第4話
アルドたちはリンデの酒場でテーブルを囲んでいた。その後、当初の予定だったからとなんとはなしに訪れたのだった。
しかし騒がしい酒場の空気からそこだけ切り取られたかのように、卓はどんよりと沈んでいる。
並べられている料理にも誰ひとり手を付けていない。
余程見かねたのか、酒場のマスターが近寄って話しかけてきた。
「なあ、あんたたち。何があったか知らないがさっさと食べないと、冷めちまったら台無しだぜ?」
「……ああ。そうだな」
アルドが生返事をすると、ようやくエイミがぼそりぼそりと話し始めた。
「今日は記念日だったの。お父さんとお母さんと一緒に、生まれてはじめて遊園地に行った日。今日は何でもエイミのしたいようにしていいのよ、って言われたのが凄く嬉しかったから……。お母さんがいなくなってから、この日は何でも自分の好きなことをするんだって決めたの。食べたいものを食べて、行きたいところへ行って、笑いたいだけ笑うんだ、って」
「そ、そうかい。まあ記念日にウチを選んでくれたのはありがたいけどよ」
「……だから、これは食べられない」
「ななっ!」
マスターが思わず仰け反る。
エイミは構わずスッと立ち上がると、出口の方へと歩いていく。
「ちょ、注文しといてそれはないんじゃないか!?」
「アルドごめん。ちょっとウチに帰るから」
「ああ……」
「なんだありゃ。じゃあ、あんたらだけでも」
「すまぬなマスター。うまそうな料理でござるが、ちと今宵は苦味が効き過ぎそうでござる……」
「いや、ちゃんと魚の内臓は取ってあるから苦くないはずなんだが、っておい!」
やはりサイラスも立ち上がり酒場を出ていく。
「アルド。剣の修練をしてくるでござる」
「ああ……」
「お、おい。俺が丹精込めた料理を食わねぇつもりか?」
「ん? ああ、そうだったな……」
「そうかい。わかりゃいいんだ、わかりゃ」
マスターの言葉に反応したかのようだったアルドだが、足元で拗ねたように寝転んでいたヴァルヲを抱えあげて続けた。
「マスター、コイツが食べれるものあるかな?」
「ふぅがーーー!」
「な、なんだ!?」
憤慨しながらマスターは店の奥に走っていってしまう。だがすぐに戻ってきてアルドに小袋を押し付けながら叫んだ。
「これやるから出てけ! その辛気臭えツラ、二度と見せんな!」
「どうした? 落ち着けって」
「出てけーーー!」
すごい剣幕に押し出され、ヴァルヲを抱いままのアルドとリィカは酒場から追い出されてしまった。
後ろでバタンと乱暴に扉を閉める音がすると、それに驚いたようにヴァルヲはアルドから飛び降りた。
「何で急に怒り出したんだ?」
「料理が冷めて台無しだ、と言ってマシタ」
「そんなに時間が経っちゃってたのか。悪い事したな……」
アルドは当てもなく歩き始める。
辺りにはすっかり夜の帳が下りていた。だが、あちこちの民家の窓から漏れ出している灯りのお陰で真っ暗という程ではない。きっと家族で夕食でも囲んでいるのだろう。
「ギリー……」
その暖かみのある光に近づく度、裏腹な感情ばかりが浮きがってくるようだった。
気づけば二人と一匹は、町の北側の通りへと来ていた。灯台のあるその通りには、海が望める憩いの場がありベンチなども設えてある。
昼と違って海の青さは見えないが、アルドにはかえってその方が落ち着くように思えた。
「にゃあうん」
「なんだ?」
立ち止まったアルドに、ヴァルヲが鼻をひくひくさせながら、しきりに何かを訴える。
「モラッタ小袋デハ?」
「これか?」
袋を開いて中を見ると、煮干しがぎっしり詰まっていた。
「あんなに怒ってたのに……。なあリィカ。世界って凄く複雑だな」
「ハイ。ゼノ・ドメインの演算能力でも予測できない出来事ハたくさんアリマス」
