私たちはいつか必ず手を取りあって生きていける。だから……私は今の貴方を許さない!!」

「いくぞ魔獣王!!これがオレたちの本気だ!!」

 その時観客が見たのは奇跡だったのかもしれない。まるで止めた時の中で必死に攻撃し続けた人間たちの技が一気に繰り出されたかのような衝撃だった。轟音と、熱波。数多の斬撃と打撃を食らった魔獣王が床スレスレまで堕ちてくる。深く傷ついた翼が最前列中央席の屋根となる。

「グ、グオオ……、人間ガ……人間如キガ……!!」

 だがあと一押し、もう一押しがなければこの巨悪は復活してしまうだろう。何か、あと何か一つの『希望』さえあれば……!

 と、さすらいの剣士以外のキャストが下がり、舞台袖から『希望』が飛び出してきた。

 それはさながら白金の獅子。マントと髪をたなびかせ、我らがミグランス王が再び魔獣王へと剣を構える。

「皆のもの、よく耐えてくれた!あとは私に任せてくれ!」

 天に掲げた聖剣パルシファルに全ての照明が集まり、劇場全体を遍く照らす。加えて若者が構えた剣が鏡のようにその光を受け、さらに輝きを増幅させた。

「終わりだ魔獣王!お前の思い通りにはさせやしない!行きましょうミグランス王!これがオレたちの……」

「私たちの……そう、人の力だ!!」

 白き閃光が会場に満ちる。どこか懐かしく、温かい光は人への祝福に他ならない。カオスに対峙するロウの力が観客の心にも確かに届いた。

「ぐうッ……!この俺が人間ごとき……に……」

 暗い時代を再び照らす朝日のような光の中で、人々は魔獣王の野望が潰えるのを見届けた。

 キラキラと青白い光の破片が僅かに揺れながら消えていく。巨体を失い、元の姿に戻った魔王の亡骸は舞台袖に飲み込まれていった。


 穏やかな演奏の中、人の世を守りきった2人が向き合っている。

「感謝する、旅の剣士よ。良ければ国を救いし英雄の名を聞かせてもらえるだろうか?」

 王を救い、敵の大玉を退けたのだ。彼が望めば将軍にでもなれるだろう……が、若者は驚いた顔をして早口で答えた。

「ああいや名乗るほどのものじゃ……えっとオレはこの辺で!」

 そして走り去ってしまった若者の背を見ながら王は呟く。

「……行ってしまったか……なんと謙虚な。」

「国王様!ご無事で……!」

 若者が去った上手(かみて)から数人の兵士が現れる。王の姿を見て感極まった部下に1人だけ真紅のマントを着けた騎士団長が続ける。

「城下の残党の排除も終わりました。この戦は……我らの勝利です!」

 その言葉に歓声が沸く。そこにいないはずの観客たち声だが、あの日の希望を再び体感した彼らはそれを押し留めておくことが出来なかった。

「民よ」

 その声がおさまるのを待って、王が正面に語りかける。澄んだ声はあの日、真っ赤な夕暮れの中で戦争の終わりを告げたときのように国民の心に届いた。

「私と共に戦ってくれてありがとう。この勝利は貴殿らのものだ!」

 ワーーーーッ!!

 もはや座ってなどいられない。感極まった観客はスタンディングオベーションを始めてしまう。

「なっ……!まだ終わってないのに皆立ち上がっちゃったぞ!?」

 幕の横からひょこっと顔を出したアルドをエイミが慌てて引っ張る。

「駄目よアルド!まだ隠れてて!」

「でも……!」

「大丈夫だ、あの方なら……」

 髪を結び直した盾の騎士がアルドを抑えた。

「だがしかし民よ!」

 王の声にぴた、と静まり返った観客は座ることなく次の言葉を待つ。

「果たして我が国に平和は戻ったのだろうか?……否!怪我に苦しむ兵に、家族を失った幼子に、生活を壊された人々に見て見ぬ振りをしてはならぬ。この国は今なお、戦いの真っ只中である!」

「…………」

 領民よりも自分の生活を優先していた貴族たちが気まずそうに俯いた。彼らを含め、王はその場にいる国民へと落ち着いた声で語り続ける。

「それでも……私たちなら勝てるはずだ。傷ついたものに手を差し伸べ、孤独に震えるものを抱きしめ、途方に暮れるものの肩を抱き、明日を築いていける力が、私たち人にはある!それこそが我が聖剣パルシファルに宿し希望の力、人の力である!」

 淀みない動作で抜いた剣が天を貫く。照明の光をバラして、七色の光が舞台を照らす。

「剣はそなたの胸に在り!!民よ!!一人一人の勇気を持って、今一度共に戦おう!!」

「ミグランス王朝に栄光あれ!!」

「「「ミグランス王朝に栄光あれ!!」」」

 騎士団長も剣を掲げ、兵士たちも同じように続ける。それは国王を守って死んだ騎士の台詞だった。それはあの日、この国を信じて消えた全ての命の言葉だった。

 幕が閉じても同じ言葉が響き続けた。拍手と歓声はしばらく止まず、拳を掲げて振りつづける者はいても靴が飛ぶことはなかった。

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