パラボラ〈Official髭男dism〉


 バイクが大人の乗り物であることはいうを俟たない。


 なぜなら単体だと、スタンドを立てなければ自立すらできない乗り物であるにも関わらず、クラッチ操作だの取り回しだのでは、オートマチックの自動車のようにお気楽に乗れるものでもないからである。


 その点で、菊池聖良せいらがC100ことタイカブに乗ったのは、もしかしたら炯眼であったかも分からない。


 聖良が初めて乗ったのはアルバイト先のデリバリー用に使われていたC50で、これは前に誕生日を機に身分証明がわりにと取得した原付の免許で乗ることが出来た。


 その後はデリバリー用のバイクが90ccに変わったので、已むなく普通二輪を取って乗っていたのであるが、


「聖良ちゃん、バイク乗る?」


 声をかけてきたのは脳梗塞で身体の自由がきかなくなった叔父で、それまで釣りや山菜採りなど行くために乗っていたタイカブを、子がおらず代わりに可愛がっていた姪の聖良に譲り渡したのである。





 タイカブ。


 正式にはC100、通称をバイリンカブともいい、もともとはタイで独自の進化を成し遂げ、正統派でありながらどこか異色の雰囲気すらある。


 100ccエンジンなだけにゆとりがあって走りも良く、面倒なボアアップもカスタマイズも必要がない反面、たまに異論も出る毀誉褒貶の相半ばのタイカブは、手をかけたりいじることにあまり関心のない聖良にはうってつけであった──ともいえよう。


 聖良が手を加えたのは、たった二箇所であった。


 一つは割れの入っていたレッグシールドの泥除け部分をカットし、断面にモールを嵌め込んだだけである。


 これは見た目もさることながら、


「走ってるときに振動がビリビリうるさくて」


 あまりのうるささに閉口していたのであるが、


「だったら切っちゃえばいいじゃん」


 という、親友の兵藤歩美あゆみの何気ない言葉で、ハッと思った聖良はネットでカットの仕方を研究し、休みの日に小一時間ほどで綺麗に仕上げてしまった。





 もう一つは、最初からついていた風防である。


 小柄な聖良の目線のあたりに風防の縁が来るので見づらかったらしく、


 ──ミディアムサイズにすればいい。


 という発想から、半分に切って取り付けた。


 このぐらいは工作が好きで、手先も器用であった聖良には容易かったらしい。


 そのようにしてわずかに手が加えられた聖良のタイカブは日頃は通勤や、聖良がダブルシートの後ろに歩美を乗せて海へ出掛けたり──といったちょっとした足として、おおいに活躍する相棒となっていた。


 その日も歩美と待ち合わせ、郊外に新しく出来たカフェまで行くべく出発した信号待ちで、


「あのさ今度…私、結婚するんだ」


 いきなりな歩美の言いように聖良は思考が一瞬混乱したが、取り敢えず目指したカフェまで着くと、駐車場にタイカブを停めてカフェの中へと入った。





 あらためて聖良が問うてみると、


「前に話したっけ、遠距離恋愛してるって話」


 なんとなく聖良が思い出したのは、歩美には外国人の彼氏がいて、仕事の都合で彼が今はアメリカにいる──ということであった。


「その彼がね、今度日本に転勤で来たんだけど、そしたらプロポーズされてさ」


「それは良かったじゃん」


 他の女子と違い聖良にはどこか男っぽい側面があって、あまり嫉視もしないしサバサバとしているところもある。


「で、じゃあ日本を離れる日がいつか来るかもしれないってこと?」


「それは否定はできないかな」


 ただ歩美は、幼稚園の頃からの親友でもある聖良にだけは話しておきたかったらしい。


「でもさぁ、結婚したら今日みたいに簡単に聖良と一緒にツーリング出来なくなるからさ、だから最後になる前にこうやって話したかった訳ね」


 歩美は少しだけ、ばつの悪そうな、それでいてわずかに申し訳もなさそうな入り交ざった顔をした。





 結婚式を週末に控えた月曜日の夜、歩美から聖良へLINEが来た。


「これから会える?」


 聖良は快諾すると、歩美の住むアパートまで例のタイカブを転がした。


「お待たせ」


 歩美はいつものツーリングのときの服であらわれ、


「あれ? 彼氏さんに許可は取ったの?」


 聖良は首を傾げた。


 アメリカでは結婚前に独身の最後のあたりになると、友人を集めてパーティーをしたりするらしく、


「彼に話したら、一緒にツーリング行っておいでって」


 聖良は歩美を乗せると、


「じゃあ行くよ」


 スロットルを開いて出発した。





 聖良が連れてきたのは高台の公園にある展望台で、ここからは街の夜景が一望に見渡せ、聖良はよく一人で来たことがあった。


「結婚したら、こんなところも自由には来られなくなるだろうから」


「多分ね…」


「ここは何度も来たけど、変わらないよね」


「…前にさ、聖良がスクーターでここまで連れてきてくれたことあったじゃん?」


 歩美はその時、パワーのないスクーターで坂を登ったときエンジンから煙が出て、押して歩いて帰った話を思い出したらしい。


「あのときは大惨事だったよね」


「でもあれで、スクーター乗らなくなったんだよね」


 互いにまだ学生の頃で、何か若気を持て余していたようなところがあったのが、歩美が結婚するのだから、分からないものである。


 くだんのスクーター事件も今や笑い話で、


「でも、披露宴では言わないでね」


「それはお互い様」


 歩美も聖良も、顔を見合わせるとその時のことを思い出したのか、やたらと可笑しがった。





 週末。


 ウェディングドレス姿の歩美は、同性の聖良が見ていても美しいものであった。


 ──結婚かぁ。


 果たしてそれが自身にはいいのかどうか聖良には分からなかったが、歩美には良いのかも知れない──聖良はぼんやりとそんな感を持ったようである。


 友達の多い歩美と違い、人見知りのある聖良は少し離れた席から式の様子を眺めていた。


「飲んで大丈夫なの?」


 思わず歩美に心配をされたが、この日はバイクで来ていなかったのもあって、珍しく聖良はワインを飲んだ。


 その後は歩美とはLINEで話したり連絡は取り合っていたものの、以前のようなツーリングはほとんどなくなり、およそ一年ほどすると転勤で歩美たちが今度は福岡へ移ったので、聖良は一人でツーリングをするようになった。





 聖良は休みが取れた朝、早起きをしてタイカブを駆って海まで出た。


 時期外れなのもあってほとんど人はなく、犬を連れた老爺や近所の家族連れぐらいのものであったが、風に吹かれて髪をなびかせ、潮風が心地よかったのか、しばらくそのままにぼんやりと停めたタイカブに凭れていた。


 すると。


「かっこいいバイクですね。外国のバイクですか?」


 聖良が振り返ると、豆柴を抱いた一人の青年が立っていた。


「一応ホンダなんですけどね」


 聖良は答えた。


 そのとき。


 抱いていた豆柴が青年の手を離れ、聖良になついてきた。


「珍しいな、この子人見知りするのに」


 聖良は豆柴を抱えあげながら、出会いというものがどこにあるか分からないことを悟りつつ、この邂逅がどうなるのか予測はできなかったが、しかし歩美のことをふと思い出したのか、


「可愛らしいワンコですね」


 青年に渡し、そして思わず笑顔を青年に向けたのであった──。




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