煮干しを目の前に山盛り積んでやると、ヴァルヲは呼吸を忘れているんじゃないかと思うほど勢いよくがっつきはじめた。
「ギリーも人間に戻ってれば今頃……」
「アルドさん」
「ん?」
「どうすレバ、アルドさんは笑顔になリマスカ?」
「はは。ここのところ、ずっと笑わせようとしてるな。どうしちゃったんだ?」
「……ワタシはソーシャルヘルパー。一人でも多くの人を助けるのが務めです。シカシ助けを求めた人だけお手伝いすレバ、それでよいのデショウカ?」
「ダメなのか?」
「助けを必要とシテいない人、助けを求めラレない人、色々な人が世の中にはイマス。ワタシは、そういった方々の力にもナリタイ。そうするコトデ、より良い社会を作るお手伝いをシタイ」
「それで冗談を?」
「ハイ。困っていない人にとっテモ、笑顔は良いものです。まずは出来ることカラと学習を始めマシタ」
「そっか。すごいな、リィカは……」
「まだ回答を頂いてマセン。どうすれば、アルドさんは笑顔になりマスカ?」
「ああ、うん。そうだな……、今回ばかりは、時間かな」
「時間?」
「ギリーの両親も、オレたちも、少しずつ痛みに慣れていくしかないんじゃないかな」
「ソレは、アルドさんの、本物の心デスカ?」
「リィカ。他にやりようがないんだよ」
「――敵性勢力の疑いアリ。コンバットモード起動」
リィカはいきなり武器を構えた。周囲に敵の気配はない。完全にアルドを狙っているようだ。
「お、おいリィカ?」
「アルドさんの言動パターンと乖離がアリマス。魔獣が化けているのデハ?」
「なに言ってるんだ? 本人だって!」
「エイッ!」
「わわっ!」
リィカが槌を振り下ろす。アルドは飛び退いて避けはしたが、突然のことに動揺したせいか足を滑らせて尻もちをついてしまう。
「殴ってみレバわかりますノデ」
「ま、待ってくれ!」
「ヘタに動くと苦しむことにナリマス」
リィカに攻撃を止める気配はないようだった。
二撃目を転がって避けると、アルドも剣を構え戦闘態勢をとる。
「リィカ頼む! 落ち着いてくれ!」
「問答無用!」
(くっ……、オレはエデンを救うんだ。ここで終わるわけには!)
尚も立ち向かってくるリィカを前に、アルドの目が相手の弱点を探る。肩の可動部分の隙間に狙いを定め、剣先を突き立てるべく構えを取った。
(……!? オレはなにを――)
すぐに思い直して構えを解くと、身を差し出すように立ち尽くした。
「……どうされマシタカ?」
武器は構えたまま、トテトテと勢いを弱めて立ち止まったリィカが尋ねた。
「いや……、リィカの言う通りだ。オレどうかしてたよ。大事な仲間に本気で剣を向けようとするなんて」
「アルドさん……」
アルドとしては打ち据えられても構わないと本気で考えていたのだが、リィカは槌を収めてくれた。
「それに、リィカが泣くなんてよっぽどだもんな」
「……アルドさん。ワタシには目から水分を流す機能は搭載されておりマセンガ?」
「はは。そんな気がしたってことだよ」
「…………」
「ごめんなリィカ。ホントはオレ、まだギリーのこと諦めたくない。可能性があるなら、なんだって試してみたい! だから……、一緒に手立てを考えてくれないか? 力を貸してほしいんだ」
「当然です。ワタシは、ソーシャルヘルパーですノデ!」
リィカはツインテールを何度もグルグル回し、決めポーズのごとく胸を張ってみせた。
「とは言ったものの、何をすればいいのかさっぱりなんだけどな……」
「まずは石化を解く方法がなければ始まりマセン」
「そうだよな。でもオーガの怨嗟は強力で石化は解けない」
「ワタシも念の為、回復を試みまシタガ、やはり効果はありませんデシタ」
「怨嗟か……」
アルドは腰の魔剣に視線を落とした。
