後編
10月14日。
期待と不安入り混じる今日この頃。
今日も相変わらず色塗りに精を出す俺と北村舞香。
最初に比べ2人とも作業スピードがかなり速くなったが、それでも2人で進めるには限界があり、美術室の片隅には未だ山積みになっている袋が残っている。
こうなると流石の彼女も作業に集中し、口数が減ってしまうようで、美術室に集まってからは殆ど会話という会話はしていない。
そして5限終了のチャイムが鳴ったところでようやく、
「そろそろ休憩しよっか」
ここで作業の手が止まる。
「いや、思ったよりも数が多いな」
「そうだね。舞香もここまで集まるとは思ってもなかったよ」
前半の作業でようやく2袋分……まだまだ気が遠くなりそうだ。
「ところで、誰か手伝ってもらえそうな人見つかった?」
「ああ、大丈夫。ちょっと他の作業があって遅れるらしいからそのうち来るかもな」
そっか、とあまり興味がなさそうな感じである。
「昨日なんだけど……」
「ん? 昨日?」
「そう昨日。なんで放課後教室に残ってたの? いつもなら早く帰るのに」
そういや昨日は彼女の方が先に帰ったんだよな。
まあ、普段放課後いない奴が教室に残ってたら気になるか。
ここで素直に大道寺さんを待っていたとは言えないので、適当に誤魔化すことにした。
「実は家の鍵を忘れちゃってさ、それで家に誰か帰ってきそうな時間まで時間を潰そうと」
「そうだったんだ。普段いないからビックリしちゃって。あ! 高上が教室に残ってる! って」
その反応が普通だよな。
クラスに珍獣が出たようなもんだし。
「でもあれだね。忘れっぽいのは本当だった見たいね。自分の言ったことは忘れるし、家の鍵は忘れるしで」
「ぐぐ……」
全く持ってその通りなので何も言い返せなかった。
「で、でも占いの途中結果と、なぞなぞはしっかりと覚えてるぞ」
あの強烈なインパクトのある占いを忘れる奴はそうそういないと思う。俺みたいな奴でもしっかりと覚えてるしな。
「そういえば、占いも途中だったね。そっちは……時間がかかりそうだし、作業が早く終わった時に続きをやろうか」
「なぞなぞの方は? あれから考えたけど今のところお手上げ状態で行き詰まってるんだよな。何かもっとヒントとかないのか?」
いうほど考えたわけではないが、現状全くの手詰まりであるので、これ以上推理が進む気がしない。
「ヒントか……。あのなぞなぞってそもそも中学生向けじゃあないから、かなり難易度が高いんだよね。舞香のお父さんが持って本に書いてあったから、もしかしたら大人向けのなぞなぞかも」
大人向けのなぞなぞ……脳トレ的な感じの本なのだろうか。
仮に大人向けの難しい本ならば、中学生の俺にこのなぞなぞが解けるのかどうか怪しくなってくるな。
「そんなにレベルの高いなぞなぞを中学生が解けるか疑問に思えるし、もう正解を発表してもいいんじゃあないか? それで今度は中学生向けのもう少し簡単ななぞなぞをやればいいし」
そっちの方が遥かに盛り上がるし、きっと楽しいと俺は思うが。
「でも舞香はこの問題ちゃんと解けたよ。結構時間掛かっちゃったけど。だから桜花にも頑張って解いてほしいな」
「まあ……そこまで言うなら」
後でもう少しちゃんと考えてみるかーー集中して考えればもう少し解決の糸口みたいなのもわかるかもしれないし。
「それじゃあそろそろ続きをやろうか。今日はあともう2袋やればいい感じかな」
そう言って彼女は美術室の片隅に積まれた袋を2つ拾い上げ、作業をしている机の上に置いた。
今日も机の配置は前回同様に、2つの机を向かい合わせてくっつけているだけの簡易的な作業スペースとなっていて、俺と北村舞香は中央に置かれたビニール袋から蓋を取り出し、せっせと色を塗っていく。
「芸術祭が終わったらすぐにテスト期間だけど、桜花は勉強やってる?」
作業をしている手を止めることなく、彼女が言った。
「テスト期間があるのに今から勉強したってしょうがなくないか?」
俺も作業の手を緩めることなく言った。
「それでも1週間くらいしかないし、前もって進めてた方がいいかなって思って、舞香は昨日くらいから少し復習始めたよ」
「随分と早いな。今回は中間テストで主要5科目しかないのに」
2学期最初のテストだけあって、出題範囲はそこまで広くはないしテスト期間が始まってからの1週間でどうにかなるというのが俺の現在の予定である。
「来年は高校受験だし、少しでも成績を良くしたいなって」
さすが優等生。俺みたいなやつとは全然考えが違う。
彼女のテストの点数を知っているわけではないが、きっとこういうタイプの人間は少し勉強しただけでいい点数を取ってしまうんだろうな。
俺とは正反対だ。
「桜花は普段から真面目に授業聞いてそうだし、なんだかんだ言ってもちゃんと復習して、点数取るんだろうなー」
テスト前によくある、全然勉強してないアピールみたいな、と付け加えて彼女は言う。
どうやら俺が北村舞香に思っていたことを、北村舞香も俺に思っていたらしい。
「もしかして、クラスで物静かなやつはガリ勉とかそんな風に思ってないか?」
「い、いや、さすがに全員がそうとは思わないけど……9割くらいはそうかなって」
事実はその逆だがな。
意外に遊んでそうな奴ほど頭が良かったり、真面目そうな奴ほどテストの点数が低かったりするもんだ。
「この際その割合は置いといて、俺は少なくともガリ勉ではないし、そこまで頭もよくない。まあ別に頭が良くなりたいって思ったこともないしな。普通……そう、普通が1番いいんだよ。平均点取れてれば親に文句だって言われないし、そこそこの高校にだって行けるだろうし」
「そうだよね。平均くらい取れてれば問題ないもんね」
あたかも普通くらいの成績であるかのように言っているが、実際のところ学年順位は約200人いる2年生の中で180位くらいなので、普通なんて程遠い。
それなのに俺は、まだ部活動があるから本気を出していないと、心の中で逃げ道を作って絶賛現実逃避中で、テスト期間中は部活がないことをいいことに、漫画やゲームをして復習など一切せずに、毎度のごとく一夜漬けで臨むことになるとになるだろう。
「そうそう普通でいいんだよ」
どの口が言うのかーー俺の口である。
「そっちは目指したい高校とかあるのか?」
特にこの質問に意図はなかったが、何となく話の流れで。
「んー今は特にはないかな」
そりゃそうだ。この時期から進学したい高校を決めて真面目に勉学に取り組む奴なんてほんの少数だし、そんな奴は少なくとも俺のクラスにはいないーー風邪の噂では1組に学年1位の成績を誇るやつがいて、そいつは県内屈指の新学校をすでに狙ってるとか聞いたことはあるけど……どうなのだろうか。噂はしょせん噂だし、もし仮にそれが本当だとしても、俺がそいつと一生関わることがないのだから考えるだけ時間の無駄である。
「しいて言うなら、舞香はできれば仲のいい友達と一緒の高校に行きたかな」
「仲のいい友達ね……」
彼女の仲のいい友達とはどれほどの仲になるのだろうか。人類皆友達の彼女にとって、ただの友達と仲がいい友達の境界線は果たして。
「せっかく仲のいい友達ができたんだし、別れるのは辛いよな」
きっとその仲のいい友達に俺は入ってないんだろうな。
まあ、最初っから期待はしてないが。
「そうそう。別々の高校に進学になったら舞香、卒業式で泣いちゃうかも」
別々の高校かーー俺はきっと誰とも一緒の高校には進学しない。
佐々木も太田も頭がいいので、きっと偏差値がいい高校に進学するだろうし……。
あ、でも大道寺さんならもしかして一緒になる可能性はあるかもしれない。
今度軽く探りでも入れてみるか。
「でもほら、今は携帯電話とかあるし、すぐに連絡できるから案外寂しくないかもしれないぜ」
携帯電話を持っていない俺が言うのもなんだかあれだが。
「それでも舞香は泣いちゃうかも。舞香って涙もろいから」
涙もろいのか。
んー、そう言われればそうかもしれないが……あまりそんな印象はなかったな。
「桜花は泣かないの?」
「俺が? 泣かないよ」
俺の学校生活を振り帰って、泣ける要素を見つけ出せたやつには盛大に拍手してやりたいくらいだ。
万が一に可能性があるとすれば、それは学校を卒業できた喜びからだろう。高校に進学すればまたゼロからスタートできて、きっと今よりかはいいポジションに落ち着いて、彼女の1人や2人できちゃうーーなんて妄想を俺は何十回としている。
それくらいに、俺は早く中学を卒業して高校に進学したいと思っているので、中学校生活なんて思い入れも何もなのだ。
「別にそこまで思い入れもないしな」
キッパリと俺は言った。
ああでも、卒業式の後で佐々木と太田とは話すかもな。
中学卒業したらあいつらとはもう会わなそうだし。
あいつらが嫌いというわけではない。むしろ俺みたいな奴と友達になってくれているんだから、感謝しかないわけだが、高校に進学すれば新しい友達ができて俺のことなんて忘れていくんだろうな、て思う。でもそれが悲しいと思うこともないし、俺は当たり前のこと思っているわけで。
小学生の時に遊んだ友達と今でも仲がいいかと言われれば全くそうでないように、人間関係や環境が変われば人も変わっていく。
要はそんなもんである。
だから俺はそこまで人との別れを惜しまないし、泣くこともないのだ。
「そうかな? 体育祭、芸術祭、社会科見学。それに修学旅行。いろいろ思い出あるけどな」
どれもクラスでイケイケ連中や、友達が多い連中しか楽しめないイベントだらけだ。
「そうだな。昼休みに下校時間、部活動休止に長期連休。確かにいろいろ思い出あるな」
「うわ」
少し引き気味に彼女は言った。
「長期連休はまだわかるけど……他はちょっと予想外」
困惑気味の彼女には悪いが、これで俺がクラスカースト最下層の人間ということを少しは理解してもらえただろう。
北村舞香、君の目の前にいる男はクラスで最も友達にするのが難しい人間だ。
俺は紳士ではあるが遊び人ではないのだよ。
女子と少し話したくらいで心の壁が崩れ落ちることなんてことはない。
例え彼女が本当に俺以外の全人類と友達になろうとも、だ。
「でもそれが桜花らしいよね」
彼女はめげなかった。
それどころか攻勢に転じてくる有様で、
「それに修学旅行はスキーだし、桜花は運動部だから白銀の王子様でも目指してみたら?」
「王子様どころか、イエティなんて言われかねんわ!」
昨日の放課後の教室ではまさにそんな感じの扱いだし。
「イエティなんて神秘的でカッコイイ」
人を弄ってるのか、自然とやっていわからんやつだ。
「いやいや、正体は毛むくじゃらのゴリラみたいな感じかもしれないし、神秘的ではあってもビジュアルは最悪かもしれないぞ」
「一説にはそうかもだけど、未確認生物なわけだし、イケメンアイドルみたいな人かも」
イエティからイケメンアイドルの発想に至るお前の方が予想外だよ。
「毛むくじゃらのイケメンアイドルだったら?」
「舞香はありかな。素材はいいわけだし、エステとかに連れて行ってあげれば問題解決」
脱毛エステ的なやつだろうか。
何かの記事で見たことあるが、美容関係は全く興味がないのでそっちの情報はまるでわからない。
「桜花ももう少し髪型とか気にしたらいい感じになるかもよ」
話は俺に容姿に飛び火する。
「イケメンばかり得するこの世の中に、俺は中身で勝負することにしているから、あまり外見を取り繕うことはしないようにしている」
と、中身までポンコツの俺が言った。
言っていて恥ずかしくならないのかと思うかもしれないが、こんなことで恥ずかしくなっているよなら準備期間の初日に俺は自殺しているーーまあ自殺は大袈裟かもしれないが、少なくとも今もなお引きずっていることだろう。
「おーかっこいい。言ってることだけは」
「最後は余計だ」
6限が終わるまでは終始、そんなたわいのない普通の中学生同士の会話が続いた。
放課後、俺は1人美術室で蓋を塗り続けていた。
1人で淡々と作業をするのも悪くないと思いつつも、北村舞香と話しながら作業をすることに慣れてきていた俺は、なんとなく物足りなさを抱くようになっていた。
だが、今日はこれからある意味、怪物とも呼べる人物と対峙しようとしているわけで、そんな物足りないどころではない緊張感から心臓がドキドキしっぱなしである。
俺が彼女の暴言に最後まで耐えられるのか、そんな戦いが、これから始まろうとしている。
そしてついに、彼女が美術室に現れた。
着崩した制服に、長いポニーテール。悠々とした態度で教室に入って来ると、空気が変わったような気がした。