ふと、オーガベインの言葉を思い出す。
「紛い物でもオーガはオーガ――」
「何の話デスカ?」
「なあ、紛い物のオーガと本物のオーガの違いってなにかな?」
「ワカリマセン。本物のオーガにギリーさんの精神が含まれてナイのは確かデスガ」
アルドは手に持っていた小袋をじっと見つめた。
「もしかして、ギリーはオーガの怨嗟の中に隠れただけってことはないか?」
「もしそうだったとシテ、何が違うのデスカ?」
「ああ。薬の防御がちゃんと効いてて、もしギリーの精神が覆われてるだけなら、オーガの怨嗟は力の源を欠いてる状態ってことにならないかな?」
「ギリーさんの負の感情と新たに結び付くコトは出来ないということデショウカ?」
「オーガベインだって、そもそも聖剣に力があるからこうして魔剣としてやっていけてると思うんだ。じゃなかったら、井戸水に取り憑いたって怪物になれるはずだろ?」
「というコトハ?」
「もしかしたら、言い伝えよりずっと早く怨嗟は弱まるんじゃないか?」
「理屈としては有りそうデスガ、一つ現実的な問題がアリマス」
「問題?」
「ギリーさんの石像、果たして未来まで残っているデショウカ? 維持するノモ大変そうなサイズでしタシ」
「それは……。信じよう」
「シンジル?」
「ギリーの両親をさ。オレは信じるよ。あの人たちならきっと、どんな姿のギリーでも大切に守り続けるよ。いつまでもずっと」
「言動パターンがアルドさんと一致していマス。やはりアナタはアルドさんで間違いないヨウデス」
「ええっ! まだ疑ってたのか?」
「視覚的に認知サレタ姿は、ときに当てになりませんノデ」
「ふふ、そうだな。……サイラスもリィカも、エイミやオレや、もちろんギリーも、酒場のマスターだって。みんな色々抱えてて、複雑で。わかりやすい部分も、全く理解できない部分もあって――」
アルドは深く暗い海のある風景を真っ直ぐに見据えた。
「だからこそオレは見せてやりたい。エデンやギリーに。この複雑で、見捨てがたい世界を」
「ハイ。アルドさんが諦めない限り、ワタシもお手伝いいたしますノデ」
「ありがとう、リィカ。よし! そしたら早速未来へ行ってみよう」
「サイラスさんとエイミは?」
「石像を探すだけだしな。それに、二人とも転びっぱなしのままでいられる性格じゃないさ。気持ちの整理が付いたら必ず戻ってきてくれる。それを待とう」
「ワカリマシタ。では向かいまショウ、AD1100年へ!」
◇
AD1100年。アルド、リィカ、ヴァルヲの姿は、浮遊街ニルヴァにあった。
「最初からこっちに来ればよかった……」
石像には曰くが付いているだろうとひとまずエルジオンのイオタ区画で聞き込みをしたアルドたちだったが、足元を見られたのかまともな情報が得られず、宿屋で夜を明かすことになった。翌朝シータ区画で聞き込みを始めてみると、最初に話を聞いた人物からあっけなくマクミナル博物館にオーガ像が展示されていることを教えてもらえたのだった。聞けば、有名な展示物らしい。
アルドたちが博物館の入り口に近づいていく。
「アルド、リィカ」
聞き馴染みのある女性の声、エイミだった。見ればサイラスも隣にいる。
「ほらサイラス、言った通りでしょ?」
「うむ。さすがエイミでござる」
「なんで二人が?」
「聞いてよ。家に帰ったらあの親父ったら『見ろエイミ! オーガ族の呪われた戦鎚を手に入れたぞ!』なんてはしゃいでたのよ。私の気もしらないで」
「呪われた戦鎚?」
「ええ。といってもかなり朽ちてて、ただの古い金属の塊にしか見えなかったけどね。文句言ってやったらあのバカ親父、『今日は俺もお前も、好きなことやっていい日だろ』って。参っちゃうわよ。おちおち下も向いてられないんだから」