「よお、高上」
まるで本屋で初めて会った時のような挨拶。
「ああ、よくきたな大道寺さん」
制服バージョンの大道寺さんとは一度軽く話した程度だが、俺の中ではかなりのインパクトを残しており、今から腰を据えて彼女と作業することが恐怖でしかない。
「とりあえずここ座って」
俺が指定したのは北村舞香がいつも座っている場所で、俺の真正面。
作業するのだから位置的にはこれが正解なんだけれど……いつ彼女から暴言が飛んでくるんじゃないかと思うと、ついオドオドとしてしまう。
大道寺さんは言われるがまま、俺の指定した席に座る。
特に何もなく座ってくれたことに安堵。
さて。
「ちゃんと来てくれてありがとう」
「当たり前、昨日約束したし」
心のどこかで彼女が来ないんじゃあないかと思う自分がいた。
友達を信じられないのもどうかと思ったけれど、スイッチの入った彼女がどんな行動をするか全く予想できないので、少し心配になっていたが、それも杞憂だったようで。
「…………」
「どうした? 急に黙って」
「いや、そのさ、この状態の大道寺さんと話すのって殆ど初めて見たいなもんだし、どうしたもんかなって」
「ふふふ、それを本人聞くかい? スイッチが入ってようが所詮、表面を取り繕ってるだけで、根本は変わらないよ。一種の自己暗示、催眠術みたいなもんで、まあ、ちょっと例えが違うけど、車のハンドルを持つと性格が変わる奴がいるように、私も制服を着崩して着ることでちょっと性格が変わってるだけ。だから昨日と同じように接してくれればそれでいい」
あれ? 思ってた以上に毒がない。
「大道寺さんがそれでいいならそうするけど……意外だった、スイッチ入ってる時の大道寺さんて、チェーンソーで人をぶった斬るような感じの人だと思ってたのに」
女子に対してこんな例えをする俺も大概だが、仕方がない。実際俺の中ではそういうイメージなのだから。
「流石の私だってそんなこと言われたら傷つくな。もしかして私の風棒を見て殺人鬼ジェイソンとでも思ってた?」
「俺もそこまで酷いことは考えてねーよ。まあ、確かに格好は浮いてるけど、顔は綺麗だし」
腫れ物扱いの彼女だが、容姿は学年でもトップクラスに綺麗で、仮に素の状態で学校に馴染めていたら学年のアイドルになれいたと俺は思う。
「ふーん。高上は臆面もなく女子の容姿を褒められるだ」
やっぱり最初の印象と違うな、と言う彼女。
いやいや、それは俺のセリフだ。
昨日のあの攻撃性能にステータスを全振りしたお前はどこに消えた。
「事実だしな。それにしたって大道寺さんの方は随分と変わったよな。俺にあんなに敵意を剥き出しにしてたのに」
昨日の帰り道で俺は彼女に殺されると覚悟したくらいだ。
「言ったでしょ、所詮は表面を取り繕ってるだっけて。あの時はまだ友達じゃなかったし、それに高上が言ったんじゃないか、学校外で会った変な奴だと思えって。だからあのとき警戒して攻撃的に仕掛けたってわけ」
「俺の思った意図とは全く別の意図で伝わってる!」
それにより詳しく言うなら『学校外での変な喋り相手』だ。
「今は友達と思ってるところにスイッチが入った私が外側から覆ってるだけだから、あの時と対応が違うんだよ、高上」
「なるほどな。つまりあの時は内心、つまり素の方が俺をかなり警戒してたってわけか」
「少し察しが良くなったじゃん」
あれだけ昨日言われればな。
「実のところ、ファミリーレストランで余計な事まで喋っちゃったなって思ってて、家に帰ってずっと悩んでたんだ。あの男の口をどうやって封じようかって。次の日学校に行って、私の噂が立ってたら本気でいろいろ考えてたと思う」
背筋がゾッとした。
一瞬この女ならやりかねないと思ってしまう。
「でも次の日学校に行ってみたら特に何も変わってなくて、とりあえず安心したところで、昨日の帰り道に突然……」
自分の体を抱きしめるようにして彼女は言う。
まるで夜道に男に襲われたかのように振る舞いながら。
「それだと俺が暴漢みたいな感じになるじゃん。やめてくれよ」
「少しは私に劣情を抱いてたんじゃ?」
こいつ!
まさか俺が視聴覚室でスカートを覗いたことに気がついていたのか!
「ま、まさか、普段から紳士で通っている俺が……劣情を抱くなんて」
「冗談だよ」
冗談だった。
本当に冗談でよかった。
「まあ、警戒していたところに、帰り道1人でいたとろを話かけられたんじゃ、あんな対応になるよ。でもその後改めて話てみて、高上がそんな事する人間じゃないってわかったから友達になったんだけどね」
そんなに評価されるようなことは言ったつもりはないし、むしろ俺は最底辺の人間だって彼女に言うことで、自ら自分の評価を下げたつもりだったのだが。
なんだかな。
「信用してくれて嬉しいよ」
「まだ完全に信用したわけじゃないけどね。まだ喋り初めて2日だし」
ああ、そうだ。これこそ俺が望んでいた人間関係だ。
近すぎず、遠すぎず。
適切な距離感。
北村舞香と関わるようになってから、この辺りの感覚が妙に狂っていたが、本来はこの大道寺さんとの距離感が普通であって、やっぱり北村舞香は異質なんだと改めて実感できた。
「だよな! だよな!」
「なんでそれで喜ぶんだ? わけわかんないやつだな。高上は」
ふふふっと笑いながらツッコミを入れる大道寺さんだった。
放課後といえど時間が無限にあるわけではないので、取り敢えず作業を開始。
そして作業開始から1時間くらいが経過して、
「高上って結構不器用?」
俺が塗り終わったペットボトルの蓋を見ながら彼女は言った。
「大雑把だな。性格的には」
「大雑把な人って作業が早いって聞いてたけど……そうでもなさそうだね」
作業が始まる前は、早く終わったら手伝ってやるかっと、上から目線で彼女のことを見ていたが、いざ作業が始まると、驚異的な作業スピードで蓋に色を塗っていく大道寺さん。
蓋に色を塗る家業を代々やっている血筋の方かと思ったが、そんなニッチ家業などあるはずもなく、これは単に彼女の能力が高いだけの話で、俺と北村舞香が極端に遅いなら話はわかるが、流石にそんなことはないと思いたいので、彼女の能力が高いことにしておく。
「この感じだと、すぐにサボってた分は取り返せそうだな」
俺も言われっぱなしは癪なので少し反撃してみた。
「随分と余裕そうだね、高上は。私の見立てだと、そこまで遅れがあるとは思わないけど」
ぐぅ。
確かに、実のところそこまでリードしているわけではないので、この調子で作業が進めばあっという間に彼女に追い抜かれてしまう。
「…………」
「図星みたいね」
「だけど時間的な優位は俺にあるんだぜ。午後の授業分と放課後分で大道寺よりも作業時間は確保できてるし、差を詰めるのは大変だぞ」
彼女が言った条件。
その条件に従うならば、この絶対的な有利は変わらない。
「確かにそれもそうだけど、午後の授業はたかだか2時間程度。私からしたら大した問題じゃない。それよりも高上がその2時間の有利をどうやったら上手く使えるか考えておかないと、私にすぐに追い抜かれるよ」
どこまでも強気な彼女。
どこからその自信が湧き出てくるのかーーもしやこれがスイッチが入っているメリットなのかもしれない。彼女自身が自己暗示、催眠術の類と言ったように、弱気な自分に自信が持てるようになる為の術……まあ、スイッチが入っていなくても強気な発言をするので、実際のところはよくわからないが。
「そういえば、よく一緒にいる……えっと……」
「みっちゃん?」
「そうそうみっちゃん」
名前を調べるのを忘れていた。
「てっきり一緒に来るんじゃあないかと思ったけど……」
「みっちゃんにも声かけたの!?」
作業を初めてから、一度も止まることがなかった手を止めて、身を乗り出して迫ってくる大道寺さん。
「え? い、いや、声かけてないけど」
「そう、よかった」
これはどういう反応だろうか。
仲のいい友達を誘ってくれたの? みたいな感じだろうか?
それにしては『よかった』なんて返しはこの場合使わない。むしろ、誘わないでくれてよかったって感じに受け取れる。
「忠告しておく、みっちゃんに関わらない方がいい」
普段から2人でいるのにも関わらず、なぜその言葉が出てくるのか俺には全くもって理解できなかった。
「えっと……」
困惑している俺の顔を見て、彼女は持っていた筆を置いて、ゆっくりと話始めた。
「みっちゃんは本物なの。私みたいな、なんちゃって不良女子じゃなくて」
「本物?」
本物の意味がよくわからなかった。
たかだか中学生の荒れているやつが、なんだというのだ。いいとこ大道寺さんがもう少しやさぐれた感じくらいだろう。
俺は勝手にそんなもんだと思った。
そもそも大道寺さんの素の姿は、少し言葉に棘があるくらいの普通の中学生女子だし。そんな彼女がやばいやつと言ったところで、という感じだ。
「そう。本物。みっちゃん……彼女が転校生って知ってる?」
「いや、知らない」
それは初耳だ。
恐らく1年の時に転校してきたのだろう。2年の時に転校してきたのなら流石の俺でも知っているだろうし。
「彼女元々、有名な私立中学校に通ってたんだけど、そこで事件を起こして学校にいられなくなって、それでうちの学校に転校……そしてその事件も傷害事件だったらしくて……」
「…………」
ああ、確かに。
それは本物以上に本物だった。
「親が有名な人らしくて、示談になったらしいから表に出てないけど」
話を聞くと確かにやばいやつだが、
「大道寺さんはそんな彼女と友達なんだろ? つまり彼女は心を入れ替えていいやつになったってことか?」
「まあ、昔よりかは良くなったって感じなのかな。でも、私以上に危ない棘を持っているのは事実で、まだその棘が完全に抜けているかの保証もないし」
「それでも、仲良くしてるんだな」
「お互いに1人だったからね。こう自然と、いつの間にか仲良くなってた」
自然と……ね。
「その事件は大道寺さん以外は知ってるのか?」
「そこそこの人は知ってると思う。でも彼女が言ったわけじゃないのに、どうして広まってしまうんだろうね。こういう悪い話は」
悪い評判ほど広まるのが早いというが、こういうことだろうか。
「そういうことだから、彼女を誘うのは辞めておいた方がいいよ。特に高上は彼女の逆鱗に触れちゃいそうだし。それでこの学校でも傷害事件なんて起こしたら彼女が可哀想だもん」
「……まあ、失言が多いのは認めるが」
床に血だらけで転がってるのはきっと俺なんだろうな。大道寺さんの中では。
「さあ、この話は終わりにして、早く作業を進めないと終わらなくなるよ」
そい言って無理矢理話を終わらせた大道寺さんは、再び筆を目にも止まらぬ速さで動かし始める。
「なあ、仮になんだけどさ。もしみっちゃんを誘えてしまったとしたら、どうする?」
そんな、かもしれない話をしてみた。
3人仲良く色塗りをする。
そんな話を。
「はぁ」
一瞬、作業をしていた手が止まった。が、すぐにまた動き出す。
あ、これはまずったな。
彼女は大きくため息をつくと、
「本当に察しが悪いね。高上は……」
そんなことを言って、最後に、
「みっちゃんと仲良く作業したいから、高上には別室で作業してもらう」
もっと辛辣な言葉が飛んでくると思ったが、どうやら別室で作業はしていいらしく、少しではあるが彼女と仲良くなれているようで安心した。
作業を終えて夜の7時。今日も彼女を家まで送ろうと提案したが、流石に制服姿のままでは見つかった時にまずいので、今日は学校を出てすぐに別れた。
作業の方のあれから順調に進み、いいペースである。
本当は放課後だけでなく、午後の時間も参加して欲しいところではあるが、彼女が作業に参加する条件、『生徒が少なくなった放課後に2人だけで作業する』この条件でなければ彼女は参加してくれない。
まあ、今もこうして他の生徒に見られないように、時間をずらして校舎から出るようにしてるくらいだし、しょうがないか。
日没もすっかり早くなった10月中旬。すでに時刻は夜の7時を超えており、あたりはもう真っ暗である。
そんな暗い帰りの道のりを自転車で軽快に飛ばしていると、不意に大道寺さんの話を思い出す。
断片的に、表面上だけを聞いただけなのでなんともいえないが、えっと、本名がわからないのでみっちゃんと呼ぶが、どうもみっちゃんの話には違和感があるんだよな。
どんな違和感かと聞かれれば、俺も詳しくは説明できないが、なんかモヤモヤするんだよな。
「…………」
みっちゃんの話をした時あたりから……いや、もっと前か?
んー。
違和感、モヤモヤの正体を探す。
俺のポンコツな脳みそをフル稼働して記憶を遡る。
「あ! あのときだ」
俺がみっちゃんの話を振ったとき。
そう、仲のいいはずの友達の話を振った時の彼女の反応。
「ブラジャーが……見えた」
身を乗り出してこちらに迫った時に、ワイシャツの隙間から見えたのだ。
大道寺さんのブラジャーが。
女子生徒は普段リボンを首元につけているが、大道寺さんはつけておらず、さらにワイシャツのボタンは第2ボタンまで開けていたので、そりゃ身を乗り出して迫ってくれば見えますとも。
彼女がつけていたのはレモンイエローのブラジャーで、カップ上辺には可愛らしいレースがあしらわれており、あまり大きくない胸ということもあり、前土台の部分についた可愛い小さいリボンもはっきりと見えた。
全体的に見ると肌の色と似たような色合いだったが、薄いイエローがなんともいい味を出しており、無理して大人びた感じを出さないあたりが最高だった。
「……なるほど、モヤモヤの正体はこれだったか」
いや、スッキリした。
こうやって自分の中の疑問が解決するのはなんと気持ちがいいのだろうか。
これはきっと明日もいい日になるに違いない。
よーし。
明日は大道寺さんに負けないように頑張ろう!
最高にテンションが上がったまま俺は自転車を走らせ、家に向かう。
違和感の正体を大道寺さんのブラジャーが原因だと思って疑わない俺は、呑気に鼻歌を歌いながら帰宅する。
今回語ることはないかもしれないが、時期的に言えば2月の修学旅行。
みっちゃんこと、御道華おみちげ実千みちると衝撃的な出会いをすることになろうとは、このとき俺は微塵も考えてはいなかった。
なぜならこのとき、俺の頭の中は大道寺さんのブラジャーのことで一杯だったのだから。
10月15日。20日の芸術祭まで、今日を含めて活動期間は残り3日となり、各クラスがより、さらに一層の賑わいを見せる最中、この美術室はいつもと変わらず物静かである。
佐々木と太田は会場設営の方に回されてしまい、今日は午後から肉体労働に励んでいるのであろう。
太田はいつもと変わらなかったが、佐々木は朝から露骨に嫌な顔をしていたのを思い出す。
大道寺さんの方は相変わらずで、4限の授業が終わってから1度も姿を見ていないーーまあ、おそらく、視聴覚室でまたサボっているのだろう。
そんなこんなで、やはり俺と北村舞香の2人で今日も作業をしている。
「すごい、知らない間に昨日よりかなり減ってる」
美術室の片隅に積まれていた袋を見て驚いている様子で、俺はその表情が見れただけでも、昨日放課後頑張って作業してよかったと思えたーー半分以上は大道寺さんのおかげなんだがな。
「桜花これどうしたの? 昨日はまだあんなに残ってたのに」
「ああ、実は昨日の放課後に……」
「放課後?」
危ない危ない。
大道寺さんと一緒にやってるのは内緒だった。
ここは適当なやつの名前を出して誤魔化すか。
「えっと……太田が昨日放課後に手伝ってくれてさ、2人で進めてたんだよ。ほら、あいつすげーいいやつだからさ、俺が困ってるの見て声かけてくれて」
太田と北村舞香が話しているところを俺は見たことないが、どんなきっかけで話すかわからないので早いうちに太田とは口裏を合わせておこう。
彼女のことだ。手伝ってくれてありがとう、なんてお礼を言いに行ききかねないし。
「太田くんか……話したことないな」
「いいやつだぞ、太田は」
そう太田は本当にいいやつなんだが、なんであいつに彼女がいないか不思議でならない……。
ーーいや、前言撤回。
見た目は悪くない。
性格もかなり良い。
だが、
一般人が聞けばちょっと引いてしまうようなマニアックな趣味を持っているがために、自分からあまり周囲と関わろうとはしない。
普段は特になんともないが何かの拍子でスイッチが入ると、突然趣味全開の話を語り始める癖があるので、太田自身もその辺を気にしているんだろう。
「そっかそっか。でも昨日は太田くんが一緒だったからよかったけど、今日はどうする? やっぱり先生に相談して人員を増やしてもらった方がいいんじゃないかな?」
「えーっと……いや、実は昨日先生にも相談してあるんだ、でもうちのクラスって会場設営に人員を割かれてるから、そんなに期待できないっぽいんだよな。ああ、でも大丈夫。放課後に手伝ってくれそうなやつを見つけてるから」
大道寺さんがせっかく参加してくれているのだ。ここは嘘を言ってでも彼女を騙す。
たとえ北村舞香に嘘をつくことで、俺の心が苦しくなろうとも、だ。
「そうしたら私も今日は放課後残って一緒に作業するよ」
北村舞香は言った。
流石の俺でも、彼女が放課後の手伝いを申し出ることは予測できてきる。
あとはなんとかして彼女が放課後作業に参加しように誘導しなければ。
ーーどうするか。
予想はしていたが、対策はしていない。
まるでテスト前の俺みたいだ。
「いくらんでも今日は流石に急すぎないか? 放課後用事とかあったら申し訳ないし、明日からでもいいぞ」
なんとか今日の放課後に彼女が来るのを避けたい。
明日からのことはとりあえず置いといて、ここは目先のことだ。
明日のことは明日考えればいい。
「それはダメだよ桜花。わざわざ放課後来てくれる人がいるのに、最初っから参加している舞香がサボるなんて」
「…………」
普通に怒られた。
言っていることも正論なので何も言い返せない。
「だから舞香も今日の放課後作業に参加する」
「ああ……わかった。よろしく頼むよ」
中学生女子の圧に負けて普通に承諾してしまう自分が情けない。
こうなればどうにかして大道寺さんに今日の放課後の作業は中止と伝えなければ、ここで北村舞香と大道寺さんが鉢合わせしてしまうことになる。
なんとしても、その最悪のシナリオを回避しなければ。
「悪い。ちょっとトイレ」
俺はそう言って早足で美術室を後にする。
その後ろ姿がトイレをギリギリまで我慢して早足になっている、と誤解されようとも、今はそんなことを気にしている場合ではないのだ。
自分のクラスに戻ると、中には数人のクラスメイトしかおらず、やはり会場設営に多くの人数が割かれているようだった。
これはチャンスだ。
俺は自分の席に座り、机の中から適当な紙を取り出し、そこに殴り書きで先ほどあった美術室での出来事と、今日の放課後作業中止の旨を書いた。
あとはこれを大道寺さんの机の中に入れれば完了だ。
教室の前方で数人が集まり、俺たちが色を塗った蓋を下書きが施された板に貼り付けてる作業をしているため、俺が教室に入って来た事にさえ気づいていない様子。
いくら作業してるからって、教室に入ってきたクラスメイトに気が付かないって……俺ってそんなに影が薄いかな。
今の状況からしたらプラスに考えるべきなのだろうが、なんだか複雑な気分だ。
そのまま気づかれないよう大道寺さんの机の中に、先ほど殴り書きで書いた紙を放り投げ、ミッションコンプリート。
携帯電話を持っていればこんな危険なことをしなくてもメール1つで簡単にことが済むんだよなーーやはり携帯電話は買うべきなのだろうか? いや、こんな事態になるなんて滅多にないのでやっぱりいらないか。
さて、あまり遅くならないうちに美術室に戻らねば、よっぽど腹が痛かったと勘違いされそうだ。
一応立ち去るときは堂々と隠れもせず、教室の後ろの扉から出て行くが、こちらに気がついて振り返るクラスメイトは誰もいなかった。
廊下に出ると、そこには見たことある顔のやつが1人いた。
俺は直接話したことがない人物。
だけど最近話題になった人物ということもあり、全く知らないやつよりかはその人物知っている。
その人物が廊下の壁にもたれかかって教室を覗き込んでいる? ように見えた。
クラスから出てきた俺をチラッと見ると、またすぐに視線を教室の方に戻す。
どうやら誰にも気づかれずに教室を出たと思ったが、そうではないようで、俺は誰かに気づいてもらえて嬉しい気持ちになり、足取り軽やかにその人物の前を通り過ぎようとしたときだった。
「ちぅっ」
ん?
あれ?
今の舌打ちか?
俺がその人物の前を横切った際に、聞こえたような気がする。
だが舌打ちにしては随分と可愛らしい音だなーーたまたまか。上靴の擦れた音と聞き間違えたかもしれないし。
特に気にもせず北村舞香が待つ美術室へ急ぐ。
俺が去った後、廊下にいた人物が教室に入ると、わいわいと賑わっていた我がクラスメイトたちが喋るのをやめ、あれだけ騒がしかった教室が一瞬にして静かになったことを俺は知らなかった。
「お待たせ。ただいま戻りました」
「おかえり。お腹大丈夫?」
案の定かなり時間がかかってしまい、彼女は俺が腹痛に苛まれていたと思っているらしい。
「ああ、もう大丈夫。さっさと続きをやっちまうか」
もう腹痛なんてへっちゃらさ、と言わんばかりに張り切って見せるーー元々痛くも痒くもなかったので、俺からすれば、これはただの頭のおかしい言動をする人であるが、そこは気にしないでおく事にする。
それにこの場合は彼女に俺がトイレに行って間違いなく腹の調子が回復したと思わせておかねばならない。少しでも疑われるようなことがあれば面倒なので。
「もう袋は8袋くらいだから、今日の放課後に集まってやれば終わるかもしれないね。あ、ちなみに誰が参加する予定?」
完全に放課後参加する気満々だなこいつ。
「えーっと、佐々木と太田には声をかけてるな……」
何かあっても口裏を合わせられそうなやつをセレクトした。
てか、これ以外にセレクトできるやつを俺は知らない。
「よく話してる3人組か、仲良いもんね。舞香もいつも話してる友達に声をかけてみようかな」
合コンみたいな感じでいいな! と、一瞬思ったが、そもそもそのメンツで話せそなのは佐々木くらいなもので……今はこうやって彼女と話しているが、それは一対一であるかして、大人数の場合は全くと言っていいほどに自分から喋ることなんてない。
発言の重みが違う。
一対一で失言したとしても、嫌われるのは1人だけだが、これが大人数となると自分以外の人全員からの冷たい視線がお見舞いされるわけで、正直1人に嫌われるだけでもこちらとしては大ダメージなのに、多数の人に同時に嫌われでもしたら、立ち直ることができなくなってしまう。
だから大人数の時は極力喋らない。
振られた話は当たり障りのない感じで返す。
これが俺の処世術である。
まあ、その処世術を使う場面がほとんどないのが現実だが……そうだ。
「そうだな。男3人の中に女子1人だとやりづらいだろうし、声かけてみたらいいんじゃないか。人数が多い方が早く終わるし」
「確かにそうだね。後で声かけてこーよお」
「それでだ……」
ん? と首を傾げる彼女。
「放課後に男女が同じ教室で作業するのはまずいと思うんだよな、俺は。だから教室を別々でやるのはどうだろうか?」
「でも……」
彼女が反論する前に太田を生贄にしてさらにもう一押し。
「実は太田が女子と話すのがすごい苦手でさ。それはもう、話すと突然訳のわからんことを永遠に話し始めるくらい苦手なんだよな。だからここはせっかく親切心で手伝ってくれる太田のためにも、なんとかしてやれないかな?」
「でも舞香は気にしないし、舞香の友達もそういうの気にしないから……」
「……………」
違う。
そいじゃないんだ。
自分たちが大丈夫でも相手がダメかもしれないじゃないか。
説教をしてやりたくなったが、ここはぐっとこらえて我慢することにした。
「ほら考えてもみてくれ、慣れてないのにいきなりそんな大勢で絡んだら、太田が心臓麻痺で死ぬ可能性だってあるわけで。それに、こういうのは徐々に慣れていくのが1番いいと思うんだ。ここで太田の心に傷がついて一生立ち直れなくなったりでもしたら、俺はどう責任を取っていいかわからない」
まだ何か納得している風はなかったが、しぶしぶと、
「そこまで言うなら、しょうがないか。太田くんがせっかく手伝ってくれるわけだし、嫌な事しちゃうのも可哀そうか」
「そうそう、ここは男グループと女グループに分かれて作業するのが太田のためなんだ」
何とか承諾してくれたようで一安心だ。
「……………」
ここまで熱く語っておいてなんだが、太田はもちろん、佐々木も来ない。
ただただ、太田の印象が1人歩きしただけになってしまった。
今度太田には飯でも奢ってやるか。
さすがに本人のいないところで勝手に名前を使い過ぎた。
「まあほら、これだけの人数が集まれば流石に今日で終わるだろうし、頑張ろうぜ」
そう、今日終わらせてしまえば明日の準備期間は自由時間になる。
自由時間か……。
果たして明日からもここで彼女とお喋りできるのだろうか?
それとも作業が終われば彼女は美術室には来ずに、仲のいい友達と自分のクラスでワイワイとお喋りするようになるのだろうか?