「はは、二人はちゃんと通じ合ってるんだな。……でも、呪われた武器なんて危なくないのか?」
「それがね、呪いみたいな気配は全く無かったの。で、思ったわけ。あの槌が本物かどうかは別としても、ギリーに取り憑いた呪いが弱まるかどうかは試してなかったな、って」
「奇遇ですネ!」
「ああ、オレたちも同じようなことを考えて来たんだ」
「不思議よね。どうして諦めちゃってたのかしら」
「なに。親父殿の作ってくれた時間が、気づかせてくれたでござるよ」
「じゃあサイラスも?」
「いや。拙者はただ、あの家族の行く末が気になってな。石像が綺麗な姿で未来まで残っていたなら、それはギリー殿が大事にされた証でござろう?」
「ああ、そうだな」
「確かめずにいられなくなってここを訪れてみたらエイミとバッタリ、という次第でござる」
「ん? じゃあ、二人とも今来たばかりなのか?」
エイミとサイラスが顔を見合わせて、思わずといったふうに笑った。
「エイミが申したでござるよ。すぐにアルドはやってくるとな」
「そうじゃないわサイラス。どうせすぐにお気楽顔で現れる、って言ったの」
「待っててくれたのか……」
「ふむ」
サイラスがまじまじとアルドの顔を見る。
「な、なんだよ?」
「確かに、お気楽顔でござる」
「でしょう?」
そう言ってエイミとサイラスは愉快そうに笑い出す。リィカも一緒にウキウキしているようだ。
少しムッとしたアルドであったが、昨晩の重苦しい空気からすれば、これも悪くはないなと顔を綻ばせた。
「ははは。オレらしいってことだもんな」
皆が普段どおりの顔で答える。
「当然でしょ」
「当然でござる」
「ですノデ!」
「よし、行くか。オレたちに出来ることは、最後の一つまでやり抜こう!」
怪物の石像があったのは中世の展示コーナーではなく、古代のコーナーであった。
「どうりですぐに情報が見つかるはずだ……」
以前アルドたちが訪れた際には存在していなかったはずの大きな石像が、メインの展示物として大々的に置かれていた。
今にも動き出しそうなほど、精緻で迫力満点なオーガの石像だ。博物館自体は現在、人の立ち入りが制限されているが、過去に一度でも訪れたことのある人なら記憶に残っているに違いなかった。
「皆、顔の部分を見るでござる」
「凄くつるつるしてるみたい。こんなに綺麗だったかしら?」
「きっと、ご家族が手入れを欠かさなかったのでござろう……」
布でこまめに拭き続けた結果ではないかとサイラスが言う。よく見れば、顔ほどではないにせよ、細かな凹凸の溝までもが滑らかな質感をしている。
「デハ皆さん、よろしいデショウカ?」
「ああ、やってくれ」
リィカが回復装置を使い、石化の解除を試みる。幾つもの細い光の輪が石像を囲み、上下を繰り返していく。
「解除パルス照射完了」
「どうだ?」
しかし石像は押し黙ったままだ。
「ダメでござったか……」
「いや。リィカ、もう一度頼めないか?」
「イエ、お断りシマス。必要性がアリマセン」
「な、なんでだよリィカ! 諦めるっているのか?」
「そうではアリマセン、アルドさん。後ろにご注意ヲ!」
「後ろ?」
リィカの方へ振り向いていたアルドの後方で、石像が突然弾けた。
「うわっ!」
「ぐぉおおおお!!!」
覆っていた石の膜を四散させるようにして、中からオーガが飛び出してきたのだった。
慌てて戦闘態勢を取りながら、アルドが叫ぶ。
「効いてるなら効いてるって教えてくれ!」
「聞かれなかったモノデ」
「だがしかし!」
「そうね、石化が解けたってことは」
「ああ、怨嗟は確実に弱まってる! ギリー! 聞こえるはずだ、応えてくれ!」
「ぐうぅ……。ナ、ガナ、イ……、ナガナいいい!!」
怪物はいきり立って床に拳を叩きつけた。しかし以前ほどの力はないようだ。