まあ、するだろうな。
人類皆友達の彼女にとって俺は大勢の内の1人に過ぎないのだから。
期間限定の、作業が終わるまでの友達。
それがきっと、北村舞香からの評価だ。
過度な期待をしない。そうすれば傷つくことはないのだから。
「そっか。もうこの作業も終わっちゃうと思うと結構寂しいね。ただ蓋に色を塗ってただけなんだけど」
「ほんと。蓋に色を塗ってただけだもんな」
「……………」
「……………」
そこからはお互いに喋ることなく、6限の終わりのチャイムが鳴るまで淡々と無言で作業を行った。
「それじゃあ、筆とかは舞香がもっていくから、ペットボトルの蓋だけお願いします」
そう言って彼女は、絵具セット一式をもって美術室を出て行った。
これが彼女の最後の後姿だと思うと、なんだか切なくなってくるが今は泣いている暇はない。
作業を別々の教室で行うことで合意した俺たちは、美術室を俺らが使い(俺1人だけだが)、北村舞香とその友人たちは自分たちの教室で作業することになり、残り6袋となった蓋の分配は人数的な事もあり、半分で分けることとなった。
そして作業終了の際は、男チームが使った道具を片すことにしたので、これで北村舞香が美術室に道具を片しに来ることも無くなり、とりあえずはこれで一通り何とかなった……のか?
多分大丈夫だろう。
いや、それにしても、ここまでなかなかハードだったぜ。
大道寺さんの机にメモを入れたり、北村舞香を説得したりと慣れない事ばかりで疲れた。
あとはこの後、1人で3袋処理しないといけないのが辛いな。
学校って何時まで残ってていいんだろうか?
クラスに戻ってからすぐに佐々木と太田に口裏を合わせてもらうように頼んだ。
あまり詳しく伝えてないので、太田のあれこれなんかは本人は知らない。
それでも快く承諾してくれた2人は本当にいいやつだな、と改めて思うとともに、太田にはさらに頭が上がらなくなりそうだ。
「うちは高上と同じで別々のクラスでやりたいかな」
「太田はそっち派か。俺はせっかくだから女子とはなしたいけどな」
やはりと言うべきか、案の定、佐々木は女子と一緒の作業がいいらしい。
「高上は何で女子と別々がいいんだよ? せっかく彼女ができるチャンスだったかもしれないのに」
佐々木が言いたいことは当然わかる。
むしろ大勢の男子は佐々木と同意見だろう。
「まー、さっきも言ったけど、大勢での会話は苦手なんだよ。しかも女子の方が多いとか地獄もいいとこだし。絶対に男子がわからないような会話とか始めるぜ、あいつら」
「それわかるかも」
やはり太田は俺と同類なようで安心した。
「でもよ? 実際問題どうすんだよ? 1人でやるには数が多いだろ。手伝ってやろうか?」
確かに1人で3袋はそこそこ多い。
1袋1時間計算で3時間か。
休憩なしで作業すれば6時までには終わるな。
今の状態でかなり疲れているので、ぶっ続けできるか怪しいところだが、やるしかない。
「大丈夫大丈夫。もう作業にも慣れてそんなに大変じゃないからさ」
「ならいいけど」
そう佐々木が言ったあと、ちょっと考え込んでいた太田が、
「思ったんだけど……いや、いい」
何か言おうとしていたが、途中でやめてしまう。
俺は太田が何て言おうとしたか気になって、聞き返そうかと思たが、残念ながら帰りのホームルームが始まってしまい、この話はここでお開きとなった。
美術室でただ1人黙々と作業を続ける。
「あー、今頃教室では楽しくお喋りしながら作業してるんだろうな」
静かなこの教室に俺の声だけが虚しく響く。
作業も思ったよりも進まず、原因は疲れもあるだろうが、とにかくモチベーションが上がらない。
本来であれば大道寺さんと一緒に作業をするはずだったが、それも無くなり、北村舞香とも別々のクラスで作業をやる羽目になってしまっている。
「どこで間違えたかなー」
大道寺さんと一緒に作業をするために、北村舞香を放課後作業に参加させないようにしようとして失敗し、彼女が友達を誘うときに止めなかったのも失敗だ。
6袋なら2人でやっても十分に終わる量だったのに。
でも今の方が彼女にとってはいいのかもしれないな。
作業も早く終わるし、仲のいい友達と楽しく作業して。
あまり態度には出てなかったが、会話が続かない俺に話を振ってきたり、いろいろと気を使ってただろうし。
「やば……眠く……なって……………」
単純な作業のせいで一気に眠気が。
瞼が重い。
ああ、これはだめなやつだ。
そう思った時には既に、意識は深い海の底に沈んでいった。
「ふぉぁ!」
体がビクッっとし、唐突に意識が回復した。
何だっけこれ?
こんな現象を昔テレビで言っていたような気がする。
ーージャーキング? だったかな。
ちゃんとテレビを見ていたわけではなかったからうろ覚えだけど、確か寝心地の悪い場所で寝ちゃうと起こるとか言ってたような。
ああそうか、俺、椅子に座りっぱなしで寝ちゃったのか。
ぼーっとしていた意識が徐々に回復し始めて……、
「やばい! 今何時だ?」
1人で3袋も塗らないいけないのにうたた寝してしまうとは。
まあでも、こんな感じで寝たときって案外10分しか経ってないとかそんなもんだし……。
美術室にある時計を見ようとした時だった。
「6時半ってところかな」
「え?」
美術室には俺1人だけだったはず……まさか気を利かせた北村舞香が美術室に?
だが姿が見えない。
「こっちこっち」
どうやら俺の背後から声がするようで、後ろを振り向くと、
「やっと起きたか、高上」
「えぇぇ!」
振り向くとお互いの鼻頭がぶつかりそうになりなったため、俺は咄嗟に体を後ろに引いたが、そのせいでバランスを崩し椅子から転げ落ちてしまう。
「大丈夫?」
そう言って彼女は手を差し伸べてくる。
「あぁ、おかげで目が覚めたよ」
俺は差し出された手を掴み立ち上がると、
「なんで後ろにいるんだよ。大道寺さん」
「なんでとは失礼な。高上が寝てるから起こさないように後ろでそっと作業をしてあげてたのに」
美術室にいたのは今日来るはずのない人物で、俺が中止の旨を書いたメモ用紙を机に忍ばせたまさにその人物だった。
「それは悪かった。気を遣わせたな」
できる女ですからと言いたそうな風でどや顔をしている。
「けど、何であんなに顔が近くにあるんだよ。危うくぶつかるところだったわ」
「普通に起こすだけじゃつまらないから、ちょっと驚かそうと思って」
こいつってこんな茶目っ気があるようなやつだったけな。
スイッチ入ってるとこんな感じにもなるのか?
それにテンションもどこか高いような気がするし。
「それにしてもよく寝てたね。もう外は日が沈んでいい感じに暗くなってるよ」
確かに、窓の外を見ると既に日が沈んでおり、窓から見える外灯は暗い夜道を照らす役割をしっかりとはたしているようである。
「やばいな。俺殆ど作業しないうちにねちゃったらしい」
覚えている限りは1袋どころか、半分も終わってなかったと記憶している。
「私が来た時には大口を開けて、よだれをこれでもかってくらい垂らしながら寝てたぞ」
「え!? 俺ってそんな感じで寝てたの?」
2つの意味でショックだわそんなの。
1つは、自分のあまりに酷い寝方。
そしてもう1つはそんな大口開けてよだれを垂らしている姿を、クラスの女子に見られたことがショックだ。
「ふふふふ」
いつも通り着崩した服装を着てスイッチを入れている彼女だが、その可愛らしい笑い方は初めて彼女と話した日と変わらないーーどうやら笑い方はスイッチが入っていようと素と同じらしい。
そんな彼女が笑い終えると、冗談っと一言。
「普通に寝てただけだから」
「……そりゃよかった」
大道寺さんが楽しそうで俺は何よりだ。
機嫌が悪かったらとんでもない悪魔になるし。
それにしてもあれだな。素の大道寺さん、スイッチの入った大道寺さんと話して思ったのは、素の方が男らしく、スイッチが入ってる方が女らしいなーー素の彼女が男みたいな口調になるのがその印象を強めてるのかもしれない。
ああでも、スイッチが入ってる方は女らしいが鋭い棘があるからなぁ。
しかも猛毒。
「はいこれ」
ん?
彼女は机に上に袋を3つ置いた。
「え? これってまさか?」
「高上が寝てたから終わらせておいた」
まるでそれが当然のように、当たり前のごとく彼女が言った。
置かれた袋を開けると、もう既に塗った塗料が乾燥した蓋が色別に入ってる。
おお、まじかよ。
「いや、ほんと、何て言ったらいいんだろう。とにかくありがとう」
「私みたいな超優等生になればこれくらいは朝飯前だから」
そんな強気な言葉を使う彼女の表情は、感謝されてまんざらでもなさそうな風である。
「いや、本当に感謝してるんだぜ。この感謝の気持ちどうやったら大道寺さんに伝えられるか悩んでるくらいだ」
「…………」
右手の人差し指を自分の下唇に触れるか触れないかの距離にもって来て、何やら考えごとを始める。
「確かに……この仕事量を私1人で片づけたわけだし、何かご褒美があってもいいよな」
「ああ、俺に出来ることがあれば何でも言ってくれ」
大道寺さんが今日美術室に来てくれて作業を終わらしてくれなかったら、俺は明日、北村舞香に失望の眼差しで見られていた事だろう。
そんな危機的状況を回避できたのだから、ここは精一杯、全身全霊で彼女の願いを叶えよう。
例え今すぐにそこの窓から飛び降りろと言われれば、俺は何の迷いもなく飛びお降りることができる。そのくらいに俺は彼女に感謝している。
「じゃあ、ココアが飲みたい」
「ココア? そんなんでいいのか? お前の3時間分の労働に対価する評価はココア以上だと思うが」
「あんな単調な作業に3時間も掛かるわけないじゃん。それに物の価値は人それぞれ、高上はココア何かと思うかもしれないけれど、私からしたらこんな楽な労働でココアが手に入るならラッキーと思ったけどな」
最近の女子はそういうもんなのだろうか。
……まあ、本人がいうなら。
「ごめん。そうだよな。価値は人それぞれだよな。お金より大切な物が世の中にいっぱいあるって言うしな」
具体的な例を上げろと言われれば、そうだな……特に無い。
大人ですら見つけられない物を、たかが中学生男子が知っているはずもない。
「ふふ」
あれ? 笑った?
てっきり、『高上の価値観を勝手に押し付けないで』 と怒られるもんかと思ったが。
彼女は椅子座るーー椅子を反対に、背もたれを前にして。
俺も近くにあった椅子を引きずって、彼女の前に置き、何となく同じように座る。
特に意味はない。
本当に何となくだ。
背もたれを前にしているので、椅子を跨ぐように座る格好になり、何だか不良みたいではずかしいな。
「そうやって自分の間違いを素直に認められるところが高上のいいところだよ」
怒られるどころか褒められた!
着崩した服装で不良みたいな座り方した女子に!
てか格好が相まって本当に不良みたいだし。
それに……、
女子が足を開いてこっちを向いてるって考えたら、これって結構エロいよな。
スカートが短いこともあって、太ももが結構見えてるし。
パンツが見える事はないけれど、それでも前にスカートの中を覗いた時なんかよりは太ももがよく見えている。
女子特有のぷにぷに感はなく、スポーツ選手のようにすらっとしていて、モデルのように綺麗な太もも。
ーーいいなぁー。あの椅子。
俺も大道寺さんの太ももに触れてみたい。
できれば頬で。
そんでちょっとすりすりしたり……とか。
ーー勘違いされないように言っておくが、この後教室に1人残って彼女が座っていた椅子に頬擦りしたり、なんてことはしない。
流石の俺も最低の変態にはなりたくない。
俺が憧れるのは誇り高い紳士的な変態なわけであるので。
「いや、殆どのやつはこんな感じだと思うけどな。よっぽどの捻くれものじゃなきゃ」
「殆どって……、高上そんなに友達いないじゃん」
「ぐっ……」
褒められたと思って油断したらこれだよ。
まったく、可愛げのないやつだ。
「……っ」
「あれ? どうした?」
さらに追撃が来るかと思って構えていたが、何やら苦悶の表情を浮かべている様子。
「い、いやね。自分で言っておいてなんだけど……」
「ん?」
物事をズバズバと言う彼女にしては歯切れが悪いな。
「これ、自分にも刺さるんだなって」
「…………」
鋭すぎる棘が自分自身に刺さってしまったようだ。
バビルサと言う動物がいる。
豚みたいな猪、猪みたいな豚。
この動物は自分の牙が頭に刺さって死ぬと言われている動物で、今の彼女の状況を見て何となくそんな動物を思い出した。
彼女が猪、ましてや豚のようなとか、そんな事を言いたかったわけではないと一応注釈しておく。
彼女の容姿はその対極に位置するのだから。
「ふははははは、いや、お前、さっきまで自分は超優等生とか言ってたよな?」
「う、うさい!」
何だか今日は、喜んだり考えたり、ふくれっ面になったりと忙しいやつだな。
「いやいやごめん。流石に笑い過ぎたよ」
「むーーふん、もう手伝ってやんない」
やれやれだぜ、まったく。これじゃ優等生じゃなくて、小学生じゃないか。
「だから悪かったって。帰りにココア奢ってやるからさ」
「…………許す」
どんだけココアが好きなんだよ。
全財産とココアを交換しようと提案すれば交換してしまうんじゃないか? こいつは。
「話はちょっと戻るけど、私はココアよりお金の方が好きだし、中学生同士で金銭のやり取り何て、なんだか如何わしいじゃない」
それに、と彼女は続けて言った。
「時間給に換算したらとてもじゃないけど、高上では払いきれない額になるけどいい?」
そんなに高いのか。
てか、なぜ俺の財力を知っている?!
見たのか、俺が寝ている間に財布の中身をーー流石にそんなことはしないか。流石に……。
「ちなみにどのくらいのお値段に?」
俺が彼女にそう聞くと、体重を前に掛けて4本ある椅子の足を半分浮かせ、まるでロッキングチェアのように反動をつけて俺に近寄る。
「あ……」
今回は俺に落ち度があったというか、完全に俺の落ち度である。
彼女の真似をして椅子に座ったのはまだいい。
だが置いた椅子の位置が悪かった。
彼女が座っている椅子と俺の座っている椅子の距離はおおよそ人間1人分くらいなもんで、そんな距離しかないのだから当然、傾けた椅子はすぐに背もたれ同士がぶつかるし、さらにそこから身を乗り出してくるしで、
「え……あの?」
彼女は自分の顔を俺の顔の横に持ってくると、
「…………、……。……………………」
耳元でささやかれた。
しかも結構長い。
「わかってくれたかな? 優秀な人材を使うということはそれだけ費用が掛かるってこと」
「……ああ、よくわかったよ」
ようやく彼女は離れて、元の場所に戻った。
正直話してくれた内容についてはこれっぽちも頭に残っていない。
今の俺は大道寺さんの吐息を、肌に、耳に、そして毛穴に至る細部まで、その微々たる空気的振動を忘れないように、脳のリソースをすべて彼女の吐息が当たる部分に割いているため、一言一句ちゃんと覚えていない。
「…………」
「ん? どうしたの? ぼーっとして」
「いや、何でもない何でもない。ただちょっと、何でわざわざ耳元で言ったんだろうと思ってさ」
別にそこから普通に言ってもよかったわけで。
「知らないの高上? 今は他人の個人情報が高値で取引されいる時代だから、私の個人情報、この場合は私の価値についての情報になるかな、それをむやみやたらに人前で喋るのは危険だと思わない? 私が価値ある人間だとわかれば、きっと誘拐しに来る連中もいるだろうし」
「お前ってそんな国家レベルの人間だったの!?」
そんな人物がこんな学校にいてたまるか、とさらに付け加えた。
「冗談は半分にしといて」
「半分は本物なのかよ!」
もちろん話の後半部分が冗談だよな……。
「自分自身の評価をあまり大きな声で言うのって何か下品だと思わない?」
「下品と言うか、俺はどっちかというと、自己主張が強いやつ、て思うかな。ここぞとばかりに声を大にして自分が凄いって吠えてる、そういうやつ。そんなのに限って普段は大したことなくて、たまたま成績が良かったり、まぐれで試合に勝てただけなのに過剰に自分の評価を高くしたがる。クラスでも結構いるだろ? そんなやつら?」
「あー、テストの返却があった日の休み時間は確かにそんな感じがするかな、点数がいい時だけ皆に自慢して、悪い時はだんまり、みたいな」
「だろう? そんなの俺からしてみれば理解不能だね。何でわざわざ自分から注目を浴びるようなことをしたいのか、まったく、理解に苦しむよ」
ちなみに俺はそんな格好の悪い自己主張なんてしない。
それがテストの点数ともなれば尚更だ。
その理由を自分で言うのも恥ずかしいが、俺は中学生になってから1度たりとも自己主張できるような点数を取っていないーーだったら勉強したらいいのだが、そう簡単に勉強出来たら中学生誰しも苦労はしないだろう。
「安心したいんじゃないかな?」
「安心?」
太田もなんか似たような事言ってたな。
「時々、誰かに自分を見てもらわないと自分が消えちゃいそうな感じがする…流石にこの言い方は大げさか、えっと、学校だとみんな何らかのグループに属してるでしょ? 高上ならあの……ほら、佐々木と太田だっけ? あの2人」
どうやら大道寺さんの中では、俺とよく一緒にいる2人くらいの感覚らしい。
ドンマイ、佐々木、太田。
「それで、私ならみっちゃん。この2つのグループって別に無理して友達付き合いしてるタイプではないと思うから、一緒にいて変に気を使うことってあまりないと思うんだけど、高上はどう思う?」
「まあ、そうだな、そこまで気を使わないかな」
「だけど、クラスで人気者を中心に集まってるグループは少し違がって、人気者同士ならそんなに何かあるわけではないけど、問題はその取り巻きの方で、どうにか自分がそのグループから追い出されないように相手を無理に持ち上げたり、自分はこのグループに必要な人間だぞ、てアピールしたり」
「テストの点数を自慢するのもアピールってわけか」
「ああ、それか本当に嬉しくてみんなに自慢しているだけの純粋な人かもしれないけれど、でも、それにしても所属するグループ次第で学校生活が変わるのは事実なわけで、そう考えたらちょっとくらいクラスで大きな声を出して自己主張してる人の気持ちもわからなくはないでしょう? 高上なら」
自分の学校生活を守るためにみんな必死なのさ、と男装した女性俳優のように彼女は言った。
「わからなくもない……かな」
少しでも学校生活をよくしようとする気持ちは痛いほどわかる。
けど……、
「大道寺さんが言ったことはよくわかるし、納得もできる。だけど俺はそもそもそんな背伸びなんてしないで身の丈にあった生活を心がけるべきなんじゃないかと思うわけで」
クラスで少し息苦しさを感じるのは確かだけど、それ以外には大した不便はないわけだしーーまあ、青春の思い出はあってないようなものになるが。
「欲が無いと見るか、向上心が無いと見るべきか。私的には前者だと思いたいところだけど……高上は後者なんだろうね」
「よくわかってるじゃないか」
俺は向上心などという甘い言葉に乗っかり、リスクをとるような愚かもでは無いのだ。
「向上心を持てとは言わないけど、高上はもう少し努力した方がいいんじゃ無い? 特に学力面で」
「おいおい、それじゃ俺が勉強できないみたいじゃ無いか」
「違うの?」
俺の目を真っ直ぐ見ながら言った。
てか怖えーよ。
見方によっては見るというより睨んでんじゃん。
「……いや、違くない」
誤魔化そうと思ったが、大道寺さん相手にそれは通用しない可能性の方が高いので、ここは素直に認めることにした。
「てか、なんで俺が勉強できないって知ってるんだよ? 俺のテストの点数でも見たのか?」
「高上の雰囲気や品格を見てればそのくらい……ていうか無理に知的に見せようとしてる感が高上からする」
身の丈にあった何だっけ? とさらに煽られるが俺はそれを華麗にスルーして、
「だってほら、格好悪いじゃん」
と小学生低学年並みの理由を口にする俺であった。
「元々格好悪いんだから頭が悪いなんて、そはもうちょっとしたオマケくらいの価値しかないから心配しなくても大丈夫だと思うけど」
「ぐさ!」
両手を心臓の前に持ってきて、お前の言葉が胸に刺さったぞ、とアピールするも、
「…………」
さらに鋭くなったその視線に刺されるだけだった。
「はぁ、いい? 高上? 芸術祭が終わればテストもあるし、来年には受験を控えてるのに今から何かしら対策しないと手遅れになるぞ?」
お前が言うのか。
どう考えたって俺と同じくらいの学力しかないだろ。
それに授業をちゃんと受けている俺の方が成績いいまであるぞ。
「そこまで言うなら中間テストで勝負だ。もちろん普通にやるだけじゃつまらないから、負けた方には罰ゲームってのはどうだ?」
俺がちゃんと一夜漬けの勉強をすれば大道寺さんなど恐れるに足りない。
「ふふふ、いいねぇ、受けて立つよ。勉強も競い相手がいるとやる気が出るし」
うわ……なんかすげーニヤニヤして気持ち悪いし、完全に俺に勝てる気でいるな、こいつ。
「後で吠え面をかいても許してやらないからな。覚悟しておけよ」
「高上が私に勝てる可能性があるとすれば、今日からテストまでのあいだ、私を監禁して閉じ込めておくしかないぞ?」
「そんな犯罪行為をしてまで勝とうとは思わねーよ!」
俺を何だと思っているのだろか。
まさか勝負のためなら平気で卑怯な手を使うやつだと思われてるのか?
だとしたら今度から俺の紳士振りをちゃんと彼女に見せてやらねばあるまい。
「罰ゲームの内容はどうする?」
「そうだね……、テストの返却日までに各自で決めておくってのはどう? 今ここですぐに決めるのも何だかつまんないし」
「お俺はそれでいいぞ」
決まりだな。彼女はそう言ってまた気持ち悪くニヤニヤと笑い始めた。
そうと決まれば今回のテストは気合を入れて一夜漬けをするぞ、と意気込んだところで、美術室の扉が勢いよく開き、見回りの先生らしい人物が美術室に現れて、
「ーーーーーーーーーーーーーー」
「ーーーーーーーーーーーーーー」
そろそろ帰宅しろと催促すると、先生は美術室から出て行く。
「ちょっとクラス寄ってから学校出るから、先に帰っててくれるか? 俺は自転車だからすぐに追いつくからさ」
「わかった。それじゃ先に学校出てるから。えっと、そうだな……この前帰り道で会ったの覚えてる? 学校に忘れ物を取りに戻ってる途中の高上と会った場所」
「ああ、覚えてるぞ」
あんな強烈ことを女子に言われた場所だ。恐らく一生忘れる事なんてないだろう。
「その道を真っ直ぐ進んでると思うから、後から追いかけてきてよ。流石にもう遅いし、周りも暗くなってるから誰にもバレないと思う」
そう言って俺たちは別々に学校を後にすることにした。
大道寺さんはこのまま学校を出て、俺は北村舞香達が使った画材一式を片付けに一旦教室に戻る。
教室にはすでに誰もおらず、ほとんど完成に近い状態の作品が教室の中央に置かれているだけであった。
教室の電気は付いておらず、廊下の灯りが教室内に入ってくるだけなので室内は薄暗い。そのためか、本来は色とりどりのペットボトルの蓋で作られている綺麗な作品も、今の状況ではただただ不気味な作品である。
「えーっと……お、あったあった」
お目当ての画材を発見。
恐らく北村舞香が気を利かせてくれたのだろう。筆が綺麗に洗われており、その他の道具も綺麗にまとめられて置かれている。
まったく、よく気を使う女だぜ。
そんな彼女とも、話すのは明日で最後。残りの蓋を全て塗り終わった報告をしてさよならだーーさよならと言っても同じクラスなわけだが、きっと今よりは話さなくなるし、お互いに相手への興味を薄れていくに違いない。
そして3年生になってクラス替えをして本当にさよならだ。
特別悲しい……なんてことはない。
今までの日常に戻るだけ。
いや……、
俺はこの準備期間で大道寺さんと友達になれた。それはこの芸術祭が終わっても関係は続くわけで、そう考えると前の日常に戻るなんてことはないのかもしれない。
「…………」
それでも、例え北村舞香への興味が薄れようとも、彼女と話した楽しい時間は絶対に忘れないし、俺の数少ない青春の1ページとしてきっと死ぬまで覚えている。
きっと死んでも覚えてる。
なにせ俺と北村舞香は、間接手繋ぎをした仲なのだから。
「さすが自転車、もう追いつかれちゃった」
学校からそう遠くない場所で大道寺さんに追いついた。
場所的には前回会った場所より少し学校寄りといった所。
「女子を待たせるなんて、紳士としては失格だからな」
「紳士って言うくらいなら、ならせめて馬にでも乗って現れて欲しかったね」
「いや、馬って……」
何世紀前の人ですか? あなた?