「弱ってはいるみたいだけど、まだ声は届かないか……」
「どうするのアルド?」
「ど、どうって、呼びかけ続けるぐらいしか」
「ならば拙者、試してみたいことがあるでござるが?」
「ほんとか?」
「ギリー殿! 拙者いまから円空自在流の秘奥義を使うでござる」
「秘奥義?」
「そなたの心の中の、オーガだけを斬り捨ててご覧に入れよう。さあ、覚悟するでござる!」
「そ、そんな技が!?」
「ぐるるるる……」
いよいよ怪物がアルドたちに敵意を向ける。
「皆、実はこの技、相手が動き回っては成功しづらいでござる。まずはギリー殿の動きを止めなくては」
「わかった。準備はいいか? エイミ、リィカ!」
「ええ、ちょっとお灸を据えさせてもらうわ」
「のちのち笑ってもらう為ですノデ」
「さぁいくぞギリー!」
「ぐがぁぁああああ!!」
荒ぶる怪物にアルドたちが攻めかかる。
だが、弱体化しているとはいえ肉体の強靭さはまだまだその辺りの魔物の比ではなかった。嵐のような猛撃を掻い潜るだけもやっとという中で、ようやく隙をついて打ち込んだ一撃さえ思うほどのダメージを与えられていないようだ。
一進一退の攻防が続いていく中、このままではジリ貧になると判断したアルドは、逃げ回るのを止めた。剣を構え、真っ直ぐに相手を見据える。
動きが止まったのに気づいた怪物は、すぐさま狙いをアルドに定め、一直線に襲いかかってきた。
「来い!」
「ちょ、アルド無茶よ!」
怪物は組んだ両拳を叩きつけようと全体重を乗せるように大きく振りかぶった。アルドは両腕を交差するように防御姿勢を取り全身に力を込める。
ドンという鈍い衝突音が響く。
怪物の拳の下で、しかしアルドは片膝をつきはしたが耐えていた。
「ぐ……、がああああ!!」
仕留めそこなった怪物はそのまま押しつぶそうと力を込めてくる。
アルドの目に、怪物の後ろで槌を持ったリィカが攻撃に転じているのが映った。注意を惹きつけるため、力を振り絞って巨拳を押し返そうとする。
「例え望まれていなくても、オレは君を、人間に戻してみせる!」
「ぐ、ぐが、ぐうううっ!!」
少しずつ少しずつ、アルドが押し返していく。
「リィカ!」
「泣けなくテモ、笑うのを諦めてはイケマセン!」
勢いよく走り込んできたリィカは、槌のフルスイングで怪物の膝裏を打った。完全に虚を衝かれた怪物は思わずバランスを崩す。
ほぼ同時にアルドは拳の下から逃れた。
つっかえ棒をなくした怪物は地面に手をついて体を支えざるを得なくなる。
アルドはそのまま、向こうから駆け抜けて来たリィカに目で合図をし、槌を踏み台に飛び上がった。怪物の眼前で剣を大きく振りかぶる。
「世界から目を背けるのは――」
「がぁああっ!」
しかし怪物の反応は鋭く、アルドの振り下ろした剣は腕で防がれてしまう。それでもなお、相手を押しつぶさんばかりに全身全霊を込め続ける。
「ちゃんと生きてからだって出来るじゃないか!!」
「ぐうぅうううっ!」
アルドの攻撃を弾き返せず耐えているせいで、怪物の脇はガラ空きになっている。
エイミが丹田に力を込めた。
「呪いだろうがなんだろうが、愛し合ってる家族を引き裂くものは」
いつ踏み込んだのかも見えないほど速かった。気づけばエイミの拳は怪物の脇腹にめり込んでいた。
「ぐふっ……!?」
「すべて撃ち抜く!!」
わずかに遅れて、打ち込んだ拳の衝撃が怪物の体内を貫き、背中側を暴風のように突き抜けていった。
「がっ……、はっ」
倒れこそしなかったものの、怪物はうずくまり、身じろぎひとつ出来なくなっていた。
◇
今にも消えそうな意識の中で、怪物には二足歩行のカエルがひたひたとこちらに歩いてくるのが見えていた。
「円空自在流、秘奥義――」
眼前でカエルは、ゆっくりと刀を水平に構える。
「御魂斬り」
一回、二回、三回――それは滑らかで澱みなく、静かな川の流れのような斬撃だった。刀が振るわれる度、剣先から闘気のような、魂のような、あるいはオタマジャクシのような何かが発せられ、怪物の体を突き抜けていく。痛みはまるで感じていないようだ。
四回、五回、六回――カエルはまるで踊るように刀を振るい続け、そして突然、怪物の視界から消えた。
気づけば背後に、刀を振り抜いたカエルの後ろ姿があった。怪物に向き直り二振り空を切ってから、祈るような仕草の後で静かに納刀した。
「確かに斬ったでござる。しかし止めはギリー殿、お主にしか刺せぬ」
「止め……、え?」
ギリーはふと、自分の子供らしい小さな手に気づいた。
「ぐるぅぅ……」
そしてほぼ同時に、うずくまる巨体の怪物が目の前に現れる。
「うわぁ!」
「ギリー殿、もう其奴は動けぬ。止めを」
「や、やだよ、怖いよ!」
「もう気づいておるのでござろう? 家族が、どれだけ帰りを待ちわびているのか」
「…………」
「ギリー殿!!」
「でもどうやって?」
「武器なら既に、お婆上から託されているはずでござる」
「武器? そんなのもらってないよ」
「よく思い出すでござる。死にゆくものは、必ず何かを託して逝くでござる――」
そう言い残し、カエルは消えてしまった。
「おばあちゃん……」
真っ暗な空間に怪物と取り残された少年は、不安から俯いてしまう。途端に涙がこみ上げてくると、それを抑えようとむきになって歯を食いしばった。
「ぐ、ぐうぅ、ぐううー! 泣かない、泣がないっ!」
「また泣いてるのかい、ギリー?」
「え!? ……おばあちゃん!」
耳馴染みのある声に振り向くと、紛れもない祖母の姿があった。
「何があったか、おばあちゃんに話してごらん」
「ぼ、僕……、僕! おばあちゃんが死んじゃったのに泣けなくて。だから、おかしくなっちゃったと思って、危ない所に行ったら怖くて涙が出るって考えたんだ。でも、でもいざ出そうになって気づいたんだ……。いなくなったのが世界で一番悲しい事のはずなのに、こんなどうでもいいことで泣いたりしたら、おばあちゃんの事が、それよりも悲しくない事になっちゃうって。そしたら、絶対に涙が出なくなる方法があるって言われて、僕……」
「さ、おいでギリー。おばあちゃんに抱っこさせておくれ」
「え? ……う、うん」
少年が歩み寄ると、祖母は柔らかく抱き締めてくれた。
「こんなに大きくなって……。きっとあんたは、立派な大人になるよ。なんたって、優しくて強いあたしの自慢の孫だからね」
「おばあちゃん……」
「いつか大人になったら、今度はあんたがおばあちゃんを抱き締めてくれるかい?」
「もう、……できない。できないんだよ、おばあちゃん」
「はっは。楽しみにしてるよ。それまで長生きしなきゃね」
「約束したのに……。うっ、ううっ……」
「さあ、そろそろ前をお向き。笑顔をみせておくれ」
「……ゔん」
目を必死にこすり、鼻水を何度もすすりながら、少年は精一杯の笑顔を作った。
祖母はその両頬に触れ、祈るように額を合わせながら囁く。
「ああ、あんたは私の希望の光だ。どんなに辛いときも、輝いていておくれ……」
不意にギリーの体が淡く光りだす。
突然のことに少年が目を丸くしていると、後方でうずくまっていたはずの怪物が、まるで全てを否定するかのような恐ろしい声で咆哮した。
その声に向き直った少年は、まだ止まりきらない涙をゴシゴシと拭って言い放つ。
「ごめんね……。僕、約束があった。どんなことがあったって、僕は、僕のまま、生きていかなくちゃいけないんだ!」
少年の光がいっそう強くなり、急速に膨らんでいく。触れた怪物を粉々に分解しながら尚も拡がり、真っ黒だった空間を白く染め上げていく。
やがて、見渡す限りが光で満ちた。
「やった……。やったよ、おばあちゃん!」
ギリーは喜び勇んで祖母の方へと振り返る。
だがそこにはもう祖母の姿はなかった。
「おばあちゃん……」
◇
アルド一行はユニガンの街を歩いていた。
サイラスにおぶわれて、子供の姿のギリーが寝息を立てている。
「それにしても魂だけを斬るなんて、すごい技があるんだな」
「ん? ないでござるよ」
「……は?」
「いかに円空自在流が自由の剣とはいえ、魂だけを斬る技などないでござる」
「ええっ!? でもこうしてギリーは」
「なるほど。ブラフだったのね」
「ぶらふ?」
「ハッタリのコトですノデ」
「ハッタリ!?」
「よくよく考えてみれば、ギリー殿の心の問題であった。斬られたと思い込んでさえくれれば、どうにかなるのではと考えたでござる」
「そうか。だから一度も切っ先を当てなかったのか」
「命を奪ってしまったら取り返しがつかんでござるからな。まぁそれも、皆が動きを止めてくれたから出来たこと」
「でもエイミの一撃は強烈デシタ」
「そ、それは……。元の姿に影響なかったんだから、結果オーライってことにしてよ」
バツが悪そうなエイミの口ぶりに皆が肯定するように笑う。
「おばあちゃん……」
すこし揺れたせいか、ギリーが寝言を呟いた。
「なあ、まさかもうオーガには戻らないよな?」
「それはないと思うでござる」
「どうしてだ?」
「最初に見掛けたときより、雰囲気がほんの少し大人びて見えるでござる」
「え、もしかして変身薬の影響か?」
「さあて。子供の成長は早いでござるからな。ただ原因はともかく、自らの力でひとつの悲しみに決着をつけた証だと、拙者は思うでござるよ」
「うーん。大人びて……」
いまいちわからなかったアルドは、眠っているギリーをまじまじと観察してみるのだが、それでもやはりピンとこなかった。
そんなアルドの視線がよほど真剣だったせいか、ギリーはゆっくりと目を開いた。
「お、みんな。ギリーが起きたぞ」
寝ぼけ眼の少年は、ぼんやりしたまま周囲を見回す。
「……ここは?」
「ユニガンでござるよ」
「え? カエルのおじさん……?」
「じき、家に着くでござるよ」
「うん……」
サイラスの背中が心地良いようで、ギリーは再び体を預けた。
「どうしてだろう? 凄く長い夢を見てたみたい……」
石像として800年間を過ごしたことで何か悪い影響が残っているのではないかと、アルドたちの頭に不安がよぎる。
「……なに。少し眠りが深かっただけでござるよ」
「そっか。……ねえ、夢の間、ずっと誰かが傍にいてくれたような気がするんだけど、もしかして、おじさん?」
「いいや。きっとご両親でござろう」
「父ちゃんと母ちゃん……? ――うん。そうかも」
「そうでござる」
「あのね、おじさんたち……」
「何でござるか?」
「ごめんなさい」
「はて? どうして謝るでござるか」
「多分、僕、おじさんたちに酷いことしたんでしょ?」
返答に困っていると、エイミが少し冗談めかすようにして答えた。
「そうね、大変だったわ。でも、憶えてないでしょうけど、私たちも手加減無しでお返ししたのよ? だから、おあいこ」
「本当?」
「本当です。エイミのパンチは肘マデめり込んでマシタカラ」
「ちょっとリィカ、誇張しすぎよ」
「ふふふ。憶えてなくてよかった」
楽しそうにギリーが笑った。
その表情に、アルドはようやく事件の解決を実感した。見れば仲間たちも同じ気持ちのようだ。
「そろそろだな」
ギリーの家まであと少しのところまで来ていた。
「ねえ、お父さんとお母さん、僕のこと許してくれるかな?」
「許すも何も。最低800年は、大切に思い続けてくれるでござるよ」
「800年?」
ギリーの家の脇から、掃除道具をもった男が道に現れた。ギリーの父親であった。
「お父さん!」
叫ぶが早いか、ギリーはサイラスの背中から飛び降りて駆け出していく。
父親は、駆け寄ってくる息子を認めた瞬間こそ道具を手から落とし立ち尽くしたが、しかしすぐに息子の名を大声で叫びながら駆け寄っていく。
父親が膝をつき、思い切り息子を抱き締めた頃には、叫び声を聞きつけた母親も家から飛び出してきて、やはり脇目もふらずに息子を抱き締めに走った。
道の真ん中であることなどすっかり忘れたように、親子は三人で抱き合い泣きじゃくっている。我を忘れたように、涙声で互いを呼び合っているようだ。
アルドたちのいる場所からは細かな言葉は聞き取れないが、それはもはや重要なことではなかった。
「ちゃんと泣けてるみたいだな」
「泣いていテモ、笑うことは出来るのデスネ」
「ん? どうしたエイミ?」
なぜかエイミだけは顔を背けている。
「私、こういうの、……弱いのっ!」
少し鼻を詰まらせえたような声で言うと、どこかへ走って行ってしまった。
「お、おい」
「はっはっは! だが確かに、涙が出るほど嬉しい光景でござる」
「ああ、そうだな……」
アルドは道の先でしかと抱き合う親子の姿を目に焼き付ける。
(エデン。今なら胸を張って言えるよ。君がどれだけ拒んでも、オレは絶対に、君を救い出してみせる)
「さてアルド、次はどこへ行くでござるか?」
「そうだな……。まずはエイミを探すか」
そう言って、もと来た道へと引き返していく。
「一家にご挨拶はしないノデスカ?」
「辛くならぬが別れどき、と申すでござる」
「せっかくの再会に水を指すのも嫌だしな。大体、800年後から連れ戻してきたなんて、説明だけで日が暮れるぞ」
「ワカリマシタ。ワタシも笑顔でお別れしたいノデ」
すると三人とも示し合わせたように、一つの方角へ振り向いた。遠くに小さく見えるギリーたちの方へ。
どこかその辺りで、エイミもそうしているような気がする。
「……元気でな」
そう呟いたのをキッカケに、めいめいにまた歩き出していく。
「むむ? ところで、リィカが笑顔かどうか、どこで判断したら良いでござるか?」
「デリカシーのない質問にはお答え致しかねますノデ!」
少しつんとしたように言うと、リィカは小走りになって先を急ぐ。
「お二人とも急いでクダサイ。エイミの目にも涙、貴重な記録になる予感がシマス!」
ギョッとしてアルドとサイラスは顔を見合わせた。エイミの機嫌を損ねると、特に男性陣にどんなとばっちりが飛んでくるかわからない。
「にゃあおん」
悪いタイミングで、アルドの足にヴァルヲが掴まり立ちして鳴きだした。
「え? ヴァルヲ。もうお腹が空いたのか?」
「ユニガンに来る前にあげてなかったでござるか?」
「ああ、あげたんだけど……」
「にゃあおん、にゃあおん」
「悪い、リィカを頼めるか?」
「やれやれでござるな」
リィカの後をサイラスが追いかけていく。
「ほら」
「にゃうん」
小袋に残っていた煮干しを取り出し、ヴァルヲの前にちらつかせるのだが、なぜかクンクンと匂いを嗅ぐだけで食べる様子がない。しかし相変わらずアルドを見つめて鳴いている。
「食べないのか?」
膝立ちになった足にヴァルヲが顔を何度も擦り付けてきた。
アルドが「そうか……」と呟いて、頭や首や背中を撫でてやると、ヴァルヲはゴロゴロと嬉しそうに喉を鳴らした。
「ナデナデして欲しかったんだな」
気まぐれで甘えてきた黒猫に、かつてキロスだった頃の記憶を重ねながら、今のアルドが屈託なく笑うのだった。
(了)
君が鬼でも僕は猫だから 鵠矢一臣 @kuguiya_kazuomi
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