「仕方ないから自転車で我慢してあげる」
「え? うおぉ!」
そう言って彼女は、ママチャリの後ろに勢いよく飛び乗ると、
「いった! けつ痛い!」
「けつってお前……そんな勢いよく乗ったら痛いに決まってるだろ」
それに女子がけつとか言うなし。おっさんかよ。
「だから馬が良かったのに」
そんな勢いよく乗ったら馬に振り落とされるだろ、むしろ振り落とされないだけ有り難く思え。
「なんかまるで、馬に乗ったことがあるような口ぶりだな」
「乗馬なんて今どき女子の常識だし」
「そんな常識、少女漫画でもびっくりだわ!」
ギャグ漫画でもそうそうねーよ。
「そんなこといいから早く漕いでよ。帰りが遅くなるから」
人使いが荒いやつだーーまあでも、今日ばかりは大人しく従っといてやるか。大道寺さんには迷惑かけたし。
「へいへい。わかりましたよ。それじゃしっかり掴まってろよ」
俺はこのとき、ドラマみたいな展開を少なからず期待した。
後ろに座る彼女が、俺に抱きつくように掴まることで体と体が密着し、そしてあわよくば彼女の胸が背中に当たることを!
「よし、オッケイ。出発進行」
あれ?
胸どころか手さえ触れていない。
どうなってるんだと思い後ろを振り向くと、彼女は荷台のギリギリ後ろ側に座ることで、荷台の前方の空いた部分を掴む感じで座っていた。
まあ……確かにこっちの方が安定するよな。
「どうした? 早く漕げ」
俺のしていた期待など微塵も感じない様子で急かしてくる。
あーあ、こんなドラマみたいな展開2度とないだろうな……正直かなり凹だ。
だがこれ以上このままだとさらに酷い暴言が飛んできそうなので、とりあえずペダルを漕ぎ始めるーー今の心情に暴言が突き刺さったら立ち直れないないかもしれないし。
自転車は思いのほかすんなりと進み始め、ある程度スピードが出ると自転車が安定してきたーー俺が強くペダルを漕いだためか、それとも彼女がかなり軽いかだが、女子に体重を聞くわけにはいかないので、これ以上詳しいく考えるのを止めた。
「ああ、そうだ。ココアどうする? どこで買えばいいんだ?」
「この先しばらく行くとコンビニがあるからそこで」
「了解」
そういえばコンビニがあったような……、
休日は殆ど家から出ないので、学校と家の往復で使う通学路以外はあんまり詳しくないのである。
自転車を漕いでいると、ふと疑問に思っていたことがあったと思い出した。
なぜ机の中に中止の旨を書いたメモを入れておいたのに、大道寺さんは美術室に来たのだろうか?
美術室に来たということ、それはつまりメモを読んでいないということだが……、
大道寺さんなら……ありえるか。
そう、そもそも机の中を見ない、という選択肢がーー俺は彼女が学校の教科書を持って帰る姿を想像してみたが、上手くできなかった。
そうなると、今回男女で別れて作業しようと言い出さなかったら北村舞香と大道寺さんが美術室で鉢合わせしていたことに……。
あっぶねー、九死に一生を得るとはまさにこのことか。
サンキュー太田。お前のおかげで命拾いしたぜ。
俺は心の中で神に感謝を捧げるが如く、太田に感謝した。
「なあ、あのさ、教科書って持って帰るか?」
「え? 教科書?」
「そうそう。机の中に入ってる教科書。それを毎日持って帰ってるのかなって」
「ああ……そういうね。宿題がある教科は持って帰ってるかな」
一応持って帰ってはいるようだ。
「今日は数学の宿題があったからちゃんとカバンの中に入ってるし」
「え! 今日数学の宿題出てたっけ?」
「授業の最後に先生が言ってたじゃん。教科書に載ってる問題解いておけって」
やばい学校に忘れた。
この前は演技だったが、今回はマジで忘れた。
「まさか、また忘れたの?」
「……はい」
俺は久々に忘れ物したなーって感覚だけど、大道寺さんからしたら、こいつまたかよ、て感じだもんなあ。
ますます俺に対しての印象が悪くなっていく気がする。
だがまあ、忘れた物はしょうがない。彼女を家に送り届けたら学校に戻取りに戻るかーー正門とか空いてればいいけど……。
そんなことを思っていると、彼女の方から、
「仕方ない、コンビニで私の教科書コピーさせてあげる」
まさかの救いの手だった。
「え! いいの?」
「流石に今から戻るのも大変だし、戻られたら私はここから歩いて帰らなきゃ行けなくなるじゃん。それにココアも奢ってもらえなくなるし」
俺のことを気遣ってくれたのかと思ったが、そうではなかった。
だがここは彼女の差し伸ばしてくれた手に有り難く掴まることにしよう。
「いやー、今日は本当に大道寺様様だな」
「そう思うなら明日の朝食分のパンでも買ってもらおうかな」
「ああ、パンの一つや二つ買ってやるよ」
俺がそう言うと、ふふっと後ろから大道寺さんの笑い声が聞こえた気がした。
ほんと、大道寺さんが教科書持っててくれてよかったー。
現在、借りた教科書をコピーしている真っ最中である。
大道寺さんもちゃんと宿題とかちゃんとやるんだなーー大道寺さんの素の方の性格を知っていれば何となくだがわかりそうな気もするが、いかんせんスイッチが入っている彼女の印象が強すぎてついそっちの印象に引っ張られてしまう。
ん?
てっことは机の中を見たんだよな……。
ここで一つ、矛盾がある。
机の中を見たのなら、俺が入れたメモを読んでいるはずだーー机の奥の方に入れた記憶はないし、普通に教科書を机に中から取り出せば絶対に目につくはず。
印刷された紙と教科書を持って俺はコンビニを出て、外でアイスココアを飲んでいる彼女の所へ行き、
「ふぇぇー、美味い。あ、コピー終わった?」
すっげー幸せそうにココアを飲むのな。
俺も飲みたくなってきた……だけどその前に彼女に聞いておかないといけないことがある。
「なあ、大道寺さん」
「え? どうしたの、そんな改って」
「なんで今日、美術室に来たんだ?」
大道寺さんの言うところの気を遣えとはこういうところなのかもしれない。
今にして思えば、確かに俺の説明不足感が否めない質問だったと反省している。
端的にしすぎた。
もう少し前置きを語ればよかったと、後悔した。
10月15日の水曜日。時刻は……そうだな19時半から20時くらいだろうか?
この準備期間色々と人生初めての経験をしてきたけれど、この時もまた、人生で忘れられない経験をすることとなった。
「はぁ?」
女子に初めてガチギレされた日である。
「私が手伝いに行くことがそんなに不満なわけ?」
え?
さっきまであんなに幸せな顔をしてココアを飲んでたのに、一瞬にして鬼の形相である。
「高上が寝ていたせいで、私1人で作業する羽目になったのに、それなのに『なんで美術室に来たのか』て言ってんの?」
「い、いや、ちょっと待て、そういう意味じゃ……」
「じゃあ、どういう意味?」
彼女は手に持っていたココアの入った容器を片手で握りつぶし、まだ中に入っていたココアが制服に飛び散ろうとも気にもしていない様子。
こわいこわいこわい!
どうする?
普通に言ったて信じてくれるのかよ、この状況で。
次の俺の行動が生きるか死ぬかの瀬戸際。
唾を飲む音すら、大道寺さんに聞こえているんじゃないかってくらい、彼女はこちらに全神経を逆立ててこちらを威嚇している。
言葉で大道寺さんをどうこうするのは無理だ。
無理なら……どうする?
くそ!
こんなときにどうするかくらい学校で教えろよな!
ついには学校を責め始める始末である。
すると、コンビニのガラスに内側から貼り付けられているポスターが目に入った。
……これを試してみるか。
もし失敗したら、もう土下座をし続けるくらいしか俺には思いつかないが、彼女は土下座程度では許してくれないだろうな。
そうなると、もう一か八かだがこれに賭けてみるしかない!
「ん?」
俺が無言で近づくという予期せぬ展開に少し戸惑っている風な彼女にもう1歩のところまで近づき、
「大道寺さん!」
「え?!」
俺は大道寺さんの両肩を掴み真っ直ぐに彼女を見つめると、先ほどまでの鬼の形相は消え去り、突然の出来事にパニックになり始めて、
「た、高上? えっとこれ……」
「大道寺さん、聞いてもらいたい大事な話があるんだ」
「ひゃい!」
もう爆発寸前といった感じで顔を真っ赤にする大道寺さん、そして、こんな告白シーンみたいな茶番を演じて恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしている俺。
背景にはお城ではなく、どこにでもあるコンビニエンスストア。それがまたいい感じに安っぽさを演出している。
「実は……」
俺は机にメモを入れた件について、きちんと順序立てて丁寧に説明した。
「ーーということなんだけど……」
俺は恐る恐る、彼女の顔を見る。もう怒ってはいないようだが、それでもあの鬼のような形相が頭から離れない。
「そうだったんだ。ごめん、なんか色々勘違いしちゃったみたいで」
「いや、謝らないでくれ。俺がちゃんと説明しないばかりにこんな事になったんだ」
お互いに謝ったところで、場所を変える事にした。
流石にあれだけ目立つことをしておいてその場にいるのが気まずくなったのである。
「私が机の中を見た時はメモ用紙なんて入ってなかったと思う」
買い直したココアを両手で大事そうに抱えながら持って歩く彼女。
我が中学校では10月は衣替え移行期間として、夏服冬服のどちらで過ごしてもいいことになっており、彼女は夏服のため上は白いワイシャツを着ていたが、今は先程握りつぶしたココアのせいで最先端ファッションみたいな事になっている。
「んー間違いなく大道寺さんの机に中に入れたはずなんだけどな……」
「まあでも今回はメモ用紙が無くなったおかげで、私が美術室に行けて作業できたわけだし、結果だけ見たら悪くはないんじゃない?」
「そうなんだけどな……なんかなー、腑に落ちないというか何というか」
紙に名前を書いていたわけじゃないから、もし他の人に読まれてても特に問題ないし、大道寺さんが言っているように悪いどころかいい結果になっているわけで、
「しいて悪いことを挙げれば、ココアが一杯無駄になってしまったこと、かな」
「ははは……」
笑って誤魔化すことにした。
「そのワイシャツ、クリーニング代は俺に出させてくれ」
「そんなの別にいいよ、クリーニング代を出すくらいなら、また帰りにココアでも奢ってちょうだいな」
たまに変な言い方になるよな、大道寺さんって。
どんな時にこうなるかは今の俺には予想不可能だ。
「わかったよ、お言葉に甘えてそうさせてもらう」
無理にクリーニング代を出したって彼女は絶対に受け取らないと思うので、せっかく彼女が提示してくれた条件を呑むのが1番平和的な解決だろう。
「それじゃこの辺で」
「ああ」
前回と同じ、住宅街の入り口付近。
家の前まで送ろうとしたが彼やはり女に断られてしまったーー両親に見られるるのは面倒臭いとの理由で。
「なあ、明日はどうするんだ? もう作業も終わっちゃたし、やっぱりもう来ない……」
俺がそこまで言うと、離れた彼女が近づいてきて……、
「察しろ、高上。私は作業が終わったらそれっきりだなんて、条件に入れた覚えはないぞ」
そう言って彼女は、持っていた飲みかけのココアを無理やり俺に持たせると、こちらを振りむこことなく住宅街の中には入って行き、俺はその後ろ姿が見えなくなるまでその場から動けなかった。
「何だよあれ、不意に見せる可愛さとか反則だろ」
俺はココアの容器の飲み口を持っていたハンカチで綺麗に拭いた後、一気にココアを飲み干した。
10月16日の午後。我がペットボトルの蓋に色を塗るグループは正式に解散となった。
北村舞香からクラスの別の作業班に蓋を渡してもらっている時のことだった。担任がクラスに来て会場設営の人員をさらに増やすと言い始め、それを聞いた北村舞香が、
「舞香達のグループは作業終わったので手伝えます」
と言ってしまったのだ。
これにより、俺は今日明日とサボる予定が全ておじゃんである。
そして会場設営に回されたのはいいが、佐々木、太田、北村舞香。この誰とも一緒になることなく久々に死んだような顔で午後の準備時間が早く終わればいいのにっと本気で思いながら作業をしていた。
言うまでもないがあの2人は今日もサボっているため、作業には参加していない。
何してんだろうな、俺。
実は今日、北村舞香とまともに話すのは最後になるだろうと思い、少しばかりのお菓子を持参していたのだ。いつだったか、彼女のおかげで大道寺さんとまともに話すことができたお礼をと思っていたのだが……。
残念だがその最後のチャンスですら無くなってしまった有様だ。
もしかしたらいつもみたいに美術室でお喋り出来るかも……て期待してたんだけどな。
まだ占いも途中だし、あのなぞなぞも結局わからずじまいだしで、色々と中途半端で終わった感がすごい。
そんなモヤモヤした気持ちのまま、午後の時間は早々と過ぎ去っていく気がしたがそうはならなかった。
「舞香が手伝いに来てあげたよ」
そう言って北村舞香が俺の前に再び姿を現したのだった。
「あれ? そっちはもう終わり?」
「みんなでやったから早く終わっちゃって手持ち無沙汰なっちゃいました」
最近は大道寺さんと話すことが多くなったからあれだけど、こいつもこいつでやばいやつなんだよな。
やばいの意味は大道寺さんとだいぶ違いはあるが。
「それでなんで俺のところに? 作業が終わったんなら友達と遊んでればいいのに?」
「冷たいなー、一緒に美術室で作業してた仲じゃない。姿が見えないから先生に聞いて手伝いに来てあげたのに、舞香帰っちゃうよ?」
「ごめんごめん、来てくれてすごく嬉しいよ」
「素直でよろしい」
あー何だろう。この安らぐ感じは。
大道寺さんと話すのが苦とかそんな感じは一切ないけど、彼女の言葉にはナイフが隠れてたりするからヒヤヒヤするんだよなーー昨日はナイフといよりも大鎌を首に当てられたような気分だったな。
俺に割り振られた仕事は空き教室を使ってのパンフレット作り。
パンフレットといっても所詮数ページしかない簡単な芸術祭のしおりみたいなもので、数枚の印刷物をホッチキスで挟んでいくだけの単純作業ーー元々別の誰かがやっていたみたいで、その残りを引き継ぐような形で俺に回ってきたようだ。
「仕事ももうあんまりないから2人ならすぐ終わると思う、えっと、それじゃ、これ」
そう言って彼女に余っていたホッチキスを渡し作業を再び始める。
「ありがとうーーあのさ、桜花はスキーってやったことある?」
「いや、やったことないな、何でまた突然?」
「だって修学旅行はスキーだよ? すごい楽しみじゃない?」
「ああ……そうかスキーだもんな、修学旅行」
外泊か……クラスの男子どもと一つ屋根の下寝なきゃならないと考えると鳥肌が立ってくるーーせめて部屋割りは佐々木か太田と一緒でなきゃ修学旅行は始まる前から絶望でしかない。
「でもまだ気が早くないか? だって2月だろ? まだ10月だぜ」
「そうかな? 10月ももう半分経ったし、この後テストに冬休みがあって、あっという間に2月だよ」
部活動の大会だってあるでしょ? と彼女は言う。
そう言われてみれば2月の修学旅行までにはそれなりの学校行事が入ってるなーー俺の場合は部活動がメインになるだろうけど。
「だから今日の夜に寝て次の日起きてみたら、修学旅行かも」
どんだけ寝てるつもりなんだお前はーーでもそれくらい彼女が修学旅行を楽しみにしてるってことだよな。
「その飛ばした過程だって修学旅行に負けないくらい楽しい出来事があるかもしれないのに、勿体なくないか?」
「お?! おー! 桜花が初めていいこと言った」
「いや、流石に初めてはないだろ……たぶん」
今までの言動を思い返してみたが、本当にそうかもしれない。
「だって桜花って後ろ向きな発言ばっかりじゃない? だからちょっと驚いちゃったよ」
「別にマイナス思考とかそんなこと思って話したりはしてないぞ。あくまで現実主義なだけだ」
俺はちゃんと自分の立ち位置を弁えて発言しているつもりだ。
「桜花的にはどんな立ち位置だと?」
「そうだな。この際だから俺のクラスでの立ち位置をはっきり教えておいてやろう。俺はクラスカースト最下層の人間で、女子にあ・ま・り・モテなくて友達もち・ょ・っ・と・少ない男だ」
大見得を切って話した割には予防線をバリバリに張っている俺。
だがここ最近で北上舞香に大道寺さんという女子と話すことができるようになり、さらには友達も1人増えたので、むしろかなり控えめに言ってしまったんではないだろうかと思うくらいだーーここはあれだな、女子にモテまくりで、友達の数も急上昇中の高上桜花と触れ込んでも文句は言われまい。それくらいの劇的変化だ。
「んー、それってこれからどんどん良くなっていくってことだよね。そうしたら舞香も負けないように頑張らないと!」
「なあっ」
いったいどんな解釈をしたらそんな答えに行き詰んだよ……。
それにお前がこれ以上頑張ったところで、人類の数は決まってるからこれ以上は友達は増えんぞ。
「ま、まあ、頑張れよ。俺は陰から応援してるからさ」
文字通り日陰者は陰から応援する。
「ところでさ、明日はどうするんだ? 会場設営も今日で終わるらしいし」
「明日? えっと、明日のいつ?」
ん? この話の流れ的には今と同じ時間帯、つまりは午後の準備時間についてだったが、わかりにくかっただろうか? ーー昨日のこともあるし、また同じ失敗はできないよな……。
俺はもう少し詳しく説明することにした。
「午後の準備時間だよ。今と同じくらいの時間帯。やっぱりクラスで友達と遊ぶのか?」
「舞香が? いやいやいや、舞香はそんな不良じゃないから」
いまいち話が噛み合わないと思っていたときに、彼女は続けて言う。
「ていうか明日の午後は準備ないよ?」
「え? そうなの!?」
「明日は芸術祭の予行練習で午後体育館に集まるのに、舞香がサボるわけないじゃん」
ああ、なるほど。
どうやら俺の方が話をややこしくしていたらしい。
それにしても予行演習って……卒業式とかもそうだけどイベントごとの予行演習て萎えるよな。本番の価値が下がるというか、何というか。
「桜花もしかして……忘れてた?」
「い、いやー、そんなわけないじゃないか、流石に」
あー、めっちゃ怪しい人物を見る目で俺をみてる。これは絶対に信じてないなーーこれが初犯じゃないしな。2度目だっけか、3度目だっけか。
「まあいいや。とにかく舞香はちゃんと出席するから」
桜花もサボっちゃダメだよ、と軽く注意される。
意図してサボることに対してではなく、ちゃんと忘れないで参加してよっと言われているようだった。
俺も昨日今日言われたことは流石に……覚えてるか?
自分の記憶力が乏しいばかりに、悲しいぜ。
「じゃあ今日が最後になるな。一緒に作業するの」
言わないでおこうと思ったが、ついうっかり言ってしまう。
別れの言葉は、別れを意識させてしまうのに。
自分の中では何となく区切りみたいなのはつけていたのにーーこれじゃあまるで、女々しい乙女だ。
「そうだね、今やっている作業が終われば芸術祭の準備は全部終わりかな」
彼女は作業を止めることも、表情を変えることもなく、普通に、ごく自然に言った。
「…………」
「ん? どうしたの桜花? もしかして……芸術祭が終わるとテストだから落ち込んでるんだな。わかるよー、舞香もテストは嫌いだからさ」
まったく、彼女を見てると落ち込んでいるこっちがバカらしくなってくるな。
「はははははーーああ、テストがすごく嫌いだからさ。気分が滅入るよ……まったくな」
彼女と話す場所がなくなる? もう関わり合いがない? そんな些細なことなど彼女が考えているはずがないと、今になってわかった。
人類皆友達の彼女にとって、相手と話す場所に境界線などなく、地球に存在しうることが彼女と話す条件なんだと、俺はそう思った。
だから、きっとこう言うのが正解なんじゃないかと思う。
「あのさ、今度また楽しくおしゃべりしようぜ」
俺のその言葉を聞いてもなお、動きも、表情も変わらない。
そしてやはり、ごく自然に彼女は言うのだ。
「全然いいよ」
北村舞香と話し始めて約2週間。俺はやっと彼女のことが少しわかった気がした。
「よし、終わり!」
最後のパンフレットを綴じ終えて彼女は伸びをする。
「お疲れさん、助かったよ」
「いえいえ、困った時はお互い様だよ」
「そうだ、ちょっと待っててくれるか? すぐに戻るから」
俺は北村舞香の返事を待つことなく、彼女を1人この空き教室に残して飛び出した。
そして2分と掛からず戻ってきた。
「随分と早いね」
「実は俺、足は結構早いんだぜ」
廊下を走っちゃダメだよっと注意されるも、今は耳に入らない。
俺は教室から持ってきたスクールバックを空いていた机の上に乗せ、その中から個別に梱包されたお菓子を取り出し机の上に置いた。
「あれ? これってお菓子?」
「そうそう、ここなら先生も来ないだろうしいいかなって」
コンビニで売っている程度のお菓子だが、まだ授業中である筈の時間帯にお菓子があるという、ほんの少しの非日常がコンビニのお菓子をワングレード上の階級に押し上げている。
「桜花って真面目そうだけど、実はそうじゃないみたいだね」
「大人しいやつがみんな真面目だと思うなよ」
廊下を走ったことに対して注意してきたので、もしかしたらお菓子を学校に持ってきたことに対しても注意させるかと思ったが、そうはならなかった。
「あ! これ新発売のやつ」
さすが女子、流行り物には目がないようだ。
コンビニにある商品は日々目まぐるしく変わるため、女子の間でも流行り廃れのサイクルがとても早いが、これは昨日発売されたばかりの新商品であるわけで、女子がこれに食いつく事は至極当然ーーもちろん俺もそれが狙いで買ってきたのだが。
「まあ、一緒に作業した仲だしちょっと早いけどお疲れ様会ってことで」
「…………」
目をキョトンとさせ、何やらビックリして固まっている様子。
俺、何か変な事言ったかな?
「おーい」
彼女の顔の前で手を振ってみると、
「はぁ!」
どうやら復活したようだ。
「大丈夫か?」
「ま、まさか桜花からお疲れ様会しようだなんて……」
えー、そんなことに驚いて固まってたのかよ。
「桜花って打ち上げとか参加しない人だから、こういうの嫌いなのかと思ってて、ビックリしちゃった」
学校行事の後には決まってクラスの打ち上げがあるのだが、俺は一度たりとも参加したことはないので、彼女がそう思うのも不思議ではない。
「たまたまさ、どうしても外せない家の用事があって参加できてないんだよ」
嘘である。
親も学校行事の際は打ち上げがあると思っているらしく、気を利かせて晩御飯を作っていないのだが、俺はそんな親の気遣いを無碍にすることなんてできないので、家から少し離れた公園で、帰り道に買ってきたコンビニのおにぎりを食べ、遊具で遊び時間を潰してから家に帰っていたものだーーあぁ、来週の芸術祭が終わったら何を買って食べようかな。悩んでる時間もいい暇つぶしになるんだよなー。
「そうだったんだ。家の用事じゃしょうがないよね」
「そうそう、だから嫌いなんて事はないんだぜ。さあ、この中から好きなの選んでくれ。何なら全部持ってってくれてもいいぞ」
そんな大層な量のお菓子ではないがな。
「流石にそれは申し訳ないから……えっと、そうしたら」
お菓子を選んでいる風であるが、明らかに新商品のお菓子が気になる様子で、
「ほら、これ」
俺は彼女が気にしている新商品のお菓子を手に取り彼女に渡した。
「え? いいの?」
「遠慮するなって、これがいいんだろ」
一瞬彼女が何か言おうとするが、寸でのところで言葉を飲み込み俺の手からお菓子を受け取る。恐らくまた遠慮しようと思ったのだろうが、このままでは永遠にお互いが遠慮する感じになりそうな空気を察して、彼女の方が先に折れてくれたような気がした。
「ありがとう」
「いや、こちらこそ」
ん? と首を傾げる北村舞香。
彼女の知らないところで、俺はどれほど北村舞香に助けられた事だろうか。いつかそのお礼をしたいと思っていたので、そのチャンスが巡ってきて本当によかった。
「舞香が何か高上に感謝されるような事したっけ?」
「ああ、多分思ってる以上にな」
さらに首の角度が折れ曲がっていくが、これ以上言うのは野暮だろう。
「よくわかんないけど、お菓子はありがたく頂きます」
「ああ」
そしてこの楽しい会話の終了を告げるチャイムが無常にも鳴り響いた。
「もうチャイムなっちゃったね」
「そうだなーーあ、先に教室に戻っててくれ。俺はパンフレットを先生に渡しに行ってから教室に戻るから」
「わかった。それじゃあまた」
「ああ、またな」
北村舞香が持っていたお菓子は新発売の商品1つだけだったので、お菓子が結構残ってしまったのだが、現在そのお菓子たちが何処にいるかというと……、
「ご馳走さま」
そう、大道寺さんの胃袋の中である。
「お前全部食ったのかよ」
「高上が好きなだけ持ってけ言ったからな」
だからって本当に全部持ってくなよ、てか食うの早すぎだろ。
バラエティパックのような袋詰めでなく、個別梱包されたチョコレートにスナック菓子。学校でバレないようにそんな大きいサイズのお菓子は買ってないが、それでも5品くらいはあったぞ。
「まあ、いいけど」
「私としては新発売のやつが食べたかったな」
残念ながらすでにその商品は北上舞香の手により、お前の胃袋に入る前に救出されているのだよ。
「ところで高上?」
「何だよ」
「私と別れた後はどうだった?」
「……どうだった、とは?」
逆に聞き返した。
あの時ココアを渡された時から俺は警戒を怠らなかった。絶対に俺を嵌めて来るに違いないと思い俺なりに対策はしてきてある。
いつまでもやられっぱなしの高上桜花じゃないところを見せてやるぜ。
「いや、だからさ、昨日別れ際に渡した飲みかけのココア、どうしたのかなって」
「普通に飲んだけど、もったいないし」
「飲んだの? 普通に?」
「ああ、普通に」
恐らく間接キスの話を振った時点で俺がテンパるとでも思っていたのだろうが、そうはいかない。
むしろ堂々としていることで、逆に大道寺さんを追い詰めてやる。
「飲んだ時に何か思わなかったのか?」
「ああ、思った思った。やっぱりココアは暖かい方が美味いよな」
「いや確かにそうだが、そうじゃない!」
「ん? 何が違うんだよ?」
こんなに慌てふためいてる姿を見るのは初めてだーーしかも今は言葉にナイフが隠れてないときている。
「だから、あの……私の飲みかけを高上が飲んだんだよな? 私の飲みかけを」
「そうだよ、ちゃんと溢れないように口を付けて飲んださ」
「つ、つまりは、そういうことだよな?」
やれやれ、可哀想だからそろそろ遊ぶのもこの辺にしといてやるか。
俺の優しさに感謝して、しばらくはそのナイフを納めておいてくれればいいが。
「大道寺さんもしかして、関節キッスとか気にしてるのか? まったく、関節キッスを気にするなんて今時の小学生でもあまりいないぞ」
俺は畳み掛けるように続ける。
「だが、俺も紳士だ。ちゃんと飲む前に飲み口をハンカチできれに拭いたから、間接キッスになってねーよ」
これも賛否両論あるかもしれないが、俺は一度口を付けた箇所をきれいに拭き取ることで、間接キスは無効になると思っているーー口を付けた人物の痕跡が跡形も無くなくなっていれば関節キッスにならないというのが俺理論。
「あぁぁぁぁ……」
大道寺さんは恥ずかしさのあまり、両手で顔を隠してしまった。
「まあそんなに気にするなって、誰だって思い違いをすることだってあるんだ。だから大道寺さんが1人で勝手に関節キッスをしてた妄想をしてたって俺は軽蔑しないさ」
最後にフォローの言葉を入れて、これにて終了。
俺だってやればこのくらいはできるのだ。
「…………」
あれ?
流石にやりすぎたか? 反応がない。
そう思っていて時だった。
「……ふふふふ」
なんか突然笑い始めたぞこいつ、もしかして壊れたか?
「ねえ、知ってる? 1度口を付けた飲み物って、唾液とか口内の菌が飲み物に逆流するんだよ。だから口を付けたペットボトルってその日の内に飲み切った方がいいって言われてるんだ。そこで何だけど、あの時私があげたココアって中身がどれくらい残ってたか知ってる? 私が記憶してる限りだと、容器の4分の1くらい。つまり半分以上は私が飲んでて、しかも一気には飲まないから、ちびちびと何回も口を付けて飲んだ、それでさ、そんな私の唾液とかが逆流したココアを高上は普・通・に・飲んだんだよね? いくら飲み口を綺麗に拭いたところで、ココアに入ってる私の唾液まで綺麗になるわけじゃないから、これって関節キスというより、関節ディープキスなんじゃないかと思うんだけど、高上はどう思う? ああ、あと、さっきから関節キッスとか格好付けて言ってるけど、ダサいから止めた方がいいと思うよ」
四肢をもがれたあと、胸から心臓を素手で取り出されて、目の前で握りつぶされたような気持ちになった。
つまりどういうことか、ここが学校でなかったら、大声で叫んでのた打ち回っているということである。
俺が変に小細工などしなければ、最初の段階で関節キスを恥ずかしかっていればーーだがそんな後悔はもう遅い。
未だに両手で顔を隠しているが、指の隙間からは微かに表情が見え、
悪魔が……笑っていた。
口が裂けていらっしゃいますか? と聞きたいくらいに口角が上がり満面の笑みである。
「あの……大道寺さん、許していただけませんでしょうか?」
「…………」
しばらくの沈黙の後、返答が返ってくる。
「ダ・メ」
「ダメですよねー」
俺はこのあと、今後大道寺さんにはもう2度と逆らわないと決意した。
「明日の予行演習は参加するの?」
昨日修羅場と化したコンビニでココアを買い、今日も彼女を家まで送って行る最中である。
「流石の私も行事には参加するし、あとで何言われるかわかったもんじゃないから」
こう見えて何でもかんでサボるわけじゃなくて、ちゃんとサボっても怒られないラインを見極めている辺りが大道寺さんらしい。
「ふーん。でもついに明日予行演習で、月曜日が本番か、あっという間の準備期間だったな」
「私からしたらサボれる時間が減るからずっと準備期間なら嬉しかったのに」
準備期間じゃなくてもサボってるじゃん、と心の中で突っ込みを入れておいたーーさっきの件があるので、しばらくは控え目で行こうと思う。
「部活に入ってないから、テスト期間も別に変わらないしな」
「ああ、そうか、高上は部活をやっていたのか。見るからに運動部って雰囲気じゃないけどね」
「それは余計なお世話だ」
本当に一言多いなこいつは。
「明日から美術室が使えなくなるし、こうやって一緒に話す機会も減るのかな?」
準備期間が終われば、美術部が教室を使うようになるので、これまでのように放課後会って楽しくお喋りというわけにもいかなくなる。
「そう……だね。それに私は、明日はみっちゃんと放課後遊ぶ予定だし」
そう彼女が言うと、すでに住宅街の入り口まで来ていたーーそれはつまりここで解散を意味している。
「ねえ、テストで勝負するなら私たちは敵同士になるよね?」
「敵って……たかが中学生の中間テストでそんな物騒な、でも……まあ、罰ゲームもあるし、そういうもんか?」
ちょっと過剰な言い方なような気もしないでもないが。
「そうなると、テスト勉強に集中するために次に会うのはテストの返却日でどうかな? 漫画の決闘シーンみたいで格好いいし」
「俺はそれでも構わないぞ」
「じゃあ決まりで」
そう言って彼女は飲み終わったココアの容器を俺の自転車の前カゴに入れて、
「では、決闘の日まで、再見ザイチェエン!」
「なんで中国語!?」
そして彼女は走って去っていった。
「俺はひょっとして、すげーやばいやつと友達になってしまったのか?」
まあ、今更か。
俺も自分の残ったココアを一気飲みし、自転車の前カゴに放り投げ、我が家に向けて自転車を走らせた。
10月17日。
芸術祭の予行演習が行われている体育館では各学年、各クラスの成果物の発表が行われており、俺はこの発表を芸術祭当日にまた聞く羽目になるかと思うと、気分が滅入ってくる。
1学年から3学年、各5クラスで合計15クラス分の発表。
正直サボれるならサボりたい。
俺には関係ないが、芸術祭当日は学年別優秀賞、そして全ての作品の中から最も優れた作品に贈られる最優秀賞が発表されるわけだが、最優秀賞は毎年3年生のクラスから選出される出来レースなので、実質俺たちのクラスが狙うのは学年別優秀賞になる。
まあ、3年生のいい思い出作りの場だよな。
あー、早く終わらないかな。
俺はただただ体育館に飾られた時計を見ながらそう心の中で唱え続けた。
放課後、作業もなければ大道寺さんに会う用事もないので、久々に佐々木と太田と遊ぼうと声を掛けてみたが、
「ごめんごめん、今日はちょっと先約がるから無理だわ、代わりに太田と遊んでくれ」
「え? うちは今日大事な用事があるから無理だよ」
まさか佐々木と太田、両方ダメだなんて思いもよらなかった。
佐々木はまだわからなくもないが、太田は俺と同じで、基本は家でゲームしたり、漫画を読んだり、時々変な趣味に没頭するくらいなので基本暇なはずなんだが。
「大事な用事って?」
佐々木が聞いた。
「大事な用事は大事な用事だよ。それ以下でもそれ以上でもある」
それ以上ではあるのか。
「なあ、佐々木、太田もこう言ってるし、きっと今日は何かのお楽しみなんだよ。だから今日は1人にさせてやろうぜ」
太田には返きれない恩があるので、ここは太田の味方をすることにした。
「まあ、遊びたがってる本人がそういうならしょうがないか」
佐々木も太田にはあまり強く出れないので、しょうがないっと言った感じで諦めてくれた。
「うち、来週予定ないから遊べるよ。テスト期間で部活ないし」
「お! じゃあ久しぶりに3人で遊びに行きますか」
佐々木はノリノリで、カラオケ? ボウリング? と早速場所の話までし始めるーー本当は大道寺さんとの勝負もあるので、家で勉強をした方がいいに決まっているが、俺は勉学よりも友情を優先させる男なので、すぐに勉強という考えは脳みその奥深くに封印する事にした。
「太田、ちなみになんだけどさ?」
「ん? どうした?」
太田が言う大事な用事が何か気になるので、
「大事な用事って何かこっそり教えてよ」
佐々木が1人で舞い上がっているうちに聞き出そうと試みることにした。
「ああ、実は……」
太田の言う大事な用事とは、どうやら通販で頼んだ趣味全開の物が届くのだとかーー詳しくは教えてくれなかった。
そのため今日は大人しく家に向かって下校中であったが、少し寄り道して大木ノ木書店に寄り、あの占いの本、『よく当たる危険な占い』が入荷していないか店内を物色するも、未だに入荷していないようなので、適当に週間雑誌を立ち読みしたあと、新発売のコミックスを買って大木ノ木書店を後にした。
家に帰ると、とりあえず部屋着に着替えてゲーム。
今日は夕食の時間になるまでに4章のストーリーを終わらせたいところだ。
そして夕食を食べて風呂に入ってゲームして寝る。
これが俺の毎日のルーチンだ。
だが今日は寝る間に少し、北村舞香の出したなぞなぞを考えてみる、が、残念な事に布団に入って横になってすぐに睡魔に襲われたため、なぞなぞを殆ど考える事なく眠りについた。
10月20日。土日を挟んで芸術祭当日。
芸術祭だからと言って何か特別なことがあるかと言うと特に何もなく、午前中に芸術祭が行われ、午後は片付けで今日は終わり、さらには部活動もテスト期間で無いため、正直今日は登校希望者だけが学校に行けばいいのに、と本気で思っていた。
体育館で各クラスが発表を行うが、先週も聞いているので正直まるで興味がない。
なんだか胸に穴が空いたみたいな、そんな虚無感でただぼーっと前を向いているだけ。
あの怒涛の準備期間を経験した俺からすれば、今日からテスト返却日までが退屈でしょうがないのだーー大道寺さんとの勝負もあるので、勉強に集中すればいいだけの話なのだが、今の俺は完全に燃え尽き症候群とも言える状態なので、何もやる気が出ない。
せめて北村舞香と話す約束くらいしていたならば、こんな事にはならなかったと思うが、あの時はあれで一杯一杯だったので無理な話である。
むしろ勇気を出してああ言った事にたいして、褒めてもらいたいくらいだ。
そんなこんなで色々あった芸術祭。
最終的に2年生の学年別優秀賞は1組が受賞した。
自分たちのクラスが受賞を逃したことに悔しがる生徒は俺を含めて誰もいなかった。
だって本番はもうすでに先週の16日には終わっていたのだから。
準備期間こそが本番だと俺が言ったように、クラスメイト達の話は芸術祭の本番ではなく、準備期間の楽しい思い出話に花が咲いているのだから、間違いではない。
俺の方はというと、劇的な事があったとしても、その後の学校生活が劇的に変わる、なんてことはなく、教室で北村舞香や大道寺さんと喋ることは無いし、やはりいつも通り佐々木と太田と喋るだけ。
中学生なりに人生が変わるよな、そんな選択をしたつもりだったーー個人で見ればそれは劇的な変化だが、クラスという少し大きな単位で見てしまうと、俺の変化などちっぽけすぎて、まるで変わっていないように見えてしまう。
所詮そんなものなのかと思った。
いや、そんなもんでいいんだって思った。
だってこれはどこにでもいる、友達の少ない男子中学生の物語なんだから。
むしろ特別であったら困る。
目立つのは嫌いだから。
ーーさて、
今度こそ格好よく締めるとしますか。
ーーーー
ーーーー
「ちぅっ」
ん?
なんだっけ、この聞き覚えのある音?
2月10日。
明日から修学旅行ということもあり、クラスが浮き足立っている時のことだった。
それは突然俺に牙を剥いてきた。
予想外も甚だしい出来事。
しかし元を辿ればやはりというか、全ては俺に原因があった。
あの芸術祭準備期間に劇的に状況が変わったのは、俺だけではなかったということを、この修学旅行前日に知ってしまったのだ。
「ああ、やっぱり、気を使うとろくなことがない」
恋、崩れて、成れの果て FOKA @fujioka